会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)

久留茶

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【19】動き出す

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「はぁ~……」

 社食で菜乃は盛大な溜め息を吐いた。

「お、何だかアンニュイだね。小森さん」

 既に馴染みとなった社食での田丸との相席。
 田丸が気兼ねなく菜乃の向かいの席に腰を下ろした。

「あ、田丸さん、この間はお疲れ様でした」
「小森さんこそ。どう? あのあと五十嵐と何か進展あった?」
「え? ど、どうしてですか? 」
「だって、飲み会のあとまた五十嵐、君のアパートに泊まったんでしょ? 」
「う。は、はい、まぁ……」

 歯切れの悪い菜乃の返答に、田丸は『これは何かあったな』とピンときた。

「襲われた?」
「のぁっ!? 」
「正解? 小森さんすっかり可愛くなっちゃったし、五十嵐もやっぱり我慢できなかったか」
「あ、あの。でも、誤解のないよう言わせて貰えば、その、さ、最後まではシしてないので……。ただほんのちょっとキ、……口と口とが合わさったと言いますか……」

 ゴニョゴニョとそれ以上は恥ずかしくて口に出せず、菜乃は目の前のかけそばをズズと勢い良く啜った。

「キスしたの?」
「ぶはぁ!? 」

 ゲホゲホと菜乃がむせる。
 田丸の目の前で、危うく鼻からそばが出そうになった。

 涙目で鼻と口を抑えて咳込む菜乃の姿に、『相変わらず面白い子だなぁ』と、田丸は愉快な気持ちで菜乃を観察した。

「ふーん、でも、そっか……」

 手を出さないことを条件に、菜乃のアパートに泊まることを許されていた五十嵐だったが、自らそれを破ってしまったわけだ。

「それで? 付き合うの? 」
「え? 」

 ようやく咳が落ち着いた菜乃が、田丸に視線を向ける。

「だって、手を出されたのに、このまま今迄通り何もなく、アパートに泊まるなんてこと有り得ないでしょ? 」
「そ、そうですよね? 実は私もそれで悩んでたんです……」
「よし、お兄さんが話を聞こうか」

 菜乃が悩んでいると聞いて、田丸が楽しそうにズイと身を乗り出す。

 唯一事情を知る田丸が、自ら相談相手を志願してくれたことに、一人でもんもんと悩んでいた菜乃は、分かり易く喜びの表情を浮かべた。


* * *

「――それで、飲み会のあと、酔っ払って五十嵐さんに絡んだ私に『今日の私は可愛い』って。他の男の人と話す姿に腹が立ったって。早く二人きりになりたかったって、言ってくれたんです」
「おお……」

 あのひねくれ者の五十嵐の、どストレートな口説き文句に、思わず話を聞いてる田丸の方がドキドキしてくる。

「そのあとで、キ……ス、されて」
「ふんふん」
「五十嵐さんが、突然ガッときて……。そのあとで、唇をペロリって舐めたのが凄い色っぽくって……。それで、あ、無理ってなって……」
「うん? 」

 情景を思い出し、再び菜乃の身体に熱が帯びてくる。
 恥ずかしさから、語彙力が低下した菜乃の説明に、田丸が困惑したような相槌を返す。

「結局そのまま私、意識手放しちゃって。朝起きて、私は一人でもの凄く五十嵐さんを意識しまくってたんですけど、当の五十嵐さんは、全然いつも通りで。あ、あの夜のアレは酔った勢いだったのかな、って……」
「あ~、そっか。なるほどね」

 あの時五十嵐が、本当に菜乃を可愛いと思ったのだとしても、それはあくまで一夜限りのもので。
 運良く、その日の菜乃が美容サロンの楠木店長のお陰で可愛く変身出来て、たまたまその姿が五十嵐の好みだっただけ。
 菜乃じゃなくても、きっと五十嵐の好みに合えば同じだったのかもしれない、と。

「五十嵐さんは今迄も飲み会の度に、女の人と、……そういう関係になってた人だし。だから、五十嵐さんにとっては、相手が私っていうのが少し特殊な状況ではあるけれど、通常運転というか……。だけど、私は……」

 そう言って菜乃が口ごもる。
 田丸は菜乃の気持ちを察すると、敢えて菜乃に聞かせる為に、彼女が飲み込んだ言葉を口に出した。

「惚れちゃったんだね、五十嵐に」
「……はい」

 田丸の言葉に、菜乃は消え入りそうな小さな声で、弱々しく頷いた。

 恋をするのは素敵なことだ。
 だけど、今迄全く恋愛したことがない菜乃は、この恋に全くといっていい程自信が持てない。

 一度きりの五十嵐の愛情表現だけを頼りにして、このまま突き進んでもよいのだろうか。
 期待して裏切られる結果になるのが怖い。
 菜乃は不安に胸が押し潰されそうになっていた。

 初めての恋に戸惑い、悩む菜乃の姿に田丸は心から彼女に同情した。

「言ったじゃん、俺。遅かれ早かれ、小森さんが情に絆されて五十嵐に惚れるのは目に見えてるってさ。しかしよりにも寄って相手があの五十嵐とは、小森さんも気の毒に」

 そう言うと田丸は項垂れる菜乃に、向かい側の席から手を伸ばすと、労るように彼女の頭を優しくポンポンと叩いたあとで『いいこいいこ』と撫でつけた。

「う……。優しくされると涙が勝手に……」

 俯く菜乃の目から、我慢出来ずに涙がポロポロと零れ落ちた。

「……ごめん。俺、社食で小森さんのこと泣かせてばっかだね」

 田丸の言葉に菜乃は声もなく、ふるふると小さく頭を振った。
 頭を撫でる田丸の大きな手の温もりと、優しいトーンの低音ボイスに、菜乃は甘えるように暫くの間泣いていた。



 * * *


「告れ」

 仕事帰りのダイニングバー。
 カクテルを飲みながら、田丸が隣の席に座る五十嵐に鋭い視線を送りながら、命令口調で一言告げた。

「何だよ、突然」

 定時となり、とっとと帰ろうとした五十嵐を、田丸が捕まえ、有無を言わさず飲みに誘った。

 突然、誰かに告れと告げる田丸の言い分に、五十嵐は訳が分からず怪訝な表情を見せた。

「小森さんに決まってるだろ。お前、飲み会の日、あの子に手ぇ出しかけただろ」
「何でお前がそんなこと知ってるんだよ。あいつから聞いたのか」

 菜乃と田丸が社食仲間として繋がっているのを知っている五十嵐は、面白くなさそうにグビリと手元のカクテルを口に呷った。

「社食で元気無さそうだったから、理由を聞き出した。勿論、彼女の元気のない原因はお前だ。心当たりあるだろ? てかありまくりだろ? 」
「……知らねーよ」

 ダンッ――

 五十嵐の煮え切らない答えに、焦れた田丸が手にしていたカクテルグラスを、強くカウンターに叩きつける。

「キスしたんだろ!?  小森さん、お前が今迄寝てきた女達とは違って、純情ないい子なんだから大事にしてやれよ」
「何だよ、お前。一体あいつのどういうポジションで物言ってんの? 」

 珍しく熱く菜乃を擁護する田丸に、五十嵐が二人の関係性に疑問を呈した。

「言ったろ。お前が行かないなら俺が行くって」
「言ってねーだろ。てか、お前こそあいつに惚れてんのか? 何珍しくムキになってんだよ」

 五十嵐が探るように田丸の様子を伺う。
 田丸は「ネグローニ」とカウンターのバーテンダーにカクテルを注文すると、短髪の髪の毛をカリカリと搔きながら、自分でも持て余す気持ちを五十嵐に告げた。

「正直、小森さんのことを好きかって聞かれたらまだ恋愛対象としては見ていない。見ていて面白い子だなって、凄い興味は惹かれるけど、あくまで俺はあの子の相談ポジだし。だけどさ、お前もアレにやられたように、頑張って可愛くなったじゃん? あの子、これからもっとどんどん可愛くなってくると思うんだよ。今日だって社食かけそばしか食べてなかったし。あの子見てると、何かいじらしくて応援したくなってくるというか……。それが、何かの拍子に急に恋に変わるかもしんないじゃん」
「かけそば……食べてたのか。社食で」
「気になるとこそこ? 」

 田丸の話も、菜乃が昼にかけそばを食べてたことも、五十嵐には面白くなくて、思わず口がへの字に曲がる。

 (――たく、あいつは一体何を勝手に悩んでるんだよ。あの夜、あいつが欲しい言葉くれてやったじゃないか。ちゃんと可愛いって、言ったじゃないか。ついでにこれ以上痩せなくていいって言ったのに、なんでダイエットなんか続けてんだよ)

 五十嵐はこれ以上菜乃に変な虫がつくのが面白くなかった。
 しかし、残念なことに、変な虫の代表が自分だということに五十嵐は全く気付いていない。

 (飲み会の早乙女といい、目の前の田丸といい、男に隙、見せすぎなんだよ)

「――つまり、俺が言いたいのは! お前が彼女を他の男に取られるのが嫌なら、ちゃんと彼女に告白して、正式に誠実なお付き合いをしろ、と言ってるの。分かったか」
「チッ。うるせーよ」

 田丸の忠告とも取れる言葉に、五十嵐は面倒臭そうに再びカクテルを口に含んだ。
 アルコールを身体に入れた五十嵐の心は、已に菜乃のアパートにあった。

 元気がなかったという菜乃の様子が、実の所気になって仕方がない。
 気になったら、もう早く菜乃に会いたい。

「お前の言いたいことは分かったから、俺は帰るぞ」
「帰るって言ったって、ちゃっかり小森さんのとこ行く気だろ。スケベ」
「うるせーっての」

 絡む田丸を適当にあしらって、五十嵐が自分の飲み代を会計したその時だった。


「大和――」


 その声が響いた途端、賑やかなダイニングバーのざわめきが遠のいた気がした。
 五十嵐の視界から、田丸も他の客も一瞬消える。

 ドクン――

 その声に。
 自分の名前を唯一呼ぶことを許した相手。

 五十嵐の動きが数刻の間止まる。
 身体が動きたいのに動かない。

 そんな五十嵐の横に、一人の人物が姿を現した。

 ずっと五十嵐が恋い焦がれ続けた愛しい女――
 倉内 晶の姿に五十嵐は呼吸を忘れ立ち竦んだ。

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