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ep4 赦しのかわりに (1)
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優しい手つきで髪を撫でられる感触に、意識がゆっくりと浮かび上がっていった。
これは“ふかふかの方”だから、普段のベッドじゃない――いつの間に寝たんだっけ、とぼんやり思った。
夜明け色を纏った綺麗な顔が、今にも泣き出しそうな顔で、自分の髪を撫でていた。「お留守番」と言われたときの犬の顔に似ている。
――やっぱり大型犬だ。
寝ぼけ眼のまま、手を伸ばしてその頭をわしゃわしゃ撫でた。
撫でられた彼はびくりと肩を揺らして、そのまま固まった。
しっぽは振らないのかな、と思った瞬間――はっと覚醒した。人間に尻尾なんてない。
「……神子さま。お疲れなのでしょう。どうか、もう少しお休みください。」
――みこさま。またそれだ。
心地のいい低音に、すっかり目は覚めた。
視界の先で、夜明け色の長い髪をぼさぼさにした彼が、少し困ったように、それでも優しく微笑んでいた。
「ごめんなさい、満腹で寝てました……」
なんだか申し訳なくなって、正直に言う。
夜明け色の彼は、よほど予想外だったのか、ただきょとんと目を見開いていた。
***
――やってしまった。
今、テーブル越しに向かい合っているのが、十中八九、話があると言っていた“セリアス殿下”だろう。
食後、うつらうつらしていたところまでは覚えている。
おそらくそのまま寝てしまったのだ。そして訪ねてきたセリアスが、ご丁寧にベッドに運んでくれて、起きるのを待っていた――たぶん、そんな状況だろう。
居眠りして王族を放置したうえに、髪までぐしゃぐしゃに……。さすがに、それが良くないことだとは理解できた。
「喉は乾いておりませんか?ミレナを下がらせているので――」
「ごめんなさい!」
それはもう大きな声が出た。
ぐるぐる悩んでいても仕方ない。悪かったら謝る。それしかない。そう思ったら勢いづいて言葉を遮ってしまった。
あまりにも大きい声に、セリアスが驚いたように目を瞬く。
思わず、誤魔化すように言葉を継いだ。
「セリアス殿下、ですよね……?
お待たせしてすみません。髪も……。
あ、王族の方なら、平伏とかした方がいいんですか……? 俺、慣れてなくて……。」
王族に慣れてる一般人なんて多分いない……と、思いつつ、敵意がないことを示そうと、とりあえず口を開いた。
きっと王族の世界で「キルユー!」なんて言われたら、多分自分は秒で終わってしまう。
「まさか!」
今度はセリアスが大声を上げた。思わず肩が跳ねる。
セリアスの眉根がきゅっと寄った。
「――驚かせてしまいましたね。申し訳ございません。」
「いや、俺こそ……」
やりとりに、そこはかとなく日本人文化を思い出して少し心が落ち着いた。
「……そちらに行っても?」
ことさらに柔らかな声で問われる。その様子に、動物がおずおずとこちらを窺う光景が脳裏に浮かんだ。
「あ、はい。」
テーブルでは少し距離があるから、話すためにこちらにくるのだろう。
そう思っていたら、目の前で片膝をついたセリアスにそっと手を取られ、心底驚いた。
「あ、あの。」
「どうかこのままで。」
そう言われてしまえば、じっとしておくしかない。
借りてきた猫の気分、とはこういうことを言うのだろうか。
「……あの、自己紹介とか、してもいいですか。せめて名前くらい。」
なんとなく長くなりそうな気配を感じて話しかける。
近い距離感で接してくるわりに“神子様”と呼んでくる彼は、名前すら知らないんじゃないだろうかと思ったからだった。
「申し訳ございません……つい、気が急いてしまって。」
よく謝る王族だ。多分いい人なんだろうと察した。
「ご挨拶が遅れてしまい、大変失礼いたしました。
エアリア王国の第二王子、セリアス=エアリアと申します。
どうか“セリアス”とお呼びください。丁寧なお言葉は不要です。自然に接していただければと存じます。」
――とても丁寧なご挨拶をいただいてしまった。
けれど真似はできないので、いつも通りに返すことにする。
「ありがとう、セリアス。
俺はヒナタソラネ。名前がソラネ。
けど、みんな“ヒナタ”って呼ぶから、そう呼んでもらえたら嬉しい。」
「ヒナタ……ソリャ……ネ」と、少し戸惑ったように繰り返す声が聞こえた。
もしかしたら「ソラネ」という発音は難しいのかもしれない。クールに見える美形から想像ができない妙に愛らい発音だったが、空気を読んで笑うのは我慢した。
「ヒナタ、でいいよ。よかったらセリアスも普通に話してくれない?自分だけっていうのは、ちょっと……。」
セリアスが大切なことを聞いたかのように、真剣に頷いた。
「そうしよう。」
「あと、この体勢……ちょっと落ち着かない。」
なんせ、片膝をついて見上げられているうえに、手を取られている状態だ。物語のプロポーズのシーンみたいでそわそわする。
「すまない。でも、もう少しだけ時間をくれないか。
そなたにまず謝罪をしなければならない。――だから、同じ目線には立てない。」
まっすぐな視線に誠実さを感じて、意識して“神妙な面持ち”を作った。
普段のように、なんだかよく分からないけど許すよ、とはとても言えない雰囲気だ。
よく知らない人相手なら、なおさらだ。きっと、真剣な気持ちなのだろうから、真剣に応えないといけない。
「ヒナタをこの世界に呼んだのは、私たちの国、エアリア王国だ。
急に違う世界から呼び込んだのだ。混乱して、恨んでいるだろう……でも、どうか聞いてほしい。
私が国――いや、世界は今、危機に瀕している。
“水の穢れ”というものが、いま世界に広がりつつあり、エアリア王国が最も深刻な被害を受けている。
そもそも、我がエアリア王国は女神ナイアの加護を得て、建国された国。
その地がこの状態だというのは、女神が我らを見放した証だと国全体、ひいては世界が騒いでいる。」
だが、話が始まってすぐに、このままではいけないと思う。
これは良くない。
神妙な面持ちをかろうじて保ちながら思う――まったく、頭に入ってこない。
セリアスは、おそらく生真面目なタイプだ。
一から十まで話すこういうタイプは、正直相性が悪い。
適当に頷いていたら、何も分からずに契約書にサインを押す気持ちになってしまいそうだ。
話はすでに建国神話の時代まで遡っていた。
このまま放っておいたら、近隣諸国の歴史まで語りそうだった。
いったい、何時間その体勢で話すつもりなのだろう。
このままじゃきっとセリアスの膝も死ぬ――そう思って、意を決して口を挟んだ。こういったことはストレートに言った方がいい。
「セリアス、本当にごめん。俺さ、長い話苦手で……大切なところだけ教えてもらえる?
失礼だと思うけど、詳しい話はまた今度で。……いいかな?」
後からでも長い話はあまり聞きたくなかったが、いずれ聞かなければいけない話であることは伝わってきたので譲歩案を出す。
セリアスは嫌な顔ひとつせず、真面目な表情のまま頷いた。頭の回転が早いのだろう、すぐに要約してきた。
「“水の穢れ”を祓えなければ、世界が滅ぶ状況だ。」
「……せかいが、ほろぶ。」
思わず繰り返した。
思ったよりも絶望的な内容だ。
口にしてみると、言葉が頭の中でぐるぐる回り、ゲシュタルト崩壊を起こしそうになった。
しかし今考えても仕方ない。気を取り直して聞いた。
「それで、俺はどうしてここに?」
「悪化した“水の穢れ”を祓える者は、この世界にはいない。祓えるのは、異世界から呼ばれた神子だけだ。」
なるほど、とヒナタは内心で頷く。やはりここは地球ではないのだ。確信が持てた。
「この世界の事情に、勝手に巻き込んでしまって……すまない。
どんな責めも受けよう。その上で――恥を忍んで、お願いしたい。どうか、力を貸してくれないか……」
セリアスの声は微かに震えていた。怒りでも恐怖でもない。――深い悔しさの色だった。
真剣な面持ちの彼は、酷くつらそうに、でも決してヒナタから目を逸らさなかった。
「正直に話せば、何が起こるか分からない。
命の危機があるかもしれない。そして……そなたを、元の世界に帰す方法も、分からない。
最後に神子を召喚したのは何百年も昔のことで――」
「わかった。」
あまりにもあっさりと返答しすぎたかもしれない。え、とセリアスが声をあげた。
ちょっと間抜けづらだ。
想像だったが、彼は普段あんまりこんな表情はしなさそうだ。思わず口角が上がった。
ハムスターがフリーズした顔が脳裏に過ぎる。それか、猫のフレーメン反応。この世界にハムスターや猫はいるのだろうか。
「いいのか? 何が起こるか分からないんだぞ!
私たちはそなたを勝手にこの世界に呼んで……!」
当事者の自分より、セリアスの方がよほど怒っている気がした。
それが妙に可笑しくて、つい笑ってしまう。
本当にいい人だ。そう思った雰囲気を感じ取ったのか、セリアスが更にむきになったように吠えた。
「本当に、わかっているのか!」
「分からないよ。」
ことのほか静かな声が出て、セリアスが息を呑んだように黙った。
「何も分からない。でも、今のままじゃ世界が滅ぶんだろ。」
「それは……。」
「それでもさ。自分の世界を守るためなら、無理矢理にでも鎖で繋いで、痛めつけて、脅して――そうすることだってできたと思うし。」
尊厳を奪われることがあるのは、不真面目ながら歴史で学んだ。
セリアスから否定はなかった。
もしかしたら、過去にそういったこともあったのかもしれない。
咄嗟に何も言葉を紡げないことがすべてだと理解できた。
「それをせずに、こうして向き合ってくれてるセリアスを信じるよ。まだよく知らないこの世界よりも。」
本心だった。
人をむやみやたらに信じるなと親友にも言われてきたけど、結構人を見る目はあるつもりだ。
この短い時間でも、彼は信用に足る人物だと思った。
……ただ、ひとつだけ心配なことがある。
「不敬罪とかで殺されるのだけは……やめてほしいんだけど。」
目下一番怖いのはそれだ。
元の世界でもよく小言を言われた。
知らない世界ならなおさら、知らずに虎の尾を踏む自信がある。
世界のために死ぬのは格好いいけど、『切り捨て御免』で死ぬのは格好悪すぎるので嫌だった。
セリアスは真面目な顔で首をふった。
「大丈夫だ。神子は何よりも尊ばれる。王ですら、容易に扱えない。」
「礼儀とか、敬語とかうまく扱えなくても?」
「問題ない。」
「あのね、俺の国って、すんごい平和な国だったんだよ。
戦争とか貴族社会とかもないし。だから、いろんな状況でびびったら助けてね。」
「びびったら……?」
「えーと……臆病ってこと。」
セリアスは、一瞬、意図していない言葉を聞いたかのような顔をした。
それでもすぐに真剣な顔で「任せてくれ」と深く頷いてくれる誠実さが心強い。
これは“ふかふかの方”だから、普段のベッドじゃない――いつの間に寝たんだっけ、とぼんやり思った。
夜明け色を纏った綺麗な顔が、今にも泣き出しそうな顔で、自分の髪を撫でていた。「お留守番」と言われたときの犬の顔に似ている。
――やっぱり大型犬だ。
寝ぼけ眼のまま、手を伸ばしてその頭をわしゃわしゃ撫でた。
撫でられた彼はびくりと肩を揺らして、そのまま固まった。
しっぽは振らないのかな、と思った瞬間――はっと覚醒した。人間に尻尾なんてない。
「……神子さま。お疲れなのでしょう。どうか、もう少しお休みください。」
――みこさま。またそれだ。
心地のいい低音に、すっかり目は覚めた。
視界の先で、夜明け色の長い髪をぼさぼさにした彼が、少し困ったように、それでも優しく微笑んでいた。
「ごめんなさい、満腹で寝てました……」
なんだか申し訳なくなって、正直に言う。
夜明け色の彼は、よほど予想外だったのか、ただきょとんと目を見開いていた。
***
――やってしまった。
今、テーブル越しに向かい合っているのが、十中八九、話があると言っていた“セリアス殿下”だろう。
食後、うつらうつらしていたところまでは覚えている。
おそらくそのまま寝てしまったのだ。そして訪ねてきたセリアスが、ご丁寧にベッドに運んでくれて、起きるのを待っていた――たぶん、そんな状況だろう。
居眠りして王族を放置したうえに、髪までぐしゃぐしゃに……。さすがに、それが良くないことだとは理解できた。
「喉は乾いておりませんか?ミレナを下がらせているので――」
「ごめんなさい!」
それはもう大きな声が出た。
ぐるぐる悩んでいても仕方ない。悪かったら謝る。それしかない。そう思ったら勢いづいて言葉を遮ってしまった。
あまりにも大きい声に、セリアスが驚いたように目を瞬く。
思わず、誤魔化すように言葉を継いだ。
「セリアス殿下、ですよね……?
お待たせしてすみません。髪も……。
あ、王族の方なら、平伏とかした方がいいんですか……? 俺、慣れてなくて……。」
王族に慣れてる一般人なんて多分いない……と、思いつつ、敵意がないことを示そうと、とりあえず口を開いた。
きっと王族の世界で「キルユー!」なんて言われたら、多分自分は秒で終わってしまう。
「まさか!」
今度はセリアスが大声を上げた。思わず肩が跳ねる。
セリアスの眉根がきゅっと寄った。
「――驚かせてしまいましたね。申し訳ございません。」
「いや、俺こそ……」
やりとりに、そこはかとなく日本人文化を思い出して少し心が落ち着いた。
「……そちらに行っても?」
ことさらに柔らかな声で問われる。その様子に、動物がおずおずとこちらを窺う光景が脳裏に浮かんだ。
「あ、はい。」
テーブルでは少し距離があるから、話すためにこちらにくるのだろう。
そう思っていたら、目の前で片膝をついたセリアスにそっと手を取られ、心底驚いた。
「あ、あの。」
「どうかこのままで。」
そう言われてしまえば、じっとしておくしかない。
借りてきた猫の気分、とはこういうことを言うのだろうか。
「……あの、自己紹介とか、してもいいですか。せめて名前くらい。」
なんとなく長くなりそうな気配を感じて話しかける。
近い距離感で接してくるわりに“神子様”と呼んでくる彼は、名前すら知らないんじゃないだろうかと思ったからだった。
「申し訳ございません……つい、気が急いてしまって。」
よく謝る王族だ。多分いい人なんだろうと察した。
「ご挨拶が遅れてしまい、大変失礼いたしました。
エアリア王国の第二王子、セリアス=エアリアと申します。
どうか“セリアス”とお呼びください。丁寧なお言葉は不要です。自然に接していただければと存じます。」
――とても丁寧なご挨拶をいただいてしまった。
けれど真似はできないので、いつも通りに返すことにする。
「ありがとう、セリアス。
俺はヒナタソラネ。名前がソラネ。
けど、みんな“ヒナタ”って呼ぶから、そう呼んでもらえたら嬉しい。」
「ヒナタ……ソリャ……ネ」と、少し戸惑ったように繰り返す声が聞こえた。
もしかしたら「ソラネ」という発音は難しいのかもしれない。クールに見える美形から想像ができない妙に愛らい発音だったが、空気を読んで笑うのは我慢した。
「ヒナタ、でいいよ。よかったらセリアスも普通に話してくれない?自分だけっていうのは、ちょっと……。」
セリアスが大切なことを聞いたかのように、真剣に頷いた。
「そうしよう。」
「あと、この体勢……ちょっと落ち着かない。」
なんせ、片膝をついて見上げられているうえに、手を取られている状態だ。物語のプロポーズのシーンみたいでそわそわする。
「すまない。でも、もう少しだけ時間をくれないか。
そなたにまず謝罪をしなければならない。――だから、同じ目線には立てない。」
まっすぐな視線に誠実さを感じて、意識して“神妙な面持ち”を作った。
普段のように、なんだかよく分からないけど許すよ、とはとても言えない雰囲気だ。
よく知らない人相手なら、なおさらだ。きっと、真剣な気持ちなのだろうから、真剣に応えないといけない。
「ヒナタをこの世界に呼んだのは、私たちの国、エアリア王国だ。
急に違う世界から呼び込んだのだ。混乱して、恨んでいるだろう……でも、どうか聞いてほしい。
私が国――いや、世界は今、危機に瀕している。
“水の穢れ”というものが、いま世界に広がりつつあり、エアリア王国が最も深刻な被害を受けている。
そもそも、我がエアリア王国は女神ナイアの加護を得て、建国された国。
その地がこの状態だというのは、女神が我らを見放した証だと国全体、ひいては世界が騒いでいる。」
だが、話が始まってすぐに、このままではいけないと思う。
これは良くない。
神妙な面持ちをかろうじて保ちながら思う――まったく、頭に入ってこない。
セリアスは、おそらく生真面目なタイプだ。
一から十まで話すこういうタイプは、正直相性が悪い。
適当に頷いていたら、何も分からずに契約書にサインを押す気持ちになってしまいそうだ。
話はすでに建国神話の時代まで遡っていた。
このまま放っておいたら、近隣諸国の歴史まで語りそうだった。
いったい、何時間その体勢で話すつもりなのだろう。
このままじゃきっとセリアスの膝も死ぬ――そう思って、意を決して口を挟んだ。こういったことはストレートに言った方がいい。
「セリアス、本当にごめん。俺さ、長い話苦手で……大切なところだけ教えてもらえる?
失礼だと思うけど、詳しい話はまた今度で。……いいかな?」
後からでも長い話はあまり聞きたくなかったが、いずれ聞かなければいけない話であることは伝わってきたので譲歩案を出す。
セリアスは嫌な顔ひとつせず、真面目な表情のまま頷いた。頭の回転が早いのだろう、すぐに要約してきた。
「“水の穢れ”を祓えなければ、世界が滅ぶ状況だ。」
「……せかいが、ほろぶ。」
思わず繰り返した。
思ったよりも絶望的な内容だ。
口にしてみると、言葉が頭の中でぐるぐる回り、ゲシュタルト崩壊を起こしそうになった。
しかし今考えても仕方ない。気を取り直して聞いた。
「それで、俺はどうしてここに?」
「悪化した“水の穢れ”を祓える者は、この世界にはいない。祓えるのは、異世界から呼ばれた神子だけだ。」
なるほど、とヒナタは内心で頷く。やはりここは地球ではないのだ。確信が持てた。
「この世界の事情に、勝手に巻き込んでしまって……すまない。
どんな責めも受けよう。その上で――恥を忍んで、お願いしたい。どうか、力を貸してくれないか……」
セリアスの声は微かに震えていた。怒りでも恐怖でもない。――深い悔しさの色だった。
真剣な面持ちの彼は、酷くつらそうに、でも決してヒナタから目を逸らさなかった。
「正直に話せば、何が起こるか分からない。
命の危機があるかもしれない。そして……そなたを、元の世界に帰す方法も、分からない。
最後に神子を召喚したのは何百年も昔のことで――」
「わかった。」
あまりにもあっさりと返答しすぎたかもしれない。え、とセリアスが声をあげた。
ちょっと間抜けづらだ。
想像だったが、彼は普段あんまりこんな表情はしなさそうだ。思わず口角が上がった。
ハムスターがフリーズした顔が脳裏に過ぎる。それか、猫のフレーメン反応。この世界にハムスターや猫はいるのだろうか。
「いいのか? 何が起こるか分からないんだぞ!
私たちはそなたを勝手にこの世界に呼んで……!」
当事者の自分より、セリアスの方がよほど怒っている気がした。
それが妙に可笑しくて、つい笑ってしまう。
本当にいい人だ。そう思った雰囲気を感じ取ったのか、セリアスが更にむきになったように吠えた。
「本当に、わかっているのか!」
「分からないよ。」
ことのほか静かな声が出て、セリアスが息を呑んだように黙った。
「何も分からない。でも、今のままじゃ世界が滅ぶんだろ。」
「それは……。」
「それでもさ。自分の世界を守るためなら、無理矢理にでも鎖で繋いで、痛めつけて、脅して――そうすることだってできたと思うし。」
尊厳を奪われることがあるのは、不真面目ながら歴史で学んだ。
セリアスから否定はなかった。
もしかしたら、過去にそういったこともあったのかもしれない。
咄嗟に何も言葉を紡げないことがすべてだと理解できた。
「それをせずに、こうして向き合ってくれてるセリアスを信じるよ。まだよく知らないこの世界よりも。」
本心だった。
人をむやみやたらに信じるなと親友にも言われてきたけど、結構人を見る目はあるつもりだ。
この短い時間でも、彼は信用に足る人物だと思った。
……ただ、ひとつだけ心配なことがある。
「不敬罪とかで殺されるのだけは……やめてほしいんだけど。」
目下一番怖いのはそれだ。
元の世界でもよく小言を言われた。
知らない世界ならなおさら、知らずに虎の尾を踏む自信がある。
世界のために死ぬのは格好いいけど、『切り捨て御免』で死ぬのは格好悪すぎるので嫌だった。
セリアスは真面目な顔で首をふった。
「大丈夫だ。神子は何よりも尊ばれる。王ですら、容易に扱えない。」
「礼儀とか、敬語とかうまく扱えなくても?」
「問題ない。」
「あのね、俺の国って、すんごい平和な国だったんだよ。
戦争とか貴族社会とかもないし。だから、いろんな状況でびびったら助けてね。」
「びびったら……?」
「えーと……臆病ってこと。」
セリアスは、一瞬、意図していない言葉を聞いたかのような顔をした。
それでもすぐに真剣な顔で「任せてくれ」と深く頷いてくれる誠実さが心強い。
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