隠された第四皇女

山田ランチ

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1. 帝国の男達

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 次々と近隣諸国を取り込み、帝国へと変貌を遂げたギルベアト帝国。
 帝国で唯一の公爵の位を持つフックス公爵家は、現皇帝ルシャード・ツーファールの皇弟にして、皇太子時代に王国から帝国へと変貌を遂げる為、隣国にあらゆる戦を仕掛けていった際に共に闘った戦友でもあった。
 そして、前皇帝側に付いていた上位貴族の一掃を図った大量虐殺の中で唯一残された公爵家としても恐れられていた。それ以外にルシャードが信頼していると言っていいのが忠臣として手元に置いている、財務長官のローズ侯爵、軍部統括リヒター伯爵だった。

「もう一度仰って頂けませんか、父上。私の聞き間違いかもしれませんから」

 ライナーは皇宮にある宰相の執務室に呼ばれてすぐ、書類にサインをしながら話す父親から業務連絡のように淡々と言われた言葉に耳を疑った。昔とはいえ、戦場を駆け回っていたとは思えない線の細い上体が面倒そうに起こされ、丸い眼鏡の奥からライナーを見据えたフックス公爵は、撫で付けた赤い前髪の一房垂れたのを押さえつけながら眉根を寄せた。

「お前と第五皇女様との婚約が決まったとに言ったのだ」
「お忘れかもしれませんが、第三皇女様がお亡くなりになられてまだ一年。すぐにまた別の皇女様との婚約を取り付けて来られたのですか?」
「私ではなく陛下から打診されたのだよ。それに第三皇女様が亡くなられてもう一年だ。本来なら二二歳にもなって結婚はおろか、婚約者の席が空いているだけでも大問題なのだ。いつまでも死んた皇女に囚われずに新しいお方に目を向けろ。元々良くない噂もあったお方だ。義理立てはもう十分だろう」

 その時、ライナーの表情が僅かに歪んだ。

「お忘れかもしれませんが、今回と同じように陛下と父上がお決めになられた婚約だったはずです」
「ならば自分で決めた者なら結婚するというのか? 幻の皇女のように」

 ライナーは拳を握り締めながら息を吐いた。

「引き合いに出さないで頂きたい。それに第五皇女様はまだ成人の儀も済まされていないご年齢です」
「若いと言ってももう十三歳だ。帝国法が改正されるまでは十三歳で嫁ぐ事も珍しくはなかったぞ」
「それが女性の身体に負担を強いる事になると問題になり法が改正されたはずです」

 するとフックス公爵は眼鏡を外して拭き始めた。

「一体何が気に食わないんだ」
「私も公爵家を継ぐ身としてもちろん結婚は致します。陛下と父上がお決めになられたのであれば従いますよ」
「第五皇女様との縁談はお母上である第三側妃様の強いご意向でもあるそうだ。お前ならもう分かっているだろう? 第五皇女様と婚姻関係を築けば、第三側妃様の祖国であるスタン王国とも密な関係になるのだぞ」

 ライナーは強い視線で父親を見た。

「それを陛下はお望みという事でしょうか?」
「皇妃様はすでに皇女様のお一人を他国に嫁がせ後ろ盾を得ておられる。第一側妃様も皇帝の地位に近いとされるガリオン殿下をお産みになられている。今回陛下は第三側妃様であらせられるオリヴィア様のお気持ちを汲まれたのだろう」
「なるほど。私は生贄に差し出されたという訳ですね」
「我が家にとってもスタン王国との繋がりは悪いものではあるまい」
「陛下と父上のご意向は理解しました。ですがその縁談は少なくとも皇女様が成人の儀を済まされるまでは保留にしておいてください。その時にまた」
「ライナー!」

 ライナーは部屋を出ようとして足を止めた。

「そういえば第二側妃様はお元気でしょうか? 先日皇子がお産まれになったと耳にしました」
「すでに祝いの品は贈っているからお前は何もするな。あの血筋は気にしなくていい。所詮素性の分からぬ平民の子なのだ」
「ですが本来の私の妻はその平民の子だったはずです。そのように仰るのなら父上はどうしてそれを承諾したのですか」
「今更それを知ってどうする気だ」
「……ただ気になっただけです」

 するとフックス公爵は目頭を揉みながら深く息を吐いた。

「そうなる事はないと思っていたからだよ。そう言えばリンディが騒いでいるらしいからお前が迎えに行ってくれ。やれやれ、これで我が家もしばらく騒がしくなるな」

 ライナーは眉を顰めたが今度こそ部屋を出た。


「ライナー様、いかがなさいましたか?」

 フックス公爵の執務室の近くで待機していたロタリオは、主の姿を見つけるなり表情を曇らせた。ロタリオは誰よりもライナーの心情に敏感だった。幼い頃から感情を表に出さない訓練を受けてきたライナーの変化を感じ取れる数少ない者であるロタリオは、子犬のようにライナーの周囲をソワソワと落ち着きのない様子で回りながら歩き出すライナーが口を開くのを待っていた。

「別に大した事じゃないから心配するな。それより今から公爵邸に戻り領地に向かう事になったぞ」
「急用でも出来ましたか?」
「ある意味急用だろうな。リンディを迎えに行くんだ。成人の儀にはまだ早いが、父上はもう帝都に呼ぶ事にしたらしい。大方リンディから催促の手紙でも届いたんだろう」
「公爵様もお嬢様には弱いですからね。夫人もいらっしゃるのでしょうか」

 明らかに落ち込む声に、ライナーはロタリオの頭をポンと叩いた。

「そもそも領地には義母上の療養の為に行ったんだから来る訳がないだろ。大方リンディも着いて行ったはいいが暇で爆発しそうになったんだったんだろうな」
「ははッ、リンディ様が暇で爆発しそうになるのは想像出来てしまいます」
「笑い事じゃないぞ、ガティネもいるが一人では無理だ。お前も大変になるな」

 笑って言うと茶色の太い眉が不安そうに下がった。項垂れた尻尾でも見えるのではないかと思う程に、感情が丸わかりのロタリオの背を押しながら足を早めた時だった。
 一瞬にして場の空気が凍り付く。数人の兵士を引き連れ、前から歩いて来たのは第一皇子のガリオンだった。廊下を歩いていた使用人達は壁に張り付き、ロタリオも焦ったように気配を消して背を壁に付けた。帝国の武力を担うアイテル軍団の最強とも言える第一師団を率いる第一皇子のガリオンは、硬そうな銀髪を掻き上げながら広い廊下の真ん中を大股で歩いていた。覗く眼光は鋭く、上がった右眉の上にある傷や捲られたシャツから覗く切り傷は遠くから見ても目立った。その瞳はライナーを捕らえると視線を逸らす事なく近付いてくる。そして横にずれて頭を下げていたライナーの目の前で止まった。ライナーよりも背の高いガリオンは詰め寄るように更に一歩近づいてくる。ライナーは仕方なく影になった頭上に顔を向けると、すぐ目の前で視線がかち合った。ライナーは赤みの強い髪と金色の瞳とは裏腹に冷静な態度で、ガリオンは銀髪に青い瞳でありながら、その内にある燃えるような熱を隠す事なく全面に出していた。相対する二人が対峙した事で皇宮の一角は緊張感に包まれていた。

「わが太陽の光にご挨拶申し上げます」

 すると舌打ちと共に睨まれた。

「その挨拶はするなと言わなかったか?」
「しきたりなので仕方がありません」

 返事は返って来ない。ライナーは再び頭を下げると詰められた距離から離れるように歩き出した。その瞬間手首が掴まれる。ロタリオは青い顔をしながらも主を守ろうと足を踏み出した時だった。ライナーの強い視線に制されびくりと足を止める。それはガリオンの後ろに控えていた兵士が剣に手を掛けたと同時だった。

「何か御用でしょうか」
「お前の何もかもが気に食わねぇ」
「何もかもとは得にこの瞳の事でしょうか? それともそのお傷の事ですか?」

 ミシミシと音が聞こえそうな程に手首を掴む手に力が籠もる。ライナーは振り解く事もせずにじっとガリオンを見返した。

「お止め下さい! ガイナス殿下どうかそのお手をお離しください。ライナー様のお手が、お手が折れてしまいます!」

 空気にキンとした金属音が鳴る。兵士が剣を抜きロタリオの首に当てるのと、ライナーがガリオンの手から逃れて兵士の腕を押さえたのは同時だった。ガリオンが解くまいと掴んでいた手はいとも簡単に振り払われ、視界の端に赤い髪が映った時にはすでにライナーはロタリオの前に立っていた。

「ウィリアムッ! 誰の許可を得て剣を抜いてんだ!」
「ですがこの者はガリオン師団長に歯向かいました。即刻捉えるべきかと思います」
「お前のそれは即刻死刑の間違いじゃないか? むしろ飼い主を守ろうと必死で可愛いじゃないか。まあ少し耳障りではあるがな。なあライナー、そう思わないか?」
「従者のご無礼をお詫び致します」
「ハッ、口だけじゃあ謝罪にしては物足りないな。それはちゃんと下の者の躾が出来てないって事だろう?」
「殿下が罰を下すというのなら甘んじてお受けしますが、それならばその兵士も罰して頂けますか?」

 するとウィリアムは目を見開いてライナーを睨みつけた。

「ガリオン殿下どうか誤解なさらいで下さい。私は先程のお言葉を尊重したまでの事です。下の者の罪は主の罪。ならば、その兵士はフックス公爵家の使用人を勝手に傷つけようとしました。殿下はどう謝罪して下さいますか?」
「貴様ッ! ガリオン師団長になんと言う事を」
「私は公爵家の人間だぞ。お前ごときに貴様などと言われる筋合いはない。ガリオン殿下、この兵士の身柄は即刻引き渡して頂きたく存じます」

 ライナーは語尾を強めて言うとガリオンを見返した。

「貴族とたかが使用人を一緒にする気か! 私は伯爵家の……」
「ウィリアム! もう黙れ。そっちも無礼はあったがこっちもあったって事だ」

 そう言い切ると、ガリオンは再び大股で廊下を進んでいく。嵐が去った廊下でライナーは後ろで小さくなっているロタリオを見た。首にはうっすらと血が滲んでいる。

「ロタリオ、俺の言いたい事は分かるか?」
「申し訳ありません。あそこまで強行に出られたのは僕の為ですよね。本当に申し訳ありません。ですが、もしまた同じ事があっても僕は同じ事をします。この命よりもライナー様が大事です……すみません」
「全く。もういいから行くぞ」
「ガリオン殿下をお相手にして怯えないのはライナー様くらいなものですよ。あの、ライナー様手首は……」
「問題ない」
「ですが!」
 
 食い下がるロタリオを呆れ顔で見ながらその首に自分のハンカチを押し付けた。

「イタッ」
「俺の事よりも自分の心配をしろ。まずは手当てが先だ」
「はいッ」

 ヘラっと笑うロタリオに、ライナーは再び溜息を吐いた。




 日も落ちかけた鍛錬場ではすでに何人もの兵士達が倒れていた。皆荒く息をし、立ち上がれない程に疲弊していた。

「お前だけはまだ倒れるなよ? ウィリアム」

 ガリオンに付き従う部下は常に三人。その中で伯爵家のウィリアムは古い友人でもある間柄だった。

「今日お前のせいで俺はあの男に大恥をかかされた。俺の最も嫌う男にだ!」

 膝を突きかけたウィリアムは、薄茶色の髪から額から喉から伝う汗を拭う事も出来ないまま再び剣を構えた。

「申し訳ございません」
「まんまと乗せられやがって。足手まといになるくらいならもういっそここで殺してしまうか? 第一師団の汚点となる前にな!」

 しかしウィリアムは剣を構えたままじっと動かない。ガリオンの剣が風を切って上がり、その首に触れかけた瞬間、ピタリと止まった首からうっすらと血が滲んだ。

「次はないぞ。次はこの手で殺してやる」
「……しかと心に刻みます」

 倒れて呻く声だけが響く鍛錬場で唯一ウィリアムは立ち続け、ガリオンが去ったと同時に膝を突いて気絶した。




『ローデリカ様? どうされました?』
『ウィリアム! なんでもないのよ。少しだけ風に当たっていたの』

 人気のない中庭の外れは誰も来ない代わりに風が通るような場所ではない。陽もあまり当たらず、日中だというのに日陰になった場所で、第三皇女のローデリカは一人涙を流していた。母親に似た派手な見た目とは裏腹に気が弱く、我慢をする性格を知っている者は少ない。だからこうしてある事ない事の噂を耳にしてはこうして一人耐えるのだった。ウィリアムは周囲を見渡すと護衛すらいない事に溜息を吐いた。

『またお一人ですか。あれだけ共は付けて下さいと申し上げましたよね?』
『でもここは皇宮内だもの。ウィリアムはいつまで経っても心配しょうね』
『俺が護衛出来れば良かったのですが、申し訳ございません』
『ウィリアムはガリオンお兄様のお気に入りですものね』

 するとウィリアムは心底嫌そうな顔をした。

『それ本気で言っています? 昔のよしみで今もご一緒させて頂いているだけですよ。別に気に入られているとかそういう事じゃありません』
「それなら私もそうなの? ただの悪縁という事?」
「悪縁だなんてそんな事は一言も申しておりませんッ! それにローデリカ様はそんなんじゃ……」
「ふふ、ごめんなさい。少し意地悪だったわ」

 ローデリカはいつの間にか乾いていた頬をそっと押さえるとウィリアムを覗いてきた。

『どうかしら』
『どうって? 何がです?』
『泣いたって分かる?』
『全く分かりませんよ』

 ぶっきらぼうになってしまった言葉取り繕うようにウィリアムは頭を搔きながら言った。

『今からどちらに? まだ時間があるのでお送り致します』
『ライナー様の所に行っていたの』
『……お会いになられたのですか?』

 するとローデリカは困ったように首を振った。

『お忙しいみたいだったから戻って来てしまったわ。せっかく皇妃様が場所を教えて下さったのに』
『どちらにいらしたんですか?』
『もういいのよ、また今後お手紙を書いてみるわ』
『ライナー卿は今どちらに?』

 ローデリカは困ったように俯いてから答えた。

『ウィリアム待って! お願いだから!』

 ウィリアムはローデリカの静止も聞かずに早足で皇宮の外れにある塔に向かっていた。辿り着いた先には、大きなミモザの木の下でライナーが見た事もないような笑みを浮かべ、第二側妃のリナと共に座っていた。時折風が吹いてリナの長い髪が顔に掛かると、ライナーが極自然に払っている。
 それを見た瞬間、ローデリカは今来た道を走り出していた。

『ローデリカ様、お待ち下さい! そのように走っては危険です!』

 ウィリアムの静止虚しく、ローデリカは長いドレスの裾を踏んだ。ウィリアムが一足先に大きな腕でローデリカを抱き止めるとその細い身体は小さく震えていた。

『お願いよ、見ないで。お願いだから』

 か細く消えそうなローデリカの声に、ウィリアムは後ろから抱えたまま静かに頷いた。

『申し訳ありません、俺が勝手に向かったせいです』
『あなたのせいじゃないわ。私のせいよ。ライナー様に気に掛けてもらえなかった私のせい』
『ッつ、俺が盾になっているので誰にも見えていませんよ。だから泣いても大丈夫です』

 その後、ローデリカとウィリアムの噂は瞬く間に社交界で広がっていった。婚約者のいる皇女と兵士の不貞。兵士は貴族子息だが身分差も相まって常に新しい娯楽を求める貴族達の噂話にはもってこいの内容だった。それが真実かどうかは重要ではない。皆ただ刺激を求めていた。

『ローデリカ様、こんな所にいらしたのですね』

 ウィリアムは真夜中に塔の下で見つけたローデリカを見て思わず足を止めた。
 足の下にはミモザの花が無惨に散っている。ローデリカの手にもミモザの黄色い花が握り締められていた。

『早く戻りましょう』
『どうして探しに来たの? 噂は知っているでしょう? こんな所に二人でいる所を誰かに見られたら今度こそ陛下からお叱りを受けるわよ!』
『一人ではありません、そこに他の兵士も……』
『ウィリアムは知っていた? ライナー様の本当の婚約者は妹なのですって』
『妹ですか? どなたの……』
『リナ様の産んだ幻の第四皇女の事よ! 私と同日に産まれた妹がいたのよ。でも死産だったらしいの。私はその妹の代わりなのですって。だからライナー様は私に会おうとはしてくださらないんだわ。私は身代わりなのよ!』
『誰にそのような話をされたのです? そんな根も葉もない噂など聞き流して下さい!』

 伸ばしたウィリアムの手は、思い切り弾かれて宙をかいた。

『こんな所に二人きりなんて駄目よ。また誤解されてしまうわ。そうしたらライナー様に呆れられてしまうわ。私は絶対にライナー様と結婚しなくてはいけないのに』
『ローデリカ様……』

 ローデリカは握り締めていたミモザの花をじっと見つめてから思い切り投げ払い、もつれるような足取りでウィリアムを通り越していく。

『ウィリアム副団長、皇女様を追いますか?』

 待機していた第一師団の兵士はローデリカの後ろ姿を見つめながらウィリアムの指示を待った。

『いや、お一人にして差し上げよう。後で侍女にでも様子を見に行かせるさ』

――第三皇女、死去。
 死因は病死と公表され、その死について追求する者は誰もいなかった。

『賊が死んだ? どうやって……何故だ!』
『ウィリアムみっともないぞ。容疑者が死亡した以上もうこの件は終いだ』
『ですがリヒター伯爵! それでは真犯人が……』
『陛下のご命令だ。遺体は処理しお前達も早急に撤退せよ。この件はそれで幕引きとする』

 ガリオン率いる第一師団はローデリカの死後、数日で怪しい男達を捕らえていた。しかし牢に投獄して数時間後、次に牢を訪れた時にはその男達はすでに絶命していた。立ち尽くすウィリアムを追い越して遺体が牢から運び出されていく。ウィリアムはすれ違いざまにガリオンの腕を掴んだ。

『師団長はそれで宜しいのですか? 他でもないローデリカ様なのですよ!』
『甘い事を言うな。あいつは皇族の争いに負けたんだ。ここはそういう場所だぞ。お前も貴族の端くれならせいぜい生き残れるよう足りない頭を絞っておくんだな』

 ガリオンはウィリアムの手を思い切り引き離すと、地下牢の階段を上がっていた。

  
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