そのハンカチ返してくださいッ!

山田ランチ

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8章 夫の異変

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「でも旦那様が蜥蜴好きだなんて意外だったわね」

 昨日のタイストとブルーフェアリーの相棒振りを思い出し、微笑ましい光景に口元がニヤけてしまう。そのまま最近始めた刺繍の道具を取りに部屋に戻った時だった。

「奥様? どうなさいました?」

 廊下で後ろから声を掛けられ、イレネは叫びそうな声を必死に堪えた。無言のままカティヤの背中を押すと、そのまま突き当りを曲がったところで背から手を離した。

「どうしたんです? なぜお部屋へお入りになられなかったのですか?」
「何でもないの! 刺繍遠具を取りに行こうと思ったんだけど、確か一階に置いていたんだったわ。そうよ、部屋にはなかったの!」
「宜しければ探して参りましょうか?」
「大丈夫よ! カティヤも忙しいだろうしそれくらい自分で行くわ。でも本当にあの模様で大丈夫かしら」
「もちろんですとも! 私はちょっとアレですが、旦那様はきっと大喜びするはずです」
「アレって……本当にそう思う?」
「大丈夫です、自信をお持ち下さい! それはそうと旦那様をお見かけしませんでしたか? もう馬車のご用意が出来ているとダグラスから言われているんですが」
「ど、どこにいらっしゃるのかしらね。私も探してみるわ」

 振り返った時だった。

「ウッ」

 目の前にある胸にぶつかった瞬間に後ろに倒れそうになる。しかし腰にはしっかりとタイストの腕が届いていた。

「すみません、驚かせましたか? イレネの匂いがしたものですから」

 そう満面の笑みで言われれば笑顔で返すしかない。

「おや? 旦那様、髪の毛が少し乱れておりますよ。お直し致しましょうか?」
「大丈夫だ。このままで構わない」

 カティヤは出しかけた手を引っ込めて馬車の件を伝えた。


 一人部屋に入り、静かに扉を閉めた。袖の匂いを吸い込むように深呼吸する。そして鏡台の前にある櫛を持った。恐る恐る櫛の匂いをそっと嗅いでみると、髪に付けている薔薇の香油の匂いが付いていた。
 先程偶然見つけたタイストは一人でこの部屋におりこの櫛をじっと見つめていた。そして徐ろに自分の髪を梳いていたのだった。見間違いかと思ったが、先程タイストの髪の毛が乱れていたのをみればやはり見間違いなのではないと思える。ふんわりと形を整えている前髪はペタンとなっていた。

「なんであんな事していたのかしら。もしかして実はあの前髪がお嫌いとか? それともご自分の櫛がお好きでないとか」

 しばらく櫛を見つめながら思案したが、結局本人にしか分からない事だと、櫛を引き出しの中に仕舞い込んだ。


✳✳✳✳✳


「それで動きはあったのか?」
「まだヴァイノから連絡が来ませんので待機中です。なので妻との新婚生活を王都で満喫出来ると思っていたのに、王都での雑務がこれ程あるとは思いませんでしたよ」

 すると国王はタイストの隣りに座っているハララムに向けて驚いた顔をしてみせた。ハララムも身を竦ませるだけで意思が通じたようだった。

「なんです?」
「なんでもないさ。奥方を大事に思っているなら良い事だと思ってな。その方がイオネスク伯爵の心労も和らぐだろう」
「いやでも、タイストが突然田舎伯爵の娘を妻にすると聞いた時は本当に驚いたな」

 鋭い視線を受けてハララムは訂正するように言い直した。

「悪い意味じゃないよ? イオネスク領は自然が一杯の豊かな良い土地さ。でもまさかキュトラ子爵に狙われるとはね」

 ハララムの言葉に部屋には一瞬にして緊張が走った。

「叔父が前々から爵位を望んでいた事は分かっていましたが……」
「まさかその叔父が国の要となるあの土地を他国へ売り渡そうとしていたとはな」

 国王の言葉にタイストは頭を下げた。

「お前が謝る事じゃない。全てはキュトラ子爵が成そうとしている事だ。だがキュトラ領を狙うのは難しいと分かり、まさかイオネスク領にいくとは浅はかな。それにしてもよくキュトラ子爵がイオネスク伯爵家に求婚しようとしていると分かったな。どこで情報を得たんだ?」
「ヴァイノですよ、優秀な私の右腕なんです」
「トルスティとカティヤの息子だったな。一度会ってみたいものだ」
「恐縮して絶対に王都には行かないというでしょうね。ヴァイノは堅苦しいのが苦手なんです」
「とはいってもいずれはスラッカ子爵家を継ぐだろう? 苦手だとばかり言っていられないだろうに」
「結婚すれば諦めがつくかもしれませんが、勧めたところで答えは分かり切っていますがね」

 その瞬間、国王は閃いたようにパンッと膝を叩いた。

「そういえば奥方に会わせてくれと言っていたな。夜会を開くのはどうだ? よし、そうしよう! エステラも喜ぶぞ!」
「……私はまだ返事をしていないんですが」
「諦めろ、陛下がやりたいと言ったらそれまでなんだ」
「なんだ二人共。タイストは奥方の着飾った姿を見たくないのか? 王都にいるというのに夜会や舞踏会に連れて行かなくては退屈な男と結婚したと思われるぞ!」
「イレネはあまりそういった集まりに慣れていないようなので、除々にと考えているのです。ですから今は集まった招待状もお断りしている所です」

 ハララムはジトッとした目をタイストに向けた。

「そうだよね、だから僕の所にどうやったらキュトラ辺境伯夫人と会えるのかって手紙が色んな貴族達から来ているよ。幾ら何でも夫人同士の茶会くらいには参加してもいいんじゃない? そうじゃないとキュトラ夫人が孤立しちゃうよ」
「キュトラ夫人……」

 噛み締めるように言ったタイストに、国王とハララムは呆れたように溜め息を吐いた。

「魅惑の夫人のようだな」
「全く、タイストが骨抜きになるんですから。まさかこんな事になるとは思いもしませんでした」
「骨抜きになどなっていません。私は必要だったから結婚したまでです」
「またまた、夢中になっているくせに。その内キュトラ辺境伯が妻を溺愛して屋敷から出そうとしないなんて噂が立っても知らないよ」

 相手にしていないタイストは席を立った。

「もう話は終わったようなのでこれで失礼します。夜会には出席しますのでお早めに日程を送って下さい。それでは」

 颯爽と立ち去る背中を見ながら、残された者達は再び呆れた溜め息を吐いた。

「まるで自分の事を分かっていないようだな」
「ですね。恋愛に慣れていないままあの年になり結婚したものでそっち方面には鈍いのかもしれませんね」
「お前はどうなんだ? お前こそ結婚相手を見つけないと、我慢の限界を超えたウェクスラー侯爵が誰が見つけてくるんじゃないか?」
「それは勘弁願いたいです。父はまだ元気ですし爵位を継ぐ日はまだ遠いでしょうから、結婚はいずれという事でお願いします」
「ウェクスラー侯爵の心情を察するよ」
「はははッ、それは痛み入ります」
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