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甘美なるアルファの苦悩
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文官がユリウスの執務室の前で列をなしている。
ロンバードの呼びかけに応じてひとりずつが入室し、決済が必要な書類を提出したり指示を仰いだりとこま鼠のように動き回る。
ユリウスは忙しなく手と口を動かしてそれに対応し、午前中の激務を終えた。
「仕事量がえぐいっすね」
短い昼食の時間に、ロンバードがそう嘆いた。
ユリウスは片眉を上げただけでそれに応じ、黙々とサンドイッチを食べた。この後は次兄ふうふと面会の予定が入っている。時間が迫っているので、早く食事を終えなければならない。
「ユリウス様見てると、アルファってのはマジで優秀なんだなぁって思いますよ。俺なら倒れてますね。俺なら」
「……うるさいなぁ。言いたいことがあるなら簡潔に述べろ」
ユリウスはコーヒーをぐいっと呷り、ぶつぶつと話し続ける側近を睨んだ。
「褒めてるだけじゃないですか」
「褒められてる気がしない」
「アルファってのはタフだなと思いましてね」
ロンバードが逞しい肩を竦めた。騎士団長の右腕だったこの男は、ユリウス付きになってからも毎朝の鍛錬を欠かしていない。だから五十も近い年齢になったいまも筋骨隆々としている。
「なんであんたは倒れないんでしょうかねぇ」
雷に打たれても倒れなさそうな男が自分を棚に上げて、顎をさすりながら首を傾げた。
ユリウスは眉間にしわを寄せ、
「僕を病気かなにかにしたいのか?」
と問いかけた。
ロンバードが思いの外真顔で視線を合わせてきた。
「寝込んだ方がいいんじゃないかって思います」
「なんだそれは」
「ユリウス様、あんた、最近ちゃんと寝てますか?」
鋭く指摘され、ユリウスは口を噤んだ。
こんなふうに心配されるほど顔に出ているのだろうか。
ふぅ、と息を吐いて、ユリウスは意図的な微笑を浮かべた。
「ちゃんと寝てるよ。ただ、そうだなぁ。僕のオメガが可愛すぎて寝顔に見とれて寝不足になることはある」
「その言葉、どこまで冗談かわかりませんが」
「リヒトの可愛さについて論議したいって?」
「言ってません」
「おっと、こんな時間だ。片づけを頼む。僕はクラウス兄上に呼ばれてるんだ」
「団長に?」
「そう。行ってくるよ」
ひらり、と手を振ってユリウスは話を切り上げ、執務室を出た。
ここは王城と渡り廊下で繋がっている外殻塔のひとつで、主に外交に関する仕事を取り仕切っている場所だ。
ユリウスの身分は、外交長官。
ユーリ様はどんなお仕事をされてるのですか、と可愛い口調でリヒトに質問をされたことがあるが、そのときは諸外国との窓口係だと答えた。わりと的確な表現だと自分では思っている。
リヒトと暮らす別宮は王城の裏手側にあり、この外殻塔の位置関係を考えると、城内の居館から通うよりもアクセスはいいのだった。
王城は広く、すべての造りを把握しているのはごく一握りの者だけだ。
ユリウスは王族なのでもちろんその一握りに入っているが、執務中は基本的に王族専用の通路は使わないようにしている。
しかしいまから会うのは次兄クラウスとその伴侶、エミールである。用向きも半分は私用であったため、ここから先は私的な時間だと割り切って、ユリウスは隠し通路を通ることを選んだ。
というのも表から行ったのでは約束の時間に間に合いそうになかったからである。
王族だけに伝わるこの通路は、城内の主要箇所に最短で通れる道が繋がっているので、急いでいるときは大変便利だ。
有事でもないのにみだりに頻用すると、叱られるのだけど。
ユリウスはカツカツと石の階段を上り、何食わぬ顔で居館の廊下へ出ると、目当ての部屋の扉をノックした。
ここはクラウスが使っていた部屋で、彼がエミールとともに城を出た後もそのまま残されているので、行事ごとなどで城に泊まる際にはいつでも使えるようになっている。
因みに昨年別宮へ移ったユリウスの部屋も、ちゃんと残っている。
扉はすぐに内側へ開いた。
「やぁ、ユーリ」
「ユーリ、こんにちは」
穏やかなトーンで次兄ふうふがユリウスを迎えてくれる。
これが現国王夫妻であったなら、一歩部屋に入った時点でもみくちゃになるが、その点この二人はユリウスに対して過度なスキンシップを仕掛けてこないので安心だった。
しかし、エミールが親愛の情を込めたハグと音だけのキスを頬にくれたとき、次兄の奥歯がごりっと音を立てた。ユリウスは敢えてそれには気づかないふりをする。
クラウスはとにかくエミールのことが好きで好きで大好きで、けれどユリウスのことも大好きだからどちらに焼きもちを焼けばいいかわからずに、挨拶のたびにこうして奥歯を噛み締めているのだ。
アルファの独占欲というのは、本当にどうしようもないな、とユリウスはしみじみ思う。
ユリウスだって、リヒトが次兄をハグしてキスしようものなら、たとえクラウス相手でも手袋を叩きつけて決闘を申し込むかもしれない。
それほどに大事だし、叶うことならこのまま他のアルファに会わせずに閉じ込めておきたかった。
ユリウスの内心を知ってか知らずか、兄が、
「おまえのオメガは元気か?」
と問いかけてくる。
「今日もとっても可愛かったよ」
ユリウスの返事に、エミールがくすりと笑った。
「何度聞いてもおかしな会話」
口元を押さえて控えめに笑う伴侶を、クラウスがやさしい眼差しで見つめる。
エミールというこのオメガと出会ったときの兄は、なんというか、すごかった。
クラウスがちょうど二十歳のとき、野盗が頻出するという書状が片田舎の村から届いたため、騎士団が小隊を編成しそれを派遣した。クラウスが小隊長、ロンバードが副隊長だったと聞く。
クラウスら小隊が駆けつけたとき、村は野盗に襲われている真っ最中だったらしい。そして村の住人だったエミールは嫋やかできれいな外見があだとなり、野盗団の男たちに馬小屋で犯されそうになっていた。
あわやというところでクラウスがエミールを救い出したわけだが、アルファであるクラウスの発する誘発香を浴びたエミールが発情に陥った。
エミールは十五歳で、そのときまで己がオメガだとは知らなかったという。
クラウスに会ったことでオメガの本能が目覚め、初のヒートを起こしたわけだが、クラウスがアルファの抑制剤を服用していたため、エミールの誘惑香をなんとか(本当になんとか)凌ぐことができたのだという。
そしてエミールを保護という名目で王城へ連れ帰ったクラウスの、怒涛の求婚が始まった。
ユリウスは当時五歳。
普段物静かで穏やかな兄が、ひとが変わったかのように積極的にエミールの元へ日参し、口説きまくっているのを目撃したときは、あれはクラウスではなく別の誰かなのではないかと真剣に疑ったものだ。
エミールの方も野盗からたすけてくれた兄に対しては初めから好意的で、あっという間にラブラブになったとユリウスは記憶している。
両親しかり、マリウスとアマーリエしかり、クラウスとエミールしかり。
アルファとオメガはかくも互いに惹かれ合い、一度つがったら離れられないものである。
自分もそうだ。
リヒトが大事で大事で可愛すぎて、この腕の中から出すことなんて考えられない。
リヒトのためなら、ユリウスはなんでもできる。
それこそ十年前、己のオメガのために騎士団を辞し、外交長官の職位に就くことを決めたように。
ロンバードの呼びかけに応じてひとりずつが入室し、決済が必要な書類を提出したり指示を仰いだりとこま鼠のように動き回る。
ユリウスは忙しなく手と口を動かしてそれに対応し、午前中の激務を終えた。
「仕事量がえぐいっすね」
短い昼食の時間に、ロンバードがそう嘆いた。
ユリウスは片眉を上げただけでそれに応じ、黙々とサンドイッチを食べた。この後は次兄ふうふと面会の予定が入っている。時間が迫っているので、早く食事を終えなければならない。
「ユリウス様見てると、アルファってのはマジで優秀なんだなぁって思いますよ。俺なら倒れてますね。俺なら」
「……うるさいなぁ。言いたいことがあるなら簡潔に述べろ」
ユリウスはコーヒーをぐいっと呷り、ぶつぶつと話し続ける側近を睨んだ。
「褒めてるだけじゃないですか」
「褒められてる気がしない」
「アルファってのはタフだなと思いましてね」
ロンバードが逞しい肩を竦めた。騎士団長の右腕だったこの男は、ユリウス付きになってからも毎朝の鍛錬を欠かしていない。だから五十も近い年齢になったいまも筋骨隆々としている。
「なんであんたは倒れないんでしょうかねぇ」
雷に打たれても倒れなさそうな男が自分を棚に上げて、顎をさすりながら首を傾げた。
ユリウスは眉間にしわを寄せ、
「僕を病気かなにかにしたいのか?」
と問いかけた。
ロンバードが思いの外真顔で視線を合わせてきた。
「寝込んだ方がいいんじゃないかって思います」
「なんだそれは」
「ユリウス様、あんた、最近ちゃんと寝てますか?」
鋭く指摘され、ユリウスは口を噤んだ。
こんなふうに心配されるほど顔に出ているのだろうか。
ふぅ、と息を吐いて、ユリウスは意図的な微笑を浮かべた。
「ちゃんと寝てるよ。ただ、そうだなぁ。僕のオメガが可愛すぎて寝顔に見とれて寝不足になることはある」
「その言葉、どこまで冗談かわかりませんが」
「リヒトの可愛さについて論議したいって?」
「言ってません」
「おっと、こんな時間だ。片づけを頼む。僕はクラウス兄上に呼ばれてるんだ」
「団長に?」
「そう。行ってくるよ」
ひらり、と手を振ってユリウスは話を切り上げ、執務室を出た。
ここは王城と渡り廊下で繋がっている外殻塔のひとつで、主に外交に関する仕事を取り仕切っている場所だ。
ユリウスの身分は、外交長官。
ユーリ様はどんなお仕事をされてるのですか、と可愛い口調でリヒトに質問をされたことがあるが、そのときは諸外国との窓口係だと答えた。わりと的確な表現だと自分では思っている。
リヒトと暮らす別宮は王城の裏手側にあり、この外殻塔の位置関係を考えると、城内の居館から通うよりもアクセスはいいのだった。
王城は広く、すべての造りを把握しているのはごく一握りの者だけだ。
ユリウスは王族なのでもちろんその一握りに入っているが、執務中は基本的に王族専用の通路は使わないようにしている。
しかしいまから会うのは次兄クラウスとその伴侶、エミールである。用向きも半分は私用であったため、ここから先は私的な時間だと割り切って、ユリウスは隠し通路を通ることを選んだ。
というのも表から行ったのでは約束の時間に間に合いそうになかったからである。
王族だけに伝わるこの通路は、城内の主要箇所に最短で通れる道が繋がっているので、急いでいるときは大変便利だ。
有事でもないのにみだりに頻用すると、叱られるのだけど。
ユリウスはカツカツと石の階段を上り、何食わぬ顔で居館の廊下へ出ると、目当ての部屋の扉をノックした。
ここはクラウスが使っていた部屋で、彼がエミールとともに城を出た後もそのまま残されているので、行事ごとなどで城に泊まる際にはいつでも使えるようになっている。
因みに昨年別宮へ移ったユリウスの部屋も、ちゃんと残っている。
扉はすぐに内側へ開いた。
「やぁ、ユーリ」
「ユーリ、こんにちは」
穏やかなトーンで次兄ふうふがユリウスを迎えてくれる。
これが現国王夫妻であったなら、一歩部屋に入った時点でもみくちゃになるが、その点この二人はユリウスに対して過度なスキンシップを仕掛けてこないので安心だった。
しかし、エミールが親愛の情を込めたハグと音だけのキスを頬にくれたとき、次兄の奥歯がごりっと音を立てた。ユリウスは敢えてそれには気づかないふりをする。
クラウスはとにかくエミールのことが好きで好きで大好きで、けれどユリウスのことも大好きだからどちらに焼きもちを焼けばいいかわからずに、挨拶のたびにこうして奥歯を噛み締めているのだ。
アルファの独占欲というのは、本当にどうしようもないな、とユリウスはしみじみ思う。
ユリウスだって、リヒトが次兄をハグしてキスしようものなら、たとえクラウス相手でも手袋を叩きつけて決闘を申し込むかもしれない。
それほどに大事だし、叶うことならこのまま他のアルファに会わせずに閉じ込めておきたかった。
ユリウスの内心を知ってか知らずか、兄が、
「おまえのオメガは元気か?」
と問いかけてくる。
「今日もとっても可愛かったよ」
ユリウスの返事に、エミールがくすりと笑った。
「何度聞いてもおかしな会話」
口元を押さえて控えめに笑う伴侶を、クラウスがやさしい眼差しで見つめる。
エミールというこのオメガと出会ったときの兄は、なんというか、すごかった。
クラウスがちょうど二十歳のとき、野盗が頻出するという書状が片田舎の村から届いたため、騎士団が小隊を編成しそれを派遣した。クラウスが小隊長、ロンバードが副隊長だったと聞く。
クラウスら小隊が駆けつけたとき、村は野盗に襲われている真っ最中だったらしい。そして村の住人だったエミールは嫋やかできれいな外見があだとなり、野盗団の男たちに馬小屋で犯されそうになっていた。
あわやというところでクラウスがエミールを救い出したわけだが、アルファであるクラウスの発する誘発香を浴びたエミールが発情に陥った。
エミールは十五歳で、そのときまで己がオメガだとは知らなかったという。
クラウスに会ったことでオメガの本能が目覚め、初のヒートを起こしたわけだが、クラウスがアルファの抑制剤を服用していたため、エミールの誘惑香をなんとか(本当になんとか)凌ぐことができたのだという。
そしてエミールを保護という名目で王城へ連れ帰ったクラウスの、怒涛の求婚が始まった。
ユリウスは当時五歳。
普段物静かで穏やかな兄が、ひとが変わったかのように積極的にエミールの元へ日参し、口説きまくっているのを目撃したときは、あれはクラウスではなく別の誰かなのではないかと真剣に疑ったものだ。
エミールの方も野盗からたすけてくれた兄に対しては初めから好意的で、あっという間にラブラブになったとユリウスは記憶している。
両親しかり、マリウスとアマーリエしかり、クラウスとエミールしかり。
アルファとオメガはかくも互いに惹かれ合い、一度つがったら離れられないものである。
自分もそうだ。
リヒトが大事で大事で可愛すぎて、この腕の中から出すことなんて考えられない。
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