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リヒト④
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体がビクっと跳ねて、僕は目を覚ました。
暗い。
暗い。
ここはどこだろう。あの山の中だろうか。
誰も居ない。ひとりぼっちだ。
怖くなって、体を起こそうとしたら、自分が布団をかぶっていることに気づいた。
手探りで確かめてみたら、寝台に寝ていたことがわかった。
いつのまに中央教会の部屋に戻ってきたのだろう。いつ。誰が僕を、連れ帰ってきたのだろうか。
僕はそろりと寝返りを打って、ベッドの上を四つん這いで移動した。
ただでさえ見えにくい目は、暗闇ではまったく役に立たない。だから慎重に動いたつもりだったけど、ベッドの端でバランスを崩して床にドスンと落ちてしまった。
誰か、とたすけを呼ぼうとして、ベルの存在を思い出す。
ベルがどこかにあったはずだ。あれを鳴らせば、黒衣のひとが……。
「リヒト!」
急に名前を呼ばれて、僕は驚いて顔を上げた。
ランタンの灯りが見えた。その横で、金色がピカピカと光っている。
「……ゆぅりさま」
茫然と金髪のひとを見上げて、無意識にそのお名前を呟いていた。
それから僕はハッと我に返って、てのひらで口を押えた。
いけない。
前もこれで人違いをしたのだ。お名前を尋ねるまでは呼んではいけなかった。
うろたえながら僕は、あれ? と不思議に思った。
ユーリ様?
ユーリ様って、あのユーリ様?
とするとここは中央教会ではなくて、ユーリ様のお部屋?
あれ? 僕は……僕は、なんで……。
記憶が混乱して、目が回った。
けれど僕の体はしっかりと支えられていた。
「そうだよ、僕のオメガ。ユーリだよ」
気づけば僕はユーリ様に抱き上げられて、ベッドに腰を掛けたユーリ様の膝の上に座る姿勢をとらされていた。
「ベッドから落ちたの? 大丈夫? 怪我してない?」
ユーリ様が僕の頭を撫でながら、いくつも質問を落としてくる。
それにひとつひとつ頷いて答えたら、最後に、
「なにがあったか覚えてる?」
と尋ねられた。
僕は息を呑んで、ユーリ様の顔を見つめた。
なにがあったか……。
しばらく黙り込んでから僕は、
「いいえ」
と答えた。
ユーリ様が「そう」とやさしく頷いてくださり、僕の背を撫でてくれた。
「きみはエミール殿と、ホールで旅商の運んできた品物を見ていたんだよ。それは覚えてる?」
「……はい。エミール様は、とても良くしてくださいました」
「うん。エミール殿も楽しかったと言ってたよ。でも、商人の中に不届き者が混じっていてね、きみに無礼を働いた」
それは覚えてる? とユーリ様が僕のこめかみにキスをして、確かめてきた。
僕はそれには首を横に振った。
ユーリ様が僕の頭を撫でて、ぎゅっと抱きしめてきた。
僕は素直にユーリ様の胸に体重を預けた。
「リヒトはとってもビックリして、気を失っちゃったんだよ。報告を受けて慌てて戻ってきたら、きみはぐっすり夢の中でさ」
くすり、とユーリ様が笑う。
「僕のオメガは本当にお寝坊さんだなぁって思ったよ」
心配をかけてしまっただろうに、ユーリ様はそんなふうにやさしく話してくれた。
僕は居たたまれずに、ユーリ様の肩口に顔を押し付けた。
本当は、覚えている。
なにがあったのか。
エミール様と反物を見ていたとき、黒衣の男が僕を締め上げて、叫んだ、あの言葉も。
『なぜ生きているっ!』
あれは。
あの言葉は。
中央教会で、教皇様と、ほんの数人しか話すことのできない、神様の『特別な言葉』だ。
ということはあの黒衣の商人は、中央教会に居た信者の誰か、ということになる。
そのひとが言ったのだ。僕に。なぜ生きている、と。
僕がハーゼだから。
信者のひとを苦しめることしかできない、生まれる前から大きな罪を背負った存在だから。
だからあのひとは、僕に……。
「リヒト?」
体を揺すられて、僕は顔を上げた。
ユーリ様のきれいな緑色の目が、ランタンの灯りを受けてぼんやりと見えた。
「まだ明け方も遠いよ。もう一度眠ろうか」
「……はい」
「トイレを済ませるかい?」
「大丈夫です」
「ん。じゃあ、これ飲んで」
ユーリ様が手を伸ばして、サイドテーブルにあったグラスを僕の口元へと持ってきてくれた。
昔から、寝台の横には絶対にこうして飲み物が用意されている。ユーリ様はそれをいつものように僕の唇につけて、中身を飲ませてくれた。
ほのかに甘い気もするが、味はわからない。温度もわからない。でもユーリ様がくれるものだから僕は、なんの心配もせずにそれを嚥下した。
「夕食を食べてないから、とりあえず水分だけでもしっかりと摂ろうね。朝食はいつもより頑張って食べるんだよ」
「……ふぁい」
グラスが邪魔をして、返事が曖昧な音になってしまう。
口を開いた拍子に飲み物がこぼれたのだろう。ユーリ様が僕の口の端から顎までを拭いてくださった。
いつものやさしい仕草に、胸がぎゅうっと締め付けられた。
ユーリ様にお話しするべきだろうか。
ハーゼのことを。
僕が……信者のひとたちを苦しめていたことを。
神様の言葉が上手く聞けなくて、僕のせいで、信者のひとたちがずっとずっとお腹を空かせていたことを。
お話しすべきだろうか。
でも言いたくなかった。
罪深いハーゼだと知られたら、僕はもうきっと、ユーリ様のオメガでいられなくなる。
僕のオメガ、と呼んでもらえなくなる。
だから隠した。昼間のことを覚えていないなんて、嘘をついた。
きっとこれが一番の罪だ。
たくさんのひとを苦しめておきながら、自分ひとりが、ユーリ様の腕の中でしあわせに浸っている。
ああどうしよう。
不安がお腹の奥からひたひたと這い上がってくる。
あの黒衣のひとはどうなったのだろう。
気を失う直前、テオさんらしきひとが彼を床に押さえつけているのが見えたけれど。
彼は、捕まってしまったのだろうか。
あのひとは悪くない。
僕は疎まれて当然の存在だったから、あのひとは少しも悪くないんです。
ユーリ様にそう言いたかった。
けれどそれを口にしてしまうと、僕が嘘をついていたことがバレてしまう。
それに。
ユーリ様に拾われる以前の記憶が戻ったことを、話さなくてはならなくなる。
それは嫌だ。
絶対に、嫌だ。
ああどうしよう。
どうしたらいいんだろう。
「……ト。……ヒト。リヒト、大丈夫?」
「は、はいっ」
ユーリ様の声が聞こえて、僕は我に返った。僕が自分の思考に没頭している間に何度も呼びかけてくださったようだ。
「疲れたかな。もう寝ようか。本当はエミール殿から、リヒトが目を覚ましたら連絡をくれって言われてるんだけど、夜中だし明日でいいよね」
話しながらユーリ様が、僕の体を横たえてくださる。
そして僕にきちんと布団をかけてから、ユーリ様も隣にもぐりこんできた。
ユーリ様の両腕が、僕の体に回される。
僕はユーリ様の胸元に鼻先を埋めて、目を閉じた。
「おやすみ、僕のオメガ」
「おやすみなさい、ユーリ様」
心配事も、考えなくてはならないことも、たくさんたくさんあるはずなのに。
ユーリ様に抱かれていると、そのうちに眠気がやってくる。
さっきまで寝ていたはずなのに、本当に僕ってお寝坊だなぁ。自分でも少し呆れてしまう。
早くもうつらうつらとしながら、僕はふと、ユーリ様はこんな時間にどこに行ってたんだろう、と疑問に思った。
明け方もまだ遠い夜中だと、おっしゃっていたのに。
そんな時間に寝室から出ていたユーリ様。
お仕事をしていたのだろうか?
それとも……。
僕の脳裏に、哺乳瓶のことが浮かんできた。
エミール様と、テオさんが話していたことも。
ユーリ様は、他のオメガと、子どもをつくった、と。
彼らはそんな話を、していたのではなかったか。
もしかしたら呑気に寝ている僕を置いて、ユーリ様はそのオメガのところに行かれていたのかもしれない。
ユーリ様が、僕がベッドから落ちた音を聞いて戻ってきてくれたのだとすると、そのオメガのひともこのお屋敷に住んでいる可能性がある。
僕は、この寝室と、お食事をする部屋と、お風呂場と、温室ぐらいしか知らないから。
何人の使用人が居て、何人が泊まっていて、どの部屋に誰が居るというのも、わからないから。
ユーリ様はとても尊い身分の御方で。
そんな御方のお屋敷に住むオメガが僕だけじゃない、なんて、そんな当たり前のことに今日の今日まで思い至らないような、頭の悪い人間だから。
僕のオメガ、とユーリ様に呼んでもらえるのが自分だけだと勘違いしてたことにいまさらに気づいて、僕は、かなしくなってユーリ様にしがみつきながら、声を殺して少し泣いた。
泣いているうちに僕は、いつしか眠りについていた。
暗い。
暗い。
ここはどこだろう。あの山の中だろうか。
誰も居ない。ひとりぼっちだ。
怖くなって、体を起こそうとしたら、自分が布団をかぶっていることに気づいた。
手探りで確かめてみたら、寝台に寝ていたことがわかった。
いつのまに中央教会の部屋に戻ってきたのだろう。いつ。誰が僕を、連れ帰ってきたのだろうか。
僕はそろりと寝返りを打って、ベッドの上を四つん這いで移動した。
ただでさえ見えにくい目は、暗闇ではまったく役に立たない。だから慎重に動いたつもりだったけど、ベッドの端でバランスを崩して床にドスンと落ちてしまった。
誰か、とたすけを呼ぼうとして、ベルの存在を思い出す。
ベルがどこかにあったはずだ。あれを鳴らせば、黒衣のひとが……。
「リヒト!」
急に名前を呼ばれて、僕は驚いて顔を上げた。
ランタンの灯りが見えた。その横で、金色がピカピカと光っている。
「……ゆぅりさま」
茫然と金髪のひとを見上げて、無意識にそのお名前を呟いていた。
それから僕はハッと我に返って、てのひらで口を押えた。
いけない。
前もこれで人違いをしたのだ。お名前を尋ねるまでは呼んではいけなかった。
うろたえながら僕は、あれ? と不思議に思った。
ユーリ様?
ユーリ様って、あのユーリ様?
とするとここは中央教会ではなくて、ユーリ様のお部屋?
あれ? 僕は……僕は、なんで……。
記憶が混乱して、目が回った。
けれど僕の体はしっかりと支えられていた。
「そうだよ、僕のオメガ。ユーリだよ」
気づけば僕はユーリ様に抱き上げられて、ベッドに腰を掛けたユーリ様の膝の上に座る姿勢をとらされていた。
「ベッドから落ちたの? 大丈夫? 怪我してない?」
ユーリ様が僕の頭を撫でながら、いくつも質問を落としてくる。
それにひとつひとつ頷いて答えたら、最後に、
「なにがあったか覚えてる?」
と尋ねられた。
僕は息を呑んで、ユーリ様の顔を見つめた。
なにがあったか……。
しばらく黙り込んでから僕は、
「いいえ」
と答えた。
ユーリ様が「そう」とやさしく頷いてくださり、僕の背を撫でてくれた。
「きみはエミール殿と、ホールで旅商の運んできた品物を見ていたんだよ。それは覚えてる?」
「……はい。エミール様は、とても良くしてくださいました」
「うん。エミール殿も楽しかったと言ってたよ。でも、商人の中に不届き者が混じっていてね、きみに無礼を働いた」
それは覚えてる? とユーリ様が僕のこめかみにキスをして、確かめてきた。
僕はそれには首を横に振った。
ユーリ様が僕の頭を撫でて、ぎゅっと抱きしめてきた。
僕は素直にユーリ様の胸に体重を預けた。
「リヒトはとってもビックリして、気を失っちゃったんだよ。報告を受けて慌てて戻ってきたら、きみはぐっすり夢の中でさ」
くすり、とユーリ様が笑う。
「僕のオメガは本当にお寝坊さんだなぁって思ったよ」
心配をかけてしまっただろうに、ユーリ様はそんなふうにやさしく話してくれた。
僕は居たたまれずに、ユーリ様の肩口に顔を押し付けた。
本当は、覚えている。
なにがあったのか。
エミール様と反物を見ていたとき、黒衣の男が僕を締め上げて、叫んだ、あの言葉も。
『なぜ生きているっ!』
あれは。
あの言葉は。
中央教会で、教皇様と、ほんの数人しか話すことのできない、神様の『特別な言葉』だ。
ということはあの黒衣の商人は、中央教会に居た信者の誰か、ということになる。
そのひとが言ったのだ。僕に。なぜ生きている、と。
僕がハーゼだから。
信者のひとを苦しめることしかできない、生まれる前から大きな罪を背負った存在だから。
だからあのひとは、僕に……。
「リヒト?」
体を揺すられて、僕は顔を上げた。
ユーリ様のきれいな緑色の目が、ランタンの灯りを受けてぼんやりと見えた。
「まだ明け方も遠いよ。もう一度眠ろうか」
「……はい」
「トイレを済ませるかい?」
「大丈夫です」
「ん。じゃあ、これ飲んで」
ユーリ様が手を伸ばして、サイドテーブルにあったグラスを僕の口元へと持ってきてくれた。
昔から、寝台の横には絶対にこうして飲み物が用意されている。ユーリ様はそれをいつものように僕の唇につけて、中身を飲ませてくれた。
ほのかに甘い気もするが、味はわからない。温度もわからない。でもユーリ様がくれるものだから僕は、なんの心配もせずにそれを嚥下した。
「夕食を食べてないから、とりあえず水分だけでもしっかりと摂ろうね。朝食はいつもより頑張って食べるんだよ」
「……ふぁい」
グラスが邪魔をして、返事が曖昧な音になってしまう。
口を開いた拍子に飲み物がこぼれたのだろう。ユーリ様が僕の口の端から顎までを拭いてくださった。
いつものやさしい仕草に、胸がぎゅうっと締め付けられた。
ユーリ様にお話しするべきだろうか。
ハーゼのことを。
僕が……信者のひとたちを苦しめていたことを。
神様の言葉が上手く聞けなくて、僕のせいで、信者のひとたちがずっとずっとお腹を空かせていたことを。
お話しすべきだろうか。
でも言いたくなかった。
罪深いハーゼだと知られたら、僕はもうきっと、ユーリ様のオメガでいられなくなる。
僕のオメガ、と呼んでもらえなくなる。
だから隠した。昼間のことを覚えていないなんて、嘘をついた。
きっとこれが一番の罪だ。
たくさんのひとを苦しめておきながら、自分ひとりが、ユーリ様の腕の中でしあわせに浸っている。
ああどうしよう。
不安がお腹の奥からひたひたと這い上がってくる。
あの黒衣のひとはどうなったのだろう。
気を失う直前、テオさんらしきひとが彼を床に押さえつけているのが見えたけれど。
彼は、捕まってしまったのだろうか。
あのひとは悪くない。
僕は疎まれて当然の存在だったから、あのひとは少しも悪くないんです。
ユーリ様にそう言いたかった。
けれどそれを口にしてしまうと、僕が嘘をついていたことがバレてしまう。
それに。
ユーリ様に拾われる以前の記憶が戻ったことを、話さなくてはならなくなる。
それは嫌だ。
絶対に、嫌だ。
ああどうしよう。
どうしたらいいんだろう。
「……ト。……ヒト。リヒト、大丈夫?」
「は、はいっ」
ユーリ様の声が聞こえて、僕は我に返った。僕が自分の思考に没頭している間に何度も呼びかけてくださったようだ。
「疲れたかな。もう寝ようか。本当はエミール殿から、リヒトが目を覚ましたら連絡をくれって言われてるんだけど、夜中だし明日でいいよね」
話しながらユーリ様が、僕の体を横たえてくださる。
そして僕にきちんと布団をかけてから、ユーリ様も隣にもぐりこんできた。
ユーリ様の両腕が、僕の体に回される。
僕はユーリ様の胸元に鼻先を埋めて、目を閉じた。
「おやすみ、僕のオメガ」
「おやすみなさい、ユーリ様」
心配事も、考えなくてはならないことも、たくさんたくさんあるはずなのに。
ユーリ様に抱かれていると、そのうちに眠気がやってくる。
さっきまで寝ていたはずなのに、本当に僕ってお寝坊だなぁ。自分でも少し呆れてしまう。
早くもうつらうつらとしながら、僕はふと、ユーリ様はこんな時間にどこに行ってたんだろう、と疑問に思った。
明け方もまだ遠い夜中だと、おっしゃっていたのに。
そんな時間に寝室から出ていたユーリ様。
お仕事をしていたのだろうか?
それとも……。
僕の脳裏に、哺乳瓶のことが浮かんできた。
エミール様と、テオさんが話していたことも。
ユーリ様は、他のオメガと、子どもをつくった、と。
彼らはそんな話を、していたのではなかったか。
もしかしたら呑気に寝ている僕を置いて、ユーリ様はそのオメガのところに行かれていたのかもしれない。
ユーリ様が、僕がベッドから落ちた音を聞いて戻ってきてくれたのだとすると、そのオメガのひともこのお屋敷に住んでいる可能性がある。
僕は、この寝室と、お食事をする部屋と、お風呂場と、温室ぐらいしか知らないから。
何人の使用人が居て、何人が泊まっていて、どの部屋に誰が居るというのも、わからないから。
ユーリ様はとても尊い身分の御方で。
そんな御方のお屋敷に住むオメガが僕だけじゃない、なんて、そんな当たり前のことに今日の今日まで思い至らないような、頭の悪い人間だから。
僕のオメガ、とユーリ様に呼んでもらえるのが自分だけだと勘違いしてたことにいまさらに気づいて、僕は、かなしくなってユーリ様にしがみつきながら、声を殺して少し泣いた。
泣いているうちに僕は、いつしか眠りについていた。
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