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光あれ
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リヒトの可愛い寝顔から視線を引きはがし、ユリウスは気分を変えるべく紅茶をまたひと口飲んだ。
「胸の悪い話で本筋から外れてしまいました。すみません。話題を戻します。僕たちはリゼルという植物を入手するために、デァモントを出て再びノルメル村に立ち寄りました」
道行はゆっくりだった。ハーゼスが居たからだ。
栄養不足で弱り切っている子どもに負担を掛けないよう、幾度も休憩を挟みながら進んだ。
馬上ではゲルトがハーゼスを支えていた。子どもの体重は平均を大きく下回っていたけれど、それでも二人での騎乗は馬の負担になるため、様子を見ながらユリウスが途中で交代しつつ、しかし道中のほとんどはゲルトが世話していた。
ハーゼスのことはゲルトに任せていたユリウスだったが、唯一看過できなかったのが食事の世話だ。
ゲルトの手つきがあまりにたどたどしくて、ついつい口も手も出してしまう。
「ゲルト、そんな食べさせ方をしたらむせてしまうよ。ああ、ほら、違う違う。もっとこう……ちょっと代われ」
男を押しのけて子どもを抱き込むと、自分の膝に座りなおさせて、リヒトにするように小さな匙で食事をさせてやる。
手慣れてますねぇとハッシュが目を丸くするのを見て、ロンバードが横から笑いを滲ませた声をあげた。
「年季が違いますからねぇ、ユーリ様」
ユリウスは小さく鼻を鳴らして、男の揶揄を流した。
ユリウスとは対極に、ハーゼスに近寄ろうとしなかったのはクラウスだ。
食事のときも彼は、子どもから一番遠い席に座るのが常だった。
黙々と食べ進めている次兄は、しかしなにかを言いたげにチラチラとこちらを窺ってくる。
その視線が気になって、ユリウスは子どもの口に匙を運びながら、
「なんですか兄上」
と問いかけた。
クラウスは咳払いをして、なんでもないと答えたが、そんなはずはない。
なにか言いたいことがあるはずだと食い下がると、次兄は眉をしかめ、またチラとハーゼスを見た。
「いやなに……おまえが匂いにあまりに無頓着で驚いているだけだ」
「匂い? ああ、この子のオメガの匂いのことですか?」
子どもの口の端から零れたスープを、手布で拭って、ユリウスが呆れたように鼻を鳴らした。
「こんな子どもに誘惑なんてされませんよ」
かつて、ハーゼスよりももっと小さかったリヒトを、僕のオメガと呼んで片時も離そうとしなかったユリウスは、盛大な棚上げをして半眼で兄を見つめる。
「いや、ちょっと待った!」
割り込んできたのはロンバードだ。
「オメガ? このガキ……子どもはオメガなんですか?」
「なんだ。気づいてなかったのか」
「俺はアルファ様ほど鼻が利かないんでね。はぁ……オメガねぇ」
ロンバードが身を乗り出して、ユリウスの腕の中のハーゼスをまじまじと眺める。
「ハーゼはオメガじゃないとなれないって決まりでもあるんですかね?」
頑丈そうな顎をさすって首を捻った側近の言葉を聞いて、ユリウスも軽く首を傾げた。
「どうなんだ? ゲルト」
話題を振られたゲルトは「は」と頭を下げて、それから曖昧な口調で答えた。
「どうなのでしょう。デァモントではバース性は重要視されませんので、なんとも……」
「アルファだろうがオメガだろうが関係ないってことか?」
ロンバードの問いかけに、ゲルトは首肯で答えた。
「はい。信者たちは皆平等です。バース性による区別もありません。そもそも検査自体行っておりませんので、自分のバース性を知る者の方が少ないのです」
「なるほど。徹底してるね」
中々興味深い、とユリウスは新緑色の瞳を瞬かせた。
「ところで兄上はいったいなにをそんなに警戒してるんですか。こんな子どもの弱い誘惑香なんて、どうということもないでしょうに」
こちらを遠巻きにして一向に近寄って来ないクラウスに、まさか本当にこの程度の匂いで次兄の理性が揺らぎそうになっているのか、とユリウスが半信半疑で尋ねると、クラウスがしずかに首を横に振った。
「ユーリ、そういう意味で言ったんじゃない。おまえにそのオメガの匂いが移るぞ、と言ってるんだ」
それを指摘されて初めて、ユリウスは「ああ」と得心した。
そうだ。鼻が良いのはなにもアルファに限った話ではない。
オメガも、匂いには敏感だ。取り分け、つがいの匂いには。
「子どもとは言え、他のオメガの匂いをつけて帰ったら、エミールに申し訳がたたないからな」
そう言って苦笑する兄を、ユリウスは羨ましいような思いで見つめた。
嗅覚がうまく働いていないリヒトは、移り香どころかユリウス自身の匂いさえわからないから。
クラウスが言い渋っていたのも、恐らくはそれが理由だろう。
だけど、ユリウスはいまからリヒトの五感を取り戻す方法を探りにゆくのだ。
リヒトの嗅覚が戻ったとき、ユリウスはそういう……いままであまり頓着していなかったことに留意する必要があるのだと教えるために、次兄は敢えてそれを告げてきたのだった。
クラウスのその想いがわかるから、ユリウスは僻むこともなく、
「気をつけます」
と頭を下げることができた。
しかし、いま膝の上に居る子どもを放り出すわけにもいかない。
結局ユリウスは道中、食事や風呂、歯磨きや整容など、五感の弱いハーゼスの世話の焼き方をこと細かにゲルトへ教え込んでいくこととした。
デァモントから休み休み馬を進ませること二日。
ユリウスたち一行はノルメル村へと戻ってきた。
ハーゼスはゲルトとともに、教皇ヨハネスが反物を保管していた屋敷で休ませることとする。二人にとって、銀の髪に金の瞳の女たちが住まうあの館は、衝撃が強すぎるとユリウスは判断した。
彼らが勝手に屋敷から出ないよう、ハッシュを見張り兼護衛に残して、ユリウスはクラウス、ロンバード、エーリッヒを伴い、女の元を訪れた。
夕闇が迫る時刻に訪れた前回と違い、今回は昼日中だ。燦燦と注ぐ日射しはデァモント教団にまつわる一連の後ろ暗さとはあまりに不似合いで、あの女と出会ったことは幻だったのではないかと思えるほどだった。
女は先日同様、白いドレス姿でユリウスたちを出迎えた。
屋敷の中へ入ると、吹き抜けのホールの隅に少女たちの姿があった。全員が当然のように、銀の髪に金の瞳をしていた。
ユリウスは女へ、歴代教皇の手記に載っていた植物の絵を見せた。
「リゼルという植物を探しています。心当たりはありませんか?」
ユリウスの質問に、女があっさりと頷いた。
「その植物なら、温室にございましてよ」
「拝見してもよろしいでしょうか」
「ええ、お好きに」
女は相変わらず、どこか浮世離れした表情で抵抗も見せずにユリウスたちを温室へと案内した。
ガラス張りのその部屋は、広かった。
リヒトのためにユリウスが作った温室より面積はやや小さかったが、同じ形の鉢がぎっしりと並んでおり、圧巻だった。
鉢には、手記にあった絵と同じ形の葉を持つ植物が植えられている。
花の頃が近いのか、つぼみをつけた株も多く見られた。
「これが、リゼル……」
ユリウスの呟きを聞いた女が、
「名は知りません」
と応じた。
「なぜこれを育てているのですか」
「さぁ……それがわたくしたちの役目ですから」
「いつから育てているのですか」
「さぁ。存じ上げませんわ」
「この植物は、どういうものなのでしょうか」
「存じ上げません。そこにあるから、育てる。それだけですわ」
ユリウスは問いを重ねたが、女の返答はあやふやなものばかりであった。
「この鉢を、いくつか分けていただくことはできますか」
ユリウスは並べられた鉢植えを指さし、尋ねた。
女が、いま初めてユリウスを認識したかのように、目を丸くして。
それからうふふと笑った。
「あなたは先日から、不思議なことばかり仰るのね。それは黒髪の御方がわたくしたちに預けたもの。黒髪の御方を捕らえたのはあなた。それならばそれは、あなたの好きにして良いということじゃないかしら」
金の瞳がきれいな弧を描き、女はドレスの裾をふわりと広げて温室を見渡した。
「どうぞ、あなたのお好きなように」
「胸の悪い話で本筋から外れてしまいました。すみません。話題を戻します。僕たちはリゼルという植物を入手するために、デァモントを出て再びノルメル村に立ち寄りました」
道行はゆっくりだった。ハーゼスが居たからだ。
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馬上ではゲルトがハーゼスを支えていた。子どもの体重は平均を大きく下回っていたけれど、それでも二人での騎乗は馬の負担になるため、様子を見ながらユリウスが途中で交代しつつ、しかし道中のほとんどはゲルトが世話していた。
ハーゼスのことはゲルトに任せていたユリウスだったが、唯一看過できなかったのが食事の世話だ。
ゲルトの手つきがあまりにたどたどしくて、ついつい口も手も出してしまう。
「ゲルト、そんな食べさせ方をしたらむせてしまうよ。ああ、ほら、違う違う。もっとこう……ちょっと代われ」
男を押しのけて子どもを抱き込むと、自分の膝に座りなおさせて、リヒトにするように小さな匙で食事をさせてやる。
手慣れてますねぇとハッシュが目を丸くするのを見て、ロンバードが横から笑いを滲ませた声をあげた。
「年季が違いますからねぇ、ユーリ様」
ユリウスは小さく鼻を鳴らして、男の揶揄を流した。
ユリウスとは対極に、ハーゼスに近寄ろうとしなかったのはクラウスだ。
食事のときも彼は、子どもから一番遠い席に座るのが常だった。
黙々と食べ進めている次兄は、しかしなにかを言いたげにチラチラとこちらを窺ってくる。
その視線が気になって、ユリウスは子どもの口に匙を運びながら、
「なんですか兄上」
と問いかけた。
クラウスは咳払いをして、なんでもないと答えたが、そんなはずはない。
なにか言いたいことがあるはずだと食い下がると、次兄は眉をしかめ、またチラとハーゼスを見た。
「いやなに……おまえが匂いにあまりに無頓着で驚いているだけだ」
「匂い? ああ、この子のオメガの匂いのことですか?」
子どもの口の端から零れたスープを、手布で拭って、ユリウスが呆れたように鼻を鳴らした。
「こんな子どもに誘惑なんてされませんよ」
かつて、ハーゼスよりももっと小さかったリヒトを、僕のオメガと呼んで片時も離そうとしなかったユリウスは、盛大な棚上げをして半眼で兄を見つめる。
「いや、ちょっと待った!」
割り込んできたのはロンバードだ。
「オメガ? このガキ……子どもはオメガなんですか?」
「なんだ。気づいてなかったのか」
「俺はアルファ様ほど鼻が利かないんでね。はぁ……オメガねぇ」
ロンバードが身を乗り出して、ユリウスの腕の中のハーゼスをまじまじと眺める。
「ハーゼはオメガじゃないとなれないって決まりでもあるんですかね?」
頑丈そうな顎をさすって首を捻った側近の言葉を聞いて、ユリウスも軽く首を傾げた。
「どうなんだ? ゲルト」
話題を振られたゲルトは「は」と頭を下げて、それから曖昧な口調で答えた。
「どうなのでしょう。デァモントではバース性は重要視されませんので、なんとも……」
「アルファだろうがオメガだろうが関係ないってことか?」
ロンバードの問いかけに、ゲルトは首肯で答えた。
「はい。信者たちは皆平等です。バース性による区別もありません。そもそも検査自体行っておりませんので、自分のバース性を知る者の方が少ないのです」
「なるほど。徹底してるね」
中々興味深い、とユリウスは新緑色の瞳を瞬かせた。
「ところで兄上はいったいなにをそんなに警戒してるんですか。こんな子どもの弱い誘惑香なんて、どうということもないでしょうに」
こちらを遠巻きにして一向に近寄って来ないクラウスに、まさか本当にこの程度の匂いで次兄の理性が揺らぎそうになっているのか、とユリウスが半信半疑で尋ねると、クラウスがしずかに首を横に振った。
「ユーリ、そういう意味で言ったんじゃない。おまえにそのオメガの匂いが移るぞ、と言ってるんだ」
それを指摘されて初めて、ユリウスは「ああ」と得心した。
そうだ。鼻が良いのはなにもアルファに限った話ではない。
オメガも、匂いには敏感だ。取り分け、つがいの匂いには。
「子どもとは言え、他のオメガの匂いをつけて帰ったら、エミールに申し訳がたたないからな」
そう言って苦笑する兄を、ユリウスは羨ましいような思いで見つめた。
嗅覚がうまく働いていないリヒトは、移り香どころかユリウス自身の匂いさえわからないから。
クラウスが言い渋っていたのも、恐らくはそれが理由だろう。
だけど、ユリウスはいまからリヒトの五感を取り戻す方法を探りにゆくのだ。
リヒトの嗅覚が戻ったとき、ユリウスはそういう……いままであまり頓着していなかったことに留意する必要があるのだと教えるために、次兄は敢えてそれを告げてきたのだった。
クラウスのその想いがわかるから、ユリウスは僻むこともなく、
「気をつけます」
と頭を下げることができた。
しかし、いま膝の上に居る子どもを放り出すわけにもいかない。
結局ユリウスは道中、食事や風呂、歯磨きや整容など、五感の弱いハーゼスの世話の焼き方をこと細かにゲルトへ教え込んでいくこととした。
デァモントから休み休み馬を進ませること二日。
ユリウスたち一行はノルメル村へと戻ってきた。
ハーゼスはゲルトとともに、教皇ヨハネスが反物を保管していた屋敷で休ませることとする。二人にとって、銀の髪に金の瞳の女たちが住まうあの館は、衝撃が強すぎるとユリウスは判断した。
彼らが勝手に屋敷から出ないよう、ハッシュを見張り兼護衛に残して、ユリウスはクラウス、ロンバード、エーリッヒを伴い、女の元を訪れた。
夕闇が迫る時刻に訪れた前回と違い、今回は昼日中だ。燦燦と注ぐ日射しはデァモント教団にまつわる一連の後ろ暗さとはあまりに不似合いで、あの女と出会ったことは幻だったのではないかと思えるほどだった。
女は先日同様、白いドレス姿でユリウスたちを出迎えた。
屋敷の中へ入ると、吹き抜けのホールの隅に少女たちの姿があった。全員が当然のように、銀の髪に金の瞳をしていた。
ユリウスは女へ、歴代教皇の手記に載っていた植物の絵を見せた。
「リゼルという植物を探しています。心当たりはありませんか?」
ユリウスの質問に、女があっさりと頷いた。
「その植物なら、温室にございましてよ」
「拝見してもよろしいでしょうか」
「ええ、お好きに」
女は相変わらず、どこか浮世離れした表情で抵抗も見せずにユリウスたちを温室へと案内した。
ガラス張りのその部屋は、広かった。
リヒトのためにユリウスが作った温室より面積はやや小さかったが、同じ形の鉢がぎっしりと並んでおり、圧巻だった。
鉢には、手記にあった絵と同じ形の葉を持つ植物が植えられている。
花の頃が近いのか、つぼみをつけた株も多く見られた。
「これが、リゼル……」
ユリウスの呟きを聞いた女が、
「名は知りません」
と応じた。
「なぜこれを育てているのですか」
「さぁ……それがわたくしたちの役目ですから」
「いつから育てているのですか」
「さぁ。存じ上げませんわ」
「この植物は、どういうものなのでしょうか」
「存じ上げません。そこにあるから、育てる。それだけですわ」
ユリウスは問いを重ねたが、女の返答はあやふやなものばかりであった。
「この鉢を、いくつか分けていただくことはできますか」
ユリウスは並べられた鉢植えを指さし、尋ねた。
女が、いま初めてユリウスを認識したかのように、目を丸くして。
それからうふふと笑った。
「あなたは先日から、不思議なことばかり仰るのね。それは黒髪の御方がわたくしたちに預けたもの。黒髪の御方を捕らえたのはあなた。それならばそれは、あなたの好きにして良いということじゃないかしら」
金の瞳がきれいな弧を描き、女はドレスの裾をふわりと広げて温室を見渡した。
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