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かなしみの匂い
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翌日、ユリウスはシモンを屋敷へと呼んだ。
奇しくもリヒトが、シモンに相談したいことがあると言ってきたからだ。
ユリウスは慌てて、
「どこか調子が悪いの?」
と尋ね、おのれのオメガの顔色や爪の色、皮膚状態を確認したが、リヒトは首を横に振って、
「シモンさんに、聞きたいことがあるのです」
そう答えるだけで詳細は教えてくれなかった。
たぶん、嗅覚と味覚の治療についての相談がしたいのだろう。そう検討づけて、元よりシモンと話をしようと思っていたユリウスは二つ返事で了承し、医師団の長を召喚したのだった。
片眼鏡の医師はいつものように穏やかな笑顔で、ユリウスとリヒトに挨拶の口上を述べ、
「さて、それで今日はどうされましたかなぁ」
と穏やかに切り出した。
場所は食事をするための部屋で、ユリウスとリヒト、そしてシモンの前にはテオバルドが淹れた紅茶が置かれている。
朝食を終えたばかりのリヒトは、もじもじとうつむいていたが、シモンの声に顔を上げ、隣に座るユリウスと壁際に控えるテオバルドに控えめえな視線を向けてきた。
「リヒト?」
どうしたのか、とユリウスがリヒトの名を呼ぶのと同時に、シモンが口を開いた。
「おお、そういえばユリウス殿下は今日はお休みの日ですかな?」
ふだんであれば登城して、執務につく時間である。
しかしユリウスのオメガが診察を受けるのだから、そちらが優先に決まっていた。
「これが済んだら行くよ」
だからこちらの都合は気にするな、と暗に伝えたつもりのユリウスだったが、片眼鏡の医師は瞳をやわらかく撓めて、
「おお、それでは家でなさる仕事も溜まっておることでしょうなぁ。殿下、ここは私に任せて、どうぞ執務に取り掛かってください。リヒト様の診察が済みましたらお呼びいたしましょう。ほれ、そこの御方、殿下をお連れして」
と、有無を言わせぬ口調でユリウスとテオバルドを急かし、なんと、部屋の外へと締めだしたのだ。この家の主たる自分を!
ユリウスは束の間呆気にとられ、内側から閉じられた扉を見つめ、そして同様に締め出されたテオバルドに視線を向けた。
あまりに手際よく追い出されてしまったテオバルドもポカンと口を開けていたが、ユリウスの眼差しを浴びてハッと我に返ると、そうっと持ち上げた手で扉をノックした。
「シモン様、シモン様! 開けてください!」
「ほっほ。良いですか、診察というものは本来、おひとりで受けていただくもの。これまではリヒト様の五感が弱く、ユリウス殿下にも同席していただいておりましたが、リヒト様は殿下のおかげで目も耳も調子が良うございますなぁ。それゆえ今日からは他の患者と同様にさせていただきます」
ドア越しに聞こえてくるシモンの言葉に、なるほど、と頷きかけた侍従へとユリウスが軽い蹴りを入れると、テオバルドが「足癖……」と呟きつつこちらを窺ってきた。
父親によく似たその茶色の目をユリウスは半眼で見つめ返す。
テオバルドがぶるりと震えあがり、もう一度ドンドンドンとノックした。いや、ノックというには勢いが良すぎる強さである。
「シモン様! えっとですね、あの……あっ、そうだ、俺はリヒト様付きの従者なので、俺だけは入れてもらっていいですよね!」
テオバルドが頭をフル回転して絞り出した言葉に、ユリウスはそれでいいと頷いた。
シモンを警戒しているわけではないが、可愛い可愛いオメガを自分以外の男とは二人きりにはできない。ユリウスがダメならテオバルドだけでも中へ入れたかった。
しかしシモンの回答は素っ気ない。
「リヒト様はもうとっくに成人なさってる歳ですぞ。付き添いは不要です」
あっさりと撃退されたテオバルドに変わり、ユリウスは常よりすこし低い声で老医師へと話しかけた。
「シモン。国王陛下にも同じことが言えるか?」
シモンは国王マリウスの主治医だ。マリウスの診察は常に数人の付き人が立ち合いのもとで行われる。成人しているから付き添いが不要という言い分は通らない。
だからリヒトの診察に侍従のテオバルドが立ち会うことだっておかしくはないはずだ。
ユリウスの反論に、テオバルドがなるほどと頷いたが、肝心のシモンは「ほっほ」と笑っただけだった。
「殿下。このシモンめがリヒト様に害を成すとお考えですかな」
「そんなことは言ってない」
「そうでしょうともそうでしょうとも。ユリウス殿下、後できちんと報告はいたします。どうぞお離れになってください」
やんわりとした話し方で立ち去るように促され、ユリウスは鼻筋にしわを寄せた。
「殿下。私が信じられぬというのならそれは、我が師ベルンハルトを信じないのと同じこと。ユリウス殿下。あなた様はそうおっしゃりたいのですかな?」
最後通牒とばかりに故ベルンハルトの名を出され、ユリウスは天井を仰いでため息をついた。
「わかった。ここはおまえに譲る。リヒト、リヒト、聞こえる?」
「は、はいっ」
扉に顔を寄せ、リヒトの名を呼ぶとつっかえながらリヒトが返事をした。
「シモンの診察が終わったら、ベルを鳴らして教えて」
「はい」
「すこしでも嫌なことをされたら、そのときも鳴らすんだよ?」
「……はい」
どこか困ったような声での「はい」だった。シモンがリヒトになにかすると思っているわけではないが、リヒトの体にことはすべて知っておきたい。それなのにこうして締め出されてしまったのだから、多少の過保護ぐらいゆるされるだろう。
けれどおのれのオメガが、シモンとユリウスの間で板挟みになり困っていることも察せられて、ついでに侍従が横から呆れたような目でこちらを見ていることもわかって、ユリウスは渋々……本当に渋々身を引いたのだった。
奇しくもリヒトが、シモンに相談したいことがあると言ってきたからだ。
ユリウスは慌てて、
「どこか調子が悪いの?」
と尋ね、おのれのオメガの顔色や爪の色、皮膚状態を確認したが、リヒトは首を横に振って、
「シモンさんに、聞きたいことがあるのです」
そう答えるだけで詳細は教えてくれなかった。
たぶん、嗅覚と味覚の治療についての相談がしたいのだろう。そう検討づけて、元よりシモンと話をしようと思っていたユリウスは二つ返事で了承し、医師団の長を召喚したのだった。
片眼鏡の医師はいつものように穏やかな笑顔で、ユリウスとリヒトに挨拶の口上を述べ、
「さて、それで今日はどうされましたかなぁ」
と穏やかに切り出した。
場所は食事をするための部屋で、ユリウスとリヒト、そしてシモンの前にはテオバルドが淹れた紅茶が置かれている。
朝食を終えたばかりのリヒトは、もじもじとうつむいていたが、シモンの声に顔を上げ、隣に座るユリウスと壁際に控えるテオバルドに控えめえな視線を向けてきた。
「リヒト?」
どうしたのか、とユリウスがリヒトの名を呼ぶのと同時に、シモンが口を開いた。
「おお、そういえばユリウス殿下は今日はお休みの日ですかな?」
ふだんであれば登城して、執務につく時間である。
しかしユリウスのオメガが診察を受けるのだから、そちらが優先に決まっていた。
「これが済んだら行くよ」
だからこちらの都合は気にするな、と暗に伝えたつもりのユリウスだったが、片眼鏡の医師は瞳をやわらかく撓めて、
「おお、それでは家でなさる仕事も溜まっておることでしょうなぁ。殿下、ここは私に任せて、どうぞ執務に取り掛かってください。リヒト様の診察が済みましたらお呼びいたしましょう。ほれ、そこの御方、殿下をお連れして」
と、有無を言わせぬ口調でユリウスとテオバルドを急かし、なんと、部屋の外へと締めだしたのだ。この家の主たる自分を!
ユリウスは束の間呆気にとられ、内側から閉じられた扉を見つめ、そして同様に締め出されたテオバルドに視線を向けた。
あまりに手際よく追い出されてしまったテオバルドもポカンと口を開けていたが、ユリウスの眼差しを浴びてハッと我に返ると、そうっと持ち上げた手で扉をノックした。
「シモン様、シモン様! 開けてください!」
「ほっほ。良いですか、診察というものは本来、おひとりで受けていただくもの。これまではリヒト様の五感が弱く、ユリウス殿下にも同席していただいておりましたが、リヒト様は殿下のおかげで目も耳も調子が良うございますなぁ。それゆえ今日からは他の患者と同様にさせていただきます」
ドア越しに聞こえてくるシモンの言葉に、なるほど、と頷きかけた侍従へとユリウスが軽い蹴りを入れると、テオバルドが「足癖……」と呟きつつこちらを窺ってきた。
父親によく似たその茶色の目をユリウスは半眼で見つめ返す。
テオバルドがぶるりと震えあがり、もう一度ドンドンドンとノックした。いや、ノックというには勢いが良すぎる強さである。
「シモン様! えっとですね、あの……あっ、そうだ、俺はリヒト様付きの従者なので、俺だけは入れてもらっていいですよね!」
テオバルドが頭をフル回転して絞り出した言葉に、ユリウスはそれでいいと頷いた。
シモンを警戒しているわけではないが、可愛い可愛いオメガを自分以外の男とは二人きりにはできない。ユリウスがダメならテオバルドだけでも中へ入れたかった。
しかしシモンの回答は素っ気ない。
「リヒト様はもうとっくに成人なさってる歳ですぞ。付き添いは不要です」
あっさりと撃退されたテオバルドに変わり、ユリウスは常よりすこし低い声で老医師へと話しかけた。
「シモン。国王陛下にも同じことが言えるか?」
シモンは国王マリウスの主治医だ。マリウスの診察は常に数人の付き人が立ち合いのもとで行われる。成人しているから付き添いが不要という言い分は通らない。
だからリヒトの診察に侍従のテオバルドが立ち会うことだっておかしくはないはずだ。
ユリウスの反論に、テオバルドがなるほどと頷いたが、肝心のシモンは「ほっほ」と笑っただけだった。
「殿下。このシモンめがリヒト様に害を成すとお考えですかな」
「そんなことは言ってない」
「そうでしょうともそうでしょうとも。ユリウス殿下、後できちんと報告はいたします。どうぞお離れになってください」
やんわりとした話し方で立ち去るように促され、ユリウスは鼻筋にしわを寄せた。
「殿下。私が信じられぬというのならそれは、我が師ベルンハルトを信じないのと同じこと。ユリウス殿下。あなた様はそうおっしゃりたいのですかな?」
最後通牒とばかりに故ベルンハルトの名を出され、ユリウスは天井を仰いでため息をついた。
「わかった。ここはおまえに譲る。リヒト、リヒト、聞こえる?」
「は、はいっ」
扉に顔を寄せ、リヒトの名を呼ぶとつっかえながらリヒトが返事をした。
「シモンの診察が終わったら、ベルを鳴らして教えて」
「はい」
「すこしでも嫌なことをされたら、そのときも鳴らすんだよ?」
「……はい」
どこか困ったような声での「はい」だった。シモンがリヒトになにかすると思っているわけではないが、リヒトの体にことはすべて知っておきたい。それなのにこうして締め出されてしまったのだから、多少の過保護ぐらいゆるされるだろう。
けれどおのれのオメガが、シモンとユリウスの間で板挟みになり困っていることも察せられて、ついでに侍従が横から呆れたような目でこちらを見ていることもわかって、ユリウスは渋々……本当に渋々身を引いたのだった。
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