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リヒト⑬
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結局僕はその日から、五日も寝込んでしまった。
熱があったのは最初の三日で、それもそんなに高熱じゃなくて、心配いりませんよとシモンさんに言われていたのだけれど、なんだか妙に体がふわふわとしていて、そのせいで一度ベッドから下りたときに転んでしまったものだからユーリ様に、
「僕がいいと言うまで寝てなさい」
と言われて、ひとりで動くことを禁止されてしまったのだった。
僕は、まるで五感が弱かった頃に戻ったかのように、移動するときはユーリ様に抱っこされて、食事のときはユーリ様の膝の上で食べさせてもらい、お風呂もユーリ様の手で入れてもらった。
久ぶりにユーリ様に構ってもらえて、僕はすごく、本当にものすごく嬉しくて。
嬉しくて嬉しくて嬉しくて。
すこし、浮かれすぎてしまったのだと思う。
だから夜中に、ユーリ様がこっそりとベッドを抜け出されていることに気付いたとき、僕は自分でもびっくりするほど落ち込んでしまった。
僕がユーリ様の匂いがわかるようになれば、ユーリ様はべつのオメガのところに行かないんじゃないか、という勝手な期待を、いつのまにかしていたのだ。
この五日、ユーリ様はお仕事も最小限に絞ってくださったようで、可能な限り僕の傍に居てくださったから。
ユーリ様にべったりくっついて過ごす時間がしあわせすぎて、僕は、夜中にひとりになった寝台で、べそべそと泣いてしまった。
目が見えても。耳が聞こえても。皮膚感覚が正常になっても。味がわかっても。匂いを感じることができても。
僕に発情が訪れる気配はなかった。
どうしてだろう。
僕の願いは、もう、ぜんぶ叶ってしまったから。
ユーリ様の魔法は、これ以上は僕に効かないのだろうか。
でも、僕の一番の願いは。
僕の最大の願いは。
僕のオメガ、と、そう、ユーリ様に呼び続けてもらうことなのに。
僕は布団を握りしめ、ユーリ様を追いかけたくなる衝動をひたすらに我慢した。
隣に残っていたユーリ様のぬくもりが完全に冷えてしまっても、ユーリ様は戻って来ない。
僕はほとんど息を止めるようにして、ユーリ様のお帰りを待っていた。
やがて足音が聞こえ、部屋の扉が開いた。
明かりは足元の方だけなので、泣いていたことはバレないだろうけど、顔を見られないように僕は、寝返りをうつ振りでユーリ様とは反対の方に寝返りをうった。
ユーリ様がベッドに上がったのが、マットレスの揺れでわかった。
ごそり、とシーツの擦れる音がして、ユーリ様が僕の隣で横になる。
くすり、と吐息だけで笑う気配がした。
「そんなに端っこに居たら落ちちゃうよ、リヒト」
囁きの音量で、ユーリ様がそう言って、僕の体にユーリ様の腕が回った。と思ったら、ころん、と体を転がされて、ユーリ様の胸に抱きこまれる形になった。
「おやすみ、僕のオメガ」
やわらかで甘い、ユーリ様のお声。
そのお声と一緒に、ユーリ様の香りが僕の鼻に、ふわりと潜り込んできた。
僕は……。
僕は、必死に寝たふりをしながら、両手をぎゅうっと握りしめて、飛び起きて大きな声で泣きたがっている自分をなんとか抑え込んだ。
ユーリ様の香りに。
べつの匂いが混じっている。
これはきっと、ついさっきまでユーリ様と一緒に居たであろうオメガのひとの匂いだ。
このお屋敷に、僕以外のオメガが居るだろうということは以前から想像はついていた。
なんども探そうと思ったけれど、そのオメガのひとを見つけて、なにをどう言えばいいかわからない。だから探さなかった。
テオさんも他のひとも誰も僕に、僕以外のオメガが居るという話をしなかったので、目を背けることができていた。
でもいま、その存在を突きつけられて。
僕はその事実から逃げることができなくなって、ただ自分で自分の体を抱きしめて、必死に唇を噛みしめた。
僕の背に、ユーリ様の手が回っている。その温もりが嬉しいのにかなしくて。
この手は、僕じゃない、他のオメガのひとも抱きしめたのだと思うと、かなしくて。
胸と喉が熱くなって、苦しくて。
けれどさっきまでべそべそと泣いてたせいか、僕の目から涙は出なかった。
六日目以降は、ユーリ様は通常のお仕事に戻られた。
朝ご飯を一緒に食べて、その後ユーリ様はお城に。僕は温室での仕事をして、文字の勉強や飾緒づくりに取り組んだ。
匂いと味がわかるようになると、お屋敷の中もまた全然違うように見えた。
驚いたのは、テオさんの淹れてくれる紅茶が、とってもいい匂いだったこと。それと、キャンディがとっても甘かったこと。
食卓に並べられる料理はそれぞれ違う匂いがしていたこと。どれもとっても美味しいけれど、からいものは舌が痺れたようになって、僕はあんまり得意じゃなかったこと。
温室ではお花だけでなく、葉っぱや土にも匂いがあったこと。
そのひとつひとつに驚くことに忙しくて、日中は気分が紛れた。
だけど夜になって、ユーリ様と一緒に寝ているとき、ふっとこころが重くなる。
ユーリ様は今日も他のオメガのひとのところに行ってしまうのかな。
そのことを考えだすと眠れなくなって、だけど僕が起きているということをユーリ様に知られてしまうのもなんだか怖くて、僕はずっと寝たふりをして布団に丸まっている。
ユーリ様はだいたい一日置きにベッドを抜け出して、オメガのひとのところに通われているようだった。
戻ってきたときにユーリ様にくっついている匂いがいつも同じなので、たぶん、このお屋敷に住んでいるのもひとりだけなのだろう。
どんなひとなのだろうか。
そのひとは、僕と違ってちゃんと発情期のある、完璧なオメガなのかな。
発情期、というものがどういうものか、僕にはよくわからない。
でも物語に描かれているアルファとオメガは、オメガの発情期をきっかけにつがいになるし、『身もこころも結ばれる』と書かれている。
身もこころも。
体が結ばれるというのは、どういうふうなのかな。
寝るときにユーリ様はいつも両腕に僕をぎゅうっと抱きしめてくれるけれど、きっと、それとはまた違うことなのだろう。
僕は以前に見た、エミール様のうなじを思い出していた。
エミール様の白い、きれいな首。その後ろに刻まれた、歯形。
オメガは発情時に、うなじをアルファに噛まれることで、つがい関係を結ぶことができる。
そう教えてくれたのはエミール様だ。
僕の首には、黒い首輪がある。
ユーリ様のくれた首輪が。
いつかこの首輪を外して、ユーリ様が僕のうなじを噛んでくれるのだろうか。
色んな考えが頭の中でぐるぐる渦を巻いて、今日もまた眠れない夜が過ぎてゆく。
熱があったのは最初の三日で、それもそんなに高熱じゃなくて、心配いりませんよとシモンさんに言われていたのだけれど、なんだか妙に体がふわふわとしていて、そのせいで一度ベッドから下りたときに転んでしまったものだからユーリ様に、
「僕がいいと言うまで寝てなさい」
と言われて、ひとりで動くことを禁止されてしまったのだった。
僕は、まるで五感が弱かった頃に戻ったかのように、移動するときはユーリ様に抱っこされて、食事のときはユーリ様の膝の上で食べさせてもらい、お風呂もユーリ様の手で入れてもらった。
久ぶりにユーリ様に構ってもらえて、僕はすごく、本当にものすごく嬉しくて。
嬉しくて嬉しくて嬉しくて。
すこし、浮かれすぎてしまったのだと思う。
だから夜中に、ユーリ様がこっそりとベッドを抜け出されていることに気付いたとき、僕は自分でもびっくりするほど落ち込んでしまった。
僕がユーリ様の匂いがわかるようになれば、ユーリ様はべつのオメガのところに行かないんじゃないか、という勝手な期待を、いつのまにかしていたのだ。
この五日、ユーリ様はお仕事も最小限に絞ってくださったようで、可能な限り僕の傍に居てくださったから。
ユーリ様にべったりくっついて過ごす時間がしあわせすぎて、僕は、夜中にひとりになった寝台で、べそべそと泣いてしまった。
目が見えても。耳が聞こえても。皮膚感覚が正常になっても。味がわかっても。匂いを感じることができても。
僕に発情が訪れる気配はなかった。
どうしてだろう。
僕の願いは、もう、ぜんぶ叶ってしまったから。
ユーリ様の魔法は、これ以上は僕に効かないのだろうか。
でも、僕の一番の願いは。
僕の最大の願いは。
僕のオメガ、と、そう、ユーリ様に呼び続けてもらうことなのに。
僕は布団を握りしめ、ユーリ様を追いかけたくなる衝動をひたすらに我慢した。
隣に残っていたユーリ様のぬくもりが完全に冷えてしまっても、ユーリ様は戻って来ない。
僕はほとんど息を止めるようにして、ユーリ様のお帰りを待っていた。
やがて足音が聞こえ、部屋の扉が開いた。
明かりは足元の方だけなので、泣いていたことはバレないだろうけど、顔を見られないように僕は、寝返りをうつ振りでユーリ様とは反対の方に寝返りをうった。
ユーリ様がベッドに上がったのが、マットレスの揺れでわかった。
ごそり、とシーツの擦れる音がして、ユーリ様が僕の隣で横になる。
くすり、と吐息だけで笑う気配がした。
「そんなに端っこに居たら落ちちゃうよ、リヒト」
囁きの音量で、ユーリ様がそう言って、僕の体にユーリ様の腕が回った。と思ったら、ころん、と体を転がされて、ユーリ様の胸に抱きこまれる形になった。
「おやすみ、僕のオメガ」
やわらかで甘い、ユーリ様のお声。
そのお声と一緒に、ユーリ様の香りが僕の鼻に、ふわりと潜り込んできた。
僕は……。
僕は、必死に寝たふりをしながら、両手をぎゅうっと握りしめて、飛び起きて大きな声で泣きたがっている自分をなんとか抑え込んだ。
ユーリ様の香りに。
べつの匂いが混じっている。
これはきっと、ついさっきまでユーリ様と一緒に居たであろうオメガのひとの匂いだ。
このお屋敷に、僕以外のオメガが居るだろうということは以前から想像はついていた。
なんども探そうと思ったけれど、そのオメガのひとを見つけて、なにをどう言えばいいかわからない。だから探さなかった。
テオさんも他のひとも誰も僕に、僕以外のオメガが居るという話をしなかったので、目を背けることができていた。
でもいま、その存在を突きつけられて。
僕はその事実から逃げることができなくなって、ただ自分で自分の体を抱きしめて、必死に唇を噛みしめた。
僕の背に、ユーリ様の手が回っている。その温もりが嬉しいのにかなしくて。
この手は、僕じゃない、他のオメガのひとも抱きしめたのだと思うと、かなしくて。
胸と喉が熱くなって、苦しくて。
けれどさっきまでべそべそと泣いてたせいか、僕の目から涙は出なかった。
六日目以降は、ユーリ様は通常のお仕事に戻られた。
朝ご飯を一緒に食べて、その後ユーリ様はお城に。僕は温室での仕事をして、文字の勉強や飾緒づくりに取り組んだ。
匂いと味がわかるようになると、お屋敷の中もまた全然違うように見えた。
驚いたのは、テオさんの淹れてくれる紅茶が、とってもいい匂いだったこと。それと、キャンディがとっても甘かったこと。
食卓に並べられる料理はそれぞれ違う匂いがしていたこと。どれもとっても美味しいけれど、からいものは舌が痺れたようになって、僕はあんまり得意じゃなかったこと。
温室ではお花だけでなく、葉っぱや土にも匂いがあったこと。
そのひとつひとつに驚くことに忙しくて、日中は気分が紛れた。
だけど夜になって、ユーリ様と一緒に寝ているとき、ふっとこころが重くなる。
ユーリ様は今日も他のオメガのひとのところに行ってしまうのかな。
そのことを考えだすと眠れなくなって、だけど僕が起きているということをユーリ様に知られてしまうのもなんだか怖くて、僕はずっと寝たふりをして布団に丸まっている。
ユーリ様はだいたい一日置きにベッドを抜け出して、オメガのひとのところに通われているようだった。
戻ってきたときにユーリ様にくっついている匂いがいつも同じなので、たぶん、このお屋敷に住んでいるのもひとりだけなのだろう。
どんなひとなのだろうか。
そのひとは、僕と違ってちゃんと発情期のある、完璧なオメガなのかな。
発情期、というものがどういうものか、僕にはよくわからない。
でも物語に描かれているアルファとオメガは、オメガの発情期をきっかけにつがいになるし、『身もこころも結ばれる』と書かれている。
身もこころも。
体が結ばれるというのは、どういうふうなのかな。
寝るときにユーリ様はいつも両腕に僕をぎゅうっと抱きしめてくれるけれど、きっと、それとはまた違うことなのだろう。
僕は以前に見た、エミール様のうなじを思い出していた。
エミール様の白い、きれいな首。その後ろに刻まれた、歯形。
オメガは発情時に、うなじをアルファに噛まれることで、つがい関係を結ぶことができる。
そう教えてくれたのはエミール様だ。
僕の首には、黒い首輪がある。
ユーリ様のくれた首輪が。
いつかこの首輪を外して、ユーリ様が僕のうなじを噛んでくれるのだろうか。
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