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◇二章【晴天艱難】
二章……(二) 【鏡面の誰某】
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◇◇◇
高く張りのある、若い少女のような声色。
いいや、正しくその通りの存在が出した声だ。
もっと言えば、自分自身の声。
「──んくっ!」
自分の叫び声に驚き、リンリは即座に手で記憶よりも柔らかな唇を塞いだ。こんな現況で『誰か』やって来てたりでもしたら堪らないというのもあり。
勘弁して欲しい。
本人もまるで状況を飲み込めていないのに、叫び声を聞いた誰かが部屋に訪れて。正体不明の半人半獣の少女もといリンリを発見し『お前は誰だ! ここに居たリンリはどこに行った? 皆、曲者じゃ!! ここに曲者がおる!! であえであえ!』みたいなことになったら収拾がつかなくなる。
大人の男が目覚めたら、どこかで覚えがある獣の特徴を持った少女の身体になってしまっていた、なんてのは非現実が過ぎる。まぁ神様の奇跡なんてものが実在する世界で、今さらかもしれないが。
リンリは、ただただ慄くばかり。
鏡前から尻這いをして後退し、可能なだけ距離を取ったところで箪笥に背中をぶつけた。その拍子に後頭部も強打してしまい呻いてしまう始末。
「……んぐっ、痛っ~ぅ!」
これは現実か、現実なのか。知っていたさ。
痛みを伴う古典的な方法で、これが現実であるとの証明を果たした。起きがけでもそれくらいは理解していたが、リンリは明晰夢というものを経験した試しがない。夢を夢の中で夢であると認識できる器用な人間でなかったのは自明であって。
「も、も、もう一度! もう一度見よう!
すごい見間違えをしただけかも知れない!」
痛む後頭部を擦り、鏡への再接近。
小刻みに震える手で鏡の縁を掴むリンリ。
そろりと覗き込む。すると、
ずずずと顔を出した少女と、目が合った。
数秒は見詰め合い、共にいたたまれぬ表情で。
「うぐぐ。やっぱり俺だぁぁ」
鏡面の内は、先程から相も変わらず少女の姿。
慣れ親しんだ貧弱もやし男の顔では無い。
「……原型を留めていないぞっ!! 自信といっしょに付いてきた少しばかりの筋肉どこ行った!?」
鏡縁を指でなぞり、少女をまじまじと観察する。
銀と金の髪と瞳、白磁の肌、切れ長な眼、目鼻立ちの整った、作り物のように美しい少女。
「これは若返ってるのか……?」
次いで、気になった。
大人の女性というよりか、やはり少女だ。
その容姿からして齢のほどは十六、十七程度といったところだろうか。その金と銀の特有な色彩のせいもあり年齢が解り辛い。ちなみに実年齢は二十と少しだが、肉体として本当に若返っているのか、ただ若く見えるだけなのかは不明。
「身長も、ちょいと縮んでいるような……」
加えて、普通の人間ではなく。
「……んで、ファンタジーな姿だことで」
頭上の獣の耳に触れる。
他者から身体を擽られている気分だ。指から抜け出すように意識しないまま耳を動かせてしまった。
更に、滑らかな尻尾の毛に触れる。
知らない身体の部位からの感覚に息を呑んだ。
光の加減で青みを含ます白銀色の体毛。
深々と積もった雪原を、澄んだ真冬の玉桂が照らし飾っているような白銀色、それに彩られた豊かな毛皮の尻尾や獣耳を持った身体。
尻尾や獣耳は意識すれば自在に動くし、指に力を掛けると鋭利な爪が僅かだけ先に伸びる。
木材の香り、土の香り、焦げ臭さ、意識すればある程度の匂いまで嗅ぎ分けられる。ついでに鼻炎が落ち着いていて良好だ。狐? 犬科らしき特徴があるだけあり、この身体は鼻が利くらしい。
聴力は、今はちょっと解らない。視力はもともと悪くは無かったので前と変わらないか。獣っぽい瞳でも色彩の見え方は人間と同じであり安心した。
外面の姿としては、こんなものか。
無くなった喉仏の辺りを撫でてみる。
「あー、あーあ。あー! あー!
……俺の、声が、こんな変わっちゃって……」
高く澄んでいて、凛とした綺麗な声色。
「これじゃあ誰も、俺って解らないだろう。
俺が俺だって、解らない……俺自身も……」
自分が自分以外の誰某に成っているという事実は重い。親にもらった身体でなくなるなんて。
よくある『起きたら異性の身体に!?』なんて創作物では使い古された展開であるが、現実の自分の身体で体験することになるとは夢にも思わなかった。
寝巻の長襦袢の帯を踏んづける。
着せられていた長襦袢には尻尾を通す孔があり、いざ帯を緩めると簡単に脱げてしまうのだ。リンリがそんな構造を知る由も無く。垂れ下がった尻尾の動きで衣が引かれ、途端に露になる柔肌。加えて腰に巻かれていた下着さえも同時に落ちて、全身の色白できめ細かな肌を露出させてしまう。
リンリきょとんとして、ゆっくり俯く。
視線を落とし。性徴の主たる部分を直接確認。
形良き程よく膨らんだ茶碗大の双丘、頂点に位置する桜色の桜桃を瞳に納める。
「おっ、こ、こ、これ。あわわわ」
慌てて鏡に向き直ると、下半身が目に入る。
鼠径部のそこには男性的な性徴というか、突起物というか、急所というか、そんな類いの物体は、生まれた時から存在なんてして無かったかのように消失していた……。ただ女性的な、主張しない峡谷。細やかな泌尿器が存在しているだけであって。
とてつもない衝撃がリンリを襲う。
「に、逃げるのは悪くはないんだ!
現実逃避! お布団に戻って、夢オチに期待!」
一人の男として産まれ、過ごし、成長した。
いつか父親のように誰かの為になる職に着き、普通に誰かを好きになって、共に家庭を作って、子供が産まれて、忙しい日々が過ぎ、子供が独立して、いい歳になり働けなくなり、日向ぼっこでもしながら健やかに老いて一生を終える。取るに足りないけど満ち足りた平凡な人生を歩むと思っていた……。
なのに、先の一件でどうやら死にはしなかったが、何の因果かリンリという男は喪失してしまったらしい。この現実を受け入れるのには時間がかかりそうだ。
「夢オチ希望!! お休みなさい!!」
寝間着の半襦袢を着付け直し、布団に入って振り出しに戻ろうとしたところで、リンリは突然に表情をひきつらせてしまう。手の平で股の間を強く圧迫する。
「あれ? ん。うぅ。こ、これは……?」
もしかして、生理現象。
もしかしなくても生理現象。
「こりゃ、まずい、な……!
トイレに行きたくなってきた!!」
ようするに、廁に行きたくなった。
高く張りのある、若い少女のような声色。
いいや、正しくその通りの存在が出した声だ。
もっと言えば、自分自身の声。
「──んくっ!」
自分の叫び声に驚き、リンリは即座に手で記憶よりも柔らかな唇を塞いだ。こんな現況で『誰か』やって来てたりでもしたら堪らないというのもあり。
勘弁して欲しい。
本人もまるで状況を飲み込めていないのに、叫び声を聞いた誰かが部屋に訪れて。正体不明の半人半獣の少女もといリンリを発見し『お前は誰だ! ここに居たリンリはどこに行った? 皆、曲者じゃ!! ここに曲者がおる!! であえであえ!』みたいなことになったら収拾がつかなくなる。
大人の男が目覚めたら、どこかで覚えがある獣の特徴を持った少女の身体になってしまっていた、なんてのは非現実が過ぎる。まぁ神様の奇跡なんてものが実在する世界で、今さらかもしれないが。
リンリは、ただただ慄くばかり。
鏡前から尻這いをして後退し、可能なだけ距離を取ったところで箪笥に背中をぶつけた。その拍子に後頭部も強打してしまい呻いてしまう始末。
「……んぐっ、痛っ~ぅ!」
これは現実か、現実なのか。知っていたさ。
痛みを伴う古典的な方法で、これが現実であるとの証明を果たした。起きがけでもそれくらいは理解していたが、リンリは明晰夢というものを経験した試しがない。夢を夢の中で夢であると認識できる器用な人間でなかったのは自明であって。
「も、も、もう一度! もう一度見よう!
すごい見間違えをしただけかも知れない!」
痛む後頭部を擦り、鏡への再接近。
小刻みに震える手で鏡の縁を掴むリンリ。
そろりと覗き込む。すると、
ずずずと顔を出した少女と、目が合った。
数秒は見詰め合い、共にいたたまれぬ表情で。
「うぐぐ。やっぱり俺だぁぁ」
鏡面の内は、先程から相も変わらず少女の姿。
慣れ親しんだ貧弱もやし男の顔では無い。
「……原型を留めていないぞっ!! 自信といっしょに付いてきた少しばかりの筋肉どこ行った!?」
鏡縁を指でなぞり、少女をまじまじと観察する。
銀と金の髪と瞳、白磁の肌、切れ長な眼、目鼻立ちの整った、作り物のように美しい少女。
「これは若返ってるのか……?」
次いで、気になった。
大人の女性というよりか、やはり少女だ。
その容姿からして齢のほどは十六、十七程度といったところだろうか。その金と銀の特有な色彩のせいもあり年齢が解り辛い。ちなみに実年齢は二十と少しだが、肉体として本当に若返っているのか、ただ若く見えるだけなのかは不明。
「身長も、ちょいと縮んでいるような……」
加えて、普通の人間ではなく。
「……んで、ファンタジーな姿だことで」
頭上の獣の耳に触れる。
他者から身体を擽られている気分だ。指から抜け出すように意識しないまま耳を動かせてしまった。
更に、滑らかな尻尾の毛に触れる。
知らない身体の部位からの感覚に息を呑んだ。
光の加減で青みを含ます白銀色の体毛。
深々と積もった雪原を、澄んだ真冬の玉桂が照らし飾っているような白銀色、それに彩られた豊かな毛皮の尻尾や獣耳を持った身体。
尻尾や獣耳は意識すれば自在に動くし、指に力を掛けると鋭利な爪が僅かだけ先に伸びる。
木材の香り、土の香り、焦げ臭さ、意識すればある程度の匂いまで嗅ぎ分けられる。ついでに鼻炎が落ち着いていて良好だ。狐? 犬科らしき特徴があるだけあり、この身体は鼻が利くらしい。
聴力は、今はちょっと解らない。視力はもともと悪くは無かったので前と変わらないか。獣っぽい瞳でも色彩の見え方は人間と同じであり安心した。
外面の姿としては、こんなものか。
無くなった喉仏の辺りを撫でてみる。
「あー、あーあ。あー! あー!
……俺の、声が、こんな変わっちゃって……」
高く澄んでいて、凛とした綺麗な声色。
「これじゃあ誰も、俺って解らないだろう。
俺が俺だって、解らない……俺自身も……」
自分が自分以外の誰某に成っているという事実は重い。親にもらった身体でなくなるなんて。
よくある『起きたら異性の身体に!?』なんて創作物では使い古された展開であるが、現実の自分の身体で体験することになるとは夢にも思わなかった。
寝巻の長襦袢の帯を踏んづける。
着せられていた長襦袢には尻尾を通す孔があり、いざ帯を緩めると簡単に脱げてしまうのだ。リンリがそんな構造を知る由も無く。垂れ下がった尻尾の動きで衣が引かれ、途端に露になる柔肌。加えて腰に巻かれていた下着さえも同時に落ちて、全身の色白できめ細かな肌を露出させてしまう。
リンリきょとんとして、ゆっくり俯く。
視線を落とし。性徴の主たる部分を直接確認。
形良き程よく膨らんだ茶碗大の双丘、頂点に位置する桜色の桜桃を瞳に納める。
「おっ、こ、こ、これ。あわわわ」
慌てて鏡に向き直ると、下半身が目に入る。
鼠径部のそこには男性的な性徴というか、突起物というか、急所というか、そんな類いの物体は、生まれた時から存在なんてして無かったかのように消失していた……。ただ女性的な、主張しない峡谷。細やかな泌尿器が存在しているだけであって。
とてつもない衝撃がリンリを襲う。
「に、逃げるのは悪くはないんだ!
現実逃避! お布団に戻って、夢オチに期待!」
一人の男として産まれ、過ごし、成長した。
いつか父親のように誰かの為になる職に着き、普通に誰かを好きになって、共に家庭を作って、子供が産まれて、忙しい日々が過ぎ、子供が独立して、いい歳になり働けなくなり、日向ぼっこでもしながら健やかに老いて一生を終える。取るに足りないけど満ち足りた平凡な人生を歩むと思っていた……。
なのに、先の一件でどうやら死にはしなかったが、何の因果かリンリという男は喪失してしまったらしい。この現実を受け入れるのには時間がかかりそうだ。
「夢オチ希望!! お休みなさい!!」
寝間着の半襦袢を着付け直し、布団に入って振り出しに戻ろうとしたところで、リンリは突然に表情をひきつらせてしまう。手の平で股の間を強く圧迫する。
「あれ? ん。うぅ。こ、これは……?」
もしかして、生理現象。
もしかしなくても生理現象。
「こりゃ、まずい、な……!
トイレに行きたくなってきた!!」
ようするに、廁に行きたくなった。
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