統巫之番―トウフノツガイ―狐愁晴天譚

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◇一章中編【遁世日和】

一章……(十三) 【挿技】

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 ◇◇◇



 件の沙汰の締めくくりに。

「ハァハァ……戻りました」

「戻ったか。りんり、統巫屋ここは其方の居た彼土ひどと勝手が違う事も多いだろう。故に当面はサシギを其方の指導係とする。……サシギもそれで良いかな?」

「承知いたしました」

「お世話になります!」

 ──その瞬間から、リンリの居候いそうろう生活もとい使用人研修期間が始まったのだった。



 ◇◇◇



「さてと──」

 ──さて仕事を貰うにあたり、どこの職場でもやっておかなくてはならない必要事項がいくつかある。これより住み込みで働く事となったリンリにとっては取り分けて、生活基盤な建物トウフヤの中を一人で歩けるようになる事が先決だ。で、地図を受け取ったが。

「──と。方向音痴ですみません。
でも貰った間取り図を見ても、これ見ながらでも迷う可能性が。簡単には覚えられそうにないですよ。だって完全に武家屋敷的な迷路ですもんこれぇ」

 ──地図に目を落として実感する。

「とりあえず……部屋の名前と、そこの用途か目印などを教えていただきたく。なぜだか感覚で読める字と読めない字がありますし。その辺りが不思議でしかたがないです……。さっそくですがヘルプで」

 単純な仕事を教わる前に、地図を覚える前に、初歩的な識を学ぶ前に、文字が解らない。けれど“書かれた文字”の意味を“読み取る”事はできる。それが不思議でならない。文字の形の判別をすると同時に、脳内で自動的に換されるように意味を理解できるのだ。読み物をする度に一々頭の中に誰かから干渉されているようで、少し気持ち悪くもある。
 常識との乖離だ。ハクシが沙汰で教えてくれた『言葉を伝えてくれる存在トウフ』による『都合の良い翻訳』で会話ができるのと同じように、此土ここでは文字を読む際にも同様な理屈でも働くのか?

「おや……ここの帳簿に抜けが」

「サシギさん?」

 意気込んで声をかけたはいいが、サシギは書簡の束と睨めっこをしている最中であり。その仕事を中断させてしまうところだった。反省するべきだ。

 いいや。こういう場合は、むしろ遠慮するべきではないのだろう。彼女ならそう言ってくれそうだ。

 不要な反省をしたことを反省。

「あの、すいません!」

「おや。リンリ殿を放置していました。
失礼しました。私に声をかけていましたか?」

 リンリは自分の指導係の方を見遣り、

「サシギさん、質問よろしいですか?
地図、の前に『文字』についてですが」

 地図に記された文字を指差す。

「ふむ。それは、なぜ『書かれた文字が読み取れるのか』という意味の質問でしょうか?」

「はい。ここでは一般常識かも知れませんが。誰かに質問できるうちに知っておかないとと。可能ならばお教え願います。どんどん聞きたいです」

「ふむ、どんどん承知しましょう。
では僭越せんえつながらお答えいたしましょう。良いでしょうか、私達は普段は意識しませんが、文字とは言ノ葉であり言霊ことだまの宿るもの。それを統べる柱の統巫も当然いらっしゃいます。文字として存在し万人に認知にんちされ、共通の意味を持つのなら、文字という形象けいしょうが表している意や内容を『正しく理解し読み取る事』の道理どうりしきとして修得しゅうとくさえすれば、それはすなわち、転じて『込められた意味を読む事』が叶うという概括がいかつと成り得るのだと。……リンリ殿“そういうもの”でございます」

「……はい?」

 数秒ほど呆けてから、リンリは手を叩く。

「……あぁとするとなるほど。やっぱりこの世界で俺の言葉が伝わるのと同じ原理トウフの力ですか。もう、ややこしくなるから深く考えちゃいけないファンタジーな理屈とか都合として納得しておきます」

 自分リンリはそんなに賢くない。伝えられた言葉をどう噛み砕いても、脳は『意味不明』という悲しい算出結果に終始。もうその辺りは口にしたように開き直って、余分な思考を放棄した方が利口なのだろうか。
妙な例えをするが。異世界で“言葉が伝わり文字が読める”その理屈付けを長文で説明してくる物語なぞ読者は離れてしまう。といったものか。

 リンリが思考を放棄した傍ら、
 
 サシギの説明はなおも続いている。

「──便利上の記号は具体的な象徴に、抽象的な『意味を与える』ものであり。本来はそれ自体から『意味を読み取る』ものではございません。誰かに『意味を与えられた』記号は、他者が『意味を受け取る事』が可能な文字であるという見解もできますが。文字とのその線引き、それは明らかもの。元々、文字とは大衆的な認知がされてこそ始めて成り立つものです。言霊を統べる統巫達は、あくまで万人の共通の認知を無意識下で共有し繋ぐものであります故。つまり要するに、ですね──ふふっ。必要でしたら、もう少しだけ踏み込んでお話しましょうか?」

「……えっと」

 しまった。困った。説明というか。いつのまにやら高等な講義に発展しているではないか……。

「──質問しておいてなんですが。
あの、すいません。俺、もうぜんぜん理解が追い付かないです。というか、アレですね。わざとめちゃくちゃ難しい言い回しをして、俺のたいして良くもない性能のオツムを試していませんか? だとしたら酷い指導官ですね。お伝えしておきますが、我慢してない素の俺は打たれ弱いんで簡単に泣きますよ?」

「ふふふ、滅相もございません。
ただ、此土での大衆的な知識を持たないものの、ある程度の水準には達した教養を持つ存在というのが興味深く。つい悪戯をしてみたく……おっと、ではなく。人にものを教える際に、必要以上に話し込んでしまうのは私の悪い癖でございます。お気を悪くしてしまったのなら失礼いたしました」

「本音が漏れ漏れですねぇ?!」

 サシギはキリッとしている顔を崩し、悪戯がバレた少女のように口に手を当てて微笑む。見た目から堅物かと思いきや、やはり冗談などお好きなようで。
 このくらいの距離感と、気兼ねの無い会話ができる人物はリンリにとって好みだ。純粋に尊敬と親しみの感情で付き合える。過去に出会った初対面で高圧的で殴ってくる上司や、人を軽んじて家庭の事情に唾を吐いてくる上司やらを知っている身としては、比較するのも申し訳ない程に彼女は理想的な上司であると言えた。

「いや、まぁ俺も逆の立場なら。突如として“私有地内に全裸で現れた変態蛮族”みたいなヤツが、急に『ここで働きます』って自分の部下になったみたいなもんで。そのシチュは色々と思うところあるだろうから。ハハッ……まったく気にしませんけども」

「ふふ……褌野郎。ふふふ」

「『褌野郎』まだ引っ張ります? それ?
くぅーやはり初対面の印象は尾を引くかぁ」

「ふふ、冗談です。それでは次に──」

 サシギは木卓に広げた先程の間取り図、トウフヤ内の図をリンリに見易いよう寄せて。その甲まで鱗の生えた手を動かし、次々と紙に描かれた間取りを説明して行く。

「ここが釣殿つりどの。ここが対屋たいのや。ここは浴場。これが寝殿しんでん。寝殿には母屋とひさしがあり、注意点として母屋ではハクシ様が無防備むぼうびなお姿で過ごしている可能性がございますので、普段の立ち入りは極力ご遠慮下さいませ。ここまでで、何か質問はございますか?」

「無防備な姿?」

「はい、無防備なお姿です。様々な意味で。
……次に寝殿後方のこちらが雑舎ぞうしゃ、私達使従の私室がございます。こちらは立ち入りに関しては問題ありませんが、立ち入る以上は全て『自己責任』でお願いいたします」

「えと『自己責任』ですか?」

「──何者か、とまでは存じませんが。定期的な爆発や、悪酔いのウワバミ、半裸の巨漢などと遭遇するやも知れませぬ。そういった場合の身の安全は保証できかねます。よって全てが自己責任です。とはいえリンリ殿は沙汰の場でもう全員とは会っておりますが」

「いや、それ誰だか存じ上げてますよね?
正体不明じゃないですよね……?」

 サシギはどうにも遠い目をして、若干の苦笑。

「後ろ二つはともかく、爆発ってのは?
ガスとか通ってなさそうだし、純和風建築で爆発は無いでしょうに。サシギさん、また妙な冗談を。実は結構冗談とか好きなタイプですか」

「冗談……。えぇ、冗談でございます。……そう取ってもらっても構いません。まぁ、そのうちに慣れるものだろうと存じますが……」

 言葉に引っ掛かりがある。
沙汰の席で、座布団が空を舞うという奇妙な光景がリンリの脳裏をチラつく。

「えっと……ハクシ様の従者の人達。
個性的な方々なんですね?」

「個性的。ええ、その通りです。
四方……使従が皆、傑出傑士で素晴らしい者達でありますが、いかんせん一人ひとりの癖が強く。なにぶん繊細で気難しい者や、二面性を持つ者、強面の巨漢といった曲者揃いであります故に──」

 サシギは困った顔で息を吐く。

「──彼らの人柄を深く知らぬうちは、ご注意を。私の目が届かないところで、あるいはリンリ殿が不快な思いを抱いたり、彼らに対して誤解をしてしまったりするかもしれませぬ。私の個人的な懸念から、そういった意味での自己責任でございます」

「留意します」

「この場だけの、お恥ずかしい話。
私自身も未だ先代の【サシギ】には程遠い身。人望も人徳も足りぬ、至らぬ身であり。修行中でございます。正直なところ先達の彼ら三人との間に、まだまだ隔たりすら感じている次第でありますので」


「ん。サシギさんの名前って、襲名制なんですか?
というかつまり年功的にはここで一番若いと。皆さんからとても信頼されている様子でしたし。沙汰の場ではいかにも纏め役のようでしたが。……すいません。失礼かも知れないけど、それはすごく意外な」

 話の腰を折ってしまうようだが、
つい思った事を口に出してしまった。

「ふふ。それは、私が里集落の出であるから。
そして、こちら統巫屋で系統導巫に仕えるため育てられた“御里の出身”である“私は別”として。他の使従四方の彼らが皆、生まれは違えど『使従に選ばれるに足る故』があった。その辺りをリンリ殿には重ねて留意していただきたいのです──」

「可能な限りで、相手に配慮します」

「…………」

 サシギが黙ってしまった。
これは藪蛇だったかも知れない。

「『余計な真似はするな』そういう意味なら、そうしっかり言ってもらえるなら俺は、そのように」

「……いえ、とんでもありませぬ。
思えばこれは、どちらかというと私の抱える課題でございました。ここまでのように相手に対してさり気なく配慮できるリンリ殿ならば、えぇ別段心配はいらないと存じます。特別に気を負わず、自然体で彼らと付き合えれば十分にここに馴染めるでしょう。ふふふ」

 そこまで話すと襖が少し開き、知らない声。襖の先に居たのは黒髪の顔立ちがサシギとやや似た女性。彼女はサシギを呼びに来たようであった。

 サシギは「少々お待ちを」と言い残し、女性と共に退室する。それで部屋に一人残されるリンリ。

 …………。

「……今の女の人は、使用人の人かな?
今まで見かけなかったけども。ハクシに仕えてる人間は使従の人以外でもちゃんと居るって事か。それはそうか。使用人用の宿舎があったって話と、里? 集落ってとこの話の流れや、こんな広い屋敷の管理とかを考えるとそりゃ居るんだろうけど……」

 これは、ただの独り言だ。

「──サシギさん、使従っていうのは?」

 しかし、単なる独り言のままでは終わらせたくない本心もある。直接尋ねるのこそ憚られるが、使従という存在の“彼ら”について知っておかないといけない気がした。

 サシギ。笑い上戸な部分といい、冗談が好きそうな部分といい、同僚への悩みといい。今更ながら、リンリが抱いた第一印象とは随分と違いのある女性。

 そして、サシギとの会話で──。
使従という存在へ抱いた形容し難い感情。

 リンリ自身は沙汰の場で、ハクシと彼らを家族のような主従関係と例えたものの。そう簡単な関係性でもないようだと認識を改める。ハクシは、彼らを使用人や従者という認知で構わないと言っていたが、或いは自身の【眷属】とも言い表した。その言葉の意味は?

 曰く『しじゅうは、えらばれれば一生をかけてけいとうどうふに仕え、守り、従う──』
あの幼い少女、ココミの溢した台詞。一度その存在として選らばれれば『一生をかけて仕える』とは童女が口にしたにしてはなんとも仰々しい言葉であって。

 さらに『使従に選ばれるにゆえ』とはどういう意味合いなのか。
 そういった形で選ばれた者と『系統導巫ハクシに仕えるために育てられたサシギ』との違いとは? 選ばれるとは、何者に? どうやって選ばれる? 本人達は望んで選ばれた? 様々な疑問は尽きない。

「うーんそうだなぁ」

 ──統巫屋ここで過ごす以上は、自分なりに関わっておかないといけないのは確実だ。今までは、自分に精一杯で疎かにしていたけれど。でも人は周りの人間と関わりながら生きるものであって、それは置き去りにできない事柄。本来、人は一人で生きられない。だからこそ、それを『する必要性が有る』と一人で頷いておくリンリ。
 となると、新しい職場での必要事項が一つ明確になったわけだ──。

「……別に『するな』と言われ、止められたわけじゃないしな。余計な真似でもないと。ただ全て俺の自己責任なだけで……。なら、ここはいっちょ」

 ──自己責任での挨拶周り、か。



 ◇◇◇
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