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◇一章中編【遁世日和】
一章……(ニ十五)【毛繕】
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◇◇◇
──暦上での秋季、末の時節だ。
日輪は一段と低くなり。もう薄着では寒さに身を震わせてしまう今日この頃。季節の移り変わりを現すように、木々は葉を落とし、獣は実りを蓄え姿を消し、渡り鳥は遠方へ旅立って行った。
辺りに満ちていた命の息吹は、直ぐそこまで迫った冬季を迎える為に鳴りを潜めてしまい。色ずいていた景色の色彩、色相、色調が、自然が織り成す色香と音色が、今や寂しく色褪せてしまった……。
……然れども人々に、過ぎ去りゆく、移り変わりゆく季節へ惜別などの情を抱いている暇は無し。曰く、この頃が年でも一段の忙中、その最中。
忙しさの所以は、訪れる冬季への“備えや蓄え”は勿論の事なり。それに加えて、此処が統巫屋であるからこそ、人々が今この刻を生きているからこそ催すべき慣わしあり。供えるべき慣わしあり。
即ち、本日の統巫屋は、普段とは異なる殷賑な空気に満ちている。といったところか──。
物思いに更っていた思考を戻して、
「──よぉし、ハクシ様! 次が出番だっ!
頑張ってください! 行ける行ける!」
リンリは声を弾ませ、そう言葉をかける。
気が付けば、少し離れた場所より民俗歌謡な女性達の唄声が響いてくる。その唄声に続いて鳴り出す手拍子とともに、敷地内の高所に灯される焔。
設営された立派な燭台に篝火が灯った。
事前に説明を受けていた通りの進行の流れだ。
これは、そろそろ、
「一番の盛り上がり時だな! うおー!!
俺も盛り上がって行こう! ほらハクシ様!」
神事は佳境に至ろうとしている。
「…………ぅ」
「あれ、ハクシ……さま?」
垂れ下げられた帳の向こう、梯子の先。
今回の為に特設された櫓舞台を見遣ってから、今まさに舞台に向かうはずの彼女、羽衣に半身が包まっている彼女に再度の声をかけるリンリ。
「あぅ」
ハクシは肩を跳ねさせて小さく鳴き声を洩らし、瞳を泳がせてから蒼い顔で硬直した。
「ハクシ……おーい」
「あ、案ずるにゃ。我は大丈夫だとみょ……」
硬直しながら、小刻みに振動する彼女。
カチカチ、ガタガタ、かみかみの状態異常。
わかりやすく『緊張』していらっしゃる。
「こりゃ……案ずる要素しかないぞぉ」
リンリは苦笑いし、どうすればハクシの緊張を解せるかと頭を捻るのだった。
いやいや。とにもかくにも、もう次にハクシの出番が来てしまっている。舞台を囲む皆から、唄と手拍子で登場を催促されているという現状であって。あまり舞台上を空けておけないので、急いで事を進めねばなるまい。さて困った困った。
──ハクシの全身が、羽衣で形作られた白い毬玉に包まれて行く。見ているうちに、その顔まで隠れてしまったではないか。
「かくにゃる上は、我はこのまま……!」
「いや、待て待てっ! ステージに謎のボールが現れた皆はどう反応すりゃ良いんだっ!?」
しかし使命感や責任感からか、ハクシはそんな丸い毬玉状態で、舞台に跳ねて転がって向かおうとするのだから少々無謀である。
それが観客の意表を突く為の“登場演出”ならば構わないかも知れないが、ぶっつけ本番で台本にない演出なぞ、今のハクシに求められない。
慌てて彼女に「待った」をかけた。
…………。
簡単に現在の状況をまとめるとしよう。
今日は年に三度の神事、それも三度のうち最も盛大な神事の日であり。ここ統巫屋をあげて様々な催しを執り行い、その最後、大取りにハクシが『神様へ捧げる神楽』であり『命達を尊ぶ契り』にして『先祖供養』の意味合いもある特別な舞踊を披露する。……披露しようとしているところ。
そう、これから披露しなくてはいけない。
だけども彼女は、本番に“壊滅的に弱い”ご様子で斯様にとっても緊張している。はたして、このままの状態で『舞台に送って良いものか?』心配。
或いは、逆に“本番に強い”リンリが『代役』として代わってあげられるなら、そうしてあげたい気分で。しかし本日の儀は、神様の『代行』であり、その神様に仕える『巫女』としての側面も持つ彼女でなければならない神事なのだ。
神様の『代行』の『代役』という、ややこしいものは同様の『巫女』のみ許されているという。
理由が有り、どうしても系統導巫が舞えない場合は別の統巫を呼んで『舞ってもらう』年もあるにはあるらしいけども。今回は呼んでいない。付き合いの有る“近場”の統巫を客として呼んだが、そちらも来られなかったそう。つまり代役は居ない。
たとえ此土が逆転したって、リンリは神事の資格有る巫女には、銀髪金眼の獣っ娘の巫女には成れないから。申し訳ないが、代理人たり得ないのだ……。
「どうする、どうすれば、どうしようか?」
焦ってはいないが、余裕は無い。
裏方の『現場進行係』兼『出番を控えている者の補佐役』を推薦され、買って出たものの。彼土の世界での似た職業経験から、ここまではそつなく進行できたものの。最後の最後で困ってしまう事態。自分には荷が重かったのだろうか。
「ここは、なんとか機転を利かせられれば……」
リンリが、どうしたものかと唸っていると、
──そこで背後より肩を叩かれる。
「オイオイ、お前さん。そういう時はよォ、どうしろって言ったか忘れちまったか……あァ? 困難にぶち当たった男が口に出すのは、何だ? 言ってみろ」
「ケンタイさん? これは俺が困難に陥ってるかどうかな状況ですが。はい、困ってはいますね……」
そうだ。一人で解決できないのならば、
「助けて下さい! ヘルプです!」
こう言えば、良い。そう学び直した。
気負い、気兼ね、気構え、気後れ、気取り。
つまらない意地や自尊や弱さで、リンリが選択することができなくなっていた『誰かを頼る』こと。
もう迷わずに言える。勇気を持って発せた。
「──ガハハハッ! 待ってたぞォ!!
オイいいかァリンリ。このオヤジが時間を稼ぐ。
……その間によォ、お前さんは、その固まっちまってるハクシの事を頼んだって話だなァ!!」
願ってもない、頼もしい人物の声。
「──ケンタイさんっ!! って、痛ッ!」
ケンタイの申し出に声をあげると同時、リンリは何かに後頭部を強打した。地味に痛い。
何にぶつかったのかと思えば、背後より歩を進めてきた褌一丁姿の男、ケンタイが肩で担ぐ丸太であった。何故そんな姿で丸太を。唖然と同時に疑問。
「────」
絶句するリンリを尻目に、彼は不敵に笑う。
「あの、ケンタイさん……? それで、いったいどう時間を稼ぐのか非常に気になるんですが……」
「はぁ? 見りゃわかんだろォが?」
「解んないです」
「まぁつべこべ言わず、オヤジに任せてろォ!
これからァ、四半刻までだったら稼いでやる!」
ケンタイは自身の鉢巻きをしめると。
リンリに拳を突き出してから、進み始めた。
彼からはそれ以上、言葉として返答はなく。
人間の身の丈から倍ほどはあるであろう『丸太』を担いだ褌姿の強面巨漢が、片手で櫓への梯子を上って行き、舞台場に向かう様子を見送る事になるリンリ。
「うおォォ──!!」
舞台に足を着けたケンタイは、雄叫びをあげて気合いでも入れたようだ。
「なんだ、アレ……?」
それが済むと、担いだ丸太を両手で回転させ始めたではないか……。
リンリの居る所まで、ぶんぶんと丸太が空を切る音が届いてくる。ただ丸太を『回転させているだけ』とは侮れない。丸太の重量もさることながら、空中でぐるんぐるんと上手く操っている。実際とんでもない力量と技術が必要だろう。
予期せぬケンタイの登場。そして彼が唐突に始めた『場違い』で、祭の『主旨』が変わってしまいそうな奇行。周囲の者達は唄と手拍子を止めて、何とも言い表せない困惑のざわつき。
「──彼ノ者よォ、先人達よォ、周く命よォ!
系統導巫の舞の前に、オヤジなりの形で、感謝と熱気を供物として捧げ奉ろうじゃねェかァ!!」
──しかし、ケンタイが叫び。己が行動の意図するものを吠えれば、周囲のざわつきは止み、渦巻いていた困惑は別のモノへと転じる。
行動に意図は有れど、厳格な神事の舞台。
その舞台に無断で上がって、勝手に彼が始めた行動を果たして『受け入れる』べきか否か、周囲の皆は判断しかねているのだろう。きっとそうだ。
「なんだ、アレ……?!」
中に火種の仕込みでもあったのか、ケンタイは高速回転させている丸太を回しながら篝火で炙る。するとどうだろうか、徐々に丸太のくり貫かれた赤身部分から煙が立ち上り。それは火になり、メラメラと強い炎へと成長していくではないか。
焔がうねり、火の粉が散り、煙が渦を巻く。
さながら一つの生命が生まれ、身をうねらせて成長して行き、その命の輝きを散らしながら、天へ登り昇華される龍が身の如く。
言い過ぎでなければ、深い『感銘』さえ受ける。荒々しくも、美しい。いと素晴らしい舞だ。
「──オイッ! たくッ、よォ!
乗りが悪ィぞォ! オヤジが一人で落莫やってるだけじゃ、彼ノ者も先人達も興が冷めちまうってもんだろうがよ。見てねェで声を挙げろや、嫌ならせめて手拍子でもしてくれや。神事ってのは、己が意志で、己が意気で、己が意欲で参加するのが醍醐味って奴だ。違うかァ野郎共!!」
ケンタイがまた叫ぶ。
その頃には周囲の筋肉野郎共から応援に近い喚声があがり、ケンタイは『ニヤリ』と不敵な感じに笑い、駆り立てられたようにより勢いを乗せた。つられて筋肉野郎以外の者達も湧き、思い思いの激昂を送り、それより更に増してケンタイに引き付けられて行く。
何時の間にか、場は緊張感と高揚の熱気が支配するようになっていた。一人の漢によって、厳かで荘重な祭りは一転、荒々しく激しい形に様変わり。周囲は完全にケンタイの作り出した雰囲気に引き込まれ、包まれてしまっている。
──まぁ『静かに巫女が舞う』前哨……?
前座として『神輿が暴れる』祭りもあるだろう。
参加している人達に異論は無いならば、これはこれで問題はなさそうだ。
「むしろ良い感じの演出になってるな」
──ある程度するとケンタイは、ただその場で丸太を回転するだけに留まらず。脇で丸太を挟み、左右に激しく反復運動をしてみたり。肩と後ろ腕で丸太を挟み、重量挙げの要領で丸太を掲げて保持してみたり。丸太を武器に見立てて、虚空の相手と闘ってみたり。常人ではなかなか真似できない高度な伎芸の領域へと踏み込んで行く。
卓越した即興の漢舞。周囲も乗って、そちらも即興での力強い歌謡が唄われ始めた。太鼓や笛、弦楽器の演奏まで続く。予想外の大盛り上がりではないか。
「……あぁ、すごいな。本当にすごい。
やっぱりケンタイさんは真面目にしてて、ちゃんと格好いい時は心から憧れられるな」
まだ統巫屋で皆と出会ってから一月と少しの関係性でも、ケンタイには何度も助けられた。サシギとは違う方向性で学ばせてもらった。
住み込みをしている中で二人だけの男ということもあり、ある意味では最も気兼ね無く付き合える面もあり。心から信頼も尊敬もしている。可能な限りでずっと、ここでの師匠であり、また父親のような立ち位置でいて欲しい。
彼が助けに来てくれて、本当に良かった。
◇◇◇
ということで、
「──ケンタイさんのおかげで、少しだけ時間に猶予ができた……ところだけど。ハクシ様?」
「あぅ」
「今の状態で、舞踊できそうかな……?」
顔だけ出して、ほぼ毬玉のハクシ。
リンリは姿勢を低くして、彼女に向き合う。
「こ、この姿のままで……。
我は、斬新な舞踊を披露するとしよう!」
「いや、ははっ、もうそれ舞踊じゃないって。
サーカスの曲芸みたいになるって」
「──あぅ冗談だ。なにょも案ずる事はにゃい。
だ、だ、大丈夫だもにょ! 其方は、我の言ノ葉を、七割程度は信用してくれて構わぬ……かな? い否、やはり六割程度で手を打って欲しいかみゃ……ゆ、故に、心配しないで!」
「かみかみが悪化してる。お前は猫かっ!
あと無駄に正直な分。信用して良いのか、信用できないのか判断に困る……。これは対策会議だ」
ここは急いで対策会議だ。議題は『ハクシの緊張をなんとかしよう』みたいな感じで。
「緊張を和らげるには『心を落ち着けよう』っても、言うだけなら簡単だよなぁ。俺は可能な限りサポートをする所存ではあるけど……」
「あぅ」
「じゃあベタな手段でも一つどうだろ。
とりあえず目を閉じて、深く呼吸してみるとか。
それだけでも少し落ち着けたり、何かを閃いたりするかも知れないぞ?」
「そう? やってみる……!」
…………。
瞳を閉じて思考して、思い付いたのか。
暫し後に、遠慮気味に目蓋と口を開くハクシ。
「……にゃらば……うん。ならば一つ、其方は頼まれてくれぬだろうか。我に……えっとね、我がもっとも落ち着ける事をりんりにして欲しいの……」
まったく、甘えたような声で言うではないか。
獣耳を伏せ、上目遣いで、頬を染めて。今のリンリに理性が足りてなければ、近所の猫にしていたようにめちゃくちゃ撫で回していただろう。
「うんと、俺は何をすれば良いんだ?」
身振りで『ご相談どうぞ』と言葉を促す。
するとハクシは、羽衣の結びを解いて腕を出した。自分に伸びてきた彼女の白くて小さな腕の中には、何やら“平たく細長い何か”が握られている。
「これを、して欲しいなぁ……」
「ほうほぅ。任された!」
受け取った“それ”を見る。漆塗りに、白い獣の絵と複雑な金色の紋様の装飾が施された、細長く板状の幾つもの切れ込みが入った物品。こりゃ櫛だ。すごく高級感の漂う櫛だ。
「あぁ櫛か」
「是だ。我はあまり他者に、これを委ねるのも憚ってしまう故に、普段はサシギにだけしてもらっているにょだが……。今回は特例とする。其方にこれを所望しよう……でも、くれぐれも優しくね?」
「よし、わかった。俺は『優しく』御髪を梳けば良いんだな。お安い御用だ!」
ぜんぜん構わない。ハクシがそれで落ち着けるというのならばと、リンリは櫛を構えた。
「──否、髪ではない。髪はもう整えてきている。
……髪じゃなくて。あのね、こっち……」
「どっち?」
ハクシは羽織を脱ぎ、装束の帯を緩めだす。
「うおっ! ちょハクシさまっ!?」
──予告無く。何故に、彼女は脱ぎ始めた?
そんなことをするものだから、装束の前が開けて腿の部分と下着が『チラリ』見えてしまい。リンリは焦ってしまう。既に事故でハクシの裸姿を見ているが、ソレとコレとではわけが違う。
本人も恥ずかしいようで、先ほどにも増して顔に赤みが差してしまっていた。
そうして彼女は、臀部からのびる自身の尻尾をお腹の前で抱えると近付いてくるのだ。
「りんり、あぐらを組んで座って?」
「えーと、えーと? はい」
リンリは肩を掴まれて。ハクシに『任された』と告げた手前で拒否もできず座らされてしまい。
その組んだあぐらの上に、彼女が座った。
「…………」
銀色の御髪が、リンリの鼻の高さにくる。香油だろう微かに甘い良い匂いがした。揺れる獣耳が頬を掠めてこそばゆい。遅れて『何をしているか』実感がきて、櫛を握った掌が震えてしまう。
強く触ったら壊れてしまいそうな身体。冒してはならない存在。恩人にして、ここの主にして、神様の巫女たる、人ならざる美しい少女。彼女の身が、自分のあぐらの上に乗っかっている。
リンリは『被り物をして怪人と闘う役』の興行な仕事の経験から小さな子供と触れ合う場面はそこそこ有ったが、年頃の少女と斯様な形で密着した経験は終ぞ覚えが無い身。
装束の上からでもわかる彼女の柔らかく小振りな臀部が、不覚にも自分の男性的な性徴に触れ。生理現象的な存在の凸主張が起こり、動悸と冷や汗が止まらない。巫女に『何を』触れさせてしまっているのかと、自責の念で涙が出た。
純粋無垢な娘で困る。恥じらいは有っても、それ以上の発想は抜け落ちか。或いは一度心を許せば、容易に身を委ねてしまうのか。自分も一応は男なのだから、ハクシにはある程度は警戒心を持ったままでいて欲しい。主にリンリの精神的保全の為に。
いや何故、こうなったのかと……。
「………………」
「りんりぃ? わ、我の尾を梳いて……?」
「……ぁあ、そういう事だよなコレは。
尻尾のブラッシング……手入れ的なアレか!」
ずいぶんな時間差で理解した。
櫛を通すのは『髪』でなく『尻尾』かと。
「尻尾ね。尻尾か。尻尾は──」
獣耳に触れるのとは難易度が段違い。でも、
もう『任された』からには、やるっきゃない。何もやましい事は無いのだ。頼まれたのだし、これは全てハクシのための善意だ。獣耳の時のような他意を抱かず、雑念が沸かないように食い縛る。
生理現象な凸主張は、そのままでは誤魔化し切れないので。腰を落とし、組んだ足を僅かに地面から浮かせることで彼女から離した。こんな場面で、鍛えた腹筋が役に立つとは。
「は、ハクシ様。時間も押している感じだから。
これより失礼して。さ、触りまーす!」
「う、うん」
「……触りまーすっ!!」
無理な姿勢と、精神的な負担の二重苦。
悟られぬように、力強く『おさわり』の宣言。
櫛を置いて。恐る恐る、先ずは素手で。彼女の臀部から生える銀色の尻尾に触れるリンリ。
「あぅ……」
「──抱き枕とかにしたい」
触ってみたら、我慢ならず口から『欲望』とか『邪念』の類いが漏れ出てしまった……。
あぁ、やはり素晴らしい毛並み。具体的な触り心地は獣耳に触った際に近しいもの故に、リンリの脳内で割愛するが。もう本当に、何もかも投げ出していつまでも撫でていたいし、揉んでいたい気分であった。
ふにふに、ふさふさ、もふもふ。
ふにふに、ふさふさ、もふもふ。
自分の腹筋がピキピキ、メキメキ。
自分の精神もバキバキ、ベキベキ。
これは、あまり堪能していてはいけない。
咳払いをして誤魔化し、置いていた櫛を取る。
「……じゃあ、入れるぞ?」
「あっ──!」
ハクシの尻尾に櫛を入れる。
「──あっ、だめっ、うぅー!!」
「頼むから、変な声出さないでくれ……!」
神事の舞踊の前に何をやっているのか……。
◇◇◇
──然るにハクシの舞踊は見事なものであった。
彼女は舞台場に上がる直前まで、あれ程に緊張していたというのに……。
リンリの行った『毛繕い』は虚しく。いや、それどころか状況をより悪化させてしまった。毛繕いを終えたハクシは湯気でも出そうに上気した顔で、足取りも覚束なくなってしまい。
全身全霊をかけて櫛を扱ってみたところ、どうにも“やりすぎた”らしいと反省するリンリ。
あわや舞踊は失敗かと危惧するも、直前になって彼女から『着付けを直すから一人にして』と控えの部屋を追い出されてしまい。
──そして、ハクシは『舞踊を見て欲しい』と。
『我が、ハクシとして舞う踊りを』リンリにも『意味の有ったモノ』にして欲しいと。背中を押されて退室させられてしまった。
神様や、先祖達や、周りの命達に捧げるのと同じ位に。身近な『誰かのために』と汲み、想い願って舞踊をするのならば。きっと『我は、その方が上手くできるから。故に大丈夫だよ』と。振り返ると、まだ赤みの残る優しい笑顔で告げられた。
此土にとっては、ハクシの舞踊は、刹那にも満たない刻の間の煌めきで。統巫屋でのリンリの日和も、世界の大きな流れからしてみれば、さしてかわらぬ刻の間の輝きで。故にこそ、それを尊び、掛け替えのない想いとして遺せるのが人の情──。
いずれ冬を越した先に、ハクシは系統導巫として大人になるための『旅立ち』を控えており。ハクシと使従の皆とは、お別れが来るのだと聞く。
統巫屋に一人残されて、リンリの寿命がどれほど保つかは未知数であるが。皆とは、それっきりの終《つい》のお別れとなる可能性もある。
──怖い。悲しい。辛い。
でも、受け入れる。だって、もう……。
「…………」
宣言通りに四半刻『丸太踊り』で時間を稼いでくれたケンタイ。彼が舞台から去るのと入れ替わりに、ハクシは金色の龍の面を被り、小刀を携え、羽衣をはためかせて現れた。
「……見てるよ。俺は、見てる」
羽衣は、はためいて輝く。輝きで空中に水面の波紋のような紋様を浮かび上がらせながら、ハクシの周りを円形になって回り出す。
彼女は片足を軸として、もう片方の足と小刀で半弧を描き、そこから振り付けられた様々な動作を繋げて舞って、追従する羽衣の光の軌跡を結う。一連の流れを繰り返し、時間を掛けて、この世界を廻る『大いなる流れ』の螺旋波紋を空に描き表して、彼ノ者に捧げるのだ。
描かれるものが完成に近付くということは、終わりに近付いているということ。
舞踊を見ていたら、涙が出てきた。
終わってほしくない、けれどもう、十分だ。
こみ上げたものに蓋をする必要性は、無い。
自分の感情は、もう包み隠さず容認するとも。
「……絶対に忘れない。覚えてるさ。
この舞踊を、統巫屋でのことを、皆のことを絶対に。俺はここで、精一杯に輝いて活きたんだってことを、忘れない……!」
別に、直ぐに死ぬわけではない。明日にお別れが来るわけでもない。でも、もう満足した。
十分過ぎる程に、貰ってしまった。死という定めは見据えている。心構えはできた。
「──お主よ、集落の者に紛れて、そこで何をサボっておるのじゃー! 大取りに合わせて儂特性の花火を上げるから手伝わんかっ!」
その花火は大丈夫なのか?
「お兄ちゃん、ココミでさえ、たぼーなのに。
任された仕事が終ったからって、のんきに見物とは良いご身分だね~? 花火と一緒に打ち上げる?」
相変わらずの毒吐き童女だ。
……何かを感じて振り返り、前に向き直る。
リンリは二人の呼び掛けに目元を擦り、応えた。
「──あぁ、今行くからっ!」
──統巫屋の空に、見事な花火が咲き。
惜しまれつつも、夜闇へ散って、消えた。
形としては何も残らない。けれど、何かは絶対に残るのだ。花火が夜空に消えるまでの間、どれほど綺麗に輝いていたのかを。皆は心の中に残し続ける。
人の輝きも同じだ。人は人の中で生き続ける。
◇◇◇
──暦上での秋季、末の時節だ。
日輪は一段と低くなり。もう薄着では寒さに身を震わせてしまう今日この頃。季節の移り変わりを現すように、木々は葉を落とし、獣は実りを蓄え姿を消し、渡り鳥は遠方へ旅立って行った。
辺りに満ちていた命の息吹は、直ぐそこまで迫った冬季を迎える為に鳴りを潜めてしまい。色ずいていた景色の色彩、色相、色調が、自然が織り成す色香と音色が、今や寂しく色褪せてしまった……。
……然れども人々に、過ぎ去りゆく、移り変わりゆく季節へ惜別などの情を抱いている暇は無し。曰く、この頃が年でも一段の忙中、その最中。
忙しさの所以は、訪れる冬季への“備えや蓄え”は勿論の事なり。それに加えて、此処が統巫屋であるからこそ、人々が今この刻を生きているからこそ催すべき慣わしあり。供えるべき慣わしあり。
即ち、本日の統巫屋は、普段とは異なる殷賑な空気に満ちている。といったところか──。
物思いに更っていた思考を戻して、
「──よぉし、ハクシ様! 次が出番だっ!
頑張ってください! 行ける行ける!」
リンリは声を弾ませ、そう言葉をかける。
気が付けば、少し離れた場所より民俗歌謡な女性達の唄声が響いてくる。その唄声に続いて鳴り出す手拍子とともに、敷地内の高所に灯される焔。
設営された立派な燭台に篝火が灯った。
事前に説明を受けていた通りの進行の流れだ。
これは、そろそろ、
「一番の盛り上がり時だな! うおー!!
俺も盛り上がって行こう! ほらハクシ様!」
神事は佳境に至ろうとしている。
「…………ぅ」
「あれ、ハクシ……さま?」
垂れ下げられた帳の向こう、梯子の先。
今回の為に特設された櫓舞台を見遣ってから、今まさに舞台に向かうはずの彼女、羽衣に半身が包まっている彼女に再度の声をかけるリンリ。
「あぅ」
ハクシは肩を跳ねさせて小さく鳴き声を洩らし、瞳を泳がせてから蒼い顔で硬直した。
「ハクシ……おーい」
「あ、案ずるにゃ。我は大丈夫だとみょ……」
硬直しながら、小刻みに振動する彼女。
カチカチ、ガタガタ、かみかみの状態異常。
わかりやすく『緊張』していらっしゃる。
「こりゃ……案ずる要素しかないぞぉ」
リンリは苦笑いし、どうすればハクシの緊張を解せるかと頭を捻るのだった。
いやいや。とにもかくにも、もう次にハクシの出番が来てしまっている。舞台を囲む皆から、唄と手拍子で登場を催促されているという現状であって。あまり舞台上を空けておけないので、急いで事を進めねばなるまい。さて困った困った。
──ハクシの全身が、羽衣で形作られた白い毬玉に包まれて行く。見ているうちに、その顔まで隠れてしまったではないか。
「かくにゃる上は、我はこのまま……!」
「いや、待て待てっ! ステージに謎のボールが現れた皆はどう反応すりゃ良いんだっ!?」
しかし使命感や責任感からか、ハクシはそんな丸い毬玉状態で、舞台に跳ねて転がって向かおうとするのだから少々無謀である。
それが観客の意表を突く為の“登場演出”ならば構わないかも知れないが、ぶっつけ本番で台本にない演出なぞ、今のハクシに求められない。
慌てて彼女に「待った」をかけた。
…………。
簡単に現在の状況をまとめるとしよう。
今日は年に三度の神事、それも三度のうち最も盛大な神事の日であり。ここ統巫屋をあげて様々な催しを執り行い、その最後、大取りにハクシが『神様へ捧げる神楽』であり『命達を尊ぶ契り』にして『先祖供養』の意味合いもある特別な舞踊を披露する。……披露しようとしているところ。
そう、これから披露しなくてはいけない。
だけども彼女は、本番に“壊滅的に弱い”ご様子で斯様にとっても緊張している。はたして、このままの状態で『舞台に送って良いものか?』心配。
或いは、逆に“本番に強い”リンリが『代役』として代わってあげられるなら、そうしてあげたい気分で。しかし本日の儀は、神様の『代行』であり、その神様に仕える『巫女』としての側面も持つ彼女でなければならない神事なのだ。
神様の『代行』の『代役』という、ややこしいものは同様の『巫女』のみ許されているという。
理由が有り、どうしても系統導巫が舞えない場合は別の統巫を呼んで『舞ってもらう』年もあるにはあるらしいけども。今回は呼んでいない。付き合いの有る“近場”の統巫を客として呼んだが、そちらも来られなかったそう。つまり代役は居ない。
たとえ此土が逆転したって、リンリは神事の資格有る巫女には、銀髪金眼の獣っ娘の巫女には成れないから。申し訳ないが、代理人たり得ないのだ……。
「どうする、どうすれば、どうしようか?」
焦ってはいないが、余裕は無い。
裏方の『現場進行係』兼『出番を控えている者の補佐役』を推薦され、買って出たものの。彼土の世界での似た職業経験から、ここまではそつなく進行できたものの。最後の最後で困ってしまう事態。自分には荷が重かったのだろうか。
「ここは、なんとか機転を利かせられれば……」
リンリが、どうしたものかと唸っていると、
──そこで背後より肩を叩かれる。
「オイオイ、お前さん。そういう時はよォ、どうしろって言ったか忘れちまったか……あァ? 困難にぶち当たった男が口に出すのは、何だ? 言ってみろ」
「ケンタイさん? これは俺が困難に陥ってるかどうかな状況ですが。はい、困ってはいますね……」
そうだ。一人で解決できないのならば、
「助けて下さい! ヘルプです!」
こう言えば、良い。そう学び直した。
気負い、気兼ね、気構え、気後れ、気取り。
つまらない意地や自尊や弱さで、リンリが選択することができなくなっていた『誰かを頼る』こと。
もう迷わずに言える。勇気を持って発せた。
「──ガハハハッ! 待ってたぞォ!!
オイいいかァリンリ。このオヤジが時間を稼ぐ。
……その間によォ、お前さんは、その固まっちまってるハクシの事を頼んだって話だなァ!!」
願ってもない、頼もしい人物の声。
「──ケンタイさんっ!! って、痛ッ!」
ケンタイの申し出に声をあげると同時、リンリは何かに後頭部を強打した。地味に痛い。
何にぶつかったのかと思えば、背後より歩を進めてきた褌一丁姿の男、ケンタイが肩で担ぐ丸太であった。何故そんな姿で丸太を。唖然と同時に疑問。
「────」
絶句するリンリを尻目に、彼は不敵に笑う。
「あの、ケンタイさん……? それで、いったいどう時間を稼ぐのか非常に気になるんですが……」
「はぁ? 見りゃわかんだろォが?」
「解んないです」
「まぁつべこべ言わず、オヤジに任せてろォ!
これからァ、四半刻までだったら稼いでやる!」
ケンタイは自身の鉢巻きをしめると。
リンリに拳を突き出してから、進み始めた。
彼からはそれ以上、言葉として返答はなく。
人間の身の丈から倍ほどはあるであろう『丸太』を担いだ褌姿の強面巨漢が、片手で櫓への梯子を上って行き、舞台場に向かう様子を見送る事になるリンリ。
「うおォォ──!!」
舞台に足を着けたケンタイは、雄叫びをあげて気合いでも入れたようだ。
「なんだ、アレ……?」
それが済むと、担いだ丸太を両手で回転させ始めたではないか……。
リンリの居る所まで、ぶんぶんと丸太が空を切る音が届いてくる。ただ丸太を『回転させているだけ』とは侮れない。丸太の重量もさることながら、空中でぐるんぐるんと上手く操っている。実際とんでもない力量と技術が必要だろう。
予期せぬケンタイの登場。そして彼が唐突に始めた『場違い』で、祭の『主旨』が変わってしまいそうな奇行。周囲の者達は唄と手拍子を止めて、何とも言い表せない困惑のざわつき。
「──彼ノ者よォ、先人達よォ、周く命よォ!
系統導巫の舞の前に、オヤジなりの形で、感謝と熱気を供物として捧げ奉ろうじゃねェかァ!!」
──しかし、ケンタイが叫び。己が行動の意図するものを吠えれば、周囲のざわつきは止み、渦巻いていた困惑は別のモノへと転じる。
行動に意図は有れど、厳格な神事の舞台。
その舞台に無断で上がって、勝手に彼が始めた行動を果たして『受け入れる』べきか否か、周囲の皆は判断しかねているのだろう。きっとそうだ。
「なんだ、アレ……?!」
中に火種の仕込みでもあったのか、ケンタイは高速回転させている丸太を回しながら篝火で炙る。するとどうだろうか、徐々に丸太のくり貫かれた赤身部分から煙が立ち上り。それは火になり、メラメラと強い炎へと成長していくではないか。
焔がうねり、火の粉が散り、煙が渦を巻く。
さながら一つの生命が生まれ、身をうねらせて成長して行き、その命の輝きを散らしながら、天へ登り昇華される龍が身の如く。
言い過ぎでなければ、深い『感銘』さえ受ける。荒々しくも、美しい。いと素晴らしい舞だ。
「──オイッ! たくッ、よォ!
乗りが悪ィぞォ! オヤジが一人で落莫やってるだけじゃ、彼ノ者も先人達も興が冷めちまうってもんだろうがよ。見てねェで声を挙げろや、嫌ならせめて手拍子でもしてくれや。神事ってのは、己が意志で、己が意気で、己が意欲で参加するのが醍醐味って奴だ。違うかァ野郎共!!」
ケンタイがまた叫ぶ。
その頃には周囲の筋肉野郎共から応援に近い喚声があがり、ケンタイは『ニヤリ』と不敵な感じに笑い、駆り立てられたようにより勢いを乗せた。つられて筋肉野郎以外の者達も湧き、思い思いの激昂を送り、それより更に増してケンタイに引き付けられて行く。
何時の間にか、場は緊張感と高揚の熱気が支配するようになっていた。一人の漢によって、厳かで荘重な祭りは一転、荒々しく激しい形に様変わり。周囲は完全にケンタイの作り出した雰囲気に引き込まれ、包まれてしまっている。
──まぁ『静かに巫女が舞う』前哨……?
前座として『神輿が暴れる』祭りもあるだろう。
参加している人達に異論は無いならば、これはこれで問題はなさそうだ。
「むしろ良い感じの演出になってるな」
──ある程度するとケンタイは、ただその場で丸太を回転するだけに留まらず。脇で丸太を挟み、左右に激しく反復運動をしてみたり。肩と後ろ腕で丸太を挟み、重量挙げの要領で丸太を掲げて保持してみたり。丸太を武器に見立てて、虚空の相手と闘ってみたり。常人ではなかなか真似できない高度な伎芸の領域へと踏み込んで行く。
卓越した即興の漢舞。周囲も乗って、そちらも即興での力強い歌謡が唄われ始めた。太鼓や笛、弦楽器の演奏まで続く。予想外の大盛り上がりではないか。
「……あぁ、すごいな。本当にすごい。
やっぱりケンタイさんは真面目にしてて、ちゃんと格好いい時は心から憧れられるな」
まだ統巫屋で皆と出会ってから一月と少しの関係性でも、ケンタイには何度も助けられた。サシギとは違う方向性で学ばせてもらった。
住み込みをしている中で二人だけの男ということもあり、ある意味では最も気兼ね無く付き合える面もあり。心から信頼も尊敬もしている。可能な限りでずっと、ここでの師匠であり、また父親のような立ち位置でいて欲しい。
彼が助けに来てくれて、本当に良かった。
◇◇◇
ということで、
「──ケンタイさんのおかげで、少しだけ時間に猶予ができた……ところだけど。ハクシ様?」
「あぅ」
「今の状態で、舞踊できそうかな……?」
顔だけ出して、ほぼ毬玉のハクシ。
リンリは姿勢を低くして、彼女に向き合う。
「こ、この姿のままで……。
我は、斬新な舞踊を披露するとしよう!」
「いや、ははっ、もうそれ舞踊じゃないって。
サーカスの曲芸みたいになるって」
「──あぅ冗談だ。なにょも案ずる事はにゃい。
だ、だ、大丈夫だもにょ! 其方は、我の言ノ葉を、七割程度は信用してくれて構わぬ……かな? い否、やはり六割程度で手を打って欲しいかみゃ……ゆ、故に、心配しないで!」
「かみかみが悪化してる。お前は猫かっ!
あと無駄に正直な分。信用して良いのか、信用できないのか判断に困る……。これは対策会議だ」
ここは急いで対策会議だ。議題は『ハクシの緊張をなんとかしよう』みたいな感じで。
「緊張を和らげるには『心を落ち着けよう』っても、言うだけなら簡単だよなぁ。俺は可能な限りサポートをする所存ではあるけど……」
「あぅ」
「じゃあベタな手段でも一つどうだろ。
とりあえず目を閉じて、深く呼吸してみるとか。
それだけでも少し落ち着けたり、何かを閃いたりするかも知れないぞ?」
「そう? やってみる……!」
…………。
瞳を閉じて思考して、思い付いたのか。
暫し後に、遠慮気味に目蓋と口を開くハクシ。
「……にゃらば……うん。ならば一つ、其方は頼まれてくれぬだろうか。我に……えっとね、我がもっとも落ち着ける事をりんりにして欲しいの……」
まったく、甘えたような声で言うではないか。
獣耳を伏せ、上目遣いで、頬を染めて。今のリンリに理性が足りてなければ、近所の猫にしていたようにめちゃくちゃ撫で回していただろう。
「うんと、俺は何をすれば良いんだ?」
身振りで『ご相談どうぞ』と言葉を促す。
するとハクシは、羽衣の結びを解いて腕を出した。自分に伸びてきた彼女の白くて小さな腕の中には、何やら“平たく細長い何か”が握られている。
「これを、して欲しいなぁ……」
「ほうほぅ。任された!」
受け取った“それ”を見る。漆塗りに、白い獣の絵と複雑な金色の紋様の装飾が施された、細長く板状の幾つもの切れ込みが入った物品。こりゃ櫛だ。すごく高級感の漂う櫛だ。
「あぁ櫛か」
「是だ。我はあまり他者に、これを委ねるのも憚ってしまう故に、普段はサシギにだけしてもらっているにょだが……。今回は特例とする。其方にこれを所望しよう……でも、くれぐれも優しくね?」
「よし、わかった。俺は『優しく』御髪を梳けば良いんだな。お安い御用だ!」
ぜんぜん構わない。ハクシがそれで落ち着けるというのならばと、リンリは櫛を構えた。
「──否、髪ではない。髪はもう整えてきている。
……髪じゃなくて。あのね、こっち……」
「どっち?」
ハクシは羽織を脱ぎ、装束の帯を緩めだす。
「うおっ! ちょハクシさまっ!?」
──予告無く。何故に、彼女は脱ぎ始めた?
そんなことをするものだから、装束の前が開けて腿の部分と下着が『チラリ』見えてしまい。リンリは焦ってしまう。既に事故でハクシの裸姿を見ているが、ソレとコレとではわけが違う。
本人も恥ずかしいようで、先ほどにも増して顔に赤みが差してしまっていた。
そうして彼女は、臀部からのびる自身の尻尾をお腹の前で抱えると近付いてくるのだ。
「りんり、あぐらを組んで座って?」
「えーと、えーと? はい」
リンリは肩を掴まれて。ハクシに『任された』と告げた手前で拒否もできず座らされてしまい。
その組んだあぐらの上に、彼女が座った。
「…………」
銀色の御髪が、リンリの鼻の高さにくる。香油だろう微かに甘い良い匂いがした。揺れる獣耳が頬を掠めてこそばゆい。遅れて『何をしているか』実感がきて、櫛を握った掌が震えてしまう。
強く触ったら壊れてしまいそうな身体。冒してはならない存在。恩人にして、ここの主にして、神様の巫女たる、人ならざる美しい少女。彼女の身が、自分のあぐらの上に乗っかっている。
リンリは『被り物をして怪人と闘う役』の興行な仕事の経験から小さな子供と触れ合う場面はそこそこ有ったが、年頃の少女と斯様な形で密着した経験は終ぞ覚えが無い身。
装束の上からでもわかる彼女の柔らかく小振りな臀部が、不覚にも自分の男性的な性徴に触れ。生理現象的な存在の凸主張が起こり、動悸と冷や汗が止まらない。巫女に『何を』触れさせてしまっているのかと、自責の念で涙が出た。
純粋無垢な娘で困る。恥じらいは有っても、それ以上の発想は抜け落ちか。或いは一度心を許せば、容易に身を委ねてしまうのか。自分も一応は男なのだから、ハクシにはある程度は警戒心を持ったままでいて欲しい。主にリンリの精神的保全の為に。
いや何故、こうなったのかと……。
「………………」
「りんりぃ? わ、我の尾を梳いて……?」
「……ぁあ、そういう事だよなコレは。
尻尾のブラッシング……手入れ的なアレか!」
ずいぶんな時間差で理解した。
櫛を通すのは『髪』でなく『尻尾』かと。
「尻尾ね。尻尾か。尻尾は──」
獣耳に触れるのとは難易度が段違い。でも、
もう『任された』からには、やるっきゃない。何もやましい事は無いのだ。頼まれたのだし、これは全てハクシのための善意だ。獣耳の時のような他意を抱かず、雑念が沸かないように食い縛る。
生理現象な凸主張は、そのままでは誤魔化し切れないので。腰を落とし、組んだ足を僅かに地面から浮かせることで彼女から離した。こんな場面で、鍛えた腹筋が役に立つとは。
「は、ハクシ様。時間も押している感じだから。
これより失礼して。さ、触りまーす!」
「う、うん」
「……触りまーすっ!!」
無理な姿勢と、精神的な負担の二重苦。
悟られぬように、力強く『おさわり』の宣言。
櫛を置いて。恐る恐る、先ずは素手で。彼女の臀部から生える銀色の尻尾に触れるリンリ。
「あぅ……」
「──抱き枕とかにしたい」
触ってみたら、我慢ならず口から『欲望』とか『邪念』の類いが漏れ出てしまった……。
あぁ、やはり素晴らしい毛並み。具体的な触り心地は獣耳に触った際に近しいもの故に、リンリの脳内で割愛するが。もう本当に、何もかも投げ出していつまでも撫でていたいし、揉んでいたい気分であった。
ふにふに、ふさふさ、もふもふ。
ふにふに、ふさふさ、もふもふ。
自分の腹筋がピキピキ、メキメキ。
自分の精神もバキバキ、ベキベキ。
これは、あまり堪能していてはいけない。
咳払いをして誤魔化し、置いていた櫛を取る。
「……じゃあ、入れるぞ?」
「あっ──!」
ハクシの尻尾に櫛を入れる。
「──あっ、だめっ、うぅー!!」
「頼むから、変な声出さないでくれ……!」
神事の舞踊の前に何をやっているのか……。
◇◇◇
──然るにハクシの舞踊は見事なものであった。
彼女は舞台場に上がる直前まで、あれ程に緊張していたというのに……。
リンリの行った『毛繕い』は虚しく。いや、それどころか状況をより悪化させてしまった。毛繕いを終えたハクシは湯気でも出そうに上気した顔で、足取りも覚束なくなってしまい。
全身全霊をかけて櫛を扱ってみたところ、どうにも“やりすぎた”らしいと反省するリンリ。
あわや舞踊は失敗かと危惧するも、直前になって彼女から『着付けを直すから一人にして』と控えの部屋を追い出されてしまい。
──そして、ハクシは『舞踊を見て欲しい』と。
『我が、ハクシとして舞う踊りを』リンリにも『意味の有ったモノ』にして欲しいと。背中を押されて退室させられてしまった。
神様や、先祖達や、周りの命達に捧げるのと同じ位に。身近な『誰かのために』と汲み、想い願って舞踊をするのならば。きっと『我は、その方が上手くできるから。故に大丈夫だよ』と。振り返ると、まだ赤みの残る優しい笑顔で告げられた。
此土にとっては、ハクシの舞踊は、刹那にも満たない刻の間の煌めきで。統巫屋でのリンリの日和も、世界の大きな流れからしてみれば、さしてかわらぬ刻の間の輝きで。故にこそ、それを尊び、掛け替えのない想いとして遺せるのが人の情──。
いずれ冬を越した先に、ハクシは系統導巫として大人になるための『旅立ち』を控えており。ハクシと使従の皆とは、お別れが来るのだと聞く。
統巫屋に一人残されて、リンリの寿命がどれほど保つかは未知数であるが。皆とは、それっきりの終《つい》のお別れとなる可能性もある。
──怖い。悲しい。辛い。
でも、受け入れる。だって、もう……。
「…………」
宣言通りに四半刻『丸太踊り』で時間を稼いでくれたケンタイ。彼が舞台から去るのと入れ替わりに、ハクシは金色の龍の面を被り、小刀を携え、羽衣をはためかせて現れた。
「……見てるよ。俺は、見てる」
羽衣は、はためいて輝く。輝きで空中に水面の波紋のような紋様を浮かび上がらせながら、ハクシの周りを円形になって回り出す。
彼女は片足を軸として、もう片方の足と小刀で半弧を描き、そこから振り付けられた様々な動作を繋げて舞って、追従する羽衣の光の軌跡を結う。一連の流れを繰り返し、時間を掛けて、この世界を廻る『大いなる流れ』の螺旋波紋を空に描き表して、彼ノ者に捧げるのだ。
描かれるものが完成に近付くということは、終わりに近付いているということ。
舞踊を見ていたら、涙が出てきた。
終わってほしくない、けれどもう、十分だ。
こみ上げたものに蓋をする必要性は、無い。
自分の感情は、もう包み隠さず容認するとも。
「……絶対に忘れない。覚えてるさ。
この舞踊を、統巫屋でのことを、皆のことを絶対に。俺はここで、精一杯に輝いて活きたんだってことを、忘れない……!」
別に、直ぐに死ぬわけではない。明日にお別れが来るわけでもない。でも、もう満足した。
十分過ぎる程に、貰ってしまった。死という定めは見据えている。心構えはできた。
「──お主よ、集落の者に紛れて、そこで何をサボっておるのじゃー! 大取りに合わせて儂特性の花火を上げるから手伝わんかっ!」
その花火は大丈夫なのか?
「お兄ちゃん、ココミでさえ、たぼーなのに。
任された仕事が終ったからって、のんきに見物とは良いご身分だね~? 花火と一緒に打ち上げる?」
相変わらずの毒吐き童女だ。
……何かを感じて振り返り、前に向き直る。
リンリは二人の呼び掛けに目元を擦り、応えた。
「──あぁ、今行くからっ!」
──統巫屋の空に、見事な花火が咲き。
惜しまれつつも、夜闇へ散って、消えた。
形としては何も残らない。けれど、何かは絶対に残るのだ。花火が夜空に消えるまでの間、どれほど綺麗に輝いていたのかを。皆は心の中に残し続ける。
人の輝きも同じだ。人は人の中で生き続ける。
◇◇◇
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