統巫之番―トウフノツガイ―狐愁晴天譚

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◇一章後編【禍群襲来】

不穏の兆……(完)

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 ◇◇◇



 裸の女性が、荷車の前で腕を組んでいた──。

「──おぅそうかい! そんじゃ“コイツ”がアタイらの討った、今回の『お騒がせ』ってか。シャァーッ! やってやったじゃねぇかい、これでアタイのここ最近の苦労も報われるってもんよぉ!」

 彼女は、此度の『凡世覆軍ぼんせふくぐん』鎮めの祓い事。
その功労者の一柱たる脈統みゃくとう導巫どうふその人だ。彼ノ者の姿を借り受ける為に取り込んだエムシを口から吐き出し、ついさっき人の形に戻れたらしい。
 べつに好きで彼女が『素っ裸』なわけではないと皆が暗黙の了解。とはいえ。彼女の身体の要所要所は、統巫の証である土色の羽衣ユリカゴが隠しているが、とはいえだ。礼節を尽くし畏まるべき目上の存在の堂々とした“あられもない姿”に、荷車の用意を済ませたヒノアサメの従者達はたじろいでしまっている。

「あらあら」

 そんな場面に出くわしたヒノアサメは、気の抜けた笑顔を浮かべ。従者達を身振りの指示でもって別の仕事に向かわせてから、おそらく脈統導巫の彼女に「必要だろう」と持ってきた替えの外套をその蛇尾に引っ掛けてやった。

「──さてさて、はい。これで久方ぶりに人心地がつきますわ。トイサラさん、それにカミネちゃん、皆さんの協力あってこそですわねぇ……はい!」

「ヒノアサメか。おぅ、お疲れさんじゃねぇか、互いによぉ。同じ『統制十六奉位』の一柱でも、なかなか面と向かって顔合わす機会がねぇもんだから、懐かしいねぇ。今回は見事だった、見違えたよ。あんたは、もうとっくに一人前だねぃ!」

 脈統導巫の【トイサラ】彼女は、蛇尾に引っ掛かっていた外套を腰に巻き、言った。

 二人の統巫は、互いに労いの言葉をおくると。
自然と四輪の荷車に積まれた“亡骸”に視線がいく。

「──これで、終わったんかねぇ?」

「──おっほん。『懸念』も過ぎれば毒ですの。
此処までして、はい。でもでも、それでも再び現れようものならば。あたくし、もうお手上げだと存じてしまいますわね……」

 熊ほどの丈をもった鼠の亡骸。四脚を根元から切り落とされ、頭部を焼かれ、脳や喉や胸という哺乳類動物共通の急所に風穴がいくつも空いている。これ以上に無い程に完全に絶命しており、何の憂いがあろうか。腹の子鼠も見落とさず、潰している。
 亡骸は鑑識に回し、調査した後に焼却だ。
 もう誰も、この禍淵とまみえる事は有るまい。

「えぇ、念には念をねぇ。元樹海だった、土砂と樹片の山となり果てた領域には、隈無くまなく、隅々すみずみまで、余すところ許さずに。あたくしの権能で確認して『鼠』は絶対に生存してはいないと確証を得ておりますわ!」

 脇に抱えていた“銅鏡”を高く掲げて、ヒノアサメは絶対の自信をもった顔でトイサラに訴えた。

「そうかい。つぅこったァ、安心だっ!」

 そこまで言うなら、トイサラもそう返してやる。
 これでもまだ、何処で凡世覆軍の鼠が現れようものならば、最早、統巫にも手に余る存在。
 仮に再び現れ、人世に襲い来るというならば、それはそれで迎え撃つ他に有るまいが。積極的に討ち取りに行くのは禁じられる事だろう。それ以降は、この周辺の統巫にとって与り知るところではない……。

 実は、遠い遠い彼土。遠方で、凡世覆軍の鼠は一度は完全に討たれているとされる。土着のとても強大な力を持った統巫、統巫といってよいかも判断しかねるモノ。人の身としての要素をほぼ捨て去り『鎮守』とまで謳われうる存在によって──。

 ──討たれている。
嘘か誠かは、遠方故に調べる為の手立てが無いのだけれど。それ故に、この地の統巫達には、やり場の見付からぬ不気味な『懸念』だけが一人歩く。
 かといって、懸念で臆するだけ意味はないこと。
今後も気を配り、万が一には備えておくが、必要以上に悩むだけ『無駄』な話と割り切る。こうでもしていないと、統巫なんてやってられない。

 あぁしかし、

「てぇよ、ヒノアサメ。そいつの中のも忘れずに始末しておくんだねっ! それでようやく、巷を騒がせた凡世覆軍は完全に討たれたってことだよっ!」

 銅鏡には、鼠の“象形”が残っている。
トイサラには、その意味が理解できていた。

「トイサラさん。はい、存じておりますわ~。
この子にもお世話になりました。ではでは、悲しく感じてしまう部分はございますが。約束通り『象形』のまま、苦しまずにお送り致しましょうねぇ」

「用心しておくんなぁ! ヒノアサメ。そんな事は無いだろうが、逃げ出されたらよぅ、アタイらの苦労も水の泡ってやつかもなぁ!」

 ほんの僅かな『災の芽』さえ見過ごしはしない。

 渦中、ヒノアサメが捕まえて、銅鏡の内に“生きたまま”取り込んだ一匹の鼠。
 その鼠が転じた『象形』を銅鏡から削り取ってしまえば、此度の禍淵は此土より全滅するのが確実。これで本当に全て終わる──。



 ◇◇◇



 ──はず、だったのに。

「──ぃきゃッ!!」

 ──瞬間、握った銅鏡に衝撃を受けて、ヒノアサメは短い悲鳴をあげてしまった。
 銅鏡が掌から落ちて転がって行くではないか。

 トイサラは眼を丸くして驚いても、行動を静止することはせず。身体の反応は早く、自身達より離れつつある銅鏡を拾い上げようと腕を伸ばす。

「あグッ! シャァッ!!」

 しかし、腹部に衝撃を受けて。
 ほんの僅かに所為の遅れた自身の羽衣ユリカゴの防御に包まれて、彼女は衝撃をころせずに後方へと吹き飛ばされるように倒れてしまった。

「とっ、トイサラさん!?」

 ──衝撃の正体は、何だ?
ダメだ、見えない。まったく正体が掴めない。

「──あれは、なに、なんですのっ?」

 だけれど、地面に“何か”が弾んだような跡。
トイサラが倒れた際に、土を巻き上げてできた不可解な跡をヒノアサメは見逃さなかった。
 相手には、実態がある。土跡から、ある程度の寸法と質量は分析できた。なら、手段はある。

「『翼印よくいん』」

 ヒノアサメは片翼を羽ばたかせて、黒羽根の杭を周囲へと放った。羽根には殺傷力なぞ無くて。生物に触れれば、皮膚に煤汚れに似た印を付け溶けてしまうようなもの……。

 それでも、意味はある。手段となり得る。

 実際に、羽根の一つが命中し。転がる銅鏡が輝き煌めいて、何かの正体をさらけ出した。

「な……何、ですの?」

 空間を歪ませて、現出するトゲトゲ。

 正体をさらけ出したのは、トゲトゲの付いた鞠玉まりだまの如き生き物。生き物なのか……? そんな見慣れない容貌の奇怪な生物。見かけでは摂食器官も視覚器官も聴覚器官さえ存在しない、奇妙と言うしかできない怪生物。利便上でありのまま『鞠玉』と呼称して扱う。

 鞠玉はヒノアサメに向かって跳び、無骨な衝突を仕掛けるが、姿が見えていれば当然に彼女によって羽衣ユリカゴを利用しなされてしまう。
 しかしながら、まるで無敵とも言い切れず。羽衣ユリカゴの表面が薄く削れたという事実。直撃した場合は、マズイかも知れない。長時間まみえるのも禍淵との戦の後であり、羽衣ユリカゴの限界が迫りマズイかも知れない。

 ヒノアサメは真剣な表情で構える。

 それから鞠玉は地面に何度か弾み、着地して弾むのを止めたかと思えば、急に激しく震え出し。
 更に行動を起こすかと思えば、弾けて消えた。
死骸さえも残らずに、空間より消失した。

 構えを解き、脱力。

 従者達が異変を察し集まってきて、状況を理解。
周辺を警戒してくれる。

「あのあれ。はぁ、はぁ。
はぁ、何だったの、でしょうね……?」

 ヒノアサメは尻餅をつき。自身の視線を後方のトイサラの方に向けて、彼女の無事を確かめた。

「トイ、サラさ……え、嘘、ですわよね?」

 ──トイサラは、酷い姿だった。
腹部の皮膚が剥がれ、著しく血が流れている。

 統巫が損傷を受けるとは。
 しかし偶発的な不慮の事故、不意に悪意の無い攻撃、身体の内より蝕む毒など。ある条件下で羽衣ユリカゴの護りを抜けられてしまうと、統巫の身は驚くほどに脆いのだ。今回はそれを突かれた形であり。
 統巫の身体は生物の粋を出ない。身体能力こそ高くも、基本的な構造は万人の女性とさして代わらぬ……どころか、人の身に神の形を宿しているという性質上で、どうしても脆く不安定な部分が拭えない。
 例えば『鳥類』の特徴を身体に持っていれば、空を舞う為に骨は軽く脆弱なものに置き換わっているのだし。内臓も人の機能を少し押して、統巫の特徴に添った作りと転じている……ということもある。

「動いて、返事を、して……してよ。
して、下さいまし……トイサラ、さん──」

 事実として、犠牲が出てしまった。

 それっきり、トイサラは動かなかった。

 …………物言わぬ身体から、力が抜けて行く。

「──嘘、嘘っ。嘘ですわ、トイサラさんッ!!」

 嘆くヒノアサメに対して、当のトイサラから「いや無事だよっ!」と手が“ふらふら”振られた。単に、衝撃で意識を飛ばしていただけらしい……。
 腹部の皮膚を抉られたくらいでは、それなりの怪我といえばその通りでも、死にはしない。
 あまり怪我をして血を流さない統巫には、どの程度の怪我が人体にとって『命に関わるか』を知らぬ者も多いという話であった。

 ヒノアサメは胸を撫で下ろして、
頭を上げて、正面を眺めると。顔を蒼くした。

「──なァッ!」

 ──あぁ、なんて、なんてことだ。

「やられた。やられましたわ……っ!」

 ──最悪の事態という他に無い。

 つい今の今まで銅鏡の形を取っていた、彼女のエムシは砕け散り。銅鏡そこに描かれた『象形』は、否、そこに取り込んでいた『鼠』にして、凡世覆軍の鼠の残された一匹である『残滓』は忽然と姿を消してしまっていたのだから。



 ◇◇◇
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