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第2章 魔導帝国の陰謀
異変
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まだ日が昇って間もない早朝。眠りから覚め始めた少年は、傍らに温もりがあることをぼんやりと認識した。まだはっきりとしない意識のまま、じんわりとした心地好い温かさに擦り寄る。すると、頬を寄せた温度と似た温度が、自分の頭をゆるりと滑るのを感じた。
(あったかい……)
うすぼんやりとした頭でそんなことを思った少年は、しかし温もりが何度か髪を往復したあたりで、何かがおかしいと気づく。違和感に気づいた頭は急速に冴えていき、少年は自分が身体を寄せているものが何なのかを確かめようと、そろそろと顔を上げた。
「ああ、目が覚めたのか? おはよう、キョウヤ」
少年の眼前、本当に至近距離で微笑んだのは、赤の国の国王であった。
「っ!?」
驚きのあまり声すら出せなかった少年が、目を見開いて固まる。
なんだって国王がこんなところで寝ているのだろうか。ここは少年に割り当てられた部屋であって、王が寝るべき寝室ではないだろうに。というか、そもそもなんで他人と同じベッドにいたのに自分は目を覚まさなかったのだろう。少年は他人というものがとにかく苦手だから、普通は誰かが隣にいるときに眠ることなどできないのに。
一体何が起こったのかまるで理解できない少年だったが、王はいつものにこにこした表情でそんな彼を撫でている。
「どうした? まだ眠いのか?」
「え、あ、い、いえ……」
言葉を濁しながら、引き攣った笑みを無理矢理浮かべる。
大丈夫。少しだけ狭い視界はいつものそれだし、余計なものが映ることもないから、どうやら右目は晒されていないようだ。
そのことに安堵しつつ、少年はそっと王から離れようとした。が、身体が動かない。何事かと少しだけ身を捩ると、王の片腕が腰をがっちりと抱いているのが判った。少年にとっては著しく過度なその接触に、かわいそうな彼はまた引き攣ったような小さな悲鳴を漏らしてしまう。
「どうした? 大丈夫か?」
心配そうな顔がこちらを覗き込んできて、少年は慌てて少しだけ視線を落とした。この王の瞳を直視する訳にはいかない。
「いや、あの、」
どうやら王は本気で心配してくれているらしいが、大体全部王のせいである。
「……ええと……、なんで、貴方がここに……?」
昨夜のことはなんとなく覚えているが、それにしたって王までここで寝る必要はないはずだ。大人しく自分の部屋に帰って寝てくれれば良かったのに、と少年は心の底から思った。
少年の問いにきょとんとした顔をした王は、首を傾げた。
「何故も何も、ここは私の寝室だからな。私が寝ておかしいことは何もない」
「…………は?」
言われた意味が理解できず、少年は呆けた顔をしてしまった。普段の少年ならば感情を表情に出すことはほとんどないのだが、どうにもこの王相手にはうまくいかないようである。まあ、今更ではあるが。
「えっと……、……ここ、貴方のお部屋、なんですか……?」
「ああ、聞いていなかったか?」
初耳である。
(え、は? いや、だって、一体どこに王様の部屋を客に使わせる国があるの……!?)
残念ながらここにある。
案の定、混乱と畏れ多さとで目を白黒させている少年に対し、王は何故だか楽しそうに笑ってみせた。
「いや、家臣たちに、恋人なのだから同じ部屋で寝ても良いだろうと言われてしまってな。正確にはまだ恋人ではないと言ったのだが、連中は私の言うことなど聞きもせんのだ。まあ、キョウヤと共寝できるのは私も嬉しいし構わないか、と許可することにした」
にこにことした顔で王はそう言ったが、王が良くても少年の方はまるで良くない。
少年も薄々は勘付いていたが、この王、どうにも思考が一般とずれている上に、割と我が道を突き進む人なのかもしれない。
「……はあ、そうですか……」
どうにかして今からでも部屋を替えて貰えないだろうか。確かにこの王に対する感情は日に日に好転しているのだろうけれど、だからといって共寝したいかと言われると、断れるものなら断りたいというのが本音である。
「ところでキョウヤ」
「え、あ、はい。なんですか?」
密着している現状が心地悪く、いい加減離してくれないだろうか、などと考えていた少年だったが、王に名を呼ばれて慌てて返事をする。
「そろそろ、その敬語を外しても良い頃合いだとは思わんか?」
「……は?」
相変わらず王の言葉は前後が抜けていて、少年に理解させる気がないのではないかと疑いたくなってしまう。
何がそろそろなのかも判らないし、何が頃合いなのかも判らない。つまりやっぱり、王の言っていることが判らない。
「ええと……?」
「いや、私とお前の仲なのだから、そのように堅苦しい敬語を使うことはないだろう。いつまでもそれではお前も肩が凝ってしまうだろうし、私も壁を感じてしまって少し寂しい」
一体どんな仲だというのだろうか。
というか、確か昨夜、寂しいという感情を知らないと言っていたような気がするのだが。いやでも、これは少年が関わる事象だから、もしかすると本心なのかもしれない。
かわいそうな少年は、既に王に毒されてしまっているのか、そもそも自分の肩が凝ることはないし、何ならこのまま敬語でいる方が自分にとってはまだ気が楽だという事実に行き当たることができなかった。
「……その、今貴方が言った寂しいって……?」
「そこを突っ込むのか? いや、キョウヤは中々に豪胆な子だなぁ」
そう言って笑った王が、わしゃわしゃと少年の頭を撫でる。
もしかすると失礼なこと言ってしまっただろうかと、少しだけ顔を青くした少年だったが、王が機嫌を損ねた様子はなかった。
「恋人から距離を取るような対応をされては、一般的に寂しいと感じるものなのだろう?」
「え、ああ、……はい、多分」
つまり、そういうことだ。
何故だか少しだけほっとした少年は、一瞬迷うように視線を彷徨わせてから、そっと王を窺い見た。
「……あの、それでも、敬語は嫌、なんですか……?」
「そうだな。私は少しでもお前と親しくなりたいと思っているし、私が私としてお前個人と接しているときは、できれば王ではなく私として在りたいとも考えている。だから、お前が敬語を外してくれる方が嬉しい。……恐らくは、心からそう思う」
「…………でも、」
国王陛下を相手に、敬語を使わないなど。自分の価値をどうしようもなく低いものだと思っている少年にとって、それは非常に難しいことだ。
だが、そんな少年の顎を優しく掬い上げて、王は眼帯に覆われていない彼の瞳を覗き込んだ。
「私はそうして貰いたいのだが、……駄目か?」
「っ、」
金色の瞳の中で、炎が揺れる。やはりこの瞳がこの上もなく美しくて、この美しさを永遠に約束されたのだということを思い出した少年は、どうしてだか頬が上気するのを感じた。
そしてこうなった以上、少年は白旗を振ることしかできないのである。
「……あなた、やっぱり、ずるい」
呟くように零された言葉はやはり、王を責めるような色を含んでいて。それを受けた王は、満足げに微笑むのだった。
そんなこんなで、初日は別に行きたくもない城下街へ連れて行かれるし、次の日は知られたくない過去を知られてしまうしと、割と散々な目にあっていた少年だったが、残りの二日間は非常に穏やかなものであった。王の寝室で眠るのは当然のことながらどうにも慣れなかったが、それ以外は快適な生活だったと言えるだろう。特に、何故だかグレイとは相性が良いようで、彼との会話はそれなりに楽しむことができた。
どう足掻いても魔術を使いこなせない自分に、それでもやたらとグレイが色々な魔術を教えてくるのは不思議だったが、知っておくに越したことはないだろうとの判断だったのだろう、多分。
結局、グランデル王国に滞在している期間中、特に大きな事件が起こることもなく、日常よりは少しだけ刺激的程度の時間を過ごして、少年は帰っていった。
王にしても少年にしても、その後も常と変わらない日々を送っていたのだが、少年がギルガルド王国に帰ってからひと月ほど経ったある日、ついにその穏やかな日常に影が落とされることとなった。
ばたばたとした足音と共に、ノックもなしに国王の執務室の扉が開かれる。
「申し上げます!」
入室すると同時にそう叫んだのは、東西南北に配置している騎士団との伝達を担っている文官のひとりであった。
この文官の地位は決して高いものではなく、通常であれば国王の執務室に無許可で入室することなど有り得ないような身分であったが、ここグランデルでは、有事の際は高官の許可を得ることなく誰でも国王に謁見する権利が与えられている。
つまりこれは、高官に話を通す時間すら惜しい事態が発生したということに他ならない。
手にしていた書類を机に置いた王は、隣に控えていた側仕えにすぐさま宰相を呼ぶように指示を出し、それから、息を切らしている文官に視線を戻す。
「何事だ」
「東の国境付近にて、我が国の山を切り崩し、人為的な土砂災害を引き起こすという大規模な破壊工作が発生。すぐさま東の砦よりデディ騎士団が鎮圧に向かったとの報告を受けました」
「薄紅との国境か。民とあちらへの被害は?」
「土砂が流れ込んだのは我が国のみで、現在のところシェンジェアン王国の領土へ被害が出ているとの報告は受けておりません。ただ、土砂に埋もれた場所は我が国とシェンジェアン王国とを繋ぐ陸路の一部であるため、商人や旅人等が巻き込まれた可能性は否定できず、この事態を受け、デディ騎士団長からは、敵を確認次第、出来得る限り我が国側へ誘い込むよう努め、同時に別部隊に被害地での救助活動を行わせるとの旨の報告を受けております」
文官の報告に、王が頷く。
「薄紅は荒事にはやや不向きな国だ。あちらに敵を回さず救助活動を行うとなると、こちらにおびき寄せるのが最良か。騎士団長の判断、見事であると伝えてくれ」
「はっ」
「それから、ギルガルド王国に派遣しているルゲイス騎士団員の半数を西の駐屯地まで下がらせよ。同時に、西に派遣している中央騎士団の全てを首都に戻す。加えて、連合国への緊急事態通告も頼んだ」
「すぐさま周知致します!」
一礼した文官が、執務室を駆け出ていく。それと擦れ違うようにして、今度はロンター宰相が入室してきた。
「来たか、レクシィ」
「話は道中で別の文官から聞きました。東の国境で大事だそうですね」
「ああ、まず間違いなく帝国の仕業だろう。我々や薄紅に気づかれずに山を崩すとなると、例の空間転移魔導で突発的に大軍を寄越したか、もしくは恐ろしく腕の立つ者を目立たぬ程度の人数だけ寄越したか……。前者ならばまだ良いが、後者の場合、相手の力量次第では私が出る必要があるやもしれん」
騎士団では手に負えないほどの敵であったならば、王が直接鎮圧に赴くとの言に、レクシリアは心得ていると頷いた。
「ご出立の準備は既に始めております。このような有事となれば、いつものようにグレンに乗る訳にはいかないでしょう。ライガをお使いください。グレンほどとはいきませんが、国内ではグレンに次いで速度が出ます」
グランデル王国自体に危害が加えられている以上、王と王獣が同時に王都を離れるのは得策ではない。国境で起こった件が囮で、狙いが王都だった場合を考慮すると、王都を守る戦力を著しく低下させる訳にはいかないのだ。これは王都だけでなく他の地方の要となる都市にも言えることで、だからこそ王は、金の国に派遣している戦力を戻す判断を下したのである。
レクシリアの提案に頷きを返しながら、王は卓上に大陸の地図を広げた。
各国や各地方との連絡に使っているのは、早駆けに優れた幻獣の、雷光鳥だ。扱いが非常に難しい小鳥で、彼らを使った伝達が行えるのは国内でも優れた文官のみだったが、その速度は他の幻獣や騎獣の脚を遥かに凌ぐ。雷光鳥の翼ならば、王都から東の国境までにかかる時間はそこまで長いものではないだろう。
「この距離ならば情報の伝達には困らないが、私が向かうとなるとやはり時間がかかるな……」
「陛下の到着を待たずにデディ騎士団が壊滅するほどの事態、となると、それこそ前代未聞です。今回はそうではないと思いたいところですが……」
「最悪を想定するに越したことはないな。……続報を待たず、今すぐにでも出るべきなのやもしれんが、それこそが相手の狙いである可能性もある。やはり、東からの連絡を待つよりほかないか」
せめてもう少し情報があれば判断のしようもあるが、それが来るのは次の伝達だろう。
「いずれにせよ、次の手を考える必要がある。至急、中央騎士団の団長と副団長を呼んでくれ」
「そちらも既に手配済みです」
「ふむ、相変わらず優秀な宰相だな」
王の言葉に、レクシリアの表情が僅かだが嬉しそうに緩んだようにも見えたが、一瞬のことだったので真偽のほどは定かではなかった。
レクシリアの言う通り、ほどなくしてグランデル王立中央騎士団団長であるガルドゥニクスと、副団長のミハルトがやってきた。
筋骨隆々としたガルドゥニクスと比べると副団長のミハルトはやや見劣りがする青年であったが、魔法の腕も剣の腕も確かなもので、こと軍略においては団長であるガルドゥニクスも舌を巻くことがあるほどの人物である。
「東で大事と聞きましたが、我々中央騎士団も加勢に行くべきでしょうか」
軽く一礼をしてからそう言ったガルドゥニクスに、王が首を横に振る。
「いや、デディ騎士団を以てしても対処できない事態ならば、中央騎士団を向かわせるよりも私が出向いた方が良いだろう。二度手間になった挙句、手遅れになる可能性も否定はできんからな」
聞く者によっては辛辣にも聞こえるかもしれない言葉だったが、王に中央騎士団を貶めるつもりはなく、それはガルドゥニクスもミハルトも重々承知していた。
「私が出るとなれば、王都の守りが薄くなる。それを見越し、金の国に派遣していた騎士の半数を西の砦に戻し、更に西の砦からも中央騎士団に人員を呼び戻すこととした。東からの連絡が来るまではどうなるか判らぬが、もし私がここを空けることになった場合、ガルドゥニクスには全騎士団員を統括し、王都の守護に尽力して貰いたい」
その命にガルドゥニクスは頷いたが、ミハルトは納得ができないといった面持ちで王を見た。
「畏れながら申し上げます、陛下。一部の戦力を派遣場所から撤退させるとの話、私には些か腑に落ちません。人員を呼び戻すのは王都の守りのためと仰いますが、そもそも王都に守りが必要でしょうか?」
王の命に否を唱えたミハルトに、王は彼に視線をやった。
「どういう意味だろうか」
「我が国は、戦ごとが得意ではない金と薄紅に囲まれております。故に、両国に大事あらば我が国から戦力を派遣することとなるでしょう。つまり、帝国の狙いが本当に王都で、そのために最大戦力である陛下を王都から離れた場所に誘き寄せて足止めするというのであれば、国境のような半端な場所ではなく両国を狙う方が得策だと考えます」
「しかし、金と薄紅を狙えば、我が国に加えてその国の軍部をも相手取らなければならなくなる。それよりは一国を相手に仕掛ける方が安全策ではないか?」
王の反論に、しかしミハルトは首を横に振った。
「これがグランデル王国以外の国での話ならば、陛下の理論は正しいでしょう。しかし、我が国を対象として考えるならば得策とは言い難い。……陛下も十二分にご承知の筈です。シェンジェアンとギルガルドは、円卓の連合国の中では著しく防衛力に欠ける国だ。正直に申し上げますと、我が国の騎士団のみで戦うよりも、両国を守り、協力しながら戦う方が遥かに難しいと私は思います。無論、薄紅には黒が、金には橙がそれぞれ加勢するでしょう。しかし、それを踏まえたとしても、我が国からもそれなりの戦力を派遣せざるを得ない。そしてそうなった場合は、今回の比ではないほどに王都の守りは薄くなる。……少なくとも私がこの国を落とそうとするならば、そう致します」
「ふむ。その考えを根拠に、此度の一件は王都を狙ったものではないと?」
王の言葉に、ミハルトは頷いた。
「隣国で騒ぎを起こさず、わざわざ東の国境のみを狙ったということはつまり、帝国が真に我が国の戦力を遠ざけたいのは西……、すなわち、金の国なのではないでしょうか。もし私の読みが正しく、帝国の狙いがまたもや金の国なのだとしたら、十中八九狙われるのはキョウヤ様です。その国から騎士団を撤退させるのは、愚策と呼べるものなのでは?」
「おい、ミハルト! その発言はさすがに度が過ぎるぞ!」
思わず強い語調で言ったガルドゥニクスを、王が手で制する。そして王は、ミハルトを見て微笑んでみせた。
「いや、さすがは中央騎士団副団長。鋭く的確な読みだ。私もお前の言っていることは全面的に正しいと思う。私がグランデルを落とそうとした場合も、お前と同じ作戦を取るだろう。……そして帝国も、恐らくはそうだ。本気でグランデルの王都を狙うのならば、グランデルではない場所で大事を起こすだろうな。何故なら、連中は王都を落とす際に一番の障害となるのが私であることをよく知っている」
「そこまでお考えになっていらっしゃるのならば、何故戦力をお戻しに?」
ミハルトの問いに、王は少し視線を落として思案するような表情を見せた。
「我々の言う最良の作戦を実行するためには、かなりの戦力が必要なのだ。なにせ最低でも二ヵ国で同時に大きな騒ぎを起こさねばならんのだからな。その上で、加勢に来た国々をも相手取って足止めする必要がある。……そうなると気になるのは、今の帝国がそれだけの戦力を持っているかどうかではないか?」
「……つまり、どういうことでしょうか」
「私はな、敵の戦力がもう少し詳しく知りたいのだ。黒の王が色々と情報を入手してくれはしたが、どうにも未だに全容が見えん。だからここは、敢えて敵の手に乗る。敢えて可能な限りの戦力を国内に戻すのだ。もし帝国に最良の手段を取れるだけの戦力がなかったならば、私のこの判断は非常に厄介だろう。他国を捨ててでも自国の守りに徹するとなれば、今回のような中途半端な囮は機能しないからな。当然、多少の焦りも見られるというもの。逆に敵に焦る様子が一切ないのであれば、それはすなわち、この襲撃自体に重要性の高い目的はないことを示している。さて、では仮に大きな目的のない襲撃なのだとしたら、一体何故彼らは仕掛けてきたのだと思う?」
試すように言った王に、ミハルトは僅かな沈黙の後に口を開いた。
「前回の襲撃から大きな間を空けないため、でしょうか。連続的な交戦というのは、それだけで互いを消耗させるものですが、確実に相手を疲労させることができます。戦力を多く持っているのならば、有効な手段であると言えるでしょう。……それに加え考えられることがあるとすれば、……何かしらの試験を行っている可能性、でしょうか」
ミハルトの回答に、王は満足そうに頷いた。
「やはりお前は優秀な騎士だ。いや、私もそう考えていたところでな。もし連中がグランデル王国の戦略を解析しようとしているのであれば、ここで正しい判断をするのは危険だ。やはり、わざと愚策を選択する方が無難だろう。そうすることで、少なくとも相手の戦力の目安が判る上、この程度の襲撃で王都の守りを固め出すような気弱な国であるという印象操作もできる。勿論、帝国の上層部にはこのようなはったりは効かんだろうが、現場の兵たちにはある程度有効だ。急激に強い力を手に入れたことも相まって、多少の慢心は招いてくれるだろう」
王の言葉に、ミハルトは素直に感嘆した。
確かに、ここで西に派遣している戦力を戻さないままでいれば、敵の作戦を読めているということと、その程度の戦力ならば欠けたところで大した問題はないという事実が露呈してしまう可能性がある。しかし、王が判断したように戦力を呼び戻せば、こちら側から相手に渡る情報は限りなく少なくなるだろう。もし敵がそこまで考えておらず、回せる戦力の全てを国境につぎ込んだだけのことだったとしても、赤の国で問題が生じることはない。
つまり王は、どう転んでも最も被害の少ない選択をしたのだ。
「……さすがはロステアール王陛下。出過ぎたことを申し上げてしまったこと、深く謝罪致します」
深々と頭を下げたミハルトに、王は気にするなと笑った。
「物怖じせずに自分の考えを述べるのはお前の美点だし、私はお前のそういうところを好ましいと思っている。実際、お前の感じる疑問は尤もであり、それを伝えるということは非常に重要なことだ。私が誤らないという保証はないのだからな。今後も頼りにしているぞ」
「勿体ないお言葉です」
ミハルトがこうして王の策に苦言を呈する光景は、実は見慣れたものである。ミハルト自身が切れ者なのもあり、王の作戦に対して異を唱えるのは大体が彼だった。問答の際に少々失礼な態度を取りがちな部下に、ガルドゥニクスはいつもハラハラしているのだが、当の国王はいつもミハルトとの問答をにこにこと楽しんでいるようなので、彼も団長として強く咎めることはしていなかった。結局最後にはミハルトも王の意見が正しいと感嘆するのが常のことだったので、実際そこまで問題はない。
ただ、一度だけあまりに議論が白熱しすぎてミハルトがやや暴言のようなものを吐いてしまったことがあり、そのときばかりは歴戦の猛者であるガルドゥニクスも肝を冷やしたものだ。あれはもう本当に怖かった。王がではない。すました顔で王の隣に立っているそこの宰相がである。
そんなことを思い出しながら、ガルドゥニクスは国王に向かって口を開いた。
「陛下のお考えは理解しましたが、もし国境を襲ったのが陛下のお手を煩わせねばならないほどの強敵だった場合、帝国の狙いは金の国で、陛下をそこから遠ざけようとしている可能性が高いのでしょう? そんな中でギルガルドから戦力を削ぐのはやはり問題があるのでは?」
ガルドゥニクスとしては当然の疑問を述べたつもりだったのだが、そんな彼をミハルトがやや呆れたような顔で見た。
「何を言っているんですか、団長。あそこまでのことをお考えの陛下が、そんな団長ですら考えつくような問題点に気づいていないはずがないでしょうに。当然、抜かりなく対策済みなのですよ」
小馬鹿にしたような物言いに、ガルドゥニクスが引き攣った笑みを浮かべる。だが、おおらかで優しい性格の彼が怒ることはなかった。実際、ミハルトの方が頭が回るのは事実なのだ。それに、彼がこういう生意気な態度を取るのは懐いている証拠である。それを十分理解しているので、こういう失礼な態度も大目に見ることにしていた。
「……ガルドゥニクス団長も大変ですね」
ずっと黙って控えていたレクシリアがぽつりと漏らした声に、ガルドゥニクスは曖昧な微笑みを返した。
「ふむ。グランデルの民はどうにも私を過信していていかんな。私は万能ではないというのに」
「しかし陛下、金の国から欠けることになる戦力分の補強は既になさっているではないですか。それこそ、ある意味補って余りあるほどに」
さらりと言ったレクシリアに、王が苦笑する。そんな王の様子に、ミハルトはほら見たことかという顔をしてガルドゥニクスを見た。
話が纏まったところで、今後の動きについて四人が相談をしていると、慌ただしい音と共に会議室の扉が開かれた。そして、そこから転がるようにして駆け込んで来た文官が叫ぶ。
「国王陛下に申し上げます! デディ騎士団団長より緊急報告! 敵があまりに強く、団員への被害が甚大! 現在はデディ騎士団長がなんとか食い止めているそうですが、それもいつまで保つか判らないとのことです!」
「敵の数は?」
王の問いに、文官がやや青ざめた顔を王に向ける。
「一人、と」
その言葉を聞くや否や、王は椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「全ての連合国に緊急連絡! デディ騎士団には私の到着までなんとか持ち堪えるように伝えろ! レクシィ、私が戻るまで、緊急時の全権をお前に預ける!」
そう言い残し、返事を待たずに王は部屋を飛び出した。
グランデル王国における五つの騎士団は、非常に優れた能力を誇っている。その騎士団の団長が苦戦を強いられるとなると、それは紛れもない強敵だ。
勿論、こうなる可能性を予想していなかった訳ではない。だが、予想していた中では最悪の部類に入る事態である。
(こうなってくると、ギルガルドへ襲撃がある可能性は高いか。そのあたりはレクシィが指揮を取って向こうに伝えるだろうが、それくらいのことは帝国側も予想している筈。……恐らく、こちらからの伝達が届く前に、既に何かが仕掛けられている)
それが何かまでは、王にも判らない。ただ、再び大きな事件が起きようとしていることだけは事実だった。
(あったかい……)
うすぼんやりとした頭でそんなことを思った少年は、しかし温もりが何度か髪を往復したあたりで、何かがおかしいと気づく。違和感に気づいた頭は急速に冴えていき、少年は自分が身体を寄せているものが何なのかを確かめようと、そろそろと顔を上げた。
「ああ、目が覚めたのか? おはよう、キョウヤ」
少年の眼前、本当に至近距離で微笑んだのは、赤の国の国王であった。
「っ!?」
驚きのあまり声すら出せなかった少年が、目を見開いて固まる。
なんだって国王がこんなところで寝ているのだろうか。ここは少年に割り当てられた部屋であって、王が寝るべき寝室ではないだろうに。というか、そもそもなんで他人と同じベッドにいたのに自分は目を覚まさなかったのだろう。少年は他人というものがとにかく苦手だから、普通は誰かが隣にいるときに眠ることなどできないのに。
一体何が起こったのかまるで理解できない少年だったが、王はいつものにこにこした表情でそんな彼を撫でている。
「どうした? まだ眠いのか?」
「え、あ、い、いえ……」
言葉を濁しながら、引き攣った笑みを無理矢理浮かべる。
大丈夫。少しだけ狭い視界はいつものそれだし、余計なものが映ることもないから、どうやら右目は晒されていないようだ。
そのことに安堵しつつ、少年はそっと王から離れようとした。が、身体が動かない。何事かと少しだけ身を捩ると、王の片腕が腰をがっちりと抱いているのが判った。少年にとっては著しく過度なその接触に、かわいそうな彼はまた引き攣ったような小さな悲鳴を漏らしてしまう。
「どうした? 大丈夫か?」
心配そうな顔がこちらを覗き込んできて、少年は慌てて少しだけ視線を落とした。この王の瞳を直視する訳にはいかない。
「いや、あの、」
どうやら王は本気で心配してくれているらしいが、大体全部王のせいである。
「……ええと……、なんで、貴方がここに……?」
昨夜のことはなんとなく覚えているが、それにしたって王までここで寝る必要はないはずだ。大人しく自分の部屋に帰って寝てくれれば良かったのに、と少年は心の底から思った。
少年の問いにきょとんとした顔をした王は、首を傾げた。
「何故も何も、ここは私の寝室だからな。私が寝ておかしいことは何もない」
「…………は?」
言われた意味が理解できず、少年は呆けた顔をしてしまった。普段の少年ならば感情を表情に出すことはほとんどないのだが、どうにもこの王相手にはうまくいかないようである。まあ、今更ではあるが。
「えっと……、……ここ、貴方のお部屋、なんですか……?」
「ああ、聞いていなかったか?」
初耳である。
(え、は? いや、だって、一体どこに王様の部屋を客に使わせる国があるの……!?)
残念ながらここにある。
案の定、混乱と畏れ多さとで目を白黒させている少年に対し、王は何故だか楽しそうに笑ってみせた。
「いや、家臣たちに、恋人なのだから同じ部屋で寝ても良いだろうと言われてしまってな。正確にはまだ恋人ではないと言ったのだが、連中は私の言うことなど聞きもせんのだ。まあ、キョウヤと共寝できるのは私も嬉しいし構わないか、と許可することにした」
にこにことした顔で王はそう言ったが、王が良くても少年の方はまるで良くない。
少年も薄々は勘付いていたが、この王、どうにも思考が一般とずれている上に、割と我が道を突き進む人なのかもしれない。
「……はあ、そうですか……」
どうにかして今からでも部屋を替えて貰えないだろうか。確かにこの王に対する感情は日に日に好転しているのだろうけれど、だからといって共寝したいかと言われると、断れるものなら断りたいというのが本音である。
「ところでキョウヤ」
「え、あ、はい。なんですか?」
密着している現状が心地悪く、いい加減離してくれないだろうか、などと考えていた少年だったが、王に名を呼ばれて慌てて返事をする。
「そろそろ、その敬語を外しても良い頃合いだとは思わんか?」
「……は?」
相変わらず王の言葉は前後が抜けていて、少年に理解させる気がないのではないかと疑いたくなってしまう。
何がそろそろなのかも判らないし、何が頃合いなのかも判らない。つまりやっぱり、王の言っていることが判らない。
「ええと……?」
「いや、私とお前の仲なのだから、そのように堅苦しい敬語を使うことはないだろう。いつまでもそれではお前も肩が凝ってしまうだろうし、私も壁を感じてしまって少し寂しい」
一体どんな仲だというのだろうか。
というか、確か昨夜、寂しいという感情を知らないと言っていたような気がするのだが。いやでも、これは少年が関わる事象だから、もしかすると本心なのかもしれない。
かわいそうな少年は、既に王に毒されてしまっているのか、そもそも自分の肩が凝ることはないし、何ならこのまま敬語でいる方が自分にとってはまだ気が楽だという事実に行き当たることができなかった。
「……その、今貴方が言った寂しいって……?」
「そこを突っ込むのか? いや、キョウヤは中々に豪胆な子だなぁ」
そう言って笑った王が、わしゃわしゃと少年の頭を撫でる。
もしかすると失礼なこと言ってしまっただろうかと、少しだけ顔を青くした少年だったが、王が機嫌を損ねた様子はなかった。
「恋人から距離を取るような対応をされては、一般的に寂しいと感じるものなのだろう?」
「え、ああ、……はい、多分」
つまり、そういうことだ。
何故だか少しだけほっとした少年は、一瞬迷うように視線を彷徨わせてから、そっと王を窺い見た。
「……あの、それでも、敬語は嫌、なんですか……?」
「そうだな。私は少しでもお前と親しくなりたいと思っているし、私が私としてお前個人と接しているときは、できれば王ではなく私として在りたいとも考えている。だから、お前が敬語を外してくれる方が嬉しい。……恐らくは、心からそう思う」
「…………でも、」
国王陛下を相手に、敬語を使わないなど。自分の価値をどうしようもなく低いものだと思っている少年にとって、それは非常に難しいことだ。
だが、そんな少年の顎を優しく掬い上げて、王は眼帯に覆われていない彼の瞳を覗き込んだ。
「私はそうして貰いたいのだが、……駄目か?」
「っ、」
金色の瞳の中で、炎が揺れる。やはりこの瞳がこの上もなく美しくて、この美しさを永遠に約束されたのだということを思い出した少年は、どうしてだか頬が上気するのを感じた。
そしてこうなった以上、少年は白旗を振ることしかできないのである。
「……あなた、やっぱり、ずるい」
呟くように零された言葉はやはり、王を責めるような色を含んでいて。それを受けた王は、満足げに微笑むのだった。
そんなこんなで、初日は別に行きたくもない城下街へ連れて行かれるし、次の日は知られたくない過去を知られてしまうしと、割と散々な目にあっていた少年だったが、残りの二日間は非常に穏やかなものであった。王の寝室で眠るのは当然のことながらどうにも慣れなかったが、それ以外は快適な生活だったと言えるだろう。特に、何故だかグレイとは相性が良いようで、彼との会話はそれなりに楽しむことができた。
どう足掻いても魔術を使いこなせない自分に、それでもやたらとグレイが色々な魔術を教えてくるのは不思議だったが、知っておくに越したことはないだろうとの判断だったのだろう、多分。
結局、グランデル王国に滞在している期間中、特に大きな事件が起こることもなく、日常よりは少しだけ刺激的程度の時間を過ごして、少年は帰っていった。
王にしても少年にしても、その後も常と変わらない日々を送っていたのだが、少年がギルガルド王国に帰ってからひと月ほど経ったある日、ついにその穏やかな日常に影が落とされることとなった。
ばたばたとした足音と共に、ノックもなしに国王の執務室の扉が開かれる。
「申し上げます!」
入室すると同時にそう叫んだのは、東西南北に配置している騎士団との伝達を担っている文官のひとりであった。
この文官の地位は決して高いものではなく、通常であれば国王の執務室に無許可で入室することなど有り得ないような身分であったが、ここグランデルでは、有事の際は高官の許可を得ることなく誰でも国王に謁見する権利が与えられている。
つまりこれは、高官に話を通す時間すら惜しい事態が発生したということに他ならない。
手にしていた書類を机に置いた王は、隣に控えていた側仕えにすぐさま宰相を呼ぶように指示を出し、それから、息を切らしている文官に視線を戻す。
「何事だ」
「東の国境付近にて、我が国の山を切り崩し、人為的な土砂災害を引き起こすという大規模な破壊工作が発生。すぐさま東の砦よりデディ騎士団が鎮圧に向かったとの報告を受けました」
「薄紅との国境か。民とあちらへの被害は?」
「土砂が流れ込んだのは我が国のみで、現在のところシェンジェアン王国の領土へ被害が出ているとの報告は受けておりません。ただ、土砂に埋もれた場所は我が国とシェンジェアン王国とを繋ぐ陸路の一部であるため、商人や旅人等が巻き込まれた可能性は否定できず、この事態を受け、デディ騎士団長からは、敵を確認次第、出来得る限り我が国側へ誘い込むよう努め、同時に別部隊に被害地での救助活動を行わせるとの旨の報告を受けております」
文官の報告に、王が頷く。
「薄紅は荒事にはやや不向きな国だ。あちらに敵を回さず救助活動を行うとなると、こちらにおびき寄せるのが最良か。騎士団長の判断、見事であると伝えてくれ」
「はっ」
「それから、ギルガルド王国に派遣しているルゲイス騎士団員の半数を西の駐屯地まで下がらせよ。同時に、西に派遣している中央騎士団の全てを首都に戻す。加えて、連合国への緊急事態通告も頼んだ」
「すぐさま周知致します!」
一礼した文官が、執務室を駆け出ていく。それと擦れ違うようにして、今度はロンター宰相が入室してきた。
「来たか、レクシィ」
「話は道中で別の文官から聞きました。東の国境で大事だそうですね」
「ああ、まず間違いなく帝国の仕業だろう。我々や薄紅に気づかれずに山を崩すとなると、例の空間転移魔導で突発的に大軍を寄越したか、もしくは恐ろしく腕の立つ者を目立たぬ程度の人数だけ寄越したか……。前者ならばまだ良いが、後者の場合、相手の力量次第では私が出る必要があるやもしれん」
騎士団では手に負えないほどの敵であったならば、王が直接鎮圧に赴くとの言に、レクシリアは心得ていると頷いた。
「ご出立の準備は既に始めております。このような有事となれば、いつものようにグレンに乗る訳にはいかないでしょう。ライガをお使いください。グレンほどとはいきませんが、国内ではグレンに次いで速度が出ます」
グランデル王国自体に危害が加えられている以上、王と王獣が同時に王都を離れるのは得策ではない。国境で起こった件が囮で、狙いが王都だった場合を考慮すると、王都を守る戦力を著しく低下させる訳にはいかないのだ。これは王都だけでなく他の地方の要となる都市にも言えることで、だからこそ王は、金の国に派遣している戦力を戻す判断を下したのである。
レクシリアの提案に頷きを返しながら、王は卓上に大陸の地図を広げた。
各国や各地方との連絡に使っているのは、早駆けに優れた幻獣の、雷光鳥だ。扱いが非常に難しい小鳥で、彼らを使った伝達が行えるのは国内でも優れた文官のみだったが、その速度は他の幻獣や騎獣の脚を遥かに凌ぐ。雷光鳥の翼ならば、王都から東の国境までにかかる時間はそこまで長いものではないだろう。
「この距離ならば情報の伝達には困らないが、私が向かうとなるとやはり時間がかかるな……」
「陛下の到着を待たずにデディ騎士団が壊滅するほどの事態、となると、それこそ前代未聞です。今回はそうではないと思いたいところですが……」
「最悪を想定するに越したことはないな。……続報を待たず、今すぐにでも出るべきなのやもしれんが、それこそが相手の狙いである可能性もある。やはり、東からの連絡を待つよりほかないか」
せめてもう少し情報があれば判断のしようもあるが、それが来るのは次の伝達だろう。
「いずれにせよ、次の手を考える必要がある。至急、中央騎士団の団長と副団長を呼んでくれ」
「そちらも既に手配済みです」
「ふむ、相変わらず優秀な宰相だな」
王の言葉に、レクシリアの表情が僅かだが嬉しそうに緩んだようにも見えたが、一瞬のことだったので真偽のほどは定かではなかった。
レクシリアの言う通り、ほどなくしてグランデル王立中央騎士団団長であるガルドゥニクスと、副団長のミハルトがやってきた。
筋骨隆々としたガルドゥニクスと比べると副団長のミハルトはやや見劣りがする青年であったが、魔法の腕も剣の腕も確かなもので、こと軍略においては団長であるガルドゥニクスも舌を巻くことがあるほどの人物である。
「東で大事と聞きましたが、我々中央騎士団も加勢に行くべきでしょうか」
軽く一礼をしてからそう言ったガルドゥニクスに、王が首を横に振る。
「いや、デディ騎士団を以てしても対処できない事態ならば、中央騎士団を向かわせるよりも私が出向いた方が良いだろう。二度手間になった挙句、手遅れになる可能性も否定はできんからな」
聞く者によっては辛辣にも聞こえるかもしれない言葉だったが、王に中央騎士団を貶めるつもりはなく、それはガルドゥニクスもミハルトも重々承知していた。
「私が出るとなれば、王都の守りが薄くなる。それを見越し、金の国に派遣していた騎士の半数を西の砦に戻し、更に西の砦からも中央騎士団に人員を呼び戻すこととした。東からの連絡が来るまではどうなるか判らぬが、もし私がここを空けることになった場合、ガルドゥニクスには全騎士団員を統括し、王都の守護に尽力して貰いたい」
その命にガルドゥニクスは頷いたが、ミハルトは納得ができないといった面持ちで王を見た。
「畏れながら申し上げます、陛下。一部の戦力を派遣場所から撤退させるとの話、私には些か腑に落ちません。人員を呼び戻すのは王都の守りのためと仰いますが、そもそも王都に守りが必要でしょうか?」
王の命に否を唱えたミハルトに、王は彼に視線をやった。
「どういう意味だろうか」
「我が国は、戦ごとが得意ではない金と薄紅に囲まれております。故に、両国に大事あらば我が国から戦力を派遣することとなるでしょう。つまり、帝国の狙いが本当に王都で、そのために最大戦力である陛下を王都から離れた場所に誘き寄せて足止めするというのであれば、国境のような半端な場所ではなく両国を狙う方が得策だと考えます」
「しかし、金と薄紅を狙えば、我が国に加えてその国の軍部をも相手取らなければならなくなる。それよりは一国を相手に仕掛ける方が安全策ではないか?」
王の反論に、しかしミハルトは首を横に振った。
「これがグランデル王国以外の国での話ならば、陛下の理論は正しいでしょう。しかし、我が国を対象として考えるならば得策とは言い難い。……陛下も十二分にご承知の筈です。シェンジェアンとギルガルドは、円卓の連合国の中では著しく防衛力に欠ける国だ。正直に申し上げますと、我が国の騎士団のみで戦うよりも、両国を守り、協力しながら戦う方が遥かに難しいと私は思います。無論、薄紅には黒が、金には橙がそれぞれ加勢するでしょう。しかし、それを踏まえたとしても、我が国からもそれなりの戦力を派遣せざるを得ない。そしてそうなった場合は、今回の比ではないほどに王都の守りは薄くなる。……少なくとも私がこの国を落とそうとするならば、そう致します」
「ふむ。その考えを根拠に、此度の一件は王都を狙ったものではないと?」
王の言葉に、ミハルトは頷いた。
「隣国で騒ぎを起こさず、わざわざ東の国境のみを狙ったということはつまり、帝国が真に我が国の戦力を遠ざけたいのは西……、すなわち、金の国なのではないでしょうか。もし私の読みが正しく、帝国の狙いがまたもや金の国なのだとしたら、十中八九狙われるのはキョウヤ様です。その国から騎士団を撤退させるのは、愚策と呼べるものなのでは?」
「おい、ミハルト! その発言はさすがに度が過ぎるぞ!」
思わず強い語調で言ったガルドゥニクスを、王が手で制する。そして王は、ミハルトを見て微笑んでみせた。
「いや、さすがは中央騎士団副団長。鋭く的確な読みだ。私もお前の言っていることは全面的に正しいと思う。私がグランデルを落とそうとした場合も、お前と同じ作戦を取るだろう。……そして帝国も、恐らくはそうだ。本気でグランデルの王都を狙うのならば、グランデルではない場所で大事を起こすだろうな。何故なら、連中は王都を落とす際に一番の障害となるのが私であることをよく知っている」
「そこまでお考えになっていらっしゃるのならば、何故戦力をお戻しに?」
ミハルトの問いに、王は少し視線を落として思案するような表情を見せた。
「我々の言う最良の作戦を実行するためには、かなりの戦力が必要なのだ。なにせ最低でも二ヵ国で同時に大きな騒ぎを起こさねばならんのだからな。その上で、加勢に来た国々をも相手取って足止めする必要がある。……そうなると気になるのは、今の帝国がそれだけの戦力を持っているかどうかではないか?」
「……つまり、どういうことでしょうか」
「私はな、敵の戦力がもう少し詳しく知りたいのだ。黒の王が色々と情報を入手してくれはしたが、どうにも未だに全容が見えん。だからここは、敢えて敵の手に乗る。敢えて可能な限りの戦力を国内に戻すのだ。もし帝国に最良の手段を取れるだけの戦力がなかったならば、私のこの判断は非常に厄介だろう。他国を捨ててでも自国の守りに徹するとなれば、今回のような中途半端な囮は機能しないからな。当然、多少の焦りも見られるというもの。逆に敵に焦る様子が一切ないのであれば、それはすなわち、この襲撃自体に重要性の高い目的はないことを示している。さて、では仮に大きな目的のない襲撃なのだとしたら、一体何故彼らは仕掛けてきたのだと思う?」
試すように言った王に、ミハルトは僅かな沈黙の後に口を開いた。
「前回の襲撃から大きな間を空けないため、でしょうか。連続的な交戦というのは、それだけで互いを消耗させるものですが、確実に相手を疲労させることができます。戦力を多く持っているのならば、有効な手段であると言えるでしょう。……それに加え考えられることがあるとすれば、……何かしらの試験を行っている可能性、でしょうか」
ミハルトの回答に、王は満足そうに頷いた。
「やはりお前は優秀な騎士だ。いや、私もそう考えていたところでな。もし連中がグランデル王国の戦略を解析しようとしているのであれば、ここで正しい判断をするのは危険だ。やはり、わざと愚策を選択する方が無難だろう。そうすることで、少なくとも相手の戦力の目安が判る上、この程度の襲撃で王都の守りを固め出すような気弱な国であるという印象操作もできる。勿論、帝国の上層部にはこのようなはったりは効かんだろうが、現場の兵たちにはある程度有効だ。急激に強い力を手に入れたことも相まって、多少の慢心は招いてくれるだろう」
王の言葉に、ミハルトは素直に感嘆した。
確かに、ここで西に派遣している戦力を戻さないままでいれば、敵の作戦を読めているということと、その程度の戦力ならば欠けたところで大した問題はないという事実が露呈してしまう可能性がある。しかし、王が判断したように戦力を呼び戻せば、こちら側から相手に渡る情報は限りなく少なくなるだろう。もし敵がそこまで考えておらず、回せる戦力の全てを国境につぎ込んだだけのことだったとしても、赤の国で問題が生じることはない。
つまり王は、どう転んでも最も被害の少ない選択をしたのだ。
「……さすがはロステアール王陛下。出過ぎたことを申し上げてしまったこと、深く謝罪致します」
深々と頭を下げたミハルトに、王は気にするなと笑った。
「物怖じせずに自分の考えを述べるのはお前の美点だし、私はお前のそういうところを好ましいと思っている。実際、お前の感じる疑問は尤もであり、それを伝えるということは非常に重要なことだ。私が誤らないという保証はないのだからな。今後も頼りにしているぞ」
「勿体ないお言葉です」
ミハルトがこうして王の策に苦言を呈する光景は、実は見慣れたものである。ミハルト自身が切れ者なのもあり、王の作戦に対して異を唱えるのは大体が彼だった。問答の際に少々失礼な態度を取りがちな部下に、ガルドゥニクスはいつもハラハラしているのだが、当の国王はいつもミハルトとの問答をにこにこと楽しんでいるようなので、彼も団長として強く咎めることはしていなかった。結局最後にはミハルトも王の意見が正しいと感嘆するのが常のことだったので、実際そこまで問題はない。
ただ、一度だけあまりに議論が白熱しすぎてミハルトがやや暴言のようなものを吐いてしまったことがあり、そのときばかりは歴戦の猛者であるガルドゥニクスも肝を冷やしたものだ。あれはもう本当に怖かった。王がではない。すました顔で王の隣に立っているそこの宰相がである。
そんなことを思い出しながら、ガルドゥニクスは国王に向かって口を開いた。
「陛下のお考えは理解しましたが、もし国境を襲ったのが陛下のお手を煩わせねばならないほどの強敵だった場合、帝国の狙いは金の国で、陛下をそこから遠ざけようとしている可能性が高いのでしょう? そんな中でギルガルドから戦力を削ぐのはやはり問題があるのでは?」
ガルドゥニクスとしては当然の疑問を述べたつもりだったのだが、そんな彼をミハルトがやや呆れたような顔で見た。
「何を言っているんですか、団長。あそこまでのことをお考えの陛下が、そんな団長ですら考えつくような問題点に気づいていないはずがないでしょうに。当然、抜かりなく対策済みなのですよ」
小馬鹿にしたような物言いに、ガルドゥニクスが引き攣った笑みを浮かべる。だが、おおらかで優しい性格の彼が怒ることはなかった。実際、ミハルトの方が頭が回るのは事実なのだ。それに、彼がこういう生意気な態度を取るのは懐いている証拠である。それを十分理解しているので、こういう失礼な態度も大目に見ることにしていた。
「……ガルドゥニクス団長も大変ですね」
ずっと黙って控えていたレクシリアがぽつりと漏らした声に、ガルドゥニクスは曖昧な微笑みを返した。
「ふむ。グランデルの民はどうにも私を過信していていかんな。私は万能ではないというのに」
「しかし陛下、金の国から欠けることになる戦力分の補強は既になさっているではないですか。それこそ、ある意味補って余りあるほどに」
さらりと言ったレクシリアに、王が苦笑する。そんな王の様子に、ミハルトはほら見たことかという顔をしてガルドゥニクスを見た。
話が纏まったところで、今後の動きについて四人が相談をしていると、慌ただしい音と共に会議室の扉が開かれた。そして、そこから転がるようにして駆け込んで来た文官が叫ぶ。
「国王陛下に申し上げます! デディ騎士団団長より緊急報告! 敵があまりに強く、団員への被害が甚大! 現在はデディ騎士団長がなんとか食い止めているそうですが、それもいつまで保つか判らないとのことです!」
「敵の数は?」
王の問いに、文官がやや青ざめた顔を王に向ける。
「一人、と」
その言葉を聞くや否や、王は椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「全ての連合国に緊急連絡! デディ騎士団には私の到着までなんとか持ち堪えるように伝えろ! レクシィ、私が戻るまで、緊急時の全権をお前に預ける!」
そう言い残し、返事を待たずに王は部屋を飛び出した。
グランデル王国における五つの騎士団は、非常に優れた能力を誇っている。その騎士団の団長が苦戦を強いられるとなると、それは紛れもない強敵だ。
勿論、こうなる可能性を予想していなかった訳ではない。だが、予想していた中では最悪の部類に入る事態である。
(こうなってくると、ギルガルドへ襲撃がある可能性は高いか。そのあたりはレクシィが指揮を取って向こうに伝えるだろうが、それくらいのことは帝国側も予想している筈。……恐らく、こちらからの伝達が届く前に、既に何かが仕掛けられている)
それが何かまでは、王にも判らない。ただ、再び大きな事件が起きようとしていることだけは事実だった。
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