【完結】かなしい蝶と煌炎の獅子 〜不幸体質少年が史上最高の王に守られる話〜

倉橋 玲

文字の大きさ
66 / 147
第3章 虚ろの淵より来たるもの

深淵

しおりを挟む
 天ヶ谷鏡哉が黄の国の王都にやって来てから一週間ほどが経った、満月の日の夜。北に遠く離れた銀の国エルキディタータリエンデ王国では、ようやく過去視の準備が整ったところだった。
 過去視や未来視は、その他の一般的な魔法とは違い、その過程で精霊が一切介在しない特殊な魔法だ。その原動力が何であるかは明らかになっていないが、精霊魔法とは全く別の機構によって成り立っている魔法であり、金の王の未来視が意図的に発動できないのはそれが原因だろうと推定されている。一方で、過去視の場合は銀の王の手で任意に使用することができるのだが、発動までに必要な工程が多い上に魔力の消費量も著しいため、こうして万全の準備を整えるまでは発動に漕ぎつけられないのが難点だ。また、過去視の精度は月の満ち欠けに著しく影響されるため、日取りを選ばなくてはならない点も、この魔法の扱いにくさを助長させている。
 今回も、限界まで過去視の力を引き出すために、満月の夜が選ばれた。天井がない祭壇のようなこの場所は、銀の国の王宮最上階に造られた、過去視専用の空間である。そしてその床には、巨大な魔法陣が描かれていた。
 細かく複雑な模様で構成されているこの魔法陣は過去視の魔法を発動するために必須であり、銀の王自らが自身の魔力を注ぎ込みながら描いたものだ。描く際に注ぐ魔力量は常に一定でなければならず、想像を絶する集中力が求められる上、陣を描き切るために必要とされる魔力総量も桁違いに多い。陣を描くのにかかる日数と月の満ち欠けとを考慮すると、過去視を行うのは今日が最適だったのだ。
「エルク・エルエンデ」
 月が満ちる空に向かい、銀の王が厳かにその名を呼ぶ。すると、輝く光の粒子を脚に纏わせた銀の獣が夜空を駆け降りて来た。エルキディタータリエンデ王国の王獣、エルクである。
 額に枝分かれした一角を持つ四足の獣は静かに魔法陣の中心へと降り立つと、金色の瞳を王へと向けた。
 銀の王がわざわざ王獣を呼びつけたのには訳がある。特殊魔法である過去視の発動には、王獣の助けが欠かせないのだ。
 陣の中心に向かってゆっくりと歩を進め、王獣の正面に立った王は、獣の首を覆う鱗にそっと掌を乗せた。そんな王の腕に、王獣が優しく鼻先を押し当てる。それを受けひとつ頷いた銀の王が、月明かりに煌めく獣の角に左の手を翳した。そして、厳かに詠唱が紡がれる。
「風が運ぶ幻よ 水面に揺れる泡沫よ」
 王の奏でる声に、足元の魔法陣からふわりと光が浮かび上がる。まるで月光を受けて輝いているかのようなそれに呼応して、王獣の角もまた鼓動するように光を放ち始めた。
「時の流れを揺蕩い果てし 忘我の終に至れる数多よ」
 王獣が目を閉じて蹄を鳴らせば、この場に溢れる光がより一層輝きを増した。
「我は往く者 我は還る者 なれば宵闇を裂く御身の力を以て 世界の理を越えさせたまえ ――――“大いなる流れを駆ける時の使者ベウラ・エル・ヴェルレディーエン”」
 瞬間、溢れだした光が弾けた。目を灼くような光が空間を満たし、世界が真っ白になる。そんな最中、しかし僅かも怯まぬ王は、白の虚無に向かって手を伸ばした。
 今回の過去視の目的は、ウロについての情報を集めることだ。彼は、魔導を含めた帝国の戦力増強に強く関与している可能性が高い上、黒の王に危険視されるほどの人物だが、全くと言って良いほどに情報がない。本来であればそれを含めて黒の王が調査できれば良かったのだが、ウロ相手にそれは不可能だと言う。だが、だからと言って調べない訳にはいかない。もし帝国の力の源がウロなのだとしたら、彼に関する情報なしで戦を仕掛けるのは余りに愚かだ。得体が知れない相手だからこそ、相手が一体何者なのか、どのような力を持っているのか、何を目的としているのか、といった情報が必要なのである。
 だからこそ、銀の王は過去を視る。過去視は、発動者の求めた現象の発生点・・・・・・・・・・・・・を遡って見ることができる魔法だ。つまり、対象とする事象がいつ生じたものなのか判らなくても、事象の設定さえすれば発動することができる。よって、今回のようにウロが帝国にやってきた時期すら判らない状態でも、その現象を対象に設定しさえすれば、時期も合わせた詳細な情報を手に入れることが可能なのだ。
 だから王は強く念じる。帝国領にウロが現れた、その時間軸へと遡ることを。
 果たして、伸ばされた王の手に何かが触れた。それは、簡素なドアノブである。左手でしっかり掴んだそれを、王が回す。そして彼は、白に呑まれて見えないドアを開け、一歩を踏み出した。彼がドアを潜ったその途端、ぱっと景色が切り替わる。
 そこは、帝国の帝都にある王城の一室のようだった。銀の王は、立派な飾り付けがされた部屋の天井近くに浮いている。といっても、実際に浮いている訳ではない。これは、過去の風景をある種の幻として空間に投影しているようなものなのだ。だから、正確には、銀の王の足元の空間にそれが投影された、と言うべきだろうか。
 部屋にある豪奢な椅子に座しているのは、今よりも若いが確かに皇帝だ。ならば、ここは恐らく謁見の間か何かだろう。
(……では、あれがウロか)
 高い位置に座っている皇帝を見上げている、この世のものとは思えないほどに整った顔の青年。その特徴は、黒の王から聞いたものと酷似している。聞こえる会話に耳を澄ませると、どうやらウロは今、皇帝に自分がいかに有用であるかを売り込んでいる最中のようだった。その中で魔導に関する言及があるのを認め、銀の王は目を細めた。
(話の内容から推測するに、この時間軸はおよそ十年前、といったところか……。やはり、帝国に魔導を指南したのはこの男だな)
 そのまま話を聞いていれば、帝国が神の塔を乗っ取り、皇帝自らが神に昇華しようと目論んでいること、ウロがリアンジュナイルを相手取るための手助けをすると約束したこと、そのためにこれから魔導実験を行い魔導の精度を上げる必要があること、といった情報を得ることができた。ここまでは、概ね円卓の王たちが推測した通りである。さすがに皇帝が神になろうと考えているとは思っていなかったが、狙いが神の塔であるという点に変わりはない。ならば、現在進めている防衛策を変更する必要はないだろう。
(問題は、このウロという男が何者であるか、か)
 長かった王との謁見を終え、部屋へと案内されていくウロを俯瞰しながら、銀の王は思案した。
(このままウロを見続けるべきか。それとも、帝国側に探りを入れるべきか。……いや、先程の様子では、ウロの来訪は帝国にとって予期せぬ事態のようだ。であれば、やはり私が見続けるべきはウロ。この男が何者で、何を考え、何を目的としているのかを探る)
 幸いなことに、女官はウロを部屋に入れてすぐに立ち去ったため、今は部屋にウロ一人だけである。ならば、周りに人がいては出さないような顔を出す可能性がある。
 そう思った王だったが、部屋に入ってからのウロは、退屈そうに部屋に置いてある調度品を弄ってみたり、ベッドに転がってみたりと意味のない行動ばかりで、一向に何かをする気配がない。
 暫くその様子を見ていた銀の王だったが、有意義な情報の入手が見込めないと判断した時点で、この傍観に区切りをつけることにした。
 この時間軸でこれ以上の情報が望めそうにないのならば、時間軸を移動すれば良い。さしずめ、“ウロが円卓の国々を害そうと思い至った時間軸への移動”あたりが妥当だろうか。
(時間軸の移動はそれだけで魔力の消費が著しいが、致し方あるまい)
 一回の過去視でそう何度もできることではないが、少なくとも一度くらいの移動ならば問題なく行える。そう考えた王が、再び詠唱を始めた、その時、
「あー、そこで僕自身の過去を覗こうとしちゃうワケかー。それはちょーっと、容認できないなぁ」
 ウロが、王を見て・・・・喋った。
「っ!?」
 予想外の事態に、王が息を呑む。
 それは有り得ないことだった。何故なら、これは飽くまでも過去を幻として投影したにすぎず、実際に過去を遡ってその場に王が存在している訳ではないからだ。故に、王が誰かに認識されることなど有り得ない。
 だが、ウロの目は確かに銀の王を見ており、その言葉は王に向かって発せられたものだった。
「あれ? もしかして驚いてる? あー、そっか、そうだよね。この魔法、干渉値を減らすために過去を覗くだけに留めてあるやつだもんね。タイムスリップじゃないもんね」
 一人納得したように頷いているウロを前に、銀の王の背中を冷たい汗が伝う。この上ない想定外の事態に、老練の王は聡明であるが故に次の手を出しあぐねていた。ここで攻撃行動に出るのは簡単だが、投影物でしかない過去の一幕において明確に個として己を確立してみせた生き物に対し、自分の持てる何かが通じるとは考え難い。そもそも、王の側からすれば、これは投影でしかないのだ。向こうは王に触れられるが、王は向こうに触れられない、という可能性も十二分に有り得る。ならば、尚更手を出す訳にはいかない。向こうが何を考えているかは判らないが、危害を加えようとした相手を見逃してくれるとは思えなかった。
 黙したまま、ただ相手を見返すだけの王に、ウロがこてりと首を傾げる。
「どうしたの? ……ああ、そっか。タイムスリップって言葉はこの世界にはないんだっけ? ん? というより、概念自体ないのかな? この世界、過去にはかなり跳びにくいようになってるもんね。しかも今は誰かさんのせいで事象固定されちゃってるから、ほとんど不可能かも」
 ウロは世間話でもするような調子で話を続けているが、耳に馴染みのない内容に王は困惑していた。勿論王はその困惑を表に出すような真似はしなかったが、それでもウロには王の心情が手に取るように判ったのだろう。彼は王に向かって、愛想の良い笑顔を差し出してきた。
「そんなに困らないでよ。別に僕、今のところ君に危害を加えようなんて思ってないからさぁ。なんなら一緒にお茶でも飲む?」
 そう言ったウロだったが、当然ながら銀の王からの反応はなく、彼はやれやれという風に肩を竦めて見せた。
「もしかして、僕が一体どの時点の僕だか判らなくて気になっちゃってる? それなら安心して良いよ。僕はちゃーんと、君が視ようとした時間軸の僕だから。そうだなぁ、多分こういう状態になるのって十年後くらいだと思うから……。うん、今の君からしたら、僕は十年くらい前の僕ってことになるかな」
 そう言ったウロに対し、王はやはり何の反応も見せない。だが、その内心は穏やかではなかった。
(何故、私と自分との間の隔たりが十年だと判る?)
 王の見た目から判断した、という可能性はある。だが、果たしてそれだけだろうか。成長著しい子供ならまだしも、老齢の王を見て十年の時を感じることができるものだろうか。
(……十年先を視たのか、予想したのか)
 どちらにせよ厄介なことだ、と胸の内で呟いた王を見て、ウロがひらひらと手を振った。
「あ、大丈夫だよ。僕、先を視る趣味はないんだ。未来が判ったらつまんないでしょ? あ、でも金の王様に未来視の権限が与えられてるってことは、君たちにとっては未来を視るって嬉しいことなのかな? 過去視もそう? 重宝する? でも残念だねぇ。干渉値とか事象固定の影響から鑑みるに、今はあんまり機能してないんじゃない?」
 そう言って笑ったウロに、王は得体の知れない違和感を覚える。
 何かがおかしい。ウロからは話の内容を王に理解させようという気を一切感じないし、寧ろひとりごとのようにさえ思えるほど、彼の話は散漫としている。だが、ひとりごとにしては独りよがりさに欠け、王の存在を意識した上で言葉を選んでいるように感じられた。
 つまり、語られる一連の話には何がしかの目的があるはずなのだ。このくだらない会話のような何かをすることで、ウロは何かを為そうとしている。
 そこまで辿り着いた王は、ぞっとした。ここにいるのが本当に十年前のウロなのだとしたら、彼は十年の空白をものともせず、十年後の王を相手に何かを仕掛けようとしていることになる。
(…………底の無い深淵を覗くような心地だ)
 あの黒の王に、あれはヒトには殺せないと言わしめるほどの相手だ。それ相応の覚悟はしていた。だが、話に聞くのと実際に対面してみるのとでは、抱く印象が大きく違った。
(僅かに一手を誤るだけで、国ごと足元を掬われかねぬ)
 呼吸すらも許されないのではないかと錯覚しそうなほどの緊張感が、王を襲う。だが、この状況にあっても尚、王は欠片も冷静さを失わなかった。
(確かに、この男は脅威だ。だが、相手に惑わされることはない。私はただ、今この瞬間に為すべき最善をのみ見出せばいのだ)
 そうだ。今すぐこの男を倒さなければならない訳ではない。少なくとも、それは銀の王の役目ではない。今の王がやらなければならないのは、このウロから僅かでも多くの情報を持ち帰ることだけである。
 浅く息を吐き出して相手を見据えた王を見て、ウロが小さく笑う。
「うーん、ご立派。防衛装置の役割を担ってるだけのことはあるなぁ。僕には十年後のことは判んないけど、どうせ十年後も君みたいな王様が揃ってるんでしょ? それも多分、若い王様が多いんだ。違う? 違わないよね? 若くて優秀なのが揃ってるでしょ? あ、でも金の王様は未熟かも。だってその方が不自然じゃないから」
 つらつらと並べられる言葉たちに、銀の王の指先が無意識にぴくりと震える。そして彼の顔から、徐々に血が引いていった。
「いやぁ、可哀相だな。可哀相だよ。だって、基本的に若い人が王様になることってあんまりないだろうに、若い王様がたっくさん。君たち人間はどうしても感情を捨てきれないんだから、王様なんて荷が重いだけなのにね」
 そう言ってウロが微笑んだ瞬間、銀の王は戦慄した。かつて勇名を馳せ、今もなおその名声が衰えたことのない王が、心の底から恐怖した。
 銀の王は、知ってしまった。現在の円卓の国において誰よりも王として在る時間が長かった彼は、誰よりも王という生き物に近かったからこそ、理解してしまった。王として、断片的に与えられる情報を冷静に迅速に正確に繋ぎ合わせてしまったが故に、答えに辿りついてしまった。
 目の前にいるこれ・・が、どういう類のものなのかを。これの狙いが、何であるのかを。
 そしてそのことをウロも正しく理解し、彼はうっそりと微笑んだ。
「ああ、君なら絶対に真実に辿り着くって信じてたよ。だって君はとても優秀な王様だ。だから、僕にそのつもりがなくても・・・・・・・・・・ちゃんと判ってくれるって判ってた」
「…………お、ぬし、は、」
 王の声が僅かに震える。
 王は確信した。ウロは間違いなく十年前の時間軸の存在だ。彼が敢えて自身のことを偽り、十年前の存在であるかのように装っている可能性も考えていたが、それは有り得ない。何故ならば、それでは意味がないからだ。
 ウロが敢えて・・・会話に紛れ込ませてきた情報は、全てひとつの答えに辿りつくようにと用意されたものだ。干渉値を減らすため、過去視は“視るだけの魔法”に制限されていること。干渉値と事象固定とやらの影響で、過去視と未来視の機能が低下していること。現在の円卓に若い王が多い事実は、十年前から容易に予想できることだったこと。極めつけは、金の王は未熟な方が自然であるという発言。これらの要素を拾い出し組み合わせることなど、王にとっては造作もないことだった。
 やはり、円卓会議で王たちが出した仮説は正しかった。ウロと神との間には、常に平衡に保たれるべき天秤が存在するのだ。それはいわば、陰と陽のような関係なのだろう。この世界に陰の干渉が成されれば、平衡のために陽の干渉が施される。恐らくは、そのバランスを保てなければ、ウロにも神にも何がしかの問題が生じるのだ。だからこそ、神もウロも互いの出方を窺いながらでなければ動けない。
 そしてその干渉は、少なくとも十年前の時点で存在していた。いや、もしかするともっとずっと前からあったのかもしれない。何故なら、現在の円卓の王は皆、ウロの干渉を予期した神によってあらかじめ采配されていたに違いないのだから。
 では何故、金の王だけが未来視もままならないほどに未熟なのか。簡単な話だ。ウロも言っていた通り、金の王は未熟でなければならなかった。未来視が発動しにくいことの原因として誤認させるために。
 そう、これは銀の王すらも今この瞬間まで知らなかったことだが、未来視と過去視は神性魔法の一種だったのだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 神性魔法は、文字通り神の力の一端を借りて使用する魔法である。ならば当然、神の側の干渉値を引き上げることになるだろう。だから、神は未来視と過去視の機能を低下させざるを得なかったのだ。そしてこれは恐らくだが、過去視よりも未来視の方がより干渉値が大きいのだろう。ウロは過去視も機能が低下していると言ったが、少なくとも使用者が顕著に感じられるほどの変化はない。その一方で、未来視は誰の目から見ても明らかなほどに発動率が下がっている。つまりは、そういうことだ。
 では、どうしてそうまでして干渉値を抑える必要があったのか。
 その答えもまた、簡単である。
 少なくとも十年以上前の時点で既に、神の側からの干渉が過多だったのだ。その原因までは判らないが、そう考えれば、ウロによって円卓の連合国が受けている影響の割に神からの助力が少なく思えるのも、後手後手に回っている印象が拭えないのも、全て納得がいく。
 少なくとも十年より前に起こった神からの何がしかの干渉が大きかった影響で、今の神はこの世界に大きく干渉しにくい状況に置かれているのだ。そしてウロは、それを逆手に取っている。
 投影にしか過ぎない身で個を保ち、未来の存在である王に干渉できる生き物。神を相手取り、見事対等な駆け引きをしてみせる存在。そんなものがいるということすら銀の王は知らなかったが、現実として目の前にいる以上、認めざるを得ない。
 円卓の国々で知られている神は、遥か高みに存在する最上位種だ。信仰の末に存在する概念神ではなく、確固たる種としての生命である。ならば、この男は、
(――神に連なる、最上位種の一人……!)
 想定し得る限り、最悪の事態だった。ウロが最上位種であったことがではない。王が置かれているこの状況がだ。
 この一連の流れは、全てウロが十年前、もしくはそれよりも遥か昔に仕組んだものだった。王はまんまと、ウロの計画通りの行動を取ってしまった。
 到底予測できたものではない。少なくとも、人の身でしかない王には不可能だ。なにせ王は、ウロと神との間にある天秤の存在すら知らなかった。
 青褪めた顔で、しかしウロから目を逸らすことなく歯噛みした王を見て、ウロが笑う。
「あははは、悔しいって顔だ。僕が何者かを理解した上で、なお悔しいと思うんだねぇ。そういう身のほど知らずなの、面白くて良いと思うよ。でも、うん、そう。君が気づいた通り、君の負けさ。君の考えている通り、僕は十年前の存在で、君は今の存在だからね」
 銀の王が、思わず拳をきつく握る。
 ウロの言う通りだ。王は、神性魔法である過去視を用いて十年前のウロに会い、何気ない会話の中で真実を見出した。神の力を用い、自ら能動的に、高次元の存在たる神々に関する情報を得てしまったのだ。
 一方のウロはどうだろうか。勿論、人間である王に高次元の事実の一端を知らせてしまったことについては、干渉と捉えられるだろう。だが、飽くまでも彼は世間話をしただけだ。少なくとも、一般的にそうとしか取れないように、話す順番や言葉を選んでいる。それを銀の王が確実に読み解くことを知っていたとしても、ウロが教えたことにはならないだろう。それほどまでに、彼は巧みだった。
 そして何よりも、このウロは十年前の存在にすぎないのだ。ならば、この件によるウロからの干渉値は、十年前にとっくに適応されているだろう。故に、現在に反映される干渉値は全て神の側からによるものであり、そして恐らく、その値はこれまでの比ではないほどに大きい。
 ウロの手により、干渉の天秤は絶望的なまでに神に傾いてしまったのだ。
(……敵う訳がない)
 ウロにとって十年後の存在である王と駆け引きをするためには、十年後の状況を詳細に予測しなければならない。高次元の存在ならば未来視くらいできるのだろうが、わざわざそんなことで干渉値を引き上げるような真似はしないだろう。だから、ウロはただ予想したのだ。十年後の戦況がどうなっているか。十年後に天秤がどれだけ傾いているか。十年後の銀の王が何を考えどう行動するのか。それらを全て、予想し切ったのだ。
 人間ごときに、そんな真似ができる訳がない。人として至れる中では最高峰のひとつに位置するだろう円卓の王たちでさえ、そんな芸当は不可能だった。
 歯噛みした銀の王に、ウロが慰めるような視線を向けた。
「そんなに悔やむことはないよ。だって君は間違ってなんかいないんだから。僕知ってるよ。円卓の王はみんな、常に最良手しか選択しないんだ。それがどれだけ非道でも、どれだけ自らが望まなくても、絶対に最良手以外を選ぶことはない。だってそれは、王に課せられた最低限の義務だ。そんなこともできない王なんて、存在する価値すらない。そうだよね? だから君が最良手以外を選ぶ訳ないんだよ。僕の目から見たって、君の選択は間違いなく最良だ。君が得られた情報から判断できるうちの、最も優れた選択だった。そして僕は君が絶対に誤らないって知ってた。それだけだよ」
 そう言ったウロが、酷く優しい表情で微笑む。それは慈愛のようでいて、その実、侮蔑一色に染まった歪な笑みだった。
「僕は端から君たちなんて見てない。僕と駆け引きをしているのは君たちじゃない。君たちは、ただの盤上の駒だ」
 身の程を知れと言いたげなその言葉に、銀の王はぴくりと指を震わせた。
 己が盤上の駒に過ぎないことなど、王は判っている。そも、円卓の王とは神の塔を守るための防衛装置だ。それが駒でなくて何だと言うのだろうか。己が高次元の存在と対等であるなど、勝てるかもしれないなどと、思ったことすらない。先ほど歯噛みしたのは、己の選び抜いた真の最良が、結果的に神の足を引っ張ることになってしまった事実を悔しく思ったからだ。高次元の存在に敵わなかったのが悔しかったのではなく、神の一策として機能し切れていないかもしれない事実が悔やまれただけだ。
 だからこそ、王は僅かな可能性に気づいた。
 ウロは高次元の存在だが、種としての生命体である。概念としての神よりも遥かに強大な力を持っている一方で、概念としての神と違い、神としての在り方が存在しない。人々の望む在り方である必要がない。それはある意味で、概念上の神よりもずっと人間に近いとも言えるのではないだろうか。
 可能性は低い。その言葉すらもブラフであるかもしれない。だが、銀の王は王だ。最良を選ぶことを課され、最良を選び続けてきた。その選択に、迷いを生じさせることすら罪だった。だからこそ、ここで彼が迷う必要はなく、権利はなく、意味はない。
 故に、王はそれを選択する。他でもない、己が王という生き物として在るために。
 王が小さく息を吐く。真実を知った今の王に、恐らく形式通りの詠唱は必要ない。願いを言葉に乗せたものが詠唱なのだから、願う対象が許しさえすれば、なくたって構わないのだ。それに、これからすることを考えると、詠唱する余裕はないだろう。
 詠唱なしで発動するなど前代未聞だが、問題ない。きっとこの過去視は発動する筈だ。何故なら王は、願うべき対象を知っている。そしてそれは、きっと王の意図を汲み取り、その願いを聞き届けてくれる筈だ。過去視は、満月の夜に最も力を増すのだから。
 王の魔力が、ぶわりと膨れ上がる。そして彼は、高らかに叫んだ。
「月神シルファヴールよ! この男がこの世界への介入を決めた時間軸へ!」
 王の全身から魔力が噴き出し、勢いよく広がる。だが、王が瞬きをひとつしたその瞬間、王から迸っていた魔力が一瞬にして掻き消え、同時に、目の前にウロがいた・・・・・・・・・
 投影体として眼下に見えていた筈のウロが、一瞬にして目の前に移動したのだ。驚愕の表情を浮かべた銀の王を、黒と呼ぶにはあまりにも暗い瞳が無感情に見つめる。そしてその手が、無造作に王の右目に突き刺さった。
「ッ……!!」
 声にならない悲鳴が、王の口から零れる。矜持から声を出さなかった訳ではない。高次元の存在から初めて明確に向けられた敵意に、声すら出せなくなっただけだ。
 ぶちぶちと神経を引き千切って目玉を引き摺り出したウロは、やはり無表情のまま、それを握り潰した。そして、どこまでも昏く底がない深淵のような瞳が、王の残された片目を見据える。
「……人間ごときが私の過去を覗こうなど、身の程を知れ」
 王に吐き出されたそれは、ゾッと底冷えがするような、暗く闇を這うような声だった。
 王の全身から汗が吹き出し、手足が震えを訴える。眼球を抉られた痛みなど、最早微々たるものだった。それよりも、神に連なる存在が放つ威圧感で、今にも呼吸が止まりそうだった。
 だが次の瞬間、ウロもろとも背景にノイズが走り、投影された過去が大きく歪んだ。過去視の持続時間に限界が来たのだ。恐らく、先程時間軸の移動を試みたときに使った魔力のせいで、これ以上過去を投影し続けられなくなったのだろう。
(っ、いかん……! まだ……!)
 王が力を振り絞って顔を上げる。その先にウロを捉えた王は、しかし彼がただ立ったまま無表情に自分を見下ろしているのを認め、限界を悟った。
 これ以上は、無駄な足掻きである。
 投影された過去が、徐々に薄れていく。映されていた風景が靄のように不明瞭なものへと変化する中、まだわずかに姿を捉えることのできるウロが、盛大にため息を吐き出した。そして、わざとらしくむくれた顔をする。
「は~、さすがはあの人が用意した防衛装置だよ。しかも月神の名前出すんだもん。思わずカッとなっちゃった。僕、あいつのこと殺したいほど嫌いなんだよね」
 想定外の言葉に、銀の王が思わず狼狽える。彼の困惑がここまで表面化するのは珍しいことだったが、先程の一件のせいでやや冷静さを欠いている状態なのだろう。
 そんな王を見て、ウロがにこりと笑う。今度は、そこに嘲笑の色は感じられなかった。
「僕、認めるべき対象は認めて褒めてあげる、良い子なんだ」
 その言葉が最後だった。全ての投影が掻き消え、元の風景、目に馴染む王宮の一室が戻って来る。
 だが、王の右目を襲う刺すような痛みは消えない。それは、ウロによって刻まれた傷が幻では済まないことを意味していた。
 床に倒れた王を案じて、王獣が駆け寄ってくる。心配そうに顔を寄せて来た王獣の頬に触れ、王は呻くような声を出した。
「全ての円卓の王に、伝えよ。敵は、神に連なるもの、高次元の存在だ。そして、その目的は、恐らく――」




 帝国の王城地下にある魔導実験所にて、楽しそうに鼻歌を歌いながらティータイムを楽しんでいるのはウロだった。面をつけたまま、その下にある口に器用にクッキーを放り込んでいる彼を見て、デイガーは顔を顰める。
「随分と機嫌がよろしいのですね」
「え? うん。そろそろ十年前の僕が撒いた種が芽吹く頃かなぁって」
「……種、ですか」
 相変わらず、得体が知れない男だ。何を考えているか判らないどころか、デイガーは、ウロが何をしてきたのか、何をしているのか、何をしようとしているのかを、ほとんど知らずにいる。そしてそれは、恐らく皇帝も同じだろう。
「うん、そう。種だよ。ま、あのときは最後の最後に意趣返しされちゃったんだけどね。でもなぁ、僕の大っ嫌いな奴の名前出されちゃったからなぁ。あのクソ野郎の力を打ち消すのと、あの子に物理的な干渉しちゃったので、計画してたバランスは実現できなかったけど、少なくとも前者に関しては気分が良かったし、まあ良いや。寧ろよく殺さずに我慢したもんだよ。あの子は殺させようとしたみたいだったけど、さすがにそれに乗る訳にはいかないからね。妥協点、ってやつさ。あそこでバランス修正入らなかったら勝負決まってただろうし、そのあたり、さすがはあの人の采配だなぁって感じ。そう簡単に決めさせてはくれないよねぇ」
 そう言ったウロは、面をつけていても判るほどにうっとりとした様子だった。これも今は見慣れた光景だ。やはりデイガーには判らなかったが、どうやらウロは、あの人とやらに懸想しているらしい。尤も、帝国の誰も、ウロの言うあの人が誰なのかは知らないが。
 時折、デイガーは思う。果たしてこの男は、本当に帝国に幸いをもたらす存在なのだろうかと。確かに、ウロが来てから帝国の国力は目を見張るほどに向上した。国は発展し、あの円卓の連合国にすらも並ぶのではないかと思うほどに強くなった。
 けれど、果たしてウロがもたらしたものはそれだけなのだろうか。この国の行く末を、この男に任せて良いのだろうか。
「ほらほら、何考えてるのデイガーくん? これから最後の仕上げだよー。円卓の連中に目に物見せてやろうじゃないか。なにせ魔導の方はばっちし準備ができてるからね。あとは君の空間魔導で、予定のポイントに転送するだけさ」
 一緒に頑張ろうね、と親指を立てたウロに対し、デイガーはただ黙って頷く。
 デイガーには何が正しいのかなど判らない。だがそれでも、帝国は戦争を止める訳にはいかないのだ。
 そう、全ては、真に平等な世界のために。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

【完結】少年王が望むは…

綾雅(りょうが)今年は7冊!
BL
 シュミレ国―――北の山脈に背を守られ、南の海が恵みを運ぶ国。  15歳の少年王エリヤは即位したばかりだった。両親を暗殺された彼を支えるは、執政ウィリアム一人。他の誰も信頼しない少年王は、彼に心を寄せていく。  恋ほど薄情ではなく、愛と呼ぶには尊敬や崇拝の感情が強すぎる―――小さな我侭すら戸惑うエリヤを、ウィリアムは幸せに出来るのか? 【注意事項】BL、R15、キスシーンあり、性的描写なし 【重複投稿】エブリスタ、アルファポリス、小説家になろう、カクヨム

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

雪解けを待つ森で ―スヴェル森の鎮魂歌(レクイエム)―

なの
BL
百年に一度、森の魔物へ生贄を捧げる村。 その年の供物に選ばれたのは、誰にも必要とされなかった孤児のアシェルだった。 死を覚悟して踏み入れた森の奥で、彼は古の守護者である獣人・ヴァルと出会う。 かつて人に裏切られ、心を閉ざしたヴァル。 そして、孤独だったアシェル。 凍てつく森での暮らしは、二人の運命を少しずつ溶かしていく。 だが、古い呪いは再び動き出し、燃え盛る炎が森と二人を飲み込もうとしていた。 生贄の少年と孤独な獣が紡ぐ、絶望の果てにある再生と愛のファンタジー

龍の無垢、狼の執心~跡取り美少年は侠客の愛を知らない〜

中岡 始
BL
「辰巳会の次期跡取りは、俺の息子――辰巳悠真や」 大阪を拠点とする巨大極道組織・辰巳会。その跡取りとして名を告げられたのは、一見するとただの天然ボンボンにしか見えない、超絶美貌の若き御曹司だった。 しかも、現役大学生である。 「え、あの子で大丈夫なんか……?」 幹部たちの不安をよそに、悠真は「ふわふわ天然」な言動を繰り返しながらも、確実に辰巳会を掌握していく。 ――誰もが気づかないうちに。 専属護衛として選ばれたのは、寡黙な武闘派No.1・久我陣。 「命に代えても、お守りします」 そう誓った陣だったが、悠真の"ただの跡取り"とは思えない鋭さに次第に気づき始める。 そして辰巳会の跡目争いが激化する中、敵対組織・六波羅会が悠真の命を狙い、抗争の火種が燻り始める―― 「僕、舐められるの得意やねん」 敵の思惑をすべて見透かし、逆に追い詰める悠真の冷徹な手腕。 その圧倒的な"跡取り"としての覚醒を、誰よりも近くで見届けた陣は、次第に自分の心が揺れ動くのを感じていた。 それは忠誠か、それとも―― そして、悠真自身もまた「陣の存在が自分にとって何なのか」を考え始める。 「僕、陣さんおらんと困る。それって、好きってことちゃう?」 最強の天然跡取り × 一途な忠誠心を貫く武闘派護衛。 極道の世界で交差する、戦いと策謀、そして"特別"な感情。 これは、跡取りが"覚醒"し、そして"恋を知る"物語。

偏食の吸血鬼は人狼の血を好む

琥狗ハヤテ
BL
人類が未曽有の大災害により絶滅に瀕したとき救済の手を差し伸べたのは、不老不死として人間の文明の影で生きていた吸血鬼の一族だった。その現筆頭である吸血鬼の真祖・レオニス。彼は生き残った人類と協力し、長い時間をかけて文明の再建を果たした。 そして新たな世界を築き上げた頃、レオニスにはひとつ大きな悩みが生まれていた。 【吸血鬼であるのに、人の血にアレルギー反応を引き起こすということ】 そんな彼の前に、とても「美味しそうな」男が現れて―――…?! 【孤独でニヒルな(絶滅一歩手前)の人狼×紳士でちょっと天然(?)な吸血鬼】 ◆閲覧ありがとうございます。小説投稿は初めてですがのんびりと完結まで書いてゆけたらと思います。「pixiv」にも同時連載中。 ◆ダブル主人公・人狼と吸血鬼の一人称視点で交互に物語が進んでゆきます。 ◆年齢制限の話数には(R)がつきます。ご注意ください。 ◆未来、部分的に挿絵や漫画で描けたらなと考えています☺

フードコートの天使

美浪
BL
西山暁には本気の片思いをして告白をする事も出来ずに音信不通になってしまった相手がいる。 あれから5年。 大手ファストフードチェーン店SSSバーガーに就職した。今は店長でブルーローズショッピングモール店に勤務中。 そんなある日・・・。あの日の君がフードコートに居た。 それは間違いなく俺の大好きで忘れられないジュンだった。 ・・・・・・・・・・・・ 大濠純、食品会社勤務。 5年前に犯した過ちから自ら疎遠にしてしまった片思いの相手。 ずっと忘れない人。アキラさん。 左遷先はブルーローズショッピングモール。そこに彼は居た。 まだ怒っているかもしれない彼に俺は意を決して挨拶をした・・・。 ・・・・・・・・・・・・ 両片思いを2人の視点でそれぞれ展開して行こうと思っています。

虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する

あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。 領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。 *** 王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。 ・ハピエン ・CP左右固定(リバありません) ・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません) です。 べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。 *** 2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(2024.10.21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。

処理中です...