【完結】かなしい蝶と煌炎の獅子 〜不幸体質少年が史上最高の王に守られる話〜

倉橋 玲

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最終章 伝説の最果てで蝶が舞う

戦線 -中央突破部隊-

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 黄の王の先導の元、征伐軍はついに帝国軍の目前まで歩を進めた。
 王の指示通り紫の国の結界魔法使いを最前線に配備した各隊が、そのまま敵兵に激突しようと騎獣を走らせる。
 だが、一方の帝国兵は未だ微動だにせず、成した隊列を崩さぬまま一歩も動かない。その様子に黄の王が眉を顰めた、そのときだった。
 聳え立つ帝都の外壁の一部が、きらりと煌めいたのだ。そして、輝きの源が壁に埋め込まれた輝石のような何かであることを黄の王が認識するのと同時に、その石がぎょろりと動いた。
(違う! 石なんかじゃねぇ! ――――目だ!)
 王がそう気づくのと、壁に現れた巨大な一つ目から光線が放たれるのが、ほぼ同時だった。
 目を焼くような閃光と共に走った光線が、征伐軍を薙ぎ払うようにして横薙ぎに放たれる。
 だが、大地をも焦がす威力のそれは、黄の王の目論見通り、紫の民が得意とする強固な結界魔法によって完璧に防ぎ切られた。同時に、事前の指示の通り、征伐軍は隊列を保ったまま迅速に後退する。
 各隊人員を残さずすみやかに後退したところを見ると、ぱっと見ですぐさま攻略できるものではないと判断したのだろう。そしてその判断は正しいと黄の王も思った。
 勿論、黄の王が率いる第一大隊も例外ではなく、黄の王は自分と専属でつかせている伝令役を除く全ての兵を後ろに下がらせていた。
「見た感じ、ありゃあ壁の中に何か入ってる、っつーよりは、壁と何がしかの魔物を融合させでもしたなぁ? 別次元から無理矢理喚び出して使役した挙句、生体実験みてぇなことしやがって……」
「いかがなさいますか」
 この場においても冷静な伝令役は、さすがは青の国の兵といったところだろうか。
「各部隊に連絡取って、あの目が何個あったかを確認しろ。あとは紫の兵に、さっきの攻撃を受けた感じから予想できる威力と、あと何発防げそうかを尋ねろ。まずは、目の数とあの厄介な光線の威力、攻撃範囲を把握する」
「各部隊への指示は?」
 言われ、黄の王が敵軍を睨む。先ほどの壁の攻撃が合図だったのか、黄の王の睨む先では、身動きひとつ見せなかった敵兵や魔物が、一斉にこちらに向かって走ってきていた。
「壁の対処ができない隊の前進は避けろ。徐々に後退しつつ、やってくる敵だけを確実に倒せ。壁の攻撃範囲が判り次第情報の共有はするけど、それまでは壁との距離を保ったまま戦うんだ。壁をどうにかできそうな隊なり個人なりがいるなら、大隊長や小隊長の判断を仰ぎつつ、各個撃破だ。欲を出して目玉二つ相手にするのだけはやめとけ。……ただ、これは壁の射程がさっきの距離程度だっていう前提だな。あれがフェイクである可能性も考えて、紫にはいつでも結界魔法を使えるよう指示しといてくれ」
 頷いた伝令役が、すぐさま各部隊へと指令を飛ばす。その作業をこなしながら、伝令役は黄の王を見た。
「して、リィンスタット王陛下は?」
 統括隊長である王の動向も軍全体に伝えなければならない、と言外に訴えてきた伝令役に、黄の王が騎獣から跳び下りる。
「取り敢えず、雷光鳥ユピを一羽寄越せ」
「……どうされるおつもりで?」
 指示に従い一羽を王に渡した伝令役の問いに、鳥を肩に乗せて撫でた黄の王が、にやっと笑った。
「どうするも何も、王様自らあの壁の対処法を見つけ出してくるわ」
「はっ!? いえ、お待ちくださいリィンスタット王陛下!」
 慌てて止めようとした伝令役だが、それを聞き入れる王ではない。
雷光鳥ユピを通じて随時連絡は入れてやっから、ちゃんとそれ共有しとけよ!」
「リィンスタット王! 単騎での勝手な行動は慎んでくださいと、」
「風霊ちゃん! 火霊! いつもの加速、臨機応変に頼むわ!」
 伝令の叫びを無視して、両脚に雷を纏った王が前線を飛び出す。軽やかに大地を蹴る彼は速度を上げ、そのまま進軍してくる敵軍の最中にその身を躍らせた。
 その行動には、道筋の選定も何もない。目的地である壁を目指して、ただ最短ルートを駆けるだけである。一人やってきた王に群らがる幾多もの敵兵や魔物を双剣で軽やかに切り裂いていく姿は、王と言うよりも手練れの傭兵じみている。
 振り下ろされた槍を右手に握る剣で受け止めていなし、同時に槍の持ち主の横腹を左手の剣で斬り裂く。直後背後を襲ってきた魔物の頭を、振り返ることなく雷魔法で撃ち抜いた王の身体には、返り血のひとつすら付着していなかった。
 当然だ。彼は常に高速で走り続けているが故に、斬った相手が血を噴き出す頃には、もうその場にはいないのである。
 ときには人を、ときには魔物を相手取り、そのすべてを一刃、一撃の元に伏せて進む王の顔に、いつもの陽気な表情はない。
 移動の最中、王は王なりに魔物と契約者に目途をつけ、可能な限り魔物から始末するように心がけてはいる。契約関係にある魔物を見出せない人間が相手になった際は、腰を深く沈めて相手の腱を断ち切るなど、身動きを奪うに留める努力はしている。
 だがそれでも、ここまでの大軍、それもそれなりに強力な魔物を従えた兵相手では、身を守るためにやむを得ず殺害せざるを得ないときもあった。
 緻密な動きや魔法はその分体力と精神を消耗するため、こればかりは致し方ない。魔導師の死によって契約相手たる魔物が強化されるのは厄介だが、それを防ぐために王が過剰に疲弊しては本末転倒だ。
(いっそまとめて殺せた方がまだ楽だ。こういうのも全部織り込み済みなんだとしたら、ウロとかいうのはめっちゃくちゃ性格悪ぃ奴だな)
 内心で悪態をついた通り、帝国の魔導契約はそういう意味でも非常に厄介である。かといって、今後どういう戦いが待っているのか判らない現状で、一帯を一掃する大魔法を使う訳にはいかない。
 人とは思えない動きで敵を圧倒しているように見える黄の王ではあるが、実際のところ事態はそこまで良いとは言えなかった。そして、それを打破するためには、やはりあの厄介な壁を無力化する必要がある。
(あれさえなんとかすれば、こっちの軍は身動きが一気に取りやすくなる。俺とランファ殿と黒の王の三人でこいつら全員相手にするのは骨が折れるけど、軍さえ問題なく動けるようになったらこっちのもんだ。……まあ、そんなことは多分帝国側も判ってて、これは主に俺を消耗させるための布陣なんだろうけど)
 正面から来た大型の魔物の脳天を双剣でかち割ってから跳び越えた王が、ようやく間近になった壁を見据えて目を細める。
 遠くから見て判ってはいたが、随分と高い壁だ。一体どういう意図のもとにこの高さになったのかは不明だが、黄の国の砂波を防ぐための防護壁よりも、もっと高い。
(……遠距離用の対軍兵器だとしたら、確かに高さがあるに越したことはない。元からそれを見据えた上で建築したのかもしんねーな。…………しかし、ここに来て急に魔物が減ったのはなんでだ? 前線寄りに魔物を集中させて、壁付近を人間の兵だけで固める必要がどこにある? 寧ろ壁に近いからこそ、魔物による守りを集中させるべきだと思うんだが……)
 王がそのあたりまで思考したところで、壁の一部がきらりと光った。その光が何かを王がきちんと認識する前に、その場所から王目掛けて光線が放たれる。
「っ!?」
 王の目が光を捉えてから光線が降り注ぐまでは一瞬に満たないほどの時間で、事実王も自分に降りかかった事態を認識するのが大きく遅れた。
 だが、王としてではなく個としての戦闘経験と本能が、その身を助けた。危機を悟った本能が、思考を越えて身体を動かしたのだ。
 速度に任せて大きく跳んでから自分がいた場所を振り返れば、周辺の帝国兵を巻き込む形で地面にぶつかった光線が、ぶすぶすと黒い煙を上げて帝国兵もろとも大地を焦がしている。
「直撃したら洒落になんねーぞあれ! 紫よく防げたな!?」
 思わず叫んだ黄の王の頬を、同意するように風の精霊が撫でる。
(つーか何よりも射程が厄介すぎる! 遠距離専用だと思ってたが、この近距離も狙えるとなるとやべぇ! ますますこれをどうにかしねーと身動き取れねーぞ!)
 王が思考する間にも、壁のあちらこちらから王目掛けて光線が振り注ぐ。視認から直撃までが酷く短いその攻撃の全てを王は見事に潜り抜けていったが、しかしそのあまりの猛攻に、これ以上壁の近くには進めなくなっていた。
(一回光線を出した目が次の光線を出すまでの時間は概ね判った。が、思っていた以上に短い上に、目の数が多すぎる)
 遠目から見るだけでは気づかなかったが、よくよく見れば壁の目は想定以上に多い上、等間隔で並んでいるのではなく不規則に配置されている。
(くそっ! 瞼が壁に酷似してるせいで、この近さにならないと閉じてる目の存在に気づけなかったんだ!)
 征伐軍全体から集めた目に関する情報も、所詮は遠目からで把握できた分だけである。それ以上に良い策がなかったとは言え、不確かな情報を主軸にして作戦を組み立ててしまったのは、黄の王の失態だ。
 内心で悪態を吐いた王が、自らが避けた光線の行く先を見て顔を顰める。
 黄の王が得意とする雷魔法でこの光線を防ぐには、相応の魔力を消耗する必要がある。そのため、この場合は避けるのが最善策だ。だがその結果、避けた先にいる帝国兵が光線をまともに食らい、次々と絶命していっている。
(俺に当たれば御の字。避けられたとしても、あれの直撃を受けた兵が死ねば、契約者の魔物が強化される。どっちにしたって帝国側にゃ利の方が多いわな! 人間ばっかここに集めてたのはそのためか!)
 自身の置かれた状況を正しく理解した黄の王が、すぐさま思考を巡らせる。
 僅かな隙をついて後方を確認したが、既に征伐軍の一部は動き始めていた。黄の王が直接統括している部隊を除く残りの四部隊、すなわち四大国の騎士団の主力をそれぞれ含む部隊が、その主力を軸に戦闘を始めている。
 その戦闘区域にも何度か光線が放たれているようだったが、それぞれに工夫を凝らし、それら全てを処理しきっている様子が見受けられ、黄の王は僅かに胸を撫で下ろした。
 確かに、前線に放たれる光線の数は黄の王を襲うそれとは比べ物にならないほどに少ない。だが、それでも十分に脅威と言える攻撃だ。四大国の主力部隊でも対処できない場合はどうしようかと思っていた王だったが、それは杞憂だったようである。
 だが、状況が悪いことに変わりはない。今はなんとか互角以上の戦いに見せることができているが、このままこの状態が続けば、ジリ貧になるのは目に見えていた。そしてその原因は、やはり間違いなくこの壁である。
「……本来こういうのこそ黒の領分なんだけど、仕方ねーな」
 呟いた黄の王が、回避の脚を止めないまま精霊の名を呼ぶ。
「風霊、火霊」
 ふわりと周囲の空気が動き、熱を孕んだのを感じた彼は、そのまま言葉を続けた。
「やることは三次元座標の確定と確実に潰せる威力の攻撃だ。だけど多分、俺の魔力に余裕はない。だから、正確性とコストを天秤にかけて、どちらも犠牲にしないで済む策を瞬時に叩き出せ。なーに、こんなのこれまで散々俺とやってきたことだろ? それが今回はたまたまぶっつけ本番ってだけだ。おー、原理としちゃああれと一緒。ただあれよりは範囲が狭くて対象が少なくて簡単だろ? なに? 二次元しかやったことない? 魔力消費を抑えるのも難しい? こんなに速く動きながらじゃ無茶だ? そりゃあお前、その限界を超えるのが今だってだけの話だろ!」
 そう言った黄の王が、おもむろに目を閉じる。
 雷魔法による加速は、飽くまでも黄の王の移動速度を上げるだけのものだ。身体をどう動かすか、どう避けるか、どこに移動するかは、全て黄の王が己の判断で行うものである。故に、何十という光線の攻撃を受けているこの状況で目を閉じるのは、とてもではないが良策とは言えない。
 だが、王はそれでも視界を閉ざすことを選択した。そうするのが魔法のコストを下げる手段のひとつだからである。そして彼は、たとえ視覚を捨てようとも、それ以外の感覚で攻撃を察知してみせるという覚悟と自信があった。
 いや、もしかすると、十分な自信はなかったのかもしれない。ただ、そうしなければ、あらゆるものの信頼に応えられないと思っただけなのかもしれない。だが事実は、黄の王だけが知っていることだ。
「座標!」
 叫ぶと同時に、黄の王の脳裏に数字の羅列が流れ込む。徐々に数を増すそれは、確かに黄の王が望んだ情報なのだろう。極限までコストを抑えるがために生み出されたのだろうそれは、王が思っていたよりもずっと意図が判りにくく、非常に処理が難しい情報だった。
 だが、彼はことこの分野においては誰よりも天才である。
 はっきりと明言しなくても精霊に思いや考えが伝わり、同様に精霊の意図を汲み取れるからこそ、この歳にしていくつもの新魔法を生み出すことができたのだ。
 僅かに避けきれなかった光線が肩を掠め、肉を焼いたが、彼がそれに気を取られることはない。肉体の方はそのほとんどを本能と経験による反射に任せ、脳は届けられた情報にだけ集中する。
 数字の羅列は、間違いなく壁の目が存在する座標である。それが固定値ではなく絶え間なく変化し続けているのは、基準となる座標が変化し続けているからだ。では、何故本来は固定であるべきの基準値が変化するのか。答えは簡単だ。
(俺の現在地が基準だな!)
 見出した答えに、黄の王が地に足をつけた一瞬だけ動きを止める。
「固定!」
 叫んだ王に向かって、幾本もの光線が襲い掛かる。そうなることは判っていたが、これはどうしても固定の過程に必要な間だった。
 黄の王が止まったのは僅か一瞬で、すぐさま回避に移りはしたが、それでもいくつかの光線がその身を掠める。致命傷は避けたものの、彼の身体の端々は肉を抉り取るように焦げ付いていた。
 だが、黄の王の表情に曇りはない。それどころか、緊張の糸が一気に解けたような顔さえして、そして彼は目を開けた。
 そのまま彼の脚が目指すのは、先ほど固定宣言を行った場所である。敵の攻撃をかいくぐり、僅かな狂いもなく全く同じ場所に足先をつけた王は、いっそ晴れ晴れとした表情を浮かべ、壁に向かって手を振り上げた。
「攻撃!」
 瞬間、征伐軍の侵攻範囲にあたる壁全域の正面に、騎獣の頭ほどの大きさの無数の雷球が生じた。そしてそれから、方々に向かって雷撃が放たれる。青白い光と轟音を立てて奔ったそれは、壁に埋め込まれていた全ての目にぶつかって、激しい熱と衝撃を以てそれらを見事に打ち砕いた。
 同時に、耳を塞ぐほどの大音量で、低く地を這うような悲鳴が響き渡る。そして、雷に打ち砕かれた目を起点に、壁に無数のひびが走った。
 壁そのものが生きていたのか、壁に魔物が埋め込まれていたのか、そもそも目だけの魔物だったのか、結局そのあたりのことは判らない。だが、黄の王が壁の特殊性を無効化し、ただの物質としての石に変えたのは明白だった。
 人知れずほうっと息を吐き出した黄の王が、次いで呟く。
「……“石砕く雷の槍トル・ロック・バーン”とでも名付けるかね」
 独り言のようなその言葉に、風がやや強めに王の頬を叩き、蜂蜜色の髪を熱がぶわりと吹き上げた。
「ええー、不服!? 結構真面目に考えたんだけどなぁ」
 思わずぼやいた黄の王の背後で、大きな歓声が上がる。それが征伐軍による王を湛える声であることを知っている王は、少しだけ笑ったあとで、短く唱えた。
「“祝雷トル・ブライト”」
 ぐっと掲げた王の拳に、小さな雷が空を割って落ちる。文字通り、祝福の際の見世物として黄の王が創った魔法だ。といっても、魔法としては大した威力もない見た目だけのもので、これくらいは誰でもできる。彼はただ、それに名を与えただけだ。
 だが、その名を与えた魔法だからこそ、意味がある。
 さわさわと頬を撫でる風に、黄の王は悪戯っ子のような表情を浮かべて微笑んだ。
「ちょびっとだけの魔力で士気が上がるなら、そりゃあ上々ってもんでしょ!」
 戦いはまだまだこれからだ。だが、王の背後を行く征伐軍は、一層大きな声で主君の勝利を讃えたのであった。
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