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最終章 伝説の最果てで蝶が舞う
至理問答
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はっと目を覚ました少年は、数度の瞬きのあと、がばりと身を起こそうとした。が、身体がうまく動かない。一体どうして、と思った彼は、手足に力を込めたところで、ようやく自分が拘束されていることに気づいた。
と言っても、どこかに縛り付けられているわけではない。ただ、両腕両脚を縛られ、床に転がされている。
状況が掴みきれない少年は、しかしそれでも事態を理解しようと朧げな記憶を探った。確か、城から逃げ出そうとして、結局ウロに捕まって、そして、
(……多分、あのウロって人に連れて来られたんだ……。……それにしても、ここ、どこなんだろう……?)
牢の中、だろうか。
一瞬そう思った少年だったが、冷たく頬に当たる石造りの床は、牢の床とは思えないほどに美しく磨かれている。
動かない手足でどうにかこうにか身を起こした少年は、床に座って辺りを見回した。
いくつも並んでいる大きな窓の向こうは、まだ暗い。夜が明けていないということは、ウロに捕まってからまだそこまで長い時間が経ったわけではないということだろうか。
そんなことを思いながら、次いで少年は自分がいる部屋の内装を注意深く観察した。灯りがないせいで薄暗く、細かな部分までは判りにくいが、随分と広い空間だ。それに、やけに上質そうな絨毯が敷かれている場所もあるので、ここはやはり牢ではなさそうだ。これはそういう類の場所ではなく、寧ろ、
(……謁見室、みたいな……?)
少年がそう思ったあたりで、突如灯った光が部屋を照らした。少年のちょうど正面の方に生まれたその光は、そこまで強いものではない。だが、暗闇に慣れた目には少し刺激が強かった。
思わず目を閉じた少年は、何度か瞬きをして目を慣らしてから、ようやく光の方へと目を向ける。
光は二つあって、少年からは少し離れた場所に灯っており、どうやら魔導か何かによる人工的な灯りのようだった。その二つの光に左右を挟まれるようにして、豪奢な椅子がある。そして、少年が座っている床よりも数段高い位置に置いてあるその椅子には、大柄な壮年の男が座っていた。
随分と鋭く冷たい目をした男だ。厳しさを感じさせる表情や蓄えられた黒い髭も相まってか、こちらの恐怖を煽るような類の威厳を少年は感じた。
「……だ、だれ……?」
思わずそう零した少年に、男の眉がぴくりと動く。だが、か細い問いに答えたのは、椅子に座る男ではなかった。
「相変らず君は無知だねぇ。この人は、ルーディック・グリディア・ロイツァーバイトさん。ロイツェンシュテッド帝国の皇帝様だよ」
柔らかく軽やかな声と共に、座したまま少年を見下ろす男――皇帝の背後からひょっこりと顔を出したのは、ウロだった。
今は仮面を被っているせいでその表情は窺えないが、楽しそうな声音からは少年を嘲る色が感じられる。だが、今の少年にはそれに構う余裕などなかった。
ウロを目にしたことで、逃亡劇の末に呆気なく捕らえられ引き摺り戻された記憶がまざまざと蘇り、同時に得体の知れない恐怖が少年を襲う。一体何がそこまで怖かったのかは覚えていない。だが、少年は何故だか、ウロという人物を酷く恐ろしい何かとして認識していた。
知らず僅かに震え出した少年に、ウロがやれやれと肩を竦めて離れた場所へと移動する。
「僕が顔を出してるとビビっちゃって話が進まなさそう。ここで見物してるから、皇帝陛下は満足するまでお話すると良いよ」
皇帝に対する言葉遣いとは思えないその台詞に、しかし皇帝は咎めることなく、ただ黙って頷きを返した。そして、そのまま少年へと視線を向ける。
鋭い冷たさを感じさせる瞳に見据えられ、少年はウロを見たときとはまた別の恐怖で身を竦ませた。
「……こうして見ると、まるで人間と変わらぬな。神の僕にしてはあまりにも貧相だ。だが、それでも貴様が神の目なのだろう?」
「……え、ええと……」
問われ、少年は困り果てた。自分がエインストラかどうかなど、少年は知らない。それに加えて、彼は未だに今の状況を把握しきれていなかった。
もごもごと返答にならない声しか寄越さない少年に、皇帝は僅かに苛立ったように片眉を上げた。だが、彼がそれについて追及することはなく、更に言葉が続けられる。
「……神の目たる貴様には、この世界がどう映る?」
「ど、どう、って……?」
質問の意図が判らず、思わず問い返してしまった少年を、皇帝が見つめる。
「正しいと思うか?」
「正しい……?」
「精霊の加護の有無や強さで全てが決まってしまうこの世界を、貴様は正しいと思うか?」
突然寄越されたその問いに、少年は困惑した。だが、有無を言わせぬ皇帝の声は明確な回答を求めており、答えないわけにはいかないと少年は悟る。
「……正しい、とかは、判らないですけど、……そういう、ものだから……」
結局、少年は小さな声で恐る恐るそう答えた。
生まれつきの才能による差というのは当然に存在するものであり、その結果優劣が生まれることもまた当然だと少年は思う。故に彼にとってそれは、正しい正しくないで判断するものではない。ただ、そういうものとして呑み込むものなのだ。
だが少年の答えに、皇帝は明らかな憎悪と侮蔑の目を向けた。
「なるほど、神にとってはそれが理であり、疑問に思う余地すらないと」
「か、神、ですか……?」
「その代弁者たる貴様が言うのだから、そうなのだろう?」
冷たい声でそう言った皇帝に、少年は思わず首を横に振った。
「僕は、神様のことは、知らないですし、判らないです」
本当のことだ。少年は未だに自分のことを人間だと思っているし、仮にエインストラだったとしても、だから他の人と違うなどということがあるとは思っていなかった。ましてや神の代弁者など、大仰がすぎる。事実、少年が神の意図を感じ取ったことなど、これまで一度もなかった。
だが、皇帝はそうは思わないらしい。神との関わりを否定した少年を見下ろし、苛立ちを露わにした皇帝が立ち上がる。そして、そのまま少年に向かってきた皇帝は、床に座っている少年の頬を蹴り飛ばした。
「っ!」
手足を拘束されているせいで、少年は受け身を取ることすらできず床に転がった。容赦なく蹴られた頬がじくじくと痛み、切れた口端に血が滲む。
「次に虚言を申せばその口を削ぐぞ」
そう吐き捨てた皇帝が、その場に立ったまま少年を見下ろす。間違いなく本気の言葉に、少年は喉を引き攣らせた。
少年は虚言など吐いていない。本当に、神のことなど知らないのだ。だが、どうやら皇帝は、少年は神の僕であり、僕であるのだから神の意志を把握していると思っているようである。
どうすれば良いのか判らなくなった少年は、思わず助けを乞うように遠くのウロを見た。何故そこでウロを頼ろうと思ったのかは判らなかったが、どうしてか、彼ならば真理を知っているはずだと思ったのだ。
だが、視線を受けたウロは、こてりと首を傾げたあと、ひらひらと手を振って寄越しただけだった。相変わらず仮面で表情は見えなかったが、少年には彼がこの状況を心底楽しんでいることが判った。
「この世界ではな、精霊の加護という生まれ持っての才だけで全てが決まってしまうのだ。才能のない者がいかに努力しようとも、才能がある者を越えることはできない。その場の運や偶発的な要素を以てしても、才能の優劣の差を埋めることはできない。貴様も知っているのだろう? この世界はそのように仕組まれている。精霊の加護の優劣こそを絶対的な基準とし、その基準が覆ることがないように造られているのだ。そしてその加護は、生まれ持って決まっている。……これがどれほど理不尽でどれほど残酷なことか、貴様に判るか?」
「……僕は、精霊の加護を持っていないので、加護の才能のことは、判らないです。でも、……生まれついたものによる、どうしようもない理不尽さと、その残酷さは、……多分、判ります」
生まれ持っての容姿のせいで母から愛されなかった彼は、その事実を思い、そう口にした。
「それが判るのならば、この世界を正さねばならぬということも理解できよう」
「…………どう、正すと言うんでしょうか」
それが世界の理ならば、是正することなどできるのだろうか。そんな疑問を孕んだ問いに、しかし皇帝は迷うことなく言葉を紡ぐ。
「秩序のためと謳って円卓が守護する神の塔は、神の世界へと至る装置だと言う。それを奪い、天に至って私が神となるのだ。理を作るのが神ならば、私が神になればそれを改めることもできよう」
嘘偽りのない、心からの言葉だ。少年にはそれが判ったし、皇帝の確固たる意思は嫌と言うほどに伝わってきた。だが、
「……理を正せば、理不尽なことはなくなるんでしょうか。誰しもが平等に精霊の加護を持つことができたら、人々の間に存在する格差はなくなるんでしょうか」
少年はそうは思わない。精霊の加護がなくても幸せな人々を見てきたし、精霊の加護があっても不幸な人々を見てきた。そして何よりも、
(……僕に精霊の加護があったって、きっとお母さんは僕を愛してくれなかった)
誰しもが産まれながらに何がしかの差を持っているのならば、それは何も精霊の加護に限った話ではないだろう。それ以外にも自分ではどうしようもない差は沢山あって、精霊の加護はそのうちのひとつにしか過ぎないと少年は思う。だからこそ、彼は全てを受け入れてきた。悲嘆と諦念を以て、そういう人生なのだからと享受してきた。
だが、少年が歩んできたその道を否定するように、皇帝は少年の問いに答えを返す。
「理不尽は消えぬ。それはあらゆる生命が抱える営みの一端だ。私が正すのは、他者によって無理矢理に従わされている理のみである」
「……それは、どういう……?」
理解が追い付かない少年に、皇帝は僅か目を細めた。
「言ったであろう。精霊の加護という才だけは、努力、運、その他ありとあらゆる全てを以てしても、覆すことができぬ。何故ならば、それは神が定めた絶対的な規定だからだ。つまりそれは、これ以外の全ての理不尽は、己の手で覆すことができるということを意味している。そのために必要な努力の量は人によって差があり、時には運に頼らざるを得ないことがあったとしても、それでも変えることはできるのだ。何人たりとも、これらの理不尽が覆らないと断言することはできない。……だが、精霊の加護だけは違う。これだけは、いかな要素を以てしても常に不変だ。生まれ落ちた時点で、全てが決まっている。私が正すべきだと言っているのは、このあまりにも不自然な状況なのだ」
理解できたか、という問いに、少年は暫しの沈黙のあと、ゆっくりと頷く。そして同時に、皇帝と自分がまったく異なる種類の人間であることを察した。
「神の定めた法があまりにも理不尽だと言うのならば、それに従う立場である我々には抗う権利がある。違うか?」
「…………違わない、と、思います」
少年には欠片すらも浮かばない考えだ。だが、彼に皇帝の言葉を否定することはできなかった。何故なら、本当に皇帝の言が間違っているとは思わなかったからだ。
神の僕たる少年が己の言葉を肯定したことに、皇帝は何を思ったのだろうか。少年には、変化の少ない表情からそれを読み取ることはできない。
僅かに口を開きかけた皇帝は、しかし何も発することなく口を閉じ、細めた目で少年を見下ろす。
暫しの沈黙のあと、皇帝は何も言わないまま少年に背を向けた。そして、部屋の外へと繋がる扉に向かって歩を進め出す。
「あれあれ? もう満足したの?」
去っていく皇帝の背に向かってウロが声を掛けたが、反応は返ってこなかった。そのまま扉の向こうへと消えていった姿に肩を竦めてから、ウロが少年へと歩み寄る。
「お疲れ様ー」
そう言って仮面を取った彼は、案の定楽しそうな笑みを浮かべていた。
と言っても、どこかに縛り付けられているわけではない。ただ、両腕両脚を縛られ、床に転がされている。
状況が掴みきれない少年は、しかしそれでも事態を理解しようと朧げな記憶を探った。確か、城から逃げ出そうとして、結局ウロに捕まって、そして、
(……多分、あのウロって人に連れて来られたんだ……。……それにしても、ここ、どこなんだろう……?)
牢の中、だろうか。
一瞬そう思った少年だったが、冷たく頬に当たる石造りの床は、牢の床とは思えないほどに美しく磨かれている。
動かない手足でどうにかこうにか身を起こした少年は、床に座って辺りを見回した。
いくつも並んでいる大きな窓の向こうは、まだ暗い。夜が明けていないということは、ウロに捕まってからまだそこまで長い時間が経ったわけではないということだろうか。
そんなことを思いながら、次いで少年は自分がいる部屋の内装を注意深く観察した。灯りがないせいで薄暗く、細かな部分までは判りにくいが、随分と広い空間だ。それに、やけに上質そうな絨毯が敷かれている場所もあるので、ここはやはり牢ではなさそうだ。これはそういう類の場所ではなく、寧ろ、
(……謁見室、みたいな……?)
少年がそう思ったあたりで、突如灯った光が部屋を照らした。少年のちょうど正面の方に生まれたその光は、そこまで強いものではない。だが、暗闇に慣れた目には少し刺激が強かった。
思わず目を閉じた少年は、何度か瞬きをして目を慣らしてから、ようやく光の方へと目を向ける。
光は二つあって、少年からは少し離れた場所に灯っており、どうやら魔導か何かによる人工的な灯りのようだった。その二つの光に左右を挟まれるようにして、豪奢な椅子がある。そして、少年が座っている床よりも数段高い位置に置いてあるその椅子には、大柄な壮年の男が座っていた。
随分と鋭く冷たい目をした男だ。厳しさを感じさせる表情や蓄えられた黒い髭も相まってか、こちらの恐怖を煽るような類の威厳を少年は感じた。
「……だ、だれ……?」
思わずそう零した少年に、男の眉がぴくりと動く。だが、か細い問いに答えたのは、椅子に座る男ではなかった。
「相変らず君は無知だねぇ。この人は、ルーディック・グリディア・ロイツァーバイトさん。ロイツェンシュテッド帝国の皇帝様だよ」
柔らかく軽やかな声と共に、座したまま少年を見下ろす男――皇帝の背後からひょっこりと顔を出したのは、ウロだった。
今は仮面を被っているせいでその表情は窺えないが、楽しそうな声音からは少年を嘲る色が感じられる。だが、今の少年にはそれに構う余裕などなかった。
ウロを目にしたことで、逃亡劇の末に呆気なく捕らえられ引き摺り戻された記憶がまざまざと蘇り、同時に得体の知れない恐怖が少年を襲う。一体何がそこまで怖かったのかは覚えていない。だが、少年は何故だか、ウロという人物を酷く恐ろしい何かとして認識していた。
知らず僅かに震え出した少年に、ウロがやれやれと肩を竦めて離れた場所へと移動する。
「僕が顔を出してるとビビっちゃって話が進まなさそう。ここで見物してるから、皇帝陛下は満足するまでお話すると良いよ」
皇帝に対する言葉遣いとは思えないその台詞に、しかし皇帝は咎めることなく、ただ黙って頷きを返した。そして、そのまま少年へと視線を向ける。
鋭い冷たさを感じさせる瞳に見据えられ、少年はウロを見たときとはまた別の恐怖で身を竦ませた。
「……こうして見ると、まるで人間と変わらぬな。神の僕にしてはあまりにも貧相だ。だが、それでも貴様が神の目なのだろう?」
「……え、ええと……」
問われ、少年は困り果てた。自分がエインストラかどうかなど、少年は知らない。それに加えて、彼は未だに今の状況を把握しきれていなかった。
もごもごと返答にならない声しか寄越さない少年に、皇帝は僅かに苛立ったように片眉を上げた。だが、彼がそれについて追及することはなく、更に言葉が続けられる。
「……神の目たる貴様には、この世界がどう映る?」
「ど、どう、って……?」
質問の意図が判らず、思わず問い返してしまった少年を、皇帝が見つめる。
「正しいと思うか?」
「正しい……?」
「精霊の加護の有無や強さで全てが決まってしまうこの世界を、貴様は正しいと思うか?」
突然寄越されたその問いに、少年は困惑した。だが、有無を言わせぬ皇帝の声は明確な回答を求めており、答えないわけにはいかないと少年は悟る。
「……正しい、とかは、判らないですけど、……そういう、ものだから……」
結局、少年は小さな声で恐る恐るそう答えた。
生まれつきの才能による差というのは当然に存在するものであり、その結果優劣が生まれることもまた当然だと少年は思う。故に彼にとってそれは、正しい正しくないで判断するものではない。ただ、そういうものとして呑み込むものなのだ。
だが少年の答えに、皇帝は明らかな憎悪と侮蔑の目を向けた。
「なるほど、神にとってはそれが理であり、疑問に思う余地すらないと」
「か、神、ですか……?」
「その代弁者たる貴様が言うのだから、そうなのだろう?」
冷たい声でそう言った皇帝に、少年は思わず首を横に振った。
「僕は、神様のことは、知らないですし、判らないです」
本当のことだ。少年は未だに自分のことを人間だと思っているし、仮にエインストラだったとしても、だから他の人と違うなどということがあるとは思っていなかった。ましてや神の代弁者など、大仰がすぎる。事実、少年が神の意図を感じ取ったことなど、これまで一度もなかった。
だが、皇帝はそうは思わないらしい。神との関わりを否定した少年を見下ろし、苛立ちを露わにした皇帝が立ち上がる。そして、そのまま少年に向かってきた皇帝は、床に座っている少年の頬を蹴り飛ばした。
「っ!」
手足を拘束されているせいで、少年は受け身を取ることすらできず床に転がった。容赦なく蹴られた頬がじくじくと痛み、切れた口端に血が滲む。
「次に虚言を申せばその口を削ぐぞ」
そう吐き捨てた皇帝が、その場に立ったまま少年を見下ろす。間違いなく本気の言葉に、少年は喉を引き攣らせた。
少年は虚言など吐いていない。本当に、神のことなど知らないのだ。だが、どうやら皇帝は、少年は神の僕であり、僕であるのだから神の意志を把握していると思っているようである。
どうすれば良いのか判らなくなった少年は、思わず助けを乞うように遠くのウロを見た。何故そこでウロを頼ろうと思ったのかは判らなかったが、どうしてか、彼ならば真理を知っているはずだと思ったのだ。
だが、視線を受けたウロは、こてりと首を傾げたあと、ひらひらと手を振って寄越しただけだった。相変わらず仮面で表情は見えなかったが、少年には彼がこの状況を心底楽しんでいることが判った。
「この世界ではな、精霊の加護という生まれ持っての才だけで全てが決まってしまうのだ。才能のない者がいかに努力しようとも、才能がある者を越えることはできない。その場の運や偶発的な要素を以てしても、才能の優劣の差を埋めることはできない。貴様も知っているのだろう? この世界はそのように仕組まれている。精霊の加護の優劣こそを絶対的な基準とし、その基準が覆ることがないように造られているのだ。そしてその加護は、生まれ持って決まっている。……これがどれほど理不尽でどれほど残酷なことか、貴様に判るか?」
「……僕は、精霊の加護を持っていないので、加護の才能のことは、判らないです。でも、……生まれついたものによる、どうしようもない理不尽さと、その残酷さは、……多分、判ります」
生まれ持っての容姿のせいで母から愛されなかった彼は、その事実を思い、そう口にした。
「それが判るのならば、この世界を正さねばならぬということも理解できよう」
「…………どう、正すと言うんでしょうか」
それが世界の理ならば、是正することなどできるのだろうか。そんな疑問を孕んだ問いに、しかし皇帝は迷うことなく言葉を紡ぐ。
「秩序のためと謳って円卓が守護する神の塔は、神の世界へと至る装置だと言う。それを奪い、天に至って私が神となるのだ。理を作るのが神ならば、私が神になればそれを改めることもできよう」
嘘偽りのない、心からの言葉だ。少年にはそれが判ったし、皇帝の確固たる意思は嫌と言うほどに伝わってきた。だが、
「……理を正せば、理不尽なことはなくなるんでしょうか。誰しもが平等に精霊の加護を持つことができたら、人々の間に存在する格差はなくなるんでしょうか」
少年はそうは思わない。精霊の加護がなくても幸せな人々を見てきたし、精霊の加護があっても不幸な人々を見てきた。そして何よりも、
(……僕に精霊の加護があったって、きっとお母さんは僕を愛してくれなかった)
誰しもが産まれながらに何がしかの差を持っているのならば、それは何も精霊の加護に限った話ではないだろう。それ以外にも自分ではどうしようもない差は沢山あって、精霊の加護はそのうちのひとつにしか過ぎないと少年は思う。だからこそ、彼は全てを受け入れてきた。悲嘆と諦念を以て、そういう人生なのだからと享受してきた。
だが、少年が歩んできたその道を否定するように、皇帝は少年の問いに答えを返す。
「理不尽は消えぬ。それはあらゆる生命が抱える営みの一端だ。私が正すのは、他者によって無理矢理に従わされている理のみである」
「……それは、どういう……?」
理解が追い付かない少年に、皇帝は僅か目を細めた。
「言ったであろう。精霊の加護という才だけは、努力、運、その他ありとあらゆる全てを以てしても、覆すことができぬ。何故ならば、それは神が定めた絶対的な規定だからだ。つまりそれは、これ以外の全ての理不尽は、己の手で覆すことができるということを意味している。そのために必要な努力の量は人によって差があり、時には運に頼らざるを得ないことがあったとしても、それでも変えることはできるのだ。何人たりとも、これらの理不尽が覆らないと断言することはできない。……だが、精霊の加護だけは違う。これだけは、いかな要素を以てしても常に不変だ。生まれ落ちた時点で、全てが決まっている。私が正すべきだと言っているのは、このあまりにも不自然な状況なのだ」
理解できたか、という問いに、少年は暫しの沈黙のあと、ゆっくりと頷く。そして同時に、皇帝と自分がまったく異なる種類の人間であることを察した。
「神の定めた法があまりにも理不尽だと言うのならば、それに従う立場である我々には抗う権利がある。違うか?」
「…………違わない、と、思います」
少年には欠片すらも浮かばない考えだ。だが、彼に皇帝の言葉を否定することはできなかった。何故なら、本当に皇帝の言が間違っているとは思わなかったからだ。
神の僕たる少年が己の言葉を肯定したことに、皇帝は何を思ったのだろうか。少年には、変化の少ない表情からそれを読み取ることはできない。
僅かに口を開きかけた皇帝は、しかし何も発することなく口を閉じ、細めた目で少年を見下ろす。
暫しの沈黙のあと、皇帝は何も言わないまま少年に背を向けた。そして、部屋の外へと繋がる扉に向かって歩を進め出す。
「あれあれ? もう満足したの?」
去っていく皇帝の背に向かってウロが声を掛けたが、反応は返ってこなかった。そのまま扉の向こうへと消えていった姿に肩を竦めてから、ウロが少年へと歩み寄る。
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そう言って仮面を取った彼は、案の定楽しそうな笑みを浮かべていた。
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