【完結】かなしい蝶と煌炎の獅子 〜不幸体質少年が史上最高の王に守られる話〜

倉橋 玲

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最終章 伝説の最果てで蝶が舞う

戦線 -緑の王-

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 青の王が敵との交戦状態に入ったのに少し遅れて、緑の王もまた自身が担う戦地へと辿りついていた。
 しかし、青の王のときとは違い、騎獣に乗って地を行く緑の王は、早々に己の敵となる魔物を見つけていた。地中に潜んでいた地の神と違い、こちらは隠れようがない存在だったからである。
 担当区域に入ってすぐにその魔物の存在に気づいた王は、早々に騎獣から飛び降りた。騎獣という移動手段を捨て、自身の力で移動することを選択したのは、青の王の懸念通り、緑の王もまさに、最も苦手とする部類の戦いを強いられることが明白だったからだ。
(余計な魔力は消耗しますけれど、相手が相手だけに、騎獣の飛行能力では対処しきれませんわ)
 内心で呟きつつ彼女が見上げた先では、三対の翼と双頭が特徴的な美しい火の鳥が、悠々と空を支配していた。
 この距離からでもその姿がよく判るほどに、巨大な鳥である。全身に炎を纏った巨鳥は、虹色の長い尾羽を風に揺らしながら、地上にいる緑の王を見下ろした。
『貴女が私の斃すべき王なのね』
『お前が僕の斃すべき王なのだな』
 二つの頭から異なる音で紡がれたのは、柔布とも金属質とも表せるような耳に馴染まない声だった。
「……その言いようですと、他の王の元へもそれぞれ刺客が向かっているようですわね」
 敵がそうそう内情を晒すとは思えないため、元より返答を期待した問いではなかった。だが、緑の王の予想に反し、空を泳ぐ火の鳥は、彼女の問いを躊躇いなく肯定してみせる。
『ええ、そうよ』
『ああ、その通り』
『水の王には大地の神が』
『大地の王には風の悪魔が』
『火の王には、……あれは、一体どういった生命なのかしら』
『火の王には、……あれは、果たして僕の知識の内に存在する生き物なのだろうか』
 双頭が、それぞれ異なる方向へと首を傾げる。緑の王への警戒をまるで見せないその様は、火の鳥が緑の王を対等な敵として見ていない証拠だ。青の王であれば内心で憤ったところだが、緑の王はそれよりも、鳥の言った言葉を咀嚼することに集中していた。
 そして、未だ悩むような素振りを見せる火の鳥を尻目に、背後に控える騎獣に手を触れる。
「あなたはテニタグナータ王の補助に向かいなさい」
 その指示に、騎獣がすぐさま空へと駆け上がる。火の鳥がそれを妨害するのではないかと危惧していた王だったが、双頭の異形が緑の王や騎獣の動向を気にする様子はなかった。
(水の王には大地の神、大地の王には風の悪魔……)
 火の鳥の言を胸中で復唱した王が、思考を巡らせる。
 自身に仕向けられたのが火の魔物であることを知った時点で、各王の元へもそれぞれ相性の悪い属性の魔物が向かっている可能性には思い至った。
(これ自体は元々予想していた事態ですわ。……けれど、相手が強すぎる)
 大地の神は、恐らく他の次元で大地を担う神と崇めらていた存在だろう。同様に、風の悪魔もまた、神に相当する力を持った風属性の何かであると予想できる。この次元には悪魔が存在しないため、緑の王も悪魔というものを詳しく理解している訳ではないが、記録に残る異邦人エトランジェの話から、ときに概念の神に近い力を持つ個体が存在するということは知っていた。恐らくは、橙の王にぶつけられるのはそういった強力な悪魔だろう。
 故に、彼女は己の騎獣を橙の王の元へと走らせた。あの国の騎獣は力こそ強いが、飛行能力や速度にやや難がある。加えて橙の王自身も風魔法は使えないため、相手が飛行能力に優れた風の生き物だとすると、あまりにも分が悪いのだ。せめて機動力の面だけでも補助できればと考えての判断だったが、しかし、
(……これで良かったのでしょうか)
 既知の情報の上では、間違いなく最良の判断である。それでも王が己の判断を最良であると言い切れないのは、赤の王の敵の本質が未だ不明だからだ。
 青の敵も橙の敵も、この火の鳥の理解の及ぶ存在のようだが、赤だけは様子が異なる。
 無論、緑の王にはそれが吉兆なのか凶兆なのかは判らない。ただ、目に見える不確定要素が残っているこの状況が、酷く居心地の悪いもののように思えた。
 とはいえ、この得体の知れない不安もまた、不確定なものである。すぐさまそう切り捨てた王は、ひとつ息を吐いて火の鳥を見据えた。
「ミゼルティア王の相手が大地の神で、テニタグナータ王の相手が風の悪魔だと言うのでしたら、あなたは一体何者ですの?」
 地上からの問いに、火の鳥が思い出したように王を見下ろした。
『私は私。けれど、人間は私を神と呼ぶわ』
『僕は僕。だけど、人間は僕を悪魔と呼ぶ』
 四つの目が、緑の王を見る。そこには何の感情も見出せず、王は思わず苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。青の王同様、彼女もまた敵が酷く冷静なことに気づいたのだ。
(神と悪魔が一体化したもの、とでも捉えるべきなのでしょうか。なんにせよ、わたくしの手には負えない可能性すらあるほどに強力な魔物、ということですわね)
 もしも付け入る隙があるとするならば、相手が自分を格下とみなしているところだろうか。だが、事実として格下だった場合、それは隙にはならない。
「……てっきり、あなた以外にも兵が待ち構えているものと思っていたのですけれど、ここにはあなただけですの?」
『ええ、今は私しかいないわ』
『ああ、今は僕しかいない』
「……今は?」
 王の言葉に、二つの頭が頷きを返す。
「…………では、過去には?」
 じり、と緑の王が一歩後退った。同時に、背負っていた弓に手を伸ばし、左手に備える。
『二十万を超える子がいたわ』
『二十万を超える餌がいたな』
 その返答を聞くや否や、緑の王が素早い動きで矢をつがえ、風霊魔法を乗せて放った。渦巻く風を纏った緑銀の矢が空を切り、一直線に火の鳥へと向かう。神を名乗る頭を狙ったその一撃は、しかし対象へと届く前に、突然空中で発火した。そして、纏う風ごと矢がどろりと溶け、そのまま蒸発してしまう。
 緑の王自身、十中八九対処されるだろうという見込みで放った小手調べの一撃だったが、これは彼女の予想を上回っていた。
(確かに風霊魔法と炎は相性が悪いですわ。けれど、だからといって風による防護を施した矢を、こうも容易く蒸発させるなんて。……この強さ、神や悪魔だから、というだけではありませんわね。……恐らくは、二十万人規模の人間との多重契約か、それに等しい何かが行われた、といったところでしょうか。魔導の多重契約なんて聞いたこともありませんけれど、有り得ないとは言えませんわ。本来一人が担う役を数十万人規模で担わせることで、対象の魔物の能力を飛躍的に向上させることができる、とか……。……ああ、状況的に、概ね正解な気がしてきましたわね)
 王の背中を、冷たい汗が伝う。
 炎に属する敵と戦う際の彼女のアドバンテージは、風霊魔法による飛行術だ。だが、相手もまた空を舞う鳥となると、飛行術による優位性は発揮できない。
(そもそも、わたくしには自身と同等以上の炎使いとの戦闘経験が圧倒的に不足していますわ。唯一覚えがある経験らしい経験と言えば、親善試合という形でグランデル王と戦ったくらい……。けれど、あれは飽くまでも親善試合。わたくしもグランデル王も本当の意味での本気を出していない以上、経験と呼ぶのもおこがましいですわね)
 だが、そんな半ばお遊びのような試合においてすら、緑の王は空を飛ぶことでなんとか対等な戦いを演出していたのだ。その優位性を奪われたとなると、この上なく苦しい状況であることは明白だった。
『随分とせっかちなのね。どうしてそうも死に急ぐのかしら』
『随分と血の気が多い女だ。では僕もさっさとお前を殺すとしよう』
 異なる二つの声がそう言うと同時に、目を焼くほどの炎が三対の翼を覆う。鳥がそのまま広げた翼を打ち下ろせば、翼が纏っていた炎は巨大な塊となって緑の王へと放たれた。
 離れていても感じる凄まじい熱気に、緑の王が風霊の名を叫ぶ。瞬時に身体に風を纏って空へと飛翔した彼女は、高くへと飛び上がることで、空気を焼き払いながら進む炎の塊を見事に躱してみせた。
 だが、その彼女を火の鳥の追撃が襲う。
 広げた翼から小さな炎の矢のようなものが無数に放たれたのだ。
 巨大で強力な代わりに単発だった先ほどの攻撃とは違い、今度は個々の威力が小さい代わりに隙間がほとんどない弾幕攻撃である。さしもの王も、この全てを飛行によって躱すことは不可能だと悟った。
「“風の盾ウィンド・シールド”!」
 飛行の最中に唱えた魔法により、王の周囲に風の盾が展開される。非常に単純で初歩的な魔法だが、四大国の王が一人、緑の王が使用すれば、それは多少の攻撃では揺るがない強固な盾になるのだ。
 だが、敵の小さなか弱い炎は、彼女の風を容易に上回るものだった。
 厚く立ちはだかる風の壁に数えきれない炎の矢が突き刺さり、そのまま風を食い破る。そして、凝縮された風を散らして押し進んだ炎たちは、その先にいる風の女王の姿を捉えた。
「っ、風霊っ!」
 護りを突き破って奔ってきた火の群れに、王が再び風霊の名を叫んだ。瞬間、王の胸の前を起点に、爆風が弾ける。
 先ほどの風の盾とは打って変わり、緑の王が発動したのは上位の攻撃魔法である。
 人はおろか建物一棟すらも吹き飛ばすだけの威力を持つそれを、敵の攻撃を散らすために用いたのだ。
 敵の攻撃の威力に対してやりすぎかと思われた防御措置だったが、火の矢が吹き飛ばされていく手応えに、そんなことはないと女王は悟る。
(今くらいの魔法でないと、押し切られるのはこっちの方ですわ……!)
 敵の小規模な攻撃を防ぐために、こちらは比較的規模の大きい魔法を使わざるを得ない。それはつまり、長期戦になればなるほど不利だということである。
(……いいえ、それは違う。これほどまでに差があるのであれば、長期戦にならないことだって有り得ますわ)
 そう。それこそ、四大国の王の極限魔法に匹敵する何かをこの敵が持っているのであれば、それを発動させるだけでこの一戦が終わる可能性がある。だからこそ、ここで緑の王が時間稼ぎなどという消極的な戦法に出る訳にはいかないのだ。
(十中八九勝てない相手でも、引きの姿勢を見せれば終わりということですわね……!)
 正しく状況を理解した王が、続けざまに高等な攻撃魔法を放つ。火の鳥の直下から大きな風の渦が巻き起こり、そして四方から圧縮された風の刃が放たれた。だが、それらも全て、巨鳥が展開した火の壁に打ち消されてしまう。
 しかし、王の狙いはその先にあった。巨鳥の周囲に火の壁が生じた瞬間、目にも止まらぬ速度で空を翔けた王が、瞬時に敵の背後に回る。そして、同時に三矢を弓につがえ、弦を引き絞った。そこまでの動作を流れるようにこなしつつ、更に先程よりも遥かに強力な風霊魔法を矢に憑依させた王は、風の渦と刃が掻き消えるその瞬間を狙い、躊躇いなく指を放した。
 それは完全に敵の虚をついた死角からの攻撃だったが、豪速の矢が敵に届く直前、ぐるりと振り返った悪魔の頭が、その口から炎を吐き出した。容赦なく放たれた業火が、王の放った三矢へと真っ直ぐに向かう。そのまま渾身の三矢は無残に焼かれて蒸発するかと思われたが、しかし、
「……同じ轍は踏みませんわよ」
 緑の王がうっすらと笑う。その視線の先で、先程の三矢がまさに神速で炎を避けた。まるで矢に意思が宿っているかのような光景であったが、無論そうではない。王が、風の流れを操って矢を操作しているのだ。矢が進む方向は勿論、その速度までをも変化させるこの魔法は、非常に高い集中力を要する魔法である。常人であれば己を飛行させながらでは到底実行できない攻撃だが、彼女にとっては徐の口であった。
「さあ、休む間も与えませんから、覚悟なさってください」
 火の鳥を狙って飛び交う三矢をそのままに、王が次の三矢を弓につがえる。
 合間合間に風の攻撃魔法を挟みつつ、三矢放ってはまた三矢を備え、と繰り返し、王がようやく弓を降ろす頃には、場には十数本の矢が飛び交っていた。
 それら全てを自在に操り火の鳥を翻弄する王は、未だ不敵な笑みを絶やさずに巨鳥を睨み据えている。だが、それでもその顔には疲労が滲み始めていた。
 当代の緑の王は、四大国の王にしては非常に稀有なことに、比較的細やかに魔法の調整をすることができる。今扱っている魔法においても、ここまで多くの矢を同時に操れるのは、その恩恵によるものだ。だが、単属性の魔法は元来調整しにくい性質を持っているため、いくら緑の王とはいえ、今の状況を維持し続けるのは非常に精神が削られる苦行であった。
 だが、それでも彼女は攻めの姿勢を崩さない。多くの矢で牽制し、大技で威嚇をすることで、敵が強力な一撃を繰り出す隙を一切与えない。
 それは、王特有の魔力量と魔法適性とが揃って初めて可能になるほどに難しい戦法であると同時に、今の彼女にできる精一杯だった。
(……本当は、このまま敵の攻撃を躱しつつ、少しでも北のミゼルティア王の元へと移動できれば良いのですが)
 腹立たしいことに、敵は常に彼女の進路を塞ぐ形で空を移動してくるため、それを振り切ってこの場を離脱することは不可能だ。となると、青の王がここにやってくる可能性に賭けるか、この場で緑の王が天敵たる火の鳥を倒すかしか手段がない。
(…………倒す)
 胸の内で、女王がぽつりと呟く。その呟きは間違いなく不可能な選択だ。だが、唯一それを成し得るだろう一手を彼女は知っている。いや、彼女だけではない、恐らく同じような状況に立たされているだろう四大国の王全員の脳裏に、その一手が浮かんでいることだろう。
 しかし、その可能性に女王は自ら首を横に振った。
(早計ですわ。今はまだ、ミゼルティア王を待つ方が好手でしょう)
 そう思い直した女王だったが、極限状況の最中僅かに生まれたその迷いが、彼女の魔法の精度に影響してしまった。常であれば問題にすらならないだろうその些細な綻びを、敵である火の鳥は見逃さない。
 ほんの僅か勢いが鈍った風の矢を見切った鳥が、矢の数だけ翼から炎を生み、それを矢へと叩き付けた。そして、一瞬だが確実に反応が遅れた緑の王は、それに対応できない。
 結果、神経を尖らせて操作してきた矢の全てが、炎に焼かれて蒸発してしまった。
「っ!」
 女王が、しまった、という表情を浮かべてしまったのも仕方がない。彼女の矢は強力な風魔法にも耐えられるように作られた希少なものであり、基本的に使い捨てることを前提としていないため、戦場に持ってきているのは矢筒に入り切る本数のみ。つまり、たった今失ったあれらが全てだった。
 矢による牽制は、ある程度魔力を温存しながらも敵を翻弄できる有効な手段だったのだ。それを失った今、次に女王がとるべき一手とは。
 その一手に思考を巡らせた女王は、やはりその分戦況の把握が遅れてしまう。そして、そうして生じた僅かな隙を、神と悪魔を名乗る魔物は的確に攻め抜いてきた。
 王の周囲に、逆巻く炎の渦が生まれる。炎が発生する前兆自体はあったものの、ほんの僅か対応が遅れた彼女はそれを回避することができず、上下を含めた周囲を炎の壁に取り囲まれてしまった。最早壁の外の様子は窺えない状況だったが、次に来る敵の行動は予想がつく。
 そして王の予想通り、炎の渦の外から王目掛けて放たれたのは、触れるものをすべて焼き尽くさんばかりに燃え盛る、灼熱の炎の塊であった。
 まさに、緑の王が恐れ、水際でなんとかせき止めていた大技そのものである。
 見えずとも肌で感じるそれに、王はほとんど動物的な本能による反射から、両手を前に突き出して叫んだ。
「――“堅牢なる風の砦ルフ・ドゥルク・アスフィート”!!」
 正真正銘、風霊魔法における最高防御を誇る魔法である。一方向のみにしか展開できないという欠点を持つ代わりに、その防御性能は風霊魔法の中では最も高い。無論結界魔法が持つ堅牢さには及ばないものの、王が発動するそれならば、並みの攻撃は貫通しない代物である。
 幾重にも重なる風の盾が王の眼前に形成されるのと、敵の放った火の塊が王に届くのは、ほぼ同時だった。
 うねりを上げて炎が盾にぶつかり、それと時を同じくして炎の渦が一気に中心へと収縮する。そのまま永遠に燃える続けるかと思われた炎は、しかし次の瞬間、大きく弾けて四散した。そしてその中心から、毅然と背筋を伸ばした緑の王が姿を現す。
 服や肌の至る所が焼け爛れ、肩で大きく息をしてはいるが、疲労や苦痛を感じさせない涼やかな表情を保ったまま宙に立つ彼女は、あれほどの攻撃を受けてなお、致命傷すら負わずに生きていた。
 これには火の鳥も僅かに驚いた様子を見せたが、しかし彼女の状態を見るに、死に至る怪我を負わなかっただけだ、という言い方もできる。
 正面からの本命攻撃に防御の最大魔法を発揮した分、全方位から襲い来る炎の渦への対処に関してはおろそかにせざるを得なかったのだ。身体の周囲に簡易体な風の盾を展開し、ある程度炎の渦の勢いを殺しはしたが、勿論その程度で完全に防げるような攻撃ではない。
 結果、背面や側面に受けることになったダメージは、決して軽いものではなかった。
(それでも、戦闘不能になるよりは遥かにマシですわ。生きてさえいれば、いかようにも戦うことができますもの)
 重度の火傷を負った箇所は皮膚が溶け、見るも無残な有様であったが、最早痛みを感じる神経すらも焼け爛れているせいで、何も感じはしない。寧ろ軽症の方が痛みがある分邪魔だ、とすら王は思った。
 しかし、と王は思考する。矢を失った今、いよいよ追い詰められたと言っていい。やりようによっては先程までのような膠着状態を作ることはできるが、矢を操っていたときに比べれば魔力の消費は大きくなり、来たるときに適切な魔法を使うだけの余力が残せるかどうかは甚だ疑問だ。
 だがそこで、ふと女王の頬を柔らかな風が撫でた。それを受けた王の表情が、微かにだが和らぐ。
 そんな王の僅かな変化に気づいた様子もない魔物は、次の攻撃を繰り出すこともなく王を見つめた。
『驚いたわ。まさかあれを耐えるなんて思わなかった』
『驚いたな。消し炭になって終わると思っていたのだが』
 双頭が心底意外そうに、左右それぞれの方向へと首を傾げた。
「驚いたと言いつつも、わたくしと対話をする余裕はあるのですわね。わたくし程度、脅威にはなり得ないということですの?」
 王の問いに、やはり火の鳥は首を傾げた。
『脅威? 貴女であろうと誰であろうと、人間は脅威たりえないわ』
『脅威? 僕が人間ごときを脅威に思うという発想自体が、理解の範疇にないな』
「……ああ、なるほど」
 答えた王の耳に、風霊がそっと音を届ける。そう遠くはないところから運ばれたその音色を聞きながら、王はふわりと笑みを浮かべた。
「わたくしたちに付け入る隙が残されているとしたら、あなた方のその傲慢さ、ですわね」
『傲慢?』
『傲慢?』
「ああ、いえ。あなた方はそれを傲慢だとすら思っていないのですわ。それは判っています。そして、あなた方が居た世界では事実として、人間はか弱きものだったのでしょう。けれど、この世界においては少し違いますの」
 王の言葉に、双頭は怪訝そうな声を上げた。
『何が違うというの? この世界でも人間はか弱かったわ。そう、強いと聞いていた王である貴女でさえ』
『何が違うというのだ? この世界でも人間は僕の餌でしかなかった。王であるお前だって、所詮は餌に過ぎない』
 魔物はそう言ったが、王はゆっくりと首を横に振る。
「確かに、あなた方にとってわたくしは弱く見えるかもしれませんわ。……けれど、それは単にわたくしとあなた方の相性がとても悪いから。逆に言えば、これほどまでに相性が良いにもかかわらず、結局わたくしを仕留められていないあたり、あなた方の方こそ大したことがないのではありませんこと?」
 王の言いざまに、魔物が僅かだが苛立ったような気配を感じさせた。だが、それでも王は言葉を続ける。
「ああでも、こうして会話に興じてくださるほどにわたくしを侮ってらっしゃる点は、とても有難いですわ。その油断があるからこそ、こうして間に合った訳ですし」
『間に合った?』
『間に合った?』
 異なる音で同時に疑問符が発されたその時、遠くから響く微かな音を認めた双頭の魔物が、ばっと背後を見る。

 四つの目が振り返ったその先にあったのは、地響きを上げてこちらへ向かってくる濁流であった。
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