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第三章 立ち込める暗雲
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しおりを挟む『シルファ』
誰だろう。愛おしげに名前を呼ぶのは。
真っ白な世界で辺りを見回すと、微笑みを携えた長身の男性がこちらに手を伸ばしていた。
濡羽色の艶やかな髪を後ろでまとめ、その瞳は黄金色に輝いている。
とびきりの笑顔で答えながら、愛おしげに眼を細める彼の手を取った。
軽々と抱き上げられ、お互いに笑みを漏らす幸せな時間。
コツンと額を合わせて、互いに肩を揺らして笑った。
やがて、真剣な目をした彼の顔が近付いてきて――
「んん……今のは、夢?」
ぼんやりした頭が少しずつ覚醒していく。
相手の顔ははっきり分からなかったけれど、とにかく甘い雰囲気の夢だったことは覚えている。なんて夢を見たのかと、じわじわと恥ずかしさが込み上げてきて頬が熱くなっていく。
「うぅっ……」
居た堪れなくて両頬を押さえて寝返りを打つと、振り向いた先にいた人もまた、身じろぎをした。
「ん? ……あっ!」
視線を上げると、そこには幼くも整った寝顔があって思わず息を呑む。この瞬間ばかりはどれだけ経っても慣れない。
シルファの視線を感じたのか、ふるりと長いまつ毛が揺れて、黄金色の瞳がゆっくりと開かれていく。
「ん……おはよう。よく眠れたか?」
やがてシルファを認識して、ふにゃりとその表情が緩まる。きっと、シルファにしか見ることができない特別な表情。そう思うと、どうしようもなく胸が切なく締め付けられる。
「おはようございます。とても幸せな夢を見ました。きっとあれは、元の姿に戻ったルーカス……」
そこまで言って、改めて夢の内容を思い出してボフンと頬が染まる。
ルーカスはシルファの熱い頬を指先で撫で、不敵に目を細めた。
「ほう。それで、夢の中の俺は何をしていた?」
「えっ!?」
そうは言われても、口にするのは憚られる内容なので困ってしまう。
あうあうと顔を真っ赤に染め上げて狼狽していると、ルーカスはシルファの顔を引き寄せて、鼻と鼻をチョン、とくっつけた。
「……夢の中の俺に嫉妬してしまうな」
「~~っ」
頭が茹ってしまいそうなぐらい熱くてクラクラしてきた。
一方のルーカスは満足げな顔をして起き上がると、グッと伸びをした。どうしてそんなに余裕なのか。こちらはルーカスの予測できない行動にどうしようもなく動揺させられているというのに。
「ん、もうこんな時間か。シルファと眠ると心が安らいでつい寝過ぎてしまうな。もうすぐエリオットが来る。身支度を整えておけ」
そう言ってルーカスは、密かに不貞腐れるシルファの頭を撫でてから執務室へと向かった。
◇
フレデリカからの手紙はその後何度も届いた。
よほど子爵家が困窮していて、後がないのだろう。ついには義妹のフローラからも手紙が届く始末だ。
お姉様だけ狡い、酷い、とどの口が言うのかと疑いたくなるような稚拙な内容で頭が痛くなる。
ついには手紙の封を切ることもしなくなった。
そうして無視し続けていたけれど、堪忍袋の尾が切れたのはルーカスの方だった。ルーカスは子爵家に強火な抗議文を送り、それ以来パッタリと手紙は来なくなった。
彼女たちが魔塔の最上階にいるシルファと会う術はない。
だから、安心して日々を過ごせばいいのだろうが、どうもフレデリカが簡単に諦めるとは思えなかった。
◇
ある日の午後、久しぶりに仕事の手が空いたルーカスは新しい魔導具作りに精を出していた。
元々楽しそうに仕事をする人であるが、やはり新しい魔導具の開発や研究をしている時が一番輝いて見える。
先日、過分に注ぎすぎた魔力をシルファが吸い取って以来、ルーカスは大胆な回路を惜しげも無く刻むようになっている。それがまた一層楽しそうで、シルファはいつも微笑ましい気持ちと、少しの羨ましい気持ちを胸に抱いて彼を見つめている。
魔力量の調整を間違えても、シルファが余分な魔力を吸い取ることができるため、開発の幅が広がると言ってくれることが震えるほど嬉しい。
少しは彼の助けになれているのだろうか。
そう思いながらルーカスの指示通り、回路の調整内容を懸命に記録していった。
だがこの日、初めて魔力の吸収と作業記録以外でルーカスに呼ばれた。
「シルファも魔塔で働いて長いだろう。よければ君のアイデアを形にしてみないか? 俺と協力して一つの魔導具を作り上げるんだ」
「私が……魔導具を作る……?」
実際に回路を刻むのはルーカスになるのだろうが、効果の設定やデザイン、回路の構築に携わってもいいということなのだろうか。
胸の奥から熱いものが込み上げ、シルファは気づけば力強く頷いていた。
そして慌てて自分のデスクの引き出しをひっくり返し、奥に押し込んでいた一冊のノートを取り出した。
こんなものがあったらいいな、と夢見心地で密やかにアイデアを書き記してきたノートだ。
魔導具にはメンテナンスの仕事でこれまでたくさん触れてきた。本でも学んだ。とりわけ、魔塔の最上階に来てからは、ルーカスに教えてもらいながらたくさんの本を読んだ。基礎知識はすでに十分に備わっているはずだ。
インクの補充が不要な羽ペン、持ち運びができる温水シャワー、温風とシャワーを組み合わせた全身清浄器、保温や保冷効果の高いランチボックスなど、日常を少し便利に彩る等身大の魔導具。
生活を大幅に変えるような大きな発明でなくてもいい。誰かのほんの少しの幸せや笑顔に繋がるような、そんな魔導具が作りたいと小さい頃から思い続けてきた。
シルファは幼い頃の夢と共に、胸に抱いていたノートを恐る恐るルーカスに差し出した。
子供の頃から使い続けているボロボロのノートを、ルーカスは割れ物を扱うように丁寧に受け取ってくれた。
ルーカスは瞳をキラキラと輝かせながら、食い入るようにシルファのノートのページを捲っていく。
「面白い」
「ここはもっとこうしたほうが実用的だな」
「確かにこれは便利だ」
ルーカスは真摯に、真剣に、シルファのアイデアを笑うことなく助言をしてくれる。瑣末なものだと馬鹿にせず、向き合ってくれている。
シルファは胸の前でギュッと両手を握りしめた。
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