森の中の憩いの場〜薬屋食堂へようこそ〜

森の楽園

第38話 静かな雨の日

　しとしとと、静かに雨が降り続く日。アルトは、薬屋の窓辺に置かれたロッキングチェアに深く腰掛け、愛読書を広げていた。インクの匂いと紙の擦れる音、そして雨の音が、心地よい静寂を作り出している。

　店の中は、いつものように整然と片付いている。棚には、色とりどりの薬草やハーブが瓶詰めされ、整然と並べられている。壁には、薬草の効能や調合方法が記された古文書が飾られ、奥には、アルトが薬を調合するための作業台が置かれている。

　雨の日は、普段賑やかな森の住人たちも外出を控えるため、薬屋を訪れる者は少ない。アルトにとって、雨の日は貴重な休息の時間だ。

「コンコン」

　静寂を破るように、控えめなノックの音が響いた。アルトは本から顔を上げ、扉の方を見た。

「どうぞ」

　アルトがそう言うと、扉が静かに開き、ラピスが顔を出した。いつものように、黒いローブを身にまとい、少し濡れた髪を気にしている。

「アルト、邪魔するぞ」

　ラピスは、相変わらず女性らしくない口調で言った。

「いらっしゃいませ、ラピスさん。雨の中、よくいらっしゃいましたね」

　アルトは、ロッキングチェアから立ち上がり、ラピスを迎え入れた。

「退屈でな。お前の顔を見に来た」

　ラピスは、そう言いながら、店の中を見回した。

「誰もいないのか？　珍しいな」

「ええ、今日は雨なので、皆さんお家でゆっくりされているのでしょう」

　アルトは、そう答えると、ラピスに椅子を勧めた。

「どうぞ、お座りください。温かいハーブティーでもいかがですか？」

「ああ、頼む」

　ラピスは、アルトの勧めに従い、椅子に腰掛けた。アルトは、手慣れた様子でハーブティーを用意し、ラピスの前に置いた。

「どうぞ。今日は、カモミールとラベンダーをブレンドしたハーブティーです。リラックス効果がありますよ」

　ラピスは、ハーブティーを一口飲むと、目を細めた。

「ふむ、悪くないな。お前の淹れるお茶は、いつも美味い」

「ありがとうございます」

　アルトは、少し照れながら答えた。二人は、しばらくの間、静かにハーブティーを味わった。雨の音だけが、静かに響いている。

「そういえば、ラピスさんは、今日は何かご用があって？」

　アルトは、ふと思い出して、ラピスに尋ねた。

「いや、特に用はない。ただ、お前の顔を見たかっただけだ」

　ラピスは、少し照れくさそうに答えた。

「そうですか。お気遣いありがとうございます」

　アルトは、微笑みながら答えた。

「しかし、本当に静かだな。お前は、いつもこんな風に過ごしているのか？」

　ラピスは、退屈そうに周囲を見回しながら言った。

「ええ、大体は。本を読んだり、薬草の研究をしたり、料理をしたり……。色々とやることがありますから」

　アルトは、淡々と答えた。

「全く、お前は本当に変わったやつだな。もっと、冒険とか、そういうものに興味はないのか？」

　ラピスは、呆れたように言った。

「冒険ですか？　いいえ、私は今の生活が気に入っていますから」

　アルトは、きっぱりと答えた。

「そうか。まあ、お前がそれでいいなら、それでいいんだが」

　ラピスは、肩をすくめた。

「ところで、ラピスさんは、最近何か面白いことありましたか？」

　アルトは、話題を変えるように尋ねた。

「面白いこと？　そうだな……。最近、新しい魔法の実験を始めたんだが、なかなか上手くいかなくてな」

　ラピスは、少し困ったような表情を浮かべた。

「魔法の実験ですか。何かお手伝いできることがあれば、お気軽にお声かけください」

　アルトは、親切そうに申し出た。

「そうか。まあ、その時は頼むかもしれないな」

　ラピスは、少し嬉しそうに答えた。二人は、その後も、とりとめのない話を続けた。雨の音を聞きながら、穏やかな時間が流れていく。

　ふと、アルトは、窓の外に目をやった。雨は、少し小降りになっていた。

「そろそろ、雨が止みそうですね」

　アルトがそう言うと、ラピスも窓の外を見た。

「ああ、そうだな。そろそろ、私も帰るとするか」

　ラピスは、椅子から立ち上がった。

「今日は、お付き合いいただきありがとうございました」

　アルトは、丁寧に頭を下げた。

「気にするな。また、退屈したら来る」

　ラピスは、そう言い残して、薬屋を後にした。

　アルトは、ラピスの後ろ姿を見送り、再びロッキングチェアに腰掛けた。静かな雨の日、穏やかな会話。アルトの日常は、今日もまた、変わりなく過ぎていく。

　窓の外では、雨上がりの光が差し込み、森を優しく照らしていた。アルトは、再び本を開き、物語の世界へと没入していった。