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第1章
思惑と油断
しおりを挟む一週間の謹慎が明けて離宮から王城に戻ると、衛兵の配置が変わっていた。
先日のお茶会の件があり、警備体制が見直されたのだ。初めてみる顔の衛兵も何人かいるようで、目的地に向かう道すがら、アルフォルトは衛兵の位置を頭に入れていく。
途中すれ違う貴族や文官がこちらを窺う気配がして、アルフォルトは仮面越しに視線を向けた。
「あれが噂の······」や「醜男で人前に顔を出せないそうで」とヒソヒソ話す声が聞こえるが、いつもの事なのでアルフォルトは気にしていなかった。かわりに、後ろを歩くライノアから不穏な気配がする。見なくてもわかる。
(半分は自分で流した噂だから、怒らなくていいのに)
目で威圧しているのか、陰口を叩いていた文官が怯えた顔で静かになった。
ライノアにも仮面を付けたほうが良いのかもしれない、とアルフォルトは思う。半分冗談で、半分は本気だ。
いっその事メリアンヌも仮面を付ければお揃いだな、なんてどうでも良い事を考えていたら、一番会いたくない人物と鉢合わせてしまった。
「あら、お身体はもうよろしくて?」
侍女を二人背後に控えさせ、ローザンヌ王妃が微笑んだ。勿論、目は笑っていない。
「この通りもう大丈夫です。先日は本当にすみませんでした」
非礼を詫びるアルフォルトにならってライノアも頭を下げる。仮面で表情など見えないだろうが一応反省してます、という顔を作る。
「もう済んだことですわ」
回復してすぐ、王や重鎮が集まる公の場で謝罪はした。おそらくローザンヌは許していないだろうが王がいる手前、謝罪を受け入れてはいる。
「それより、アルフォルト様は病弱なのに、無駄に生命力にあふれてらっしゃるのね」
クスクス笑うローザンヌに合わせ、後ろの侍女達も笑う。とりあえず嫌味の一つ二つ言わないと腹の虫が収まらないのだろう。嫌味だけで済むとは思わないが。
アルフォルトはそっと侍女を観察する。一人は、ローザンヌに長年仕えている茶髪の女性で、もう一人は初めて見る顔だ。
赤毛にソバカス、二十代くらいだろうか。大人しそうで地味な印象に残らない顔立ちだった。
(この人が、宰相が言ってた怪しい侍女)
ローザンヌの側近は派手な顔立ちをした者が多いので、正直浮いている。
(わざと、印象に残らないようにしている?)
違和感の正体に合点が行き、アルフォルトは侍女を警戒対象とみなした。ライノアも同じ事を思ったようで、アルフォルトに少し近づいた。
「生命力くらいしか取り柄がありませんもので」
アルフォルトは警戒を悟られないよう、ふざけたように肩を竦めて見せた。
嫌味を流されたローザンヌは、つまらなさそうに鼻を鳴らした。怒ったり取り乱すアルフォルトが見たかったのだろうが正直面倒臭い。
「無駄話はここまでにいたしましょう、アルフォルト様ご機嫌よう」
ドレスの裾を翻し、ローザンヌは侍女をつれてツカツカと歩いて行った。
「······嫌いなら態々話かけなくていいのに。暇なのかな」
「アルフォルト様、聞かれたら今度こそ刺されますよ」
ボソッと呟いた声が聞こえたようで、ライノアがため息を付いて諌めていると──ローザンヌが振り返って立ち止まった。
今の声が聞こえたかと内心で冷や汗をかいたアルフォルトだが、どうやら違うらしい。
「忘れてましたわ、貴方にお礼をしようと思ってましたの」
アルフォルトの前まで戻ってきたローザンヌは、懐から何かを取り出した。
武器の類かと一瞬身構えるが、手に持っていたのは小さな紫色の小瓶だった。
香水のように見えるそれに拍子抜けしたアルフォルトの顔に、ローザンヌはあろう事か勢いよく振りかけた。途端に甘ったるい香りが広がる。
「?!······ゴホッ······」
「ローザンヌ王妃!?」
咄嗟にライノアが腕を引いて後ろに庇ったが、不意打ちだった事もあり、アルフォルトは香水を吸い込んでむせた。
「あら、ごめんなさい。つい手元が狂ってしまったわ」
クスクスと笑う顔は悪意に満ちている。
「ライノア、そんな怖い顔しないで頂戴。男前が台無しよ?」
爪が紅く塗られた細い指が、ライノアの頬に触れる。どんなに嫌でも、振り払えば不敬だなんだと理由を付けてライノアを罰する可能性がある。
「大丈夫、ちょっと吸い込んだだけだよ、ライノア」
アルフォルトはライノアの腕に触れ、指先で「毒性なし」と合図をし、そのまま引っ張って後ろに下がらせた。ローザンヌの手がライノアから離れる。
「ローザンヌ王妃、さすがに驚きましたよ」
「ごめんなさいね、つい」
(うわ~絶対わざとだ!!)
悪びれもせず微笑むローザンヌにアルフォルトは内心ため息をついた。
「で?こちらの香水はどうされたのですか?」
紫の小瓶を差し、アルフォルトは問いかけた。
「自業自得とはいえ、シャルワールのかわりに毒入りのお菓子を食べてあの子の命を救って下さったので。そのお礼ですわ」
言葉の端々に潜む嫌味に、この人本当にシャルワールの母親なのかとつい思ってしまう。
「·····凄く、独特な香りですね」
お世辞にもいい匂いとは言い難い。甘ったるい匂いが鼻に残っていて気持ち悪い。
仮面の下で渋い顔をするアルフォルトに、ローザンヌがそっと近づいてきて声を潜めた。
「アルフォルト様はその、男性としての機能に問題があるとお聞きしてますので、僭越ながらこちらの香水を差し上げますわ」
アルフォルトの手に小瓶を握らせて、ローザンヌが凝視してくる。しばらく無言で見つめていたが、つまらなそうにため息を吐いた。
「速攻性の媚薬が入っていると聞いたのですが、やはり不能な方には効かないようですね」
侮蔑まじりに微笑むと、ローザンヌは「お好きに使ってくださいまし」と言い残してさっさと行ってしまった。
ローザンヌの姿が完全に見えなくなると、ライノアがアルフォルトの両腕を掴んだ。
「ルト、大丈夫ですか!?痛いとか苦しい所はありますか?」
心配そうに顔を覗き込み、脈まで測ってきた従者に、アルフォルトは苦笑いする。
「大丈夫だよ、ライノア。速攻で効く毒性が強い物はこんな玩具みたいな容器で保管は出来ないし今の所身体に違和感はない······ものすごく嫌な匂いだけど」
手渡された香水瓶を指先で弄び、アルフォルトは目の前に翳す。透明だと思われる液体に濁りはないので何かを混ぜた訳ではなさそうだ。
「大丈夫だからそんな顔しないで。まぁ、遅効性の新しい毒ならヤバいけど」
「それは大丈夫とは言わないです!!」
ものすごい剣幕で怒るライノアを「冗談だよ」と宥める。
ローザンヌは絶対に自分の手を汚してアルフォルトを始末しようとは思わないだろう。やるなら派閥の人間にやらせる人だ。嫌がらせは率先してやるが、その点だけは信用できる。──なんとも嫌な信用だが。
「速攻性の媚薬、と言ってませんでしたか?」
「残念な事になんともないよ?てかさぁ、普通これから会議に行く人間に媚薬盛る!?」
アルフォルトは様々な毒に耐性があるせいか、薬の効きが悪く、お酒にも強い。おまけに不能と言われるだけあって、身体に異常はなかった。
「だからこそじゃないですか?会議中にルトが興奮してめちゃくちゃになる事を期待してたのでは?」
「一周回って清々しい嫌がらせだ」
会議がハチャメチャになったら、その分国政に響くとまでは考えないのだろう。なんとも浅はかな第一王妃だ、とアルフォルトは思う。
「まぁ、ローザンヌ王妃に欲情しなくて良かったですね。押し倒しでもしたらと思うと······」
「え、ナニソレ怖っ······どんな怪談よりも怖い」
心無いライノアの発言に身震いする。不機嫌そうな従者を睨むと、頬に小さな傷が付いていた。
おそらくローザンヌの爪が引っかかったのだろう。血は出ていないが蚯蚓脹れになっていた。
「ごめん、さっき引っ張った時のだよね」
そっと触れると、ライノアはそのままアルフォルトの手に頬を擦り寄せて来た。先程までの不機嫌さはどこへいったのか、蒼い目が嬉しそうに細められる。
「大丈夫ですよ、今ルトが消毒してくれたから」
「?それならいいけど······あ、時間!」
弾かれたように、アルフォルトは顔を上げる。
世間的には無能な王子なので、公の場ではただ座って居るだけだが、発言をしない代わりに議会を監視するのがアルフォルトの仕事だ。議会の後に宰相と政策を詰めていくのだが、議会に遅れたら本末転倒である。
ライノアを伴い、アルフォルトは急ぎ足で会議室に向かった。
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