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第3章
夢のあと、賑やかな朝
しおりを挟む懐かしい、夢を見た。
「──アルト」
優しい声が、今は誰も呼ばなくなった名前で。愛おしそうに、何度も名前を呼ぶ。
アルフォルトは、王子としての名前だ。
ライデン王国の王子は、七歳の誕生日までは母方の領地で過ごす決まりがある。その間に所作や王族としての教育を受け、七歳の誕生日を迎えて初めて王族と認められ、王子としての名前が与えられる。
だから、小さい頃はただのアルトだった。
「アルト、どこにいったのかしら······アルトー?」
小さい頃はよく、マルドゥークの屋敷の中や庭で、母やメイド達と隠れんぼをしていた。
今思えばそれは、遊びというよりは有事の際に生き延びれるように、隠れる訓練だったのかもしれない。
応接室のカーテンの中や低い植木の陰。
隠れるのには自信があった。
でも、どんなにアルフォルトが上手に隠れても、母に勝てた事がない。
アルフォルトはクローゼットの中に隠れ、母のドレスの中に入って、少しだけ開けた扉の隙間から外の様子を見守っていた。
見つかるかも知れないとドキドキし、呼吸の音が聞こえやしないかと、アルフォルトは口を両手で抑える。
衣装部屋に入ってきた母は、キョロキョロと自分を探す。
「私の可愛いアルト、どこかしらー?どこに隠れて······ごほっ」
大きな声を出したせいか、母が咳き込んだ。苦しそうに口元を抑えて俯く。
「······っ母様っ!!」
慌ててクローゼットから飛び出し、蹲る母の元へ駆け寄り──そのまま、抱きしめられた。
「······捕まえたっ」
「えっ」
見上げれば舌をペロリと出して、いたずらっ子のような顔で母は笑っていた。それでもアルフォルトは心配で、ペタペタと頬や額に触れて確かめる。
「本当に苦しくない?痛くない?大丈夫?」
「そんなに心配されたら、私の良心が痛むわ。まったく、貴方は誰に似てこんなに優しいのかしらねぇって勿論私よね」
よく回る舌、とはこの事で、アリアはよく喋る。ふふふ、と楽しそうな母に、アルフォルトもつられて笑い出す。
「ゲームは私の勝ちね」
「······母様、ずるい」
アルフォルトは頬を膨らませる。いつもこの手に引っかかるが、苦しそうな母を放っておけないくらいにアルフォルトは母が大好きだった。
いじけるアルフォルトに苦笑いして、頬ずりする母は柔らかくて温かくて。
子供のように無邪気で、それなのに一挙一動上品で。口をひらかなければ人形のように綺麗で、人一倍強い好奇心を抑えられない、陽だまりのような人だった。
今は亡き祖母譲りの榛色の目、マルドゥーク家を象徴する黒く艶やかな長い髪。
元々身体が弱く、アルフォルトを産んだ時も生死の境をさ迷ったと後から聞いた。
男爵という身分で王家に嫁ぎ、苦労が絶えなかったにも関わらず、一言も弱音を吐かずに最期まで微笑んでいた。
「アルト、大好き。愛しているわ」
それが、母の口癖だった。
いつも、惜しみない愛を注いでくれた母は病気が悪化し三十二歳でこの世を去る。
アルフォルトが十歳の時だった。
「······」
目が覚めると、頬が濡れていた。
懐かしい、母の夢をみていたからだろうか。
手のひらで涙の跡を擦っていると、ライノアが部屋に入ってきた。
「おはようございます、アルフォルト」
「······おはよう、ライノア」
アルフォルトが鼻声なのに目ざとく気づき、心配そうに覗き込んできたライノアに苦笑いする。
「大丈夫、──母様の夢をみてたみたい」
ライノアの指で目元をそっと拭われる。
「アリア様が亡くなって、もう七年になるんですね」
ライノアが遠くを見つめるように、呟いた。
あの頃はまだ、二人とも子供で。
アルフォルトは、母を失った悲しみで無気力だった。死んでもいいとさえ思って──でも死ななかったのは、ライノアがいたからだ。
「······って、のんびりしてる場合じゃない!」
慌ててベッドから出るアルフォルトに、ライノアはガウンを羽織らせる。
つい感傷に浸ってしまったが、今日は朝からシャルワールと婚約者が挨拶に来るのだった。
バタバタと身支度を整えるアルフォルトに「落ち着いて」とライノアが窘める。
寝室のドアが開き、メリアンヌがドアから顔を覗かせた。
「おはよーございます、アルフォルト王子」
独特の間延びした挨拶はいつも通りで、なんだかホッとする。
アルフォルトの髪を梳かしながら、今日の朝食はサラダ中心だと言うライノアを半目で睨むと、涼しい顔で流された。
慌ただしいけど賑やかで、楽しくて。
この光景もあと一ヶ月で終わるのかと思うと、胸の奥が締め付けられそうになる。
だから、今は何も考えないでおこう、とアルフォルトは目を瞑った。
♢♢♢
「この度は、御婚約おめでとうございます」
シャルワールの婚約者との顔合わせは、終始和やかで、少なからず緊張していたアルフォルトは安堵した。
メリアンヌ達が腕を奮って用意したお茶菓子は令嬢が好みそうな華やかなものが多く、色とりどりのフルーツに香り高い紅茶。
可愛い物が好きだという婚約者に併せて、テーブルクロスや飾る花は淡いピンクを基調にしている。
テーブルを囲むのはアルフォルトとシャルワール、それから婚約者の令嬢──クリスティナの三人で、背後にはそれぞれの従者や侍女が控えている。
形式ばったものではなく、お茶を飲みながらの歓談はシャルワールたっての希望だと聞いて、アルフォルトへのさり気ない配慮が窺えた。
クリスティナは侯爵家出身で、緩くウェーブしたブロンド髪にぱっちりとしたグレーの瞳。穏やかな中に芯のある可愛らしい女性だった。
「アルフォルト様にお会いできて嬉しいです」
クリスティナは口元に手を当てて微笑んだ。
「実は、シャルワール様からずっとお話を聞いていて、早くお会いしたかったんです」
「シャルワールが?」
思ってもみない報告に、アルフォルトが目を見開いた。すかさずシャルワールが「クリスティナ嬢!」とストップをかけるが、令嬢はクスクスと笑って聞き流す。
「優しくて、思慮深くて、自慢の兄だといつも嬉しそうに話して下さるんですもの。実際にお会いして、シャルワール様のおっしゃる通りの方で、私も嬉しくなりました」
「それは······買い被りすぎですよ。実際の僕は本当に無能でお飾りの王子です」
まさかシャルワールが自分の事を『自慢の兄』だと言ってくれているとは思わず、アルフォルトの頬に赤味が差す。お世辞でも社交辞令でも、弟の好意が純粋に嬉しい反面、あくまでも自分は無能であるべきだと、内心複雑になる。
「そんな事ありませんわ。今だって、私の好みに併せて色々とご用意して頂いてますもの。食べられない物が無いか事前に確認して下さったと侍女からお聞きしましたし、このお部屋もとても可愛いらしくて素敵です。さり気ない気遣い、感謝致します」
クリスティナは嬉しそうにテーブルクロスをそっと撫でた。
「当たり前ですよ、これくらい」
硬いままのアルフォルトの心情を慮ってか、クリスティナは微笑んだ。
「捉え方は人それぞれですものね。······でも、アルフォルト様がシャルワール様にとって大切な兄上なら、私にとっても大切な義兄上です。今後ともよろしくお願いいたしますわ」
「こちらこそ」
ぺこり、とお辞儀をするクリスティナに、仮面で表情はわかり辛いだろうとは思ったが、アルフォルトも微笑んだ。
相手の事を見て、場を読みさりげなく配慮できる賢い子だ、とアルフォルトは思う。
会って間もないので心の真髄まではわからないが、裏表がなく優しい令嬢で、この子なら国母となりシャルワールを支えてくれるだろう、とアルフォルトは思う。
色々話をしているようで、些細なやり取りを見るに、二人の相性も悪くなさそうだ。
チラ、とシャルワールを見れば、本人の前で兄自慢を暴露され、頬を染めて気まずそうに視線を背けている。
そんな弟の可愛さに、アルフォルトは小さく笑った。
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