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第3章
悪夢と秘密の共有
しおりを挟む日に焼けるのは、はしたないと言われて育った。
日よけのパラソル、手袋にボンネット。
華やかなドレスにはレースやフリルが沢山。コルセットは苦しいしクリノリンは重い。
でも、それを顔に出してはいけない。
あくまでも優雅に華やかに。
公爵家の娘として生まれたからには、いつも気品を纏っていなければいけない。優雅さを欠いては家門を貶めると常々言われ続けていた。
ある時、息苦しさで呼吸の仕方すら忘れそうになる自分の手を引いて、彼女は言った。
「──ローズ、貴女はもっと自由に振舞ってもいいのよ」
そう言って、青空の元へ誘われるまま駆け出したあの日を、忘れたことは無い。
煩わしい手袋、踵の高い不安定な靴は脱ぎ捨て、誰も見てないからと裾の長いスカートはたくし上げた。
はじめて裸足で踏みしめた芝生の青さ。
投げ出したパラソルが宙を舞う姿は、いつか本で見たクラゲみたいだと、手を繋いだまま二人で声を出して笑った。
貴族という堅苦しい世界から、彼女は時々連れ出してくれた。
自由気ままで、猫のようにしなやか。子供のように無邪気なのに、立ち居振る舞いはどこまでも上品で可憐で。
陽だまりのようにいつも優しく微笑む彼女は、もう居ない。
だって──。
「貴女が、私を殺したの」
「······っ!!」
悪夢から跳ね起きた身体は、全力疾走したかのように鼓動が早い。
ローザンヌは、胸を抑えて浅い呼吸を繰り返した。
何度も何度も繰り返しみる悪夢。
この夢を頻繁に見るようになったのは、半年前にローザンヌ宛に届いた、一通の手紙がきっかけだ。
差出人は不明。寝室のテーブルの上にそっと置かれていたそれは、ローザンヌの心をどんどん蝕んでいった。
震える両手で自分の肩を抱きしめ、ローザンヌは俯く。
「······ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい······」
何度も何度も繰り返し謝罪しても、もう彼女には届かないと知っている。
侍女が朝の支度をしに寝室を訪れるまで、ローザンヌはぶつぶつと謝罪を繰り返し続けた。
♢♢♢
「優しくて可愛くて、シャルルにお似合いの子だったね」
シャルワールの婚約者との顔合わせは無事終わった。
クリスティナの見送りを終えて、再び応接室へと戻ってきたアルフォルトとシャルワールは、久しぶりに二人でゆっくりと話をする事にした。
王城内にいても、最近は顔を合わせることも少なく、お互いの多忙さが窺えた。
「クリスティナ嬢は俺には勿体無いくらい、しっかりした令嬢だ」
頬をかいて苦笑いするシャルワールはどこか大人びて見えて、アルフォルトは少しだけ寂しさを覚える。ちいさくて泣き虫だった弟は、もういない。
「それにしても、シャルルが婚約者殿に僕の話をしてるとは思わなかったよ」
ニヤニヤと笑って肩をつつけば、シャルワールは照れているのか視線を逸らした。
「······彼女も兄がいるから、共通の話題が兄弟の事で······」
もごもごと言葉がフェードアウトしていく弟に、アルフォルトはつい笑いそうになる。
つまり、何を話していいかわからない二人の話のネタにされていたという事だ。
そんなことで二人の中が深まるのなら、幾らでも話してくれていい、とアルフォルトは思う。
「──気を悪くしないで聞いて欲しいんだ······他にも婚約者候補はいたんだが皆兄上の話になると微妙な顔をした。でも彼女は、兄上の噂を少なからず聞いていたにも関わらず『噂はあくまでも噂。自分の目で見て判断します』ときっぱり言い切ったんだ」
「え、ちょっと待って。君、もしかして婚約者候補の子全員に僕の話をしたの?」
思いがけない発言にアルフォルトが目を丸くしていると、シャルワールは当たり前のように頷いた。
「そうだが?」
「『そうだが?』じゃないよ、なにやってんの······」
アルフォルトは頭を抱えた。
取りあえず落ち着こう、と紅茶を口に運ぶ。
そんな兄の態度を不思議に思ったのか、首を傾げたシャルワールが、背後に控えている自分の従者に視線を向ける。
「アトレイ。俺は何か間違えた事を言ったか?」
シャルワールの従者──アトレイは、苦笑いして口を開いた。
「間違えた事は仰ってませんでしたが、会話の九割がアルフォルト様の話でした」
アルフォルトは、思わずお茶を吹き出した。
慌ててライノアがハンカチを取り出し、有難く受け取って口元を拭った。
おそらく、令嬢達はドレスや髪型を褒めて貰ったり、流行の話題を話したかったはずだ。
それなのに、王子の口から出るのは『兄』の話題ばかり。例えうつけや病弱の噂がなくても、皆微妙な顔をするに違いない。アトレイは肩を竦めて言った。
「ご令嬢方にシャルワール様は、アルフォルト様が大好きだという事だけは伝わったかと思います」
「ブラコン······」
ボソッと背後でライノアの呟きが聞こえ、アルフォルトは無言で肘打ちする。
アトレイには聞こえていたようで、苦笑いしたまま頷いた。
シャルワールとまた交流するようになって、アトレイとも会話をする機会が増えた。アトレイは茶色い髪に赤い目の、シャルワールと同い年の少年だ。
「シャルル、女の子は多分もっと違う話題の方が喜ぶと思うよ······」
思いのほか奥手で、口下手なのかもしれない。
それにしてももっと他に話題があるだろうによりによって兄弟の話とは。
思ったよりも重症かもしれない弟に、アルフォルトはただ苦笑いするしかなかった。
「そういえば、ローザンヌ王妃の体調はもういいの?」
先月から、体調不良を理由に公務も王家の晩餐も全て欠席している。アルフォルトも城下へ行ったり熱を出したりと慌ただしく、最近は全く姿をみていなかった。
前はよく、城の中ですれ違う度に嫌味を言われたり嫌がらせを受けたのだが、そもそもすれ違う事も無い。
アルフォルトの問いに、シャルワールとアトレイは顔を見合わせる。
それから互いに頷くと、シャルワールは口を開いた。
「······本当は口止めされているんだが、兄上を信頼しているから話す。母上は──心の病だ」
シャルワールはため息を吐いた。
思いがけない発言に、アルフォルトは目を見開く。
「もう、何年もそうだ──前はまだ、良かった。薬を飲めば落ち着いていたからな。······ただ、半年前くらいから急激に悪化した」
少し項垂れたシャルワールの瞳が揺らぐ。
半年前と言えば、シャルワールの毒殺未遂があったのもその頃だ。
はたして偶然なのだろうか、とアルフォルトは眉を寄せた。
「最近では悪夢に魘され、陽の光を嫌がり部屋から出て来ない。食も細くなったと侍女から聞いた」
アルフォルトが知るローザンヌは、常に気位が高く傲慢とさえ思える立ち居振る舞いで、アルフォルトへの態度はともかく、貴族の手本のような人だ。
その彼女が弱っている姿など想像できなかった。
「このままではおそらく、シャルワール様の成人の儀には参列できないかと」
アトレイは沈鬱な表情を浮かべたシャルワールの肩に、手を置いた。
二人の様子から、疲労が窺える。
アルフォルトはそっと立ち上がると、シャルワールを抱きしめた。
「話してくれてありがとう······ずっと辛かったよね。誰にも言えない中で頑張ってたんだね」
頭を撫でると、シャルワールがぎゅっとしがみついてきた。
その手は少し震えていて、呼吸も浅い。
「情けない姿を見せてすまない」
小さな声で詫びる弟に、アルフォルトは首を振った。
「今まで気づけなくてごめん。······情けなくなんかないよ。シャルワールは僕の自慢の弟だ」
労るように優しく何度も頭を撫でていると、落ち着いたのかシャルワールは少し身じろいだ。
そっとアルフォルトを離し、シャルワールは少し赤くなった目で微笑んだ。
「父上から聞いた。俺の分の公務や書類を、兄上が肩代わりしてくれていると」
「······父上······シャルルに内緒にしてねって言ったのに」
頬を膨らませたアルフォルトに、シャルワールは笑った。
ここ最近アルフォルトが多忙だったのは、自分の業務の他に、シャルワールの分も引き受けていたからだ。成人の儀の準備に集中して欲しくて、シャルワールに内緒で引き受けていたのだが──相変わらず息子達に甘い父に苦笑いする。
「──ありがとう。凄く助かったが、無理はしないでくれ」
「大丈夫だよ。少しでも役に立てたなら僕は嬉しい」
そういうアルフォルトも、弟には甘い。
命懸けで守り続ける程、弟が大好きだった。
「兄上がいてくれて、本当に良かった。俺しかいなかったら多分今頃プレッシャーで潰れていたと思う」
素直な弟が愛おしくて、アルフォルトはその額にそっと口付けた。
──覚悟は出来ている。
決めたのだ。
もう、逃げないし隠し事もしない。
「······シャルワールが秘密を話してくれたんだ。それなら、僕も言わなきゃフェアじゃないから」
一旦言葉を区切る。
アルフォルトの視線の先で、ライノアは静かに頷いた。
「僕達の秘密と、それから少しだけ──昔話を聞いてくれる?」
アルフォルトは、そっと自分の仮面に手を伸ばした。
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