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本編
6.目には目を②
しおりを挟む高校の正門の通りの前には、閑静な住宅街があった。その中に、志堂の住む真新しい八階建てのマンションが建っている。一階のエントランスには管理人が常駐し、最上階はワンフロアに二軒分しか住居部分がない。明らかに家族用だと思う。エレベーターが最上階で止まる。
玄関を志堂が開けた途端に、レモンの香りがふわりと漂った。
案内されたリビングでは一面の窓から広々とした空が見え、下には整備された公園や住宅が広がっていた。思わず、感嘆のため息が出る。室内は白と淡いグリーンの二色で統一されて落ち着いた雰囲気だ。ソファーの革だけが青みの強いターコイズブルーで、座るとふかりと体が沈んでしまう。志堂がトレイに二人分のアイスティーを運んでくる。
「どうして先輩は一人暮らしをしてるんですか? こんなに広いのに、他には誰もいないの?」
「ああ、一人だけだ。ここは学校に近いから、高校から大学までの間は使おうと思って」
高校の隣には付属の大学がある。毎日通うなら、徒歩十分ほどの立地は悪くなかった。
「あれ? でも、この間、車を呼ぼうとしてくれてましたよね」
「本宅から、いつでも車は呼べるようになっている。具合が悪そうだから、送っていった方がいいかと思ったんだ」
(……そうだったのか)
「でも、必要なかったようだが」
「あの時は失礼しました」
ひやりとして思わず目を伏せた。志堂は微笑んでいる。
「頬を冷やすものを持ってくるから、お茶飲んでて」
アイスティーは渋味のないアールグレイだ。美味しくて、すっと体が楽になる。部屋の中には無駄なものは何もない。綺麗に片付いているけれど、ここに一人でいたら寂しくないのかな。末っ子なせいか、ぼくは人の気配が近くにあった方が安心する。
大人しくアイスティーを飲んでいると、キッチンからタオルを持った志堂が出てきた。
ソファーの右隣に座って、向かい合うようにして左頬に冷たいタオルを当ててくれた。ひやりとして気持ちがいい。タオルはガーゼ生地で、凍らせた保冷材をくるんでいる。
ふう、とため息をつくと志堂の眉が下がった。
「赤くなってるよ。結構、無理するんだなって驚いた」
「無理?」
「だって、細くて、小さくて……。何かされても反撃なんかしなさそうに見えるし、アルファに絡まれたのに」
「昔からよく言われます。大人しいのかと思ったらそうでもないって。小型犬がいきなり噛みつくみたいなイメージなのかな」
志堂がこらえきれないと言うように、噴き出した。
「……そんなに笑わなくたっていいのに」
「いや、なんだかその通りで。ずいぶん雄々しい小型犬だなって思って」
(これは、褒められてるんだろうか?)
冷やしているうちに頬の痛みが少し収まってくると、ふわりと眠気が訪れた。やっぱり、どこか緊張して疲れていたのかな。
あっという間に飲み干してしまったアイスティーのグラスを志堂が受け取ってくれる。
「眠い? 疲れてたのかな。よかったら、肩を貸すよ」
「……すみません。何だか、すごく眠い」
ソファーに背を預けて、右側に座る志堂の肩に頭を乗せた。あたたかくて気持ちがいい。彼からは清々しいレモンの香りがする。安心したせいか、急速に瞼が重くなった。
……どこ?
たり、ない。
……め、なくちゃ。
もっと。
どこに、あるの?
やわらかいもの。
すこし、かたいもの。
……ほしい。
もっと。
……かれの。
ぼくの……だいじな。
だいじな、だいじな。
──……つがいの、におい。
たくさんのものが、体に巻きついている。
嬉しくて嬉しくて仕方がない……。そして、びっくりするほど、体が熱い。どこもかしこも、熱いんだ。胸の中にあるのは大きなシャツだった。
ああ、彼の匂いがする。吸い込んだ途端、痺れるように幸福な気持ちが体中に溢れていく。
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