年上彼女と危険なバイト

月下花音

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第6話:休憩時間のハグは禁止です

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火曜日の夕方、俺は階段を上っていた。雨上がりの空気が、湿っぽい。

時給1200円のバイト、6回目。こころさんの涙の跡が、頭から離れねえ。あの告白以来、毎晩夢に見る。彼女の脆い肩、守りたい。

この一週間、俺は心理学の聴講生申請を正式に提出した。来学期から、経済学部と並行して心理学も学ぶ。友達の田中には「お前、何考えてるんだ?」と言われたが、説明できない。こころのため、としか。

昨日、母さんから電話があった。

「ゆうや、最近忙しそうね。新しいバイト、大変?」

「まあ、勉強になることが多くて」

「そう?でも、無理しちゃダメよ。体調管理も大切」

母さんの心配そうな声を聞いて、胸が痛んだ。俺がこんなに変わったのは、確実にこころさんの影響だ。でも、それを説明するのは難しい。

今朝、鏡を見た時、自分でも驚いた。目に力がある。表情が明るい。これが、恋の力なのか?



ドアをノックする手が、力強い。

「どうぞ」

中に入ると、こころさんは白衣姿で机に座っていた。今日は眼鏡をかけてて、髪をきっちりまとめ直してる。瞳が、少し明るい。部屋の空気は、甘酸っぱい。彼女の香りか、俺の期待か。

机の上には、いつもの測定機器に加えて、新しい装置が並んでいる。「ホルモン分析装置」「体温測定器」「筋電図測定器」。今日の実験は、かなり本格的らしい。

「ゆうや、待ってたわ。今日は……触覚の応用テストよ。ハグの心理効果を測るの。倫理的に、休憩時間に限定してね」

ハグ?彼女の声が、少し照れくさそう。

俺は椅子に腰を下ろし、笑った。距離、30センチ。センサーを貼る指が、温かい。昨日より、柔らかい。

「ハグか。禁止じゃなくて、休憩時間限定?こころ、倫理観きついな。俺、楽しみだけど」

ツッコミを入れて、テンポを軽くした。彼女は頰を赤らめ、モニターを起動。ピッと鳴る音が、ワクワクする。

「その前に、今日の実験の理論的背景を説明するわ」

こころさんは資料を開いた。

「ハグは人間の最も基本的な身体接触の一つよ。研究によると、20秒以上のハグでオキシトシンの分泌が始まり、ストレスホルモンのコルチゾールが減少する」

「20秒?結構長いですね」

「ええ。でも、恋愛関係にある人同士のハグは、さらに複雑な反応を示すの。ドーパミン、セロトニン、エンドルフィンが同時に分泌されて、幸福感と愛着が強化される」

彼女の説明を聞いていると、改めて実感する。これは本格的な学術研究なんだ。

「また、ハグには血圧降下、免疫力向上、痛み軽減の効果もある。『ハグ療法』として医療現場でも活用されてるのよ」

「へえ、ハグって薬みたいなもんですね」

「そう。でも、今日測定したいのは、恋愛関係におけるハグの特殊性。友人同士のハグとは明らかに違う反応が出るはず」

「ええ、禁止じゃないわよ。ただ、実験だから、データ取るだけ。恋人同士のハグで、心拍とホルモン反応を。……あなた、変な想像しないでね?」

想像?もうしてるよ。

彼女は椅子を近づけ、視線固定からスタート。目が合う。深くて、熱い。心拍、95。センサーが反応。

「こころ、昨日の続き?俺、ずっと考えてた。あの涙、忘れられねえ。もっと、支えたい」

本気で言った。彼女の瞳が、揺れる。一瞬の沈黙。息が、混じる。

「ゆうや……ありがとう。でも、今日は実験に集中しましょう。ハグテスト、5分間。自然に、抱きしめて」

自然に?彼女は立ち上がり、俺の前に立った。白衣の裾が、揺れる。

俺も立ち、腕を広げた。距離、ゼロ。彼女の体温が、伝わる。

「でも、その前に一つ確認したいことがあるの」

こころさんは俺を見つめた。

「これは実験だけど、私たちの関係も変わってきてる。あなたは、どう思ってる?」

俺は彼女の質問を聞いて、胸が熱くなった。

「正直に言うと、もう実験だけじゃない。こころのこと、本気で好きになってる」

「私も……同じよ。だから、今日の実験は特別な意味を持つかもしれない」

抱き寄せる。柔らかい。白衣の下のブラウスが、俺の胸に密着。彼女の頭が、肩に寄りかかる。香りが、満ちる。シャンプーと、女の匂い。心拍、120。ピーッと警告。

「こ、これ……データ、取れてる?こころの心拍も、上がってるよ」

耳元で囁く。彼女の息が、首筋にかかる。熱い。震えが、伝わる。指が、俺の背中に回る。強く、爪が食い込む。

「ええ……取れてるわ。オキシトシン、増加中。ハグの効果、抜群ね。でも、ゆうや……熱い。あなたの体温、感じすぎる」

彼女の声が、かすれる。倫理観?そんなの、飛んでる。

俺の腕が、腰に回る。細くて、くびれ。白衣の布地が、滑る。休憩時間、禁止なんて嘘だ。

1分経過。モニターを見ると、両方の心拍数が同期し始めている。

「面白いデータが出てるわ。心拍の同期現象が起きてる」

「同期?」

「恋人同士や親密な関係の人は、ハグをすると心拍や呼吸が自然に合ってくるの。これも愛着の証拠」

2分経過。彼女の唇が、俺の首に触れそう。息が、荒い。センサーが乱れる。心拍、140。モニターに、波形が暴走。

「こころ、これ……実験?それとも、俺たちの時間?」

手を滑らせ、背中を撫でる。彼女の体が、びくっと反応。甘い吐息が、漏れる。

「実験……よ。でも、倫理が、壊れそう。ゆうやの腕、強くて……離したくない」

3分経過。彼女の体が、俺にもたれかかる。全体重を預けてくる。信頼の証拠だ。

「ゆうや、あなたの胸、温かい。安心する」

「こころも、俺にとって特別だ。守りたい」

4分経過。壊れそう?彼女の瞳が、上げて見る。潤んで、熱い。距離、唇まで5cm。キス寸前。理性が、溶ける。ハグが、恋の渦に変わる。

「データを見て。オキシトシン値が通常の3倍。ドーパミンも最高値。これは……」

「これは?」

「恋愛の生理的証拠よ。私たちの体が、愛情を証明してる」

5分経過。突然、彼女が押し返した。いや、離れた。息を吐き、頰を押さえる。赤い。眼鏡が、曇ってる。

「ストップ!5分、終了。データ……異常。ホルモン値、ピーク超え。休憩時間のハグ、禁止にしなくちゃ」

禁止?笑える。

俺は座り直し、息を整えた。胸が、疼く。彼女はメモに書きなぐり、髪を直す。指が、震える。

「こころ、正直に言えよ。感じたろ?俺と同じ、熱」

ツッコむと、彼女は小さく頷いた。照れ笑い。白衣の襟を直す仕草が、色っぽい。

「ええ、感じたわ。データじゃ、測れないのよ。このざわつき。ゆうやのせい……好きかも」

好き?告白?

部屋に、沈黙。センサーの音だけ、ピッ、ピッ。夕陽が、彼女の肌を照らす。ピンクに染まる。

「でも、問題があるの」

こころさんはモニターを見つめた。

「このデータ、あまりにも完璧すぎる。恋愛関係の理想的な数値が出てる。研究として発表するには……」

「するには?」

「客観性に疑問を持たれるかもしれない。実験者と被験者が恋愛関係にあるって」

俺は彼女の心配を理解した。研究の信頼性と、俺たちの関係。両立は難しい。

「でも、だからこそ価値があるんじゃないか?本物の恋愛データなんて、滅多に取れないだろ」

「そうね……確かに、これほどリアルなデータは貴重よ」

「俺もだよ、こころ。ハグ一つで、こんなに。実験、終わらせたくねえ」

彼女は立ち上がり、ドアまで送る。廊下で、指を絡めてきた。名残惜しげ。

「来週も、来てね。……禁止、破っちゃうかも」

「あ、それと」

彼女は俺に封筒を渡した。

「今日の報酬。特別手当込みで3500円」

特別手当?

「ハグ実験は、通常より高いリスクを伴うから」

リスク?彼女なりのジョークか。

「ありがとうございます」

「それと、来週から新しい実験フェーズに入るわ。キャンパス内でのデート観察実験」

デート観察?

「人目のある場所での恋人行動を分析したいの。大学内で、自然にデートしてもらう」

つまり、公開デート?



階段を下りながら、俺は腕を撫でた。彼女の感触、残ってる。熱い。

倫理観が壊れる瞬間、それがピークだ。チョイエロい緊張、甘い。

帰り道、大学の図書館に寄った。心理学の専門書をさらに借りるためだ。「ハグ療法の実践」「身体接触と愛着形成」「恋愛の神経科学」。

家に帰って、シャワーを浴びた。体が、火照る。こころの吐息、耳に残る。

机の上に、心理学の本を並べた。来学期の聴講に向けて、予習を始めよう。

スマホに、こころさんからメールが届いた。

『今日はお疲れさまでした。予想以上に興味深いデータが取れました。来週のキャンパスデート実験、楽しみにしています。- こころ』

キャンパスデート。人目のある場所で、恋人を演じる。いや、もう演技じゃない。

これは、恋の頂点。止まらねえ。

でも、一つだけ確かなことがある。俺たちの関係は、もう後戻りできない。

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