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Day 7:さよなら、「他人の幸せ」に心を乱された私
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美咲と別れて部屋に戻ってからも、彼女の言葉が頭の中で反響し続けていた。
「次行こ!」
善意でコーティングされたその言葉は、時間が経つほどに鋭さを増し、私の心をじわじわと蝕んでいく。
次なんてない。私の時間は、あの日から一歩も進んでいないのに。
◇
夜。ベッドに潜り込んでも、孤独感がシーツのように身体にまとわりついて眠れなかった。窓の外では、街灯が冷たく光っている。
美咲の優しさに触れたことで、かえって一人でいることの輪郭が、くっきりと浮かび上がってしまったのだ。
そして、やってはいけないとわかっていながら、私はその行為に手を伸ばした。
スマートフォンのロックを解除し、指は無意識に、Day5の夜に隠したはずのフォルダを探し当てていた。
そこにある、カラフルなグラデーションのアイコン。Instagram。
開いてはいけない。そこは、幸せな人たちの世界だ。今の私が見るべき場所じゃない。
頭ではわかっているのに、指が言うことを聞かない。
まるで、傷口をわざわざ指でなぞって、痛みを再確認する自傷行為のようだった。
◇
アイコンをタップする。
目に飛び込んできたのは、友人たちの日常。ランチ写真、旅行風景— すべてが、私の空白を嘲笑う。
そのすべてが、今の私とは無関係な、遠い惑星の出来事のように見えた。
フィードをスクロールする指が、ふと、止まる。
画面の一番上。ストーリーが更新されたアカウントが並ぶ列の、その先頭に。
見慣れた、しかし今は見るのが恐ろしい、彼のアイコンがあった。
その丸いアイコンの縁が、虹色に光っている。
彼が、何かを更新した、という証。
その光を見た瞬間、心臓が氷水に浸されたように冷たくなった。
◇
震える親指で、そのアイコンをタップする。
恐ろしくて、でも見ずにはいられない。
画面が切り替わる。
そこに映し出されたのは、夜景が見えるバーらしき場所で、友人たちとグラスを掲げる彼の姿だった。
バーの笑顔、海の集合写真— 隣の女の笑いが、Day 23の背中を予感。
動画だ。周囲の楽しげな声、軽快な音楽、そして、私が知らない男たちと笑い合っている、彼の笑顔。
私といた時には見せたことがないような、心の底から解放されたような、屈託のない笑顔。
次のストーリーへ進む。知らない海。誰かが運転する車の助手席から撮ったであろう風景。
そして最後に、数人の男女で撮った集合写真。
彼の隣には、私の知らない女の子が、親しげに寄り添って笑っていた。
その笑顔が、あまりにも自然で、幸せそうで。
時間が、止まった。
いや、私の時間だけが、完全に停止した。
彼は、もう先に進んでいる。
◇
スマートフォンの画面から放たれる光が、私の顔を青白く照らし出す。
その光が映す彼の笑顔は、私という存在が消えた人生を祝福していた。
もう、無理だ。
これ以上、彼の「今」を見続けることは、私をゆっくりと殺していく。
その瞬間、悲しみを通り越して、静かな、冷たい怒りのような感情が湧き上がってきた。
なぜ、私がこんな思いをしなくてはならないのか。
なぜ、私だけが、彼のデジタルゴーストに毎晩うなされなくてはならないのか。
私はベッドから身体を起こした。
Instagramのアイコンを、強く長押しする。
アイコンが震え始め、左上に「×」の印が表示された。
「Appを削除しますか?」
システムからの無機質な問いかけ。
私は、一瞬もためらわなかった。
震える指で、「削除」の二文字を、強く、強くタップした。
◇
アプリが画面から消える瞬間は、スローモーションのように見えた。
カラフルなアイコンが、一瞬で私の世界から消え去る。
そこには、ぽっかりと空白だけが残された。
彼の世界へ繋がる、最後の扉が閉ざされた。
ホーム画面に戻り、がらんとしたスペースを見つめる。
それは喪失であり、同時に、初めて自分で勝ち取った聖域のようにも思えた。
この空白を、いつか私自身の色で埋めていこう。
これは逃避じゃない。
これは、私の心を守るための、初めての積極的な選択だ。
スマートフォンの電源を落とす。
画面の光が消え、部屋は本当の闇に包まれた。
その暗闇の中で、私はようやく、深く、深く息を吸い込むことができた。
それは、今日一日で、初めて自分のためだけにした呼吸だった。
「次行こ!」
善意でコーティングされたその言葉は、時間が経つほどに鋭さを増し、私の心をじわじわと蝕んでいく。
次なんてない。私の時間は、あの日から一歩も進んでいないのに。
◇
夜。ベッドに潜り込んでも、孤独感がシーツのように身体にまとわりついて眠れなかった。窓の外では、街灯が冷たく光っている。
美咲の優しさに触れたことで、かえって一人でいることの輪郭が、くっきりと浮かび上がってしまったのだ。
そして、やってはいけないとわかっていながら、私はその行為に手を伸ばした。
スマートフォンのロックを解除し、指は無意識に、Day5の夜に隠したはずのフォルダを探し当てていた。
そこにある、カラフルなグラデーションのアイコン。Instagram。
開いてはいけない。そこは、幸せな人たちの世界だ。今の私が見るべき場所じゃない。
頭ではわかっているのに、指が言うことを聞かない。
まるで、傷口をわざわざ指でなぞって、痛みを再確認する自傷行為のようだった。
◇
アイコンをタップする。
目に飛び込んできたのは、友人たちの日常。ランチ写真、旅行風景— すべてが、私の空白を嘲笑う。
そのすべてが、今の私とは無関係な、遠い惑星の出来事のように見えた。
フィードをスクロールする指が、ふと、止まる。
画面の一番上。ストーリーが更新されたアカウントが並ぶ列の、その先頭に。
見慣れた、しかし今は見るのが恐ろしい、彼のアイコンがあった。
その丸いアイコンの縁が、虹色に光っている。
彼が、何かを更新した、という証。
その光を見た瞬間、心臓が氷水に浸されたように冷たくなった。
◇
震える親指で、そのアイコンをタップする。
恐ろしくて、でも見ずにはいられない。
画面が切り替わる。
そこに映し出されたのは、夜景が見えるバーらしき場所で、友人たちとグラスを掲げる彼の姿だった。
バーの笑顔、海の集合写真— 隣の女の笑いが、Day 23の背中を予感。
動画だ。周囲の楽しげな声、軽快な音楽、そして、私が知らない男たちと笑い合っている、彼の笑顔。
私といた時には見せたことがないような、心の底から解放されたような、屈託のない笑顔。
次のストーリーへ進む。知らない海。誰かが運転する車の助手席から撮ったであろう風景。
そして最後に、数人の男女で撮った集合写真。
彼の隣には、私の知らない女の子が、親しげに寄り添って笑っていた。
その笑顔が、あまりにも自然で、幸せそうで。
時間が、止まった。
いや、私の時間だけが、完全に停止した。
彼は、もう先に進んでいる。
◇
スマートフォンの画面から放たれる光が、私の顔を青白く照らし出す。
その光が映す彼の笑顔は、私という存在が消えた人生を祝福していた。
もう、無理だ。
これ以上、彼の「今」を見続けることは、私をゆっくりと殺していく。
その瞬間、悲しみを通り越して、静かな、冷たい怒りのような感情が湧き上がってきた。
なぜ、私がこんな思いをしなくてはならないのか。
なぜ、私だけが、彼のデジタルゴーストに毎晩うなされなくてはならないのか。
私はベッドから身体を起こした。
Instagramのアイコンを、強く長押しする。
アイコンが震え始め、左上に「×」の印が表示された。
「Appを削除しますか?」
システムからの無機質な問いかけ。
私は、一瞬もためらわなかった。
震える指で、「削除」の二文字を、強く、強くタップした。
◇
アプリが画面から消える瞬間は、スローモーションのように見えた。
カラフルなアイコンが、一瞬で私の世界から消え去る。
そこには、ぽっかりと空白だけが残された。
彼の世界へ繋がる、最後の扉が閉ざされた。
ホーム画面に戻り、がらんとしたスペースを見つめる。
それは喪失であり、同時に、初めて自分で勝ち取った聖域のようにも思えた。
この空白を、いつか私自身の色で埋めていこう。
これは逃避じゃない。
これは、私の心を守るための、初めての積極的な選択だ。
スマートフォンの電源を落とす。
画面の光が消え、部屋は本当の闇に包まれた。
その暗闇の中で、私はようやく、深く、深く息を吸い込むことができた。
それは、今日一日で、初めて自分のためだけにした呼吸だった。
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2021/05/29 公開
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