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Day 13:さよなら、「選ばれること」を待っていた私
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香りは、記憶の引き金だ。
母との電話で心が少しだけ軽くなった翌日、私はドレッサーの前に立っていた。
そこに並ぶ、いくつかの香水のボトル。その中の一つに、手が伸びかけて、止まる。
彼が好きだった、甘いバニラの香りの香水。
これをつけていくと、彼はいつも「いい匂い」と言って、私の首筋に顔をうずめた。
その記憶が、あまりに鮮明に蘇る。
この香りを纏うことは、過去の亡霊を自ら呼び寄せるようなものだ。
私はそのボトルを手に取り、そっと箱に戻した。そして、引き出しの奥へとしまい込む。
さようなら、彼が好きだった私。
◇
その足で、デパートの化粧品フロアへ向かった。
きらびやかな照明と、様々な香りが混じり合った華やかな空間。鏡が至る所にあり、私の姿が何度も映り込む。少しだけ、気後れする。
でも、今日は目的があった。
新しい私になるための、新しい香りを探しに来たのだ。
いくつものブランドのカウンターを巡り、数え切れないほどの香りを試した。
ムエット(試香紙)を渡され、手首に吹き付けてもらい、香りの変化を確かめる。
フローラル系、シトラス系、ウッディ系。
これまでの私なら、迷わず甘い、可愛らしい香りを選んでいただろう。
彼に「似合う」と言われたい、という無意識の願望があったから。
◇
でも、今は違う。私がなりたい私、のための香りを探している。
店員さんに、自分の好みを伝えた。
「甘すぎず、でも女性らしくて。少しだけ、芯の強さを感じるような香りがいいです」
それは、今の私にはまだない、未来の私への願望だった。
いくつか提案された中で、一つの香りに、心が惹きつけられた。
それは、爽やかな柑橘系のトップノートから始まり、徐々に落ち着いたホワイトティーやムスクの香りへと変化していく、透明感のある香りだった。
誰かに媚びるような甘さはない。でも、凛とした、清潔感のある空気をまとっている。
「これにします」
迷いはなかった。
◇
家に帰り、早速シャワーを浴びてから、その新しい香水をワンプッシュ、手首につけてみた。
ひんやりとしたミストが肌に触れ、新しい香りがふわりと立ち上る。
それは、未来の私の匂いだった。
この香りを纏った私は、きっと背筋を伸ばして、一人でどこへでも行ける。
過去を振り返らず、前だけを見て歩ける。
そんな気がした。
鏡を見る。そこに映っているのは、まだ泣き腫らした目の、弱い私のまま。
でも、この新しい香りが、見えない鎧のように、私を守ってくれるだろう。
窓を開けると、心地よい風が部屋に入り込み、私の髪と、新しい香りを優しく揺らした。
新しい香りが、風に混じって、私を包んでいた。
さあ、明日からは、この香りと一緒に生きていこう。
そう、静かに決意した。
母との電話で心が少しだけ軽くなった翌日、私はドレッサーの前に立っていた。
そこに並ぶ、いくつかの香水のボトル。その中の一つに、手が伸びかけて、止まる。
彼が好きだった、甘いバニラの香りの香水。
これをつけていくと、彼はいつも「いい匂い」と言って、私の首筋に顔をうずめた。
その記憶が、あまりに鮮明に蘇る。
この香りを纏うことは、過去の亡霊を自ら呼び寄せるようなものだ。
私はそのボトルを手に取り、そっと箱に戻した。そして、引き出しの奥へとしまい込む。
さようなら、彼が好きだった私。
◇
その足で、デパートの化粧品フロアへ向かった。
きらびやかな照明と、様々な香りが混じり合った華やかな空間。鏡が至る所にあり、私の姿が何度も映り込む。少しだけ、気後れする。
でも、今日は目的があった。
新しい私になるための、新しい香りを探しに来たのだ。
いくつものブランドのカウンターを巡り、数え切れないほどの香りを試した。
ムエット(試香紙)を渡され、手首に吹き付けてもらい、香りの変化を確かめる。
フローラル系、シトラス系、ウッディ系。
これまでの私なら、迷わず甘い、可愛らしい香りを選んでいただろう。
彼に「似合う」と言われたい、という無意識の願望があったから。
◇
でも、今は違う。私がなりたい私、のための香りを探している。
店員さんに、自分の好みを伝えた。
「甘すぎず、でも女性らしくて。少しだけ、芯の強さを感じるような香りがいいです」
それは、今の私にはまだない、未来の私への願望だった。
いくつか提案された中で、一つの香りに、心が惹きつけられた。
それは、爽やかな柑橘系のトップノートから始まり、徐々に落ち着いたホワイトティーやムスクの香りへと変化していく、透明感のある香りだった。
誰かに媚びるような甘さはない。でも、凛とした、清潔感のある空気をまとっている。
「これにします」
迷いはなかった。
◇
家に帰り、早速シャワーを浴びてから、その新しい香水をワンプッシュ、手首につけてみた。
ひんやりとしたミストが肌に触れ、新しい香りがふわりと立ち上る。
それは、未来の私の匂いだった。
この香りを纏った私は、きっと背筋を伸ばして、一人でどこへでも行ける。
過去を振り返らず、前だけを見て歩ける。
そんな気がした。
鏡を見る。そこに映っているのは、まだ泣き腫らした目の、弱い私のまま。
でも、この新しい香りが、見えない鎧のように、私を守ってくれるだろう。
窓を開けると、心地よい風が部屋に入り込み、私の髪と、新しい香りを優しく揺らした。
新しい香りが、風に混じって、私を包んでいた。
さあ、明日からは、この香りと一緒に生きていこう。
そう、静かに決意した。
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2021/05/29 公開
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