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第6話:家庭科室の無双と秘密のつまみ食い
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週明けの火曜日。
2限目のチャイムと共に、1年B組の生徒たちは家庭科室へと移動した。
今日は調理実習だ。
メニューは「豚の生姜焼き」と「豚汁」。
家庭料理の定番だが、料理をしない高校生にとっては、地獄の釜の蓋が開くイベントでもある。
調理室に入った瞬間、独特の匂いがした。
古いガスの匂い、シンクの湿った鉄の匂い、そして前回の授業で誰かが焦がした鍋の残り香。
「うわー、マジだりー。料理とか女の仕事だろー」
「キャハハ、拓海センパイ包丁持てるんですかぁ?」
拓海先輩たちのグループが騒いでいる。
同じ班のミサも、「私、皮剥きとか爪に入っちゃうから無理~」とか言っている。
……知ってる。お前が最後に包丁握ったの、中1の時に指切って大騒ぎして以来だもんな。
俺はため息をついて、エプロンをつけた。
指定の給食エプロンみたいなダサいやつじゃなく、持参したカフェスタイルの黒エプロン。
俺の班は、俺以外全員男子という「残り物グループ」だ。
「おい相沢、お前やれよ。俺ら洗い物するからさ」
「そうそう、お前得意なんでしょ? ミサちゃんのお弁当作ってたし」
男子たちがニヤニヤしながら言ってくる。
……まあ、予想通りだ。
俺は無言で頷き、自分の包丁セット(学校の切れない包丁はストレスが溜まるから持参した)を取り出した。
スイッチが入る。
これは「授業」じゃない。
「業務」だ。
玲奈の栄養管理のために叩き込まれた、効率化アルゴリズムが脳内で起動する。
まず、豚肉に下味をつける。学校の安い肉は臭みがあるから、酒と生姜を多めに揉み込む。
次に野菜。
玉ねぎは繊維を断つようにスライスして甘みを出し、人参は火が通りやすいように薄めの短冊切り。
ごぼうはささがきにして水に晒す。
トントントントントン――。
静かなリズムが調理台に響く。
俺の手元には、瞬く間に美しい野菜の山が出来上がっていく。
「……え、早くね?」
「相沢、お前プロかよ……」
他の班の連中が、ぽかんとして俺を見ている。
無視だ。
コンロに火をつける。
二つのフライパンを同時に操る。
片方で生姜焼きを焼き、もう片方で豚汁の具材をごま油で炒める。
香ばしい香りが立ち上る。
醤油が焦げる匂いと、出汁の優しい香りが混ざり、食欲中枢を直接刺激する「家の匂い」が広がる。
一方、ミサたちの班は地獄絵図だった。
「きゃー! 油はねたー!」
「これ焦げてね? 黒いんだけど」
「味薄くね? 塩もっと入れよーぜ!」
……あいつら、生姜焼きじゃなくて炭を作ってやがる。
ミサが濡れた手で油に水滴を落として悲鳴を上げている。
昔なら飛んでいって助けたけど、今はもう、ただの「下手なコント」にしか見えない。
「……はい、完成」
俺は火を止めた。
制限時間の半分で、完璧な定食が出来上がった。
照りのある生姜焼き、具沢山の豚汁、ふっくら炊けたご飯。
「うっわ、美味そう……!」
「相沢、マジですげえ……!」
同じ班の男子たちが、獲物を見る目で群がってくる。
その時だ。
人垣が、モーゼの海割れみたいに割れた。
無言の圧力が、調理室を支配したからだ。
現れたのは、天道玲奈。
白い給食エプロンすらも、彼女が着るとパリコレの衣装に見えるから不思議だ。
彼女は自分の班(女子グループ)を抜け出し、ふらりと俺の前に立った。
「……いい匂い」
彼女は俺の作った生姜焼きをじっと見つめている。
その目は、学校で見せる「氷の瞳」じゃない。
腹を空かせた野良猫の目だ。
「あ、天道さん? よかったら食べる? 俺らまだ手つけてないし……」
同じ班の男子が、媚びるように皿を差し出した。
玲奈はそれを無視し、俺の手元にある菜箸を指差した。
「……味見」
「は?」
「毒味してあげるって言ってるの。感謝して」
無茶苦茶な理屈だ。
でも、その目が「早く口に入れろ」と命令している。
俺は仕方なく、生姜焼きの一切れを箸で摘み、彼女の口元へ運んだ。
クラス中が固唾を飲んで見守る中。
パクッ。
玲奈は小さく口を開けて、肉を受け入れた。
モグモグと咀嚼する。
その間、俺をじっと見つめたまま。
ごくり、と飲み込む音が聞こえた気がした。
「……ん」
彼女は満足そうに目を細め、舌先で唇についたタレを舐め取った。
その仕草が、妙に扇情的で、調理室の空気が一瞬だけ熱くなった。
「……やっぱり」
玲奈は、俺だけに聞こえる声量で、ボソッと呟いた。
「……家の味がする」
ドクン、と心臓が跳ねた。
家の味。
それはつまり、「いつも家で食べている」という事実の告白だ。
もし誰かが「え、相沢と住んでんの?」と聞いたら、一発アウトだ。
でも、玲奈は何食わぬ顔でターンし、自分の班へ戻っていった。
「……学校の調味料にしては、及第点ね」
捨て台詞を残して。
調理室がどよめく。
「おい見たか!? 天道さんが相沢の料理食ったぞ!」
「あーんってしたよな!? 間接キスじゃね!?」
「家の味ってどういう意味だ?」
俺は冷や汗を拭った。
寿命が縮む。
あいつ、絶対面白がってるだろ。
ふと視線を感じて振り返ると、遠くの調理台で、ミサが突っ立っていた。
手には黒焦げのフライパンを持ったまま。
その目は、俺と玲奈を交互に見て、信じられないものを見るように見開かれていた。
彼女の皿に乗っているのは、炭化した肉塊と、冷めたご飯。
俺の手元には、プロ級の定食。
ミサの顔に、明確な「後悔」の色が浮かんだのを、俺は見逃さなかった。
彼女はようやく理解し始めたのかもしれない。
自分が捨てた「つまらない男」が、実は「学校一の美少女が執着する男」だったという現実に。
俺は平静を装って、豚汁を啜った。
出汁の味が、五臓六腑に染み渡った。
(つづく)
2限目のチャイムと共に、1年B組の生徒たちは家庭科室へと移動した。
今日は調理実習だ。
メニューは「豚の生姜焼き」と「豚汁」。
家庭料理の定番だが、料理をしない高校生にとっては、地獄の釜の蓋が開くイベントでもある。
調理室に入った瞬間、独特の匂いがした。
古いガスの匂い、シンクの湿った鉄の匂い、そして前回の授業で誰かが焦がした鍋の残り香。
「うわー、マジだりー。料理とか女の仕事だろー」
「キャハハ、拓海センパイ包丁持てるんですかぁ?」
拓海先輩たちのグループが騒いでいる。
同じ班のミサも、「私、皮剥きとか爪に入っちゃうから無理~」とか言っている。
……知ってる。お前が最後に包丁握ったの、中1の時に指切って大騒ぎして以来だもんな。
俺はため息をついて、エプロンをつけた。
指定の給食エプロンみたいなダサいやつじゃなく、持参したカフェスタイルの黒エプロン。
俺の班は、俺以外全員男子という「残り物グループ」だ。
「おい相沢、お前やれよ。俺ら洗い物するからさ」
「そうそう、お前得意なんでしょ? ミサちゃんのお弁当作ってたし」
男子たちがニヤニヤしながら言ってくる。
……まあ、予想通りだ。
俺は無言で頷き、自分の包丁セット(学校の切れない包丁はストレスが溜まるから持参した)を取り出した。
スイッチが入る。
これは「授業」じゃない。
「業務」だ。
玲奈の栄養管理のために叩き込まれた、効率化アルゴリズムが脳内で起動する。
まず、豚肉に下味をつける。学校の安い肉は臭みがあるから、酒と生姜を多めに揉み込む。
次に野菜。
玉ねぎは繊維を断つようにスライスして甘みを出し、人参は火が通りやすいように薄めの短冊切り。
ごぼうはささがきにして水に晒す。
トントントントントン――。
静かなリズムが調理台に響く。
俺の手元には、瞬く間に美しい野菜の山が出来上がっていく。
「……え、早くね?」
「相沢、お前プロかよ……」
他の班の連中が、ぽかんとして俺を見ている。
無視だ。
コンロに火をつける。
二つのフライパンを同時に操る。
片方で生姜焼きを焼き、もう片方で豚汁の具材をごま油で炒める。
香ばしい香りが立ち上る。
醤油が焦げる匂いと、出汁の優しい香りが混ざり、食欲中枢を直接刺激する「家の匂い」が広がる。
一方、ミサたちの班は地獄絵図だった。
「きゃー! 油はねたー!」
「これ焦げてね? 黒いんだけど」
「味薄くね? 塩もっと入れよーぜ!」
……あいつら、生姜焼きじゃなくて炭を作ってやがる。
ミサが濡れた手で油に水滴を落として悲鳴を上げている。
昔なら飛んでいって助けたけど、今はもう、ただの「下手なコント」にしか見えない。
「……はい、完成」
俺は火を止めた。
制限時間の半分で、完璧な定食が出来上がった。
照りのある生姜焼き、具沢山の豚汁、ふっくら炊けたご飯。
「うっわ、美味そう……!」
「相沢、マジですげえ……!」
同じ班の男子たちが、獲物を見る目で群がってくる。
その時だ。
人垣が、モーゼの海割れみたいに割れた。
無言の圧力が、調理室を支配したからだ。
現れたのは、天道玲奈。
白い給食エプロンすらも、彼女が着るとパリコレの衣装に見えるから不思議だ。
彼女は自分の班(女子グループ)を抜け出し、ふらりと俺の前に立った。
「……いい匂い」
彼女は俺の作った生姜焼きをじっと見つめている。
その目は、学校で見せる「氷の瞳」じゃない。
腹を空かせた野良猫の目だ。
「あ、天道さん? よかったら食べる? 俺らまだ手つけてないし……」
同じ班の男子が、媚びるように皿を差し出した。
玲奈はそれを無視し、俺の手元にある菜箸を指差した。
「……味見」
「は?」
「毒味してあげるって言ってるの。感謝して」
無茶苦茶な理屈だ。
でも、その目が「早く口に入れろ」と命令している。
俺は仕方なく、生姜焼きの一切れを箸で摘み、彼女の口元へ運んだ。
クラス中が固唾を飲んで見守る中。
パクッ。
玲奈は小さく口を開けて、肉を受け入れた。
モグモグと咀嚼する。
その間、俺をじっと見つめたまま。
ごくり、と飲み込む音が聞こえた気がした。
「……ん」
彼女は満足そうに目を細め、舌先で唇についたタレを舐め取った。
その仕草が、妙に扇情的で、調理室の空気が一瞬だけ熱くなった。
「……やっぱり」
玲奈は、俺だけに聞こえる声量で、ボソッと呟いた。
「……家の味がする」
ドクン、と心臓が跳ねた。
家の味。
それはつまり、「いつも家で食べている」という事実の告白だ。
もし誰かが「え、相沢と住んでんの?」と聞いたら、一発アウトだ。
でも、玲奈は何食わぬ顔でターンし、自分の班へ戻っていった。
「……学校の調味料にしては、及第点ね」
捨て台詞を残して。
調理室がどよめく。
「おい見たか!? 天道さんが相沢の料理食ったぞ!」
「あーんってしたよな!? 間接キスじゃね!?」
「家の味ってどういう意味だ?」
俺は冷や汗を拭った。
寿命が縮む。
あいつ、絶対面白がってるだろ。
ふと視線を感じて振り返ると、遠くの調理台で、ミサが突っ立っていた。
手には黒焦げのフライパンを持ったまま。
その目は、俺と玲奈を交互に見て、信じられないものを見るように見開かれていた。
彼女の皿に乗っているのは、炭化した肉塊と、冷めたご飯。
俺の手元には、プロ級の定食。
ミサの顔に、明確な「後悔」の色が浮かんだのを、俺は見逃さなかった。
彼女はようやく理解し始めたのかもしれない。
自分が捨てた「つまらない男」が、実は「学校一の美少女が執着する男」だったという現実に。
俺は平静を装って、豚汁を啜った。
出汁の味が、五臓六腑に染み渡った。
(つづく)
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