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第二部
序
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明野領主武智雅久の本領行の護衛は、影の弟達三人による初めての大仕事だった。
雅明・雅道・雅規の三人はすでに影衆として充分に働いているものの、これまで領主や正室の生命にかかわる重大任務は必ず最年長の雅勝に従っていた。今回、初めて彼らのみで領主の命を守るという重要な御役目を任され、無事に成し遂げて帰還したのだ。帰還した彼らの労をねぎらうべく、忠雅はいつもより高級な料理屋に場所を取り、食べ盛りの三人に思う存分飲み食いさせた。もちろんお代はすべて忠雅のおごりである。本領より裕福な明野領の次席家老とはいえ、自由に使える金が無限にあるわけではない。懐はたいそう痛いが、気持ちの上ではとても清々しかった。
その感情は一緒に料理屋で弟分達の労をねぎらった雅勝も同じであったらしい。雅明達に聞こえないように忠雅にだけこっそり、
「人を育てる時に一番難しいのは、任せるということなのかもしれないな」
などと言っていた。年齢は三歳しか違わないのに、弟達を見る横顔と科白は半ば親のようであり――悪くいえば、じじむさくもある。ちなみに今日の雅勝の分の飲食代も忠雅の懐から出ているのだが、三人の弟たちは他の誰より最年長の雅勝に褒められ認められたのが嬉しいようだったので、これも必要経費のうちか。
美味い飯と酒を存分に味わって料理屋を出た後、自然と足が花街の方角に向かった。影衆は明野領で人として認められていないので、所帯を持つことはない。過去に野合で女とつがった影衆も皆無ではないようだが、基本的に一般の女に相手にされないので、同意の上で出合い茶屋に行く相手を持つこともない。十代半ばから後半の血気盛んな若者達を放置して、領内の女に無体を行わないように――そこには筆下ろし前に御役目で死ぬのはあまりに憐れだという情も多少はある――影子から影衆になって一年くらい生き延びると、先輩に妓楼に連れて行かれる。今宵もまたいつもの流れでそちらの方向に足が向いたのだが、一緒にいた雅勝だけは、道の途中で歩みを止めた。
「――いや、俺はやめておくよ」
基本的に特定の相手を持つことのない影衆達の中で例外的に、この男にだけは今、相思相愛の女がいる。好いた女の肌に埋もれて生きていることの喜びを実感できるのであれば、わざわざ一夜妻を求める必要はない。
「ああ、そうだな。――雅勝、お前は来るな。帰れ」
さっさと帰れ、しっしっ……と野良犬を追い払うように手を振ると、猫の目のように細い三日月の下で、友は本気で呆れた顔をした。
「おい待て、忠雅。何でお前まで行くんだよ。……菊乃様が知ったら泣くぞ」
ここで許嫁の名を出されて一瞬固まりそうにはなったものの、忠雅と菊乃の関係は単なる政略上の許嫁であってそれ以上でもそれ以下でもない。無論、長い付き合いである雅勝はそのことには気づいている。それ以上は踏み込んでくることもなく、妓楼に向かう忠雅達に肩越しに手を振って花街とは逆方向に――ねぐらのある法勝寺の方角に歩いて行った友の背に、想う相手に想われた男の自信や誇りが垣間見えるように感じたのは、こちらの浅ましい嫉妬だろうか。
「……いいなぁ」
同じことを感じていたのは忠雅だけではなかったらしい。雅勝の背が完全に夜の闇に消える直前、隣にいた雅明が正直すぎるほど正直に呟いた。
あれから何年経っても、後悔が消えることはない。
一体、どうすればよかったのだろう。忠雅はあの時、確実にどこかで何かを間違えた。でなければ、こんな胸の潰れるような後悔を抱えて、自分だけ延々生き続けるという苦行に陥るはずもない。
頼む、誰か教えてくれ。あの時、俺はどうすればよかったのか。あの時、俺が間違わずに正しい道を選んでさえいたならば。
――あの頃、幸福の絶頂にあった友に、死ねと命じずに済んだのだろうか。
雅明・雅道・雅規の三人はすでに影衆として充分に働いているものの、これまで領主や正室の生命にかかわる重大任務は必ず最年長の雅勝に従っていた。今回、初めて彼らのみで領主の命を守るという重要な御役目を任され、無事に成し遂げて帰還したのだ。帰還した彼らの労をねぎらうべく、忠雅はいつもより高級な料理屋に場所を取り、食べ盛りの三人に思う存分飲み食いさせた。もちろんお代はすべて忠雅のおごりである。本領より裕福な明野領の次席家老とはいえ、自由に使える金が無限にあるわけではない。懐はたいそう痛いが、気持ちの上ではとても清々しかった。
その感情は一緒に料理屋で弟分達の労をねぎらった雅勝も同じであったらしい。雅明達に聞こえないように忠雅にだけこっそり、
「人を育てる時に一番難しいのは、任せるということなのかもしれないな」
などと言っていた。年齢は三歳しか違わないのに、弟達を見る横顔と科白は半ば親のようであり――悪くいえば、じじむさくもある。ちなみに今日の雅勝の分の飲食代も忠雅の懐から出ているのだが、三人の弟たちは他の誰より最年長の雅勝に褒められ認められたのが嬉しいようだったので、これも必要経費のうちか。
美味い飯と酒を存分に味わって料理屋を出た後、自然と足が花街の方角に向かった。影衆は明野領で人として認められていないので、所帯を持つことはない。過去に野合で女とつがった影衆も皆無ではないようだが、基本的に一般の女に相手にされないので、同意の上で出合い茶屋に行く相手を持つこともない。十代半ばから後半の血気盛んな若者達を放置して、領内の女に無体を行わないように――そこには筆下ろし前に御役目で死ぬのはあまりに憐れだという情も多少はある――影子から影衆になって一年くらい生き延びると、先輩に妓楼に連れて行かれる。今宵もまたいつもの流れでそちらの方向に足が向いたのだが、一緒にいた雅勝だけは、道の途中で歩みを止めた。
「――いや、俺はやめておくよ」
基本的に特定の相手を持つことのない影衆達の中で例外的に、この男にだけは今、相思相愛の女がいる。好いた女の肌に埋もれて生きていることの喜びを実感できるのであれば、わざわざ一夜妻を求める必要はない。
「ああ、そうだな。――雅勝、お前は来るな。帰れ」
さっさと帰れ、しっしっ……と野良犬を追い払うように手を振ると、猫の目のように細い三日月の下で、友は本気で呆れた顔をした。
「おい待て、忠雅。何でお前まで行くんだよ。……菊乃様が知ったら泣くぞ」
ここで許嫁の名を出されて一瞬固まりそうにはなったものの、忠雅と菊乃の関係は単なる政略上の許嫁であってそれ以上でもそれ以下でもない。無論、長い付き合いである雅勝はそのことには気づいている。それ以上は踏み込んでくることもなく、妓楼に向かう忠雅達に肩越しに手を振って花街とは逆方向に――ねぐらのある法勝寺の方角に歩いて行った友の背に、想う相手に想われた男の自信や誇りが垣間見えるように感じたのは、こちらの浅ましい嫉妬だろうか。
「……いいなぁ」
同じことを感じていたのは忠雅だけではなかったらしい。雅勝の背が完全に夜の闇に消える直前、隣にいた雅明が正直すぎるほど正直に呟いた。
あれから何年経っても、後悔が消えることはない。
一体、どうすればよかったのだろう。忠雅はあの時、確実にどこかで何かを間違えた。でなければ、こんな胸の潰れるような後悔を抱えて、自分だけ延々生き続けるという苦行に陥るはずもない。
頼む、誰か教えてくれ。あの時、俺はどうすればよかったのか。あの時、俺が間違わずに正しい道を選んでさえいたならば。
――あの頃、幸福の絶頂にあった友に、死ねと命じずに済んだのだろうか。
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