38 / 59
第三部 仲良し姉妹
38 先輩の経験談
しおりを挟む
昼休憩後も、あたしはキッチンに立った。
今日は二人で接客をするという約束で、昨日仲直りをしたらしい。
あたしは接客よりも、キッチンの方が嬉しい。あんなに美味しいピザトーストを食べた直後だから、香代子さんの調理をもっとちゃんと見たかった。
ムダの一切ない、洗練された香代子さんの動きに見惚れながら、オーダーのドリンクを作って、エレベーターで降ろす。
上がってきた使用後の食器を流しに移して、食洗器に入れる。
繰り返すうちに慣れてきて、やっと大変から少し楽しめるようになった頃、実習終了の時間になった。
「二日間ありがとうございました」
「お疲れ様。何か参考になったかな」
「はい。香代子さんの調理姿がかっこよくて、あたしも頑張ろうって思いました」
「あたしなんて、この小さなキッチンを回すのだけで、精一杯だよ」
香代子さんが照れたように笑う。
「お店は長いんですか」
「いいや。まだ三年くらいだよ。もともとは食品メーカーにいたんだ。大卒で入社して、営業、製造、企画、いろいろやらしてもらったけど、腕試しをしてみたくなって退職したんだ」
「お店の準備は大変でしたか」
「もちろん大変だったよ。あちこちに書類を出しに行ったり、お金を貸してくれるところを探したり。資金の関係で、自分たちでできることはしようってなって、ペンキ塗ったり、棚作ったり、姉が幸いデザインのセンスがあったから、情けない物にならなくてすんだ」
「温かみが感じられる、かわいいお店だと思います。チョークアートもすごくステキです」
「ありがとう。あれも姉が描いてるんだ。姉は、私生活でいろいろあって、気落ちしてたからあたしが誘ったんだ。声をかけて正解だったよ。あたし一人では、こんなお店作れなかった」
香代子さんからオーナーへの信頼が伝わってくる。仲良し姉妹で一緒にお店をやれるなんて、羨ましい。
「あたしにも姉がいるんです。姉妹っていいですよね」
「海野さんも、姉妹?」
「はい。優しい姉がいます」
頭の中に。と付け加えたいところだけど、言えない。すごく残念。
「お姉さんも、料理得意なの?」
「美味しいですけど、レシピ通りじゃないと作れないって悩んでいます」
「レシピ通りに作れるのも才能だよ。基本の味が覚えられる」
「あたしは調理科に入るまで、目分量で作っていたんです。姉はあたしが作る方が美味しいって言ってくれるので」
「それはきっと愛情だよ。自分に向けられた愛情をお姉さんの舌が感じ取っているからだよ」
「え? 愛情を? あたし、いつも食べてくれる人の笑顔を想像して作っています。それでいいんですか?」
「もちろんだよ。ここは二階だからお客様の顔が見れないけど、代わりに姉が伝えてくれるんだ。だからあたしは自信を持って調理できる」
「愛情‥‥‥か」
なんかいいな。嬉しくて、頬がにんまりしてしまいそう。
「海野さんは、自分でお店をするのが夢なの?」
「まだ何をしたいのか、わからないんです。三者面談がもうじきあるから、進路の相談をしないといけないんですけど」
「店舗実習で何か指針が得られればって感じかな」
「はい」
「そっか。うーん、あたしの人生の中で、会社勤めをしたのはプラスになったと思ってるよ。料理人に必要なのは、学歴より経験だと思うけど、どんな経験が将来に役立つかはわからない。だから、がむしゃらに腕を磨きたいとか、留学したいとか、そういうのがないのなら、進学してゆっくり考えるのも手だと思うよ。勉強が嫌いでないなら、っていう条件がつくけど」
「大学ですか?」
「短大も専門学校もある。思い切って料理から離れて、別の学部に入ってもいいだろうし」
「香代子さんは進学がオススメなんですね」
「うちは幸いにも、大学に行かせてもらえる経済力があったからね。海野さんの家庭環境によって変わってくるけど」
「それは、大丈夫です。共働きだし、どっちかっていうと進学しろって言われそう」
「料理人は過酷だからな。朝は早いし、夜は遅い。立ちっぱなしだから体力もいるし、体を痛めることもある。腰痛や腱鞘炎とか。親によっては、反対する人もいるしな」
「心配かけちゃいそうです」
「まあ、どんな仕事も大変だけどな。十年後、二十年後、海野さんが履歴書を書く時に、自分がどんな人生を歩んできたか振り返ることになるから、今の自分の思いを大切にしながら、未来を考えていけるといいかなと。アドバイスになるかわからないけど、頭の片隅にでも置いておいてよ」
「はい。参考になりました。ありがとうございました」
香代子の経験やアドバイスにとても興味が沸いた。もっと聞きたかった。
♢
実習から帰宅して、ベッドに座った。お姉ちゃんに買ってもらった、ウサギのぬいぐるみを手に取って、ぼんやりと考える。
「お姉ちゃんはさ、看護師免許取って卒業したら、就職してたんでしょ」
「実は迷ってたの。クラスメイトはほとんど就職だから、大学に編入しようかな、なんて誰にも相談できなくって」
「お姉ちゃん、まだ大学に行って勉強しようとしてたんだ」
「保健師とか助産師の免許も取りたいなって思ってて」
「へえ、そうだったんだ。知らなかったな」
「麻帆は、進学か就職かで悩んでるの? それとも就職先?」
「全部かなあ。迷いながらお店で働くって、なんか失礼な気がして」
ウサギの両手をもにもにしながら、昨日今日で聞いた内容を思い返す。
「大学で食物系だと栄養士か食物学だけかと思ってたけど、桃谷くんみたいに経済に行く人もいるんだなって思ったら、香代子さんが言ってたみたいに、別の学部もありなのかなって」
「うん。そうだね。食品メーカーに就職するなら、大学に行った方が有利そう。推薦入試を受けるなら、二学期には決めないとだね。専門科は一般教科が少ないから、先生にも相談してみないと」
「あ、そっか。一般教科が関係するんだ」
お姉ちゃんに指摘されるまで、気がつかなかった。
「ああ、しまった」
「どうしたの!?」
お姉ちゃんが突然嘆くような声を出した。びっくりして、ウサギを投げてしまった。
「私、また確実じゃない事教えてる。麻帆、自分でちゃんと調べて決めなさい。お姉ちゃんは相談には乗れるけど、ちゃんとした情報は調べられないの。無責任な発言はしないって決めたの」
「ええー、わかった。自分の事だもんね。先生にも聞いてみる」
急に突き放されたみたいで寂しく感じたのも一瞬、姉に頼り過ぎてもダメだと考え直した。
今日は二人で接客をするという約束で、昨日仲直りをしたらしい。
あたしは接客よりも、キッチンの方が嬉しい。あんなに美味しいピザトーストを食べた直後だから、香代子さんの調理をもっとちゃんと見たかった。
ムダの一切ない、洗練された香代子さんの動きに見惚れながら、オーダーのドリンクを作って、エレベーターで降ろす。
上がってきた使用後の食器を流しに移して、食洗器に入れる。
繰り返すうちに慣れてきて、やっと大変から少し楽しめるようになった頃、実習終了の時間になった。
「二日間ありがとうございました」
「お疲れ様。何か参考になったかな」
「はい。香代子さんの調理姿がかっこよくて、あたしも頑張ろうって思いました」
「あたしなんて、この小さなキッチンを回すのだけで、精一杯だよ」
香代子さんが照れたように笑う。
「お店は長いんですか」
「いいや。まだ三年くらいだよ。もともとは食品メーカーにいたんだ。大卒で入社して、営業、製造、企画、いろいろやらしてもらったけど、腕試しをしてみたくなって退職したんだ」
「お店の準備は大変でしたか」
「もちろん大変だったよ。あちこちに書類を出しに行ったり、お金を貸してくれるところを探したり。資金の関係で、自分たちでできることはしようってなって、ペンキ塗ったり、棚作ったり、姉が幸いデザインのセンスがあったから、情けない物にならなくてすんだ」
「温かみが感じられる、かわいいお店だと思います。チョークアートもすごくステキです」
「ありがとう。あれも姉が描いてるんだ。姉は、私生活でいろいろあって、気落ちしてたからあたしが誘ったんだ。声をかけて正解だったよ。あたし一人では、こんなお店作れなかった」
香代子さんからオーナーへの信頼が伝わってくる。仲良し姉妹で一緒にお店をやれるなんて、羨ましい。
「あたしにも姉がいるんです。姉妹っていいですよね」
「海野さんも、姉妹?」
「はい。優しい姉がいます」
頭の中に。と付け加えたいところだけど、言えない。すごく残念。
「お姉さんも、料理得意なの?」
「美味しいですけど、レシピ通りじゃないと作れないって悩んでいます」
「レシピ通りに作れるのも才能だよ。基本の味が覚えられる」
「あたしは調理科に入るまで、目分量で作っていたんです。姉はあたしが作る方が美味しいって言ってくれるので」
「それはきっと愛情だよ。自分に向けられた愛情をお姉さんの舌が感じ取っているからだよ」
「え? 愛情を? あたし、いつも食べてくれる人の笑顔を想像して作っています。それでいいんですか?」
「もちろんだよ。ここは二階だからお客様の顔が見れないけど、代わりに姉が伝えてくれるんだ。だからあたしは自信を持って調理できる」
「愛情‥‥‥か」
なんかいいな。嬉しくて、頬がにんまりしてしまいそう。
「海野さんは、自分でお店をするのが夢なの?」
「まだ何をしたいのか、わからないんです。三者面談がもうじきあるから、進路の相談をしないといけないんですけど」
「店舗実習で何か指針が得られればって感じかな」
「はい」
「そっか。うーん、あたしの人生の中で、会社勤めをしたのはプラスになったと思ってるよ。料理人に必要なのは、学歴より経験だと思うけど、どんな経験が将来に役立つかはわからない。だから、がむしゃらに腕を磨きたいとか、留学したいとか、そういうのがないのなら、進学してゆっくり考えるのも手だと思うよ。勉強が嫌いでないなら、っていう条件がつくけど」
「大学ですか?」
「短大も専門学校もある。思い切って料理から離れて、別の学部に入ってもいいだろうし」
「香代子さんは進学がオススメなんですね」
「うちは幸いにも、大学に行かせてもらえる経済力があったからね。海野さんの家庭環境によって変わってくるけど」
「それは、大丈夫です。共働きだし、どっちかっていうと進学しろって言われそう」
「料理人は過酷だからな。朝は早いし、夜は遅い。立ちっぱなしだから体力もいるし、体を痛めることもある。腰痛や腱鞘炎とか。親によっては、反対する人もいるしな」
「心配かけちゃいそうです」
「まあ、どんな仕事も大変だけどな。十年後、二十年後、海野さんが履歴書を書く時に、自分がどんな人生を歩んできたか振り返ることになるから、今の自分の思いを大切にしながら、未来を考えていけるといいかなと。アドバイスになるかわからないけど、頭の片隅にでも置いておいてよ」
「はい。参考になりました。ありがとうございました」
香代子の経験やアドバイスにとても興味が沸いた。もっと聞きたかった。
♢
実習から帰宅して、ベッドに座った。お姉ちゃんに買ってもらった、ウサギのぬいぐるみを手に取って、ぼんやりと考える。
「お姉ちゃんはさ、看護師免許取って卒業したら、就職してたんでしょ」
「実は迷ってたの。クラスメイトはほとんど就職だから、大学に編入しようかな、なんて誰にも相談できなくって」
「お姉ちゃん、まだ大学に行って勉強しようとしてたんだ」
「保健師とか助産師の免許も取りたいなって思ってて」
「へえ、そうだったんだ。知らなかったな」
「麻帆は、進学か就職かで悩んでるの? それとも就職先?」
「全部かなあ。迷いながらお店で働くって、なんか失礼な気がして」
ウサギの両手をもにもにしながら、昨日今日で聞いた内容を思い返す。
「大学で食物系だと栄養士か食物学だけかと思ってたけど、桃谷くんみたいに経済に行く人もいるんだなって思ったら、香代子さんが言ってたみたいに、別の学部もありなのかなって」
「うん。そうだね。食品メーカーに就職するなら、大学に行った方が有利そう。推薦入試を受けるなら、二学期には決めないとだね。専門科は一般教科が少ないから、先生にも相談してみないと」
「あ、そっか。一般教科が関係するんだ」
お姉ちゃんに指摘されるまで、気がつかなかった。
「ああ、しまった」
「どうしたの!?」
お姉ちゃんが突然嘆くような声を出した。びっくりして、ウサギを投げてしまった。
「私、また確実じゃない事教えてる。麻帆、自分でちゃんと調べて決めなさい。お姉ちゃんは相談には乗れるけど、ちゃんとした情報は調べられないの。無責任な発言はしないって決めたの」
「ええー、わかった。自分の事だもんね。先生にも聞いてみる」
急に突き放されたみたいで寂しく感じたのも一瞬、姉に頼り過ぎてもダメだと考え直した。
0
あなたにおすすめの小説
三年の想いは小瓶の中に
月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。
※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。
織り子
ファンタジー
王国貴族院の卒業記念パーティーの場で、大公家の令嬢ルクレツィア・アーヴェントは王太子エドワードから突然の婚約破棄を告げられる。
父であるアーヴェント大公に疎まれている――
噂を知った王太子は、彼女を公衆の面前で侮辱する。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
愚かな側妃と言われたので、我慢することをやめます
天宮有
恋愛
私アリザは平民から側妃となり、国王ルグドに利用されていた。
王妃のシェムを愛しているルグドは、私を酷使する。
影で城の人達から「愚かな側妃」と蔑まれていることを知り、全てがどうでもよくなっていた。
私は我慢することをやめてルグドを助けず、愚かな側妃として生きます。
理想の『女の子』を演じ尽くしましたが、不倫した子は育てられないのでさようなら
赤羽夕夜
恋愛
親友と不倫した挙句に、黙って不倫相手の子供を生ませて育てさせようとした夫、サイレーンにほとほとあきれ果てたリリエル。
問い詰めるも、開き直り復縁を迫り、同情を誘おうとした夫には千年の恋も冷めてしまった。ショックを通りこして吹っ切れたリリエルはサイレーンと親友のユエルを追い出した。
もう男には懲り懲りだと夫に黙っていたホテル事業に没頭し、好きな物を我慢しない生活を送ろうと決めた。しかし、その矢先に距離を取っていた学生時代の友人たちが急にアピールし始めて……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる