ディバイン・インキュベーター1946~東京天魔揺籃記~

月見里清流

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第2章 銃口の先

5-3 shipwreck(フォカロル)――横浜

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 ピリピリとした緊張感が肌を突き刺す。胃がキリキリと蠢き、その緊張感を少しでも紛らわせる為に、銃口がやや上を向き始めた。
 音を立てまいと恐る恐る歩いていると、もうすぐ埠頭の尖端という所で、師走の海が僅かに凪いだ。倉庫という墓標が連なる壁の先。


『――人影が見えます』
 バーナードが、緊張した声色で告げる。


 彼は道中で別れ、狙撃地点である倉庫屋上で狙撃銃スプリングフィールドのスコープを覗いているはずだ。彼の言う人影は私にも見えた。月は雲に隠れ夜海の輝きはない。


 しかし、人工的な光の先に幽かに浮かぶ人影だ――。
 いや――、人影ではない。


 羽根、――
 五十メートル程先、まさしく埠頭の突端に、そいつはいた。海に向かい、こちらに背を向けて、独り寂しそうに佇んでいる。


『やってられねぇよなぁ……』
 聞いたこともない、若い男性の声――。こいつも人語を解する怪異だ。


『せっかく沈めてやったってのに』
 相手を刺激しないように銃は構えず、重心を落としながら彼我の距離をジリジリと詰めていく。怪異はまるで私達に聞かせているかのように、大きな独り言を呟いているのだ。


『何も得られなかったじゃねぇか。しかも、ご退場を願われちまうとは――』
 翼を僅かに広げ溜息をつき、ゆらりとこちらを振り向いた。
 季節柄に合わぬ寄れたブラウスに革製ベスト、黒黒とした長靴、右手には豪華に装われた笏、灰色の髪の毛――。


 どう見ても、人間である。
 血の気が引いた白人のような肌は、幽霊画のように気味が悪い青色に透けているが、こういう人間なら栄養失調寸前の――戦場でも駅前でもよく見るくらいだ。


 それでもやはり――、と言わざるを得ない。


『――隊長』
『分かってる』


 これはヴィジランスクラスの怪異。一筋縄ではいかないはずだ。
 今ならすぐに発砲も可能だが、戦闘しなくても良いならそれに越したことはない。それでも銃口を怪異に向けながら、デービッドと私は左右に展開し、かの者を斜めに囲い込む。


『どれだけ船を沈めたんだ?』
 隊長が、突然怪異に問いかけた。


 ――分かってはいたが、怪異と堂々と話をする隊長に、驚きを隠せなかった。隊長の問いに怪異は飄々とした表情かおで言葉を紡ぐ。


『へへ、南の海で沢山。日本の旗を付けた船を誰彼構わず。まぁ、ひとりじゃ大変だったから、戦闘で少しでも奴を優先してやったがな』
『誰かの依頼か?』
『それは言えないねぇ。……というより、? え?』
 怪異がしたり顔で隊長に詰め寄る。隊長の瞳は揺るがず、泰然とした表情である。


『では何故、今米軍の車輌や船を沈める?』
さ! が支払われないんじゃな』
『報酬とは?』
『第7の玉座――』


 その言葉と共に、和やかな顔にも思えた怪異の顔が――酷く、鈍く、醜く、歪む。わなわなと震えだしたかと思うと、翼を大きく広げ天を仰いだ。



「『騙されたんだよッ! このはッ!』」



 倉庫街に轟き渡る大音声――!
 その声量に私だけでない、全員が思わず耳を塞いだ。
 隙を突いて――、この『フォカロル』と名乗った怪異は、その翼で巻き起こした突風と共に、向かって右側の倉庫の屋根に飛び移った。跳躍はまさしく鳥の如く。されど気色悪い映画の合成表現のようにも思える、非現実的な光景であった。


 フォカロルの翼が艶めかしく羽ばたき、その動作とは全く見合わぬ、常識外の風圧が私達に襲いかかった。
 砂塵に眼を細める――。
 しかし、風の向こう側、闇の中にぼんやりと見えるフォカロルは頭を抱え、苦しみに藻掻いているようだ。


『お前達が……、お前達がかッ!』
 意味不明な言葉、明らかな敵意。
 先程までの余裕は毫も感じない。
 突然、隊長の怒号が脳内に響き渡った。


『キャサリン! 分析開始!』
『は、はいッ!』
『総員射撃用意! バーナード! を用意!』
『――了解』


『デービッド、ウラベ! 距離を取れ! 射撃時声かけ、忘れるなよ!』
『……はいッ!』
 即座に私とデービッドは隊長を中心に距離を取った。


 射線は外さない――。
 各々が無造作に積み上げられているドラム缶や、朽ち果てた電柱の影に身を隠す。鈍く輝く極太の銃身を備えた擲弾銃ライオツトガンが、消音器付機関銃グリースガンが、消音器付コマンドカービンが、改めてフォカロルに向けられる。


『無駄だァ――』
 屋根の上のフォカロルは、上半身を大きく捻り仰け反ると、両手を伸ばして天を仰いだ。まるで何かを渇望するような仕草。その腕はめきめきと音が聞こえるように、血管が波打つように浮き立ち始めた。


 刹那、である。
 腹の底に響く、重低音が辺り一帯を聾する――!
 つい先程まで凪いでいた黒い海面が、大きな海鳴りと共に生き物のように波打ち始めたではないか。


 ――船を沈める怪異。
 嘗て戦場へ向かう輸送船で遭遇した嵐のように、海面は激しい風浪、水煙を立ち上げながら大きく盛り上がり、ピタリ、と空中で止まった。


「『な、なんですかアレは!』」
 思わず叫ばずにはいられなかった。
 冬の雪明かりと人工的な電灯に、仄暗く映し出されたのは、。海水で出来た巨人。見上げて呆けてしまうほど――、天高く擡げている巨大な塔。


『か弱き人間の分際で――、私をたばかるかァッ!』
 腕――!
 雪明かりに浮かぶ、黒黒とした巨人の腕は、肌を刺すような凄まじい殺意を滲ませながら、まさに私達に振り下ろされんとしていた。


『今だ、バーナード!』



 ゴオッboom――!



 雷鳴――。
 いや、速射砲や戦車砲のような轟音が倉庫街に響き渡り、激しく反響する。残響冷めやらぬ中、フォカロルの悲鳴とも金切り声ともつかぬ叫び声が響き渡った。


「『ガァァッ!』」
 英国製対戦車銃ボーイズ・アンチタンク・ライフルの轟音――。五十五口径弾は、百メートル先の二十ミリ装甲板をも貫くという。神聖化コンシクレーシヨンされた弾頭は、敵怪異フォカロルの右腕に寸分違わず命中した!


 ちぎれ飛ぶブラウス、弾け散る肉塊、錐揉みに虚空を舞う右腕。
 その大本、フォカロルは割れんばかりに口を開き、苦しみに咆哮する。


『弾着確認――!』
 バーナードの『狙撃スナイプ』である。
 念じた相手を認識している限り、相当の遠距離からでも、――たとえと正確に弾丸を命中させる事が出来る異能。


 本来、狙撃という精密射撃は極めて専門的かつ高度な技術である。照準を合わせて引き金トリガーを引くだけの簡単なものではない。姿勢制御は勿論、風を切り裂く弾丸は、重力、風速、湿度など様々な条件に行く先を左右される。


 しかし――、バーナードのそれはまるで吸い付くように着弾するもので、他の隊員と同様にらしい。その腕前が遺憾なく発揮された訳だ。



 中空に浮かぶ、はち切れんばかりの力を込めた巨人の腕。主人の――、いや、まるで己自身の腕がなくなったかのように、その場で力を無くし滝となって崩れ落ちる。
 巨大な水塊が、黒き空から墜落する。
 ドーン――と音を立てて勢いよく海水面と衝突した水塊。
 砕けたエネルギーは津波の如く、酷く冷たい海水が我々の足元を攫う。幸い体勢を崩すほどの勢いはないが、辺り一面は真っ黒な海水に覆われてしまった。



「『お、おのれ……、おのれえェェッ!』」
 屋根の上ではフォカロルが無くした腕を左手で押さえながら、怨嗟と苦痛の叫びを続けていた。
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