ディバイン・インキュベーター1946~東京天魔揺籃記~

月見里清流

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第3章 因子は揺らぐ

7-2 Doppelgänger(影法師)――豊島区

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『こちらウラベ。異常ありません。通信終わりOUT
『いちいち終わりOUTを入れなくていいぜ、ウラベ。――ここは米軍じゃない』


 昼下がりの住宅街――。
 クラウディアがジープWILLYS MBの助手席で、大仰にふんぞり返っている。この米軍の象徴でもある四輪車は窮屈な作りをしている。日本人の私ですらそう思うのだから、クラウディアはどう思っているのか。


 窓硝子を前に倒し、すらりと長い脚をボンネットに突き出す。
 ブーツに靴下、厚手のストッキングが肌を刺す寒さを退けているのだろうが。


 ――目のやり場に困る!
 膝小僧を出した短めのスカートを凝視する訳にも行かず、クラウディアと同じように、晴れ渡る青空を同じように見上げるしかなかった。


『すみません』
『謝らなくてもいい。ただ……、暇だな』


 ――その通り。
 昼下がりの住宅街の麗らかな空気にほだされ、もうかれこれ一時間も無為に時間を過ごしている。


 移動する幽霊屋敷――。
 我々はこの怪異を伝承にあやかり『迷い家まよいが』と呼称することにした。
 クラスはコーションCaution
 危害はないが要注視対象となる。現状では被害報告らしい物は無いが、気になる点は幾つもある。頻繁な目撃例、幽霊にしては一軒家という規模感の大きさ、向かう先の不透明さ。調査する必要は確かにあった。


『ですが、バーナードの整理通りだとしたら、になるはずです。張り込まないと、見つけるモノも見つけられないですよ』
『……分かってるよ、そんなことは』


 ――バーナードの推理はこうだ。
 東京に出現した『迷い家まよいが』は、蒲田区、大森区、荏原区、品川区……といった具合にぐるりと円を描く様に移動しており、必ずの近くに現れていたのだ。


 それは――銀行BANK
 円を描くように、銀行の近くに『迷い家まよいが』は現れる。
 ならば先回りすれば良い。当該地図から候補地点は3つに絞られたが、もし戦闘になった時二人でカバーし合わないと難しいと判断された。


 ――三カ所を二人ずつ。
 隊長の指示により、デービッドとバーナード。隊長とマイク。私とクラウディアと相成り今に至る。まだ馴れない車の運転を土地勘でカバーしながら豊島区のある銀行の近く、人通りの少ない側道にジープWILLYS MBを停め、見張っている訳だ。


『しかし、銀行の近くにだけ出現する怪異なんて随分奇特ですね』
『……こんな奴、パリにもいなかったぜ』
『パリだと、どんなのがいたんですか?』


 クラウディアは米国系フランス人だ。かつてパルチザンに身を置き、ナチスドイツと闘っていた経歴を持つ。顔の傷は怪異だけでなく、ドイツ兵から撃たれた銃創も混じっているのだ。
 だが、我々は『神聖同盟』――怪異と闘う組織である。
 純粋な興味関心から、聞いてみたかった。


ワーウルフ人狼やワイバーン、ベートジェボーダンの鬼狼とかだよ。……つまらん話だ、やめようぜ』
 勇猛さはあれど、謙虚にて慎ましく。
 まさしく、武人のようである。


『分かりました。じゃあ、どんな俳優が好きなんです?』
『なッ……! なんでそんな話題になる?!』
 虚を突かれたのか、吹き出したクラウディアが飛び起きた。


『いや、午前中にデービッドと女優の話をしてたので、その逆を……』
『い、……いない!』


 即答――。
 俄に顔を赤らめて、ムキになって否定する。
 どう見ても、誰かようにしか思えない。


『……ゲイリー?』
『違う……、あんな大根じゃない』


 戦前、生活に余裕があった頃、見たことのあるハリウッド俳優を上げてみたが違ったらしい。
 しかし大根とは――、酷い言いようである。


『……タイロン?』
『……当たりだぞ、ウラベ――』


 本当か――!?


 当てずっぽうが的中したらしい。
 男勝りの戦闘狂でも、ちゃんと好きな俳優がいるのだ。
 意外な人間らしさに感心してクラウディアの顔を眺めると、――彼女は目を見開き、真っ直ぐに正面を見つめ微動だにしない。
『クラウディア――?』



だって言ってるだろ、ウラベ! だ――!』



 クラウディアの視線の先――。
 


 茶色の板塀で囲まれた路地を彷徨いている。
 丸眼鏡、水筒、鳥打帽子ハンチング帽――その全てが情報通りである。
 さらにはっきりと特徴が掴める。灰色のコート、焦げ茶色のスーツ、真っ黒い靴。身長5尺5寸165cmほど。


 目先50メートル――。
 視線は惑いその挙動は虚ろ。……齢は四十代くらいだろうか。


『行くぞ――!』
『は、はい――!』
 クラウディアが颯爽とジープWILLYS MBの助手席から跳ね上がり、ボンネットから駆け出すように車体を揺らし、前方に跳躍した。


 すらりと締まった長い脚が、空を切る――。
 コートが中空でふわりと靡き、砂利を砕くように着地した。
 3メートルを優に超える跳躍を見せ――私は瞬時見とれてしまった。
 クラウディアは即座に駆け出し、その俊足を遺憾なく発揮する。


 ――まずい!
 後部座席の機関銃グリースガン負い革スリングを慌てて思い切り引っ張り、ドアを蹴破るように飛び出した。


 すでにクラウディアは十メートル以上先を行く。
 心臓を高鳴らせながら、乾いた砂利道をバタバタと走る――。
 一生懸命走っているが、クラウディアの俊足に、少しずつ距離を離されてしまう。


『――急げウラベ!』
 そんなことを言ったって。
 銃を背負い体格も違う。こっちだって全力だ。
 目一杯に息を吸いながら、揺れる機関銃《グリースガン》を押さえて走る。


 そうこうしているうちに、男と目があう。
 丸眼鏡の奥は、瞳が見えない。
 ――言うなれば闇、とでも言おうか。
 暗く、黒く、計り知れない。
 だが奴の身体は見た通りの反応――、つまり驚き、背を向け、逃げだし始めた。


「『待ちやがれこの野郎!』」
『それで止まる人はいませんよ!』


 男が水筒と鞄を持ったままくるりと踵を返す。走り出した先は――板塀の路地。
 路地は角を曲がると、すぐに姿が見えなくなるが、そうそう離れられるものではない。だからすぐに見つかるし、追いつけると思っっていた。


 ――だが、事態は思わぬ方に転んだ。


「『うっ――!』」
 10秒もない逃亡劇の果て。
 曲がり角の先で、クラウディアの声が詰まった。
 青息吐息の私が追いつき、クラウディアの背中越しに見たもの。


 それは、人質――。
 男が通行人であろう女性女性の後ろに回り、緩やかに腕で首元を絞める格好を取っている。
 右手には――水筒。
 何が入っているか全く見当が付かないが、佇まいの不気味さも相まって、絶対に良くない物だと直感が告げる。


「『テメェ――!』」
 クラウディアの特製革手袋が、ギチギチと音を立てる。
 肌に感じる程の憤怒が、隣の私にもひしひしと伝わってくる。


「『くっ――』」
 私はすかさず機関銃グリースガンの銃口を男に向け、照準を定めた。照門リアサイトから照星フロントサイトを捉え、その先には男と女が。


 人質の女性は、大きめのサングラスを付け、短髪で大きな髪飾りを付けている。
 身長は男と同じほど――女性にしてはやや高い。
 焦げ茶色をした流行のベルトコートに、刺繍の入った赤いスカーフ――と、かなりである。


 ……現在の状況を理解しているのだろうか?
 その口元は全く微動だにせず、それどころか微笑みを浮かべている始末である。


 何故――?
 全く見当が付かない。
 人質を取っているはずの男の方が、微かに震えているくらいである。


「貴方達、――この男が何か分かる?」
 日本語で私達に問うてきた――。
 口調には不貞不貞ふてぶてしいほどの余裕。口元は不気味に笑い、右腕をするりとコートの中に忍ばせた。


 遅滞なく取り出したのは――、
 迷うことなく、滑らかに銃口を男の顎下にピタリと合わせた。



「『』」



 バン――ッ!
 声と、念話と、銃声が、同時に耳と頭の中に響き渡った。
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