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第3章 因子は揺らぐ
9-2 Fate(滝夜叉姫)――京都
しおりを挟む「『……おいでになりました。頭を下げて』」
ヒノエの催促に、私は慌てて頭を下げた。
謁見の間――。
やや古ぼけた板敷き、年季の入った太い柱の数々が天井をがっしりと支えている風格ある空間。窓は少ないはずなのだが、天井の明かり取りが組み込まれており、曇天と言えども存外に明るい。それでも大広間は飄々と風が抜け、謁見する側には寂しい限りだ。
部屋のど真ん中に正座する私達は、正面の一段上がった上段の間に向かって正対する。年季が入っている大きな金屏風が覇気と畏れを堂々と放っている。まるで映画や本で見るような将軍への謁見である。
左右に並び、揃って床に手を付く。
視線は床の染みを数えるしかない。
程なくして、――屏風の裏から聞こえる誰かの足音。
いや、足音と言うより衣類を引き摺る音である。擦り終わると、静かに座る音がした。
『――ヒノエ、卜部殿。面を上げられよ』
太く妖艶な女の声が脳内に響き渡る。声はなくとも、気高さと高貴な風は聞く者を萎縮させてしまうだろう。
顔を上げると、朱や群青を含めた色艶やかな袿を何枚も重ねた宮中の女房装束の女が、厳かに鎮座していた。
いや、女かどうか分からない。
何故なら面を被っているからである。
――嫉妬や恨みに滾る、白い般若の面。特徴的な朱の隈取りと真っ赤な角は相手への威嚇か、内面の表れか。
般若の眼がじっくりと私を舐め回す。
鷹の眼に射殺される鼠。
顔面の神経が引き攣り、竦み、背筋がぐっと伸びきる。
『……面影は残っておるのだな』
顔に見合わぬ懐かしむような口調、僅かな綻びを感じさせる穏やかな声色である。しかし、僅かな沈黙の後、滝夜叉姫は話を続けた。
『さて……、ヒノエやミエコから話は聞いておる。息災で何よりじゃ。大陸以来、苦労が絶えなかったろう』
労いなのだろうか?
とてもじゃないが、額面通りには受け入れられない。この場の雰囲気も般若の面も、ひしひしと伝わる恐怖に言葉は着色されてしまう。口元をキツく締めていると、滝夜叉姫は俄に横を向いて小さな窓から曇天を眺めた。
『早速じゃが、お主に聞きたいことがある。――お主は何故に戦っている?』
異な一言に、胸がきゅっと締め付けられる。
冷や汗が俄に滲み、掠れながらも何とか声を絞り出した。
「『何故、――と申しますと?』」
『「神聖同盟」はお主に何と言って、戦いに協力するように言ってきたのじゃ?』
即座にデービッドとロバート隊長の顔が脳裏に浮かぶ。
立川基地の執務室、緊張した私と余裕を浮かべる皆の顔。彼らの口元から発せられた言葉は――。
『ほぅ、「お願い」か』
般若の面が静かに俯き、――嗤った。
『お主はきゃつらに利用されておる。奴らの野望に利用されるな』
……なんだと?
口から零れ出そうになった言葉を力一杯に飲み込む。
唐突の警句に胸が締められる。
しかも、利用されていると?
思わぬ言葉にチラリとヒノエを見遣る。が、彼女は俯きがちに視線を逸らしている。視線が泳いでいる私を窘めるように、滝夜叉姫はこちらを睨み付け、続け様に警句を繋いだ。
『きゃつらの目的は、我らを霊的奴隷にすることぞ。武器を奪い、技術を盗み、異能を奪い、最後は魂までも隷属させ、二度と連合国に逆らわせなくさせるのがきゃつらの目的。奪われた異能は其方のように、ある深謀遠慮の輩によって都合が良いように利用されるだけ、――ぞ』
機関銃の弾丸のような連射、突き刺さる言霊。いや散弾銃と言った方が適切だろう。殺傷能力のある鉄の意志が、同時に飛んでくるのだから。
真意を処理出来ぬまま撃たれ続け、息を呑むのも忘れてしまう。継ぎ句を挟む余地すらない。
『それだけの力を持つお主が、――いや、日ノ本の民として、きゃつらに利用されるのは誠に忍びない』
私を射貫いていた般若の眼が、僅かにヒノエの方を向く。
『儂らと共に来い、――ヒノエも喜ぶ』
「『お、……お戯れを』」
この時になって漸く、息を取り戻す事が出来た。ヒノエを見ると、僅かに紅潮してじんわりと汗をかいているようだ。緊張の連続から来る強ばりを少しでも緩和したく、私は大きな溜め息を付いた。青息吐息、虫の息であったが。
「『……私には彼らがそういう目的で動いているとは、到底思えません』」
同じ死線を掻い潜り、笑い合った仲間達。グレムリンのような戯けた怪異もいるが、少なくともこの数ヶ月、滝夜叉姫の言うような邪悪な目的など微塵も感じない。それどころか益々紐帯を強めていく勢いである。
だが、滝夜叉姫の声色は微塵も動揺しない。
『お主には、まだ見えておらんようだな――。いや、見たくないのか。理不尽なことは幾らでもあろうに』
――占領軍家族住宅(ディペンデントハウス)。
――軍属にも関わらず戦闘への参加。
――怪異達の警句。
脳裏を過る全てのことが不協和音を奏でる。
『戦わせることでお主の力は顕現した。その対価として、殿上人の暮らしを保証されておる。――これは「お願い」か? どう見ても利用ではないか。それに――』
滝夜叉姫の声色が、一層重くなった。
『霊的分離不能石――儂らは古来より言霊石と呼んでいたものじゃが、特性は同じ――。声をかける相手を選んで念話が出来る。お主が聞こえていた念話は上辺だけのなれ合いに過ぎぬ。彼らがどう脳裏で言い合っていたか、知りたくはないか?』
……知りたくない。
いや――、分からない。
確かにエンタングルメントストーンはそれが出来る。列車の時も、そうだった。ただ、本人を前に監視対象の報告や陰口を言い合っていたのか、そんなことは確認のしようがない。
一緒に死線を共にした、戦友である。
彼らが――?
いや、そもそもだ。
滝夜叉姫の言うことは本当か?
『……落ち着いて、卜部さん』
押し殺した声色でヒノエが念話で呟く。流し目に見ると唇を噛みしめている。悔しさか緊張か、はたまた。
だが、改めて分かった。確かに念話は相手を選び、語ることが出来る。今まさしくヒノエが私にしたように。疑念も情動も、全て握り拳に包み込む。
「『あなたの言うことが事実かは分かりません。ですが――、私には死線を共にしたデービッド達を裏切れません』」
裏切るとは何を裏切るのか。
滝夜叉姫の言が正しいなら、私は被害者であり実験動物であり、兵器である。彼らは私を汚らわしい目で見て、監視と統制下においている、優れた演者ということになる。
だが、滝夜叉姫の言が虚偽だとしたら――?
何の利がある?
私を『神聖同盟』から引き抜いて、『ラセツ』に協力することに、何の意味がある?
引き抜きたい人材、――いや、この邪眼故ならば、この滝夜叉姫は私を道具としてしか見ていない事になる。
頭頂から背中に走り抜けるような嫌な感情に、全身の皮膚が強張る。般若の顔が少し驚いたように顔を上げ、彼女も背筋を伸ばした。
『ふむ。それだけ義理堅い人間というのは分かった。見事よ。だが――、お主は自分の力、いや危険に気づいておらぬようじゃな』
突然――、滝夜叉姫が両腕を天に掲げた。
指先は不気味に曲げられ、わなわなと震え出し、譫言のような呪文が念話に溢れ出す。
『滝夜叉姫様! それは』
『黙って見ておれ!』
脳髄に雷が落ちるような大音声でヒノエが叱られた。大きく竦み床に両手をついて、頭を垂れる彼女の姿に一際背筋が寒くなる。
一体何を。
『――カァッ!!』
叫び!
滝夜叉姫の妖艶な声が頭に響いた瞬間、突然視界が真っ暗になった。
瞼が無理矢理に閉じられているように、開けようとしても開かない。
経験のしたことのない奇異な恐怖が襲う中、続けざまに、暗闇の中にあの光景が浮かんだ――。
乾いた荒涼たる大地、赤茶色の地面。
暗き闇を縫うように穿たれた穴。
打ち捨てられたスコップ。
国民党軍兵士の死体。
そして、地面を蠢く大量の――眼。
眼、眼、眼、眼――!
「う……、う、ああぁッ!」
忘れていた感情。忘れていた光景。
不条理な命令。死が跋扈する大陸。記憶が巨大な塊となって身を抉り、心を切り刻む。深々と突き刺さる剣先の如く、全身が痛みと苦しみに咀嚼される。
……あぁ、駄目だ。
それは――。
『お主が見たのは、太歳じゃ』
滝夜叉姫の嗤う声が聞こえた。
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