80 / 126
第6章 人知れず未来を願う
16-1 inspector(太歳)――立川
しおりを挟む『……あがる気配はないですね、全然』
『まぁ仕方ねぇさ。流石に気候を操れるような奴はウチにはいねぇしな』
『それにしても見渡す限り黒ばかりねぇ。もっと面白い傘があってもいいのに……』
間もなく立夏を迎える5月の空は、降りみ降らずみの空模様。黒い傘をさした私達は憎々しげに薄暗い空を見上げ、目の前の傘の群れを見渡していた。
――皇居前広場。
この見渡す限りの広場は、冷雨の寒気と人の熱気が粗雑に入り混じっている。三ヶ月前には「革命」をも思わせるゼネストが中止に追い込まれ、社会のうねりを凝縮した特異空間だった皇居前。今は可愛らしいキャサリンの溜め息も掻き消されるほどの人だかりだ。
『そんなことよりキャメラでも撮らないのか? 折角の記念日だぞ』
マイクは意気揚々とカメラバッグから英国製写真機を取り出し、小刻みに指先を動かしながらファインダーを覗いている。こんな天気でもちゃんと撮れるのだろうか。
『……そうですね。新しい日本の幕開け、なんですもんね』
だだっ広い皇居前広場に建設された白い式台。芝生から会場にかけての人だかり。それを警護する警察官、ちらほら米兵憲兵。壇上を囲むように勢揃いする燕尾服やタキシードのお歴々。案内や看板に書かれている文字は、雨にも負けず輝いて見える。
日本国憲法施行記念式典――。
昨年11月に公布された新生日本の道しるべ。芝生広場を大きく囲むように駐車場が設けられ、我々はジープで乗り付け、馬場先門近くから人頭の海を見晴るかすように式台を眺めていた。
今日は任務ではない。
完全なプライベートである。
デービッド、マイク、バーナード、クラウディア、キャサリン、隊長。全員が一堂に会して外出するというのは滅多にない。いや、初めてのことだった。
『全員で来ちゃってるけど、基地は大丈夫かしら?』
『問題あるまい。本国の監査官、調整官、それにスティグラー博士もいるんだ。機器の調整中はまともに連絡も入ってこないからな。体の良い人払いだろう』
バーナードの言うとおりだ。
現在、日本支部には『神聖同盟』英国本部より監査官、怪異探知機器の調整官が来日している。20代~30代の4人チームで、全員凜々しい白人男性である。ロバート隊長が対応したため、私は人影をチラリと見ただけに過ぎないが――雰囲気から察するに、軍人よりも粗暴な剣闘士に近かった。
『どうせすぐに帰国しちまうさ。それより、折角の休日で記念日なんだから、仕事の話は抜きだぜ』
ファインダーを覗きながらマイクが切り上げる。
それから雑談をいくつか交え、今やその時を待つ。
――もうすぐ式典が始まる。
もうすぐ新日本の旅立ちが始まり、それを天皇陛下を始め国民一同が祝う。
しかし、この日この時において雨である。新生日本の恵雨や慈雨とならんか――、それとも帝国の残影を引き留める遣らずの雨か。
モヤモヤとした蟠りを心中に留め置きながらも、改めて目の前の人だかりに希望を寄せる。
『こんな天気でも皆が集まってるのは、期待したいからですよね……』
『新生日本ですか。私はチョット不安ですかねぇ』
デービッドが珍しく弱音を吐いた。
『戦争を仕掛けた者に対する世界の眼は、相変わらず厳しい。今回の憲法改正で平和主義を謳っていても、アジアを始め連合国全体の信頼回復までは長いだろうな』
『あぁ、……いえ、そうでなくて』
『ん? どういうことだ?』
隊長が視線を式台に向けたまま問うた。
『もう戦前――、になるんですね』
デービッドの瞳は遠い。
『私が東京の私立学校に特別留学生として留学していた頃、映画もラジオも、それを見ていた子どもも大人も、皆一様に米国への憧憬を強く持っていたと思います。それが開戦と同時にパッと憎悪にすり替えられたように……、ほとんどの日本人は恐ろしい速さで時局に適応出来ると思います。ですが……戦争が終わってない人間も、沢山居ると思うんです』
その言葉に頷こうか寸時悩んだその時、俄に式台の方が騒がしくなった。
――どうやら式が始まるらしい。
政府閣僚、関係者が椅子から立ち、そわそわしだした。それを見た群衆も、ちょうど雨が僅かに小止みになったこともあり、皆一様に傘を畳んで自分に立て掛けている。
皆には黒や茶色に染まっているこれら人だかりも、私には白色を基調にした色相模様に見える。ほとんどは白一色で、僅かに青や灰色、緑がぼつぼつと野に咲く花のように分散している。
そんな中、おかしなものを見つけた。
――なんだあれは?
二重橋側の人だかり、白い人の波の外れ。明らかに異なる色があった。
朱、黒、緋、黒、赤、茶、黒――。
目まぐるしく移り変わる、あまりにも異彩を放つ色。純白のキャンバスに垂らしたブラックインキ――、ハッキリと視認できる。
どう見ても良くない色だ。
今まで見た怪異で一番近い色はダゴンのそれである。ただ、大きさは人並みである。
人――、なのだろうか?
眉を顰めてじっと見つめてみる。如何せんかなりの遠方である。顔なんてごま粒のような大きさでしかない。それでも何故か分かった気がした。
……男だ。
カーキ色の復員服に身を包み、略帽を目深に被った男。襟章と徽章の色は見えないし、略帽が将校用の金糸か兵用のラシャかは分からない。足元も長靴なのか革脚絆かも見えない。よくいる復員兵なはずだが――。
余りに気味の悪い色合いに視線が釘付けとなった。何かの怪異か観察をしなければと思った時、男がぐるりと首を私の方へ向けた。
――笑った?
ピタリとこちらを向いて、豆粒程度の大きさなはずなのに歯を剥き出しにして笑っているように見えた。見えないはずなのに、気色悪い笑みだという事実が脳裏を駆け抜けた。
――パキ。
男と視線が交じった刹那、私の視界は音を立てて斜めに割れた。世界を黒く染め上げるグラデーションミラーレンズに、一筋の罅が稲妻の如く走ったのだ。
「『なッ……!』」
降りしきる雨の中、上半身がバネのように仰け反り腰を抜かすように尻餅をついてしまった。手足も腰もべちゃべちゃと泥濘んだ地べたの土を掴む。痛みはない。衝撃がぶつかってきた訳じゃない。
だが、――割れた。
怪異の攻撃や私の異能を防ぐグラスが割れたのだ。
『――! ウラベ、どうしたんですか?』
皆が一斉に私に顔を向ける。隣のデービッドがしゃがみ、不安そうに私の顔を覗いている。濡れた地面についた尻餅のまま男を見遣るが色は失せ、その姿は確認出来ない。群衆の中に紛れたか、消えたか――。
――あの男。
赤黒い気を纏う、あの男。
気色悪い笑みを浮かべ、こちらを威嚇した、あの男。
間違いない……奴だ。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。
カレンと晴人はその後、どうなる?
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
