ディバイン・インキュベーター1946~東京天魔揺籃記~

月見里清流

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第6章 人知れず未来を願う

16-1 inspector(太歳)――立川

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『……あがる気配はないですね、全然』
『まぁ仕方ねぇさ。流石に気候を操れるような奴はウチ神聖同盟にはいねぇしな』
『それにしても見渡す限り黒ばかりねぇ。もっと面白い傘があってもいいのに……』


 間もなく立夏を迎える5月の空は、降りみ降らずみの空模様。黒い傘をさした私達は憎々しげに薄暗い空を見上げ、目の前の傘の群れを見渡していた。


 ――皇居前広場。


 この見渡す限りの広場は、冷雨の寒気と人の熱気が粗雑に入り混じっている。三ヶ月前には「革命」をも思わせるゼネストが中止に追い込まれ、社会のうねりを凝縮した特異空間だった皇居前。今は可愛らしいキャサリンの溜め息も掻き消されるほどの人だかりだ。


『そんなことよりキャメラCameraでも撮らないのか? 折角の記念日だぞ』
 マイクは意気揚々とカメラバッグから英国製写真機コピーライカを取り出し、小刻みに指先を動かしながらファインダーを覗いている。こんな天気でもちゃんと撮れるのだろうか。


『……そうですね。新しい日本の幕開け、なんですもんね』


 だだっ広い皇居前広場に建設された白い式台。芝生から会場にかけての人だかり。それを警護する警察官、ちらほら米兵憲兵MP。壇上を囲むように勢揃いする燕尾服やタキシードのお歴々。案内や看板に書かれている文字は、雨にも負けず輝いて見える。


 日本国憲法施行記念式典――。


 昨年11月に公布された新生日本の道しるべ。芝生広場を大きく囲むように駐車場が設けられ、我々はジープで乗り付け、馬場先門近くから人頭の海を見晴るかすように式台を眺めていた。


 今日は任務ではない。
 完全なプライベートである。
 デービッド、マイク、バーナード、クラウディア、キャサリン、隊長。全員が一堂に会して外出するというのは滅多にない。いや、初めてのことだった。


『全員で来ちゃってるけど、基地は大丈夫かしら?』
『問題あるまい。本国の監査官、調整官、それにスティグラー博士もいるんだ。機器の調整中はまともに連絡も入ってこないからな。体の良いだろう』


 バーナードの言うとおりだ。
 現在、日本支部には『神聖同盟』英国本部より監査官インスペクター、怪異探知機器の調整官が来日している。20代~30代の4人チームで、全員凜々しい白人男性である。ロバート隊長が対応したため、私は人影をチラリと見ただけに過ぎないが――雰囲気から察するに、軍人よりも粗暴な剣闘士に近かった。


『どうせすぐに帰国しちまうさ。それより、折角の休日で記念日なんだから、仕事の話は抜きだぜ』


 ファインダーを覗きながらマイクが切り上げる。
 それから雑談をいくつか交え、今やその時を待つ。


 ――もうすぐ式典が始まる。
 もうすぐ新日本の旅立ちが始まり、それを天皇陛下を始め国民一同が祝う。
 しかし、この日この時において雨である。新生日本の恵雨や慈雨とならんか――、それとも帝国の残影を引き留める遣らずの雨か。
 モヤモヤとした蟠りを心中に留め置きながらも、改めて目の前の人だかりに希望を寄せる。


『こんな天気でも皆が集まってるのは、期待したいからですよね……』
ですか。私はチョット不安ですかねぇ』
 デービッドが珍しく弱音を吐いた。
『戦争を仕掛けた者に対する世界の眼は、相変わらず厳しい。今回の憲法改正で平和主義を謳っていても、アジアを始め連合国全体の信頼回復までは長いだろうな』


『あぁ、……いえ、そうでなくて』
『ん? どういうことだ?』
 隊長が視線を式台に向けたまま問うた。


『もう戦前――、になるんですね』
 デービッドの瞳は遠い。


『私が東京の私立学校に特別留学生として留学していた頃、映画もラジオも、それを見ていた子どもも大人も、皆一様に米国への憧憬を強く持っていたと思います。それが開戦と同時にパッと憎悪にすり替えられたように……、ほとんどの日本人は恐ろしい速さで時局に適応出来ると思います。ですが……も、沢山居ると思うんです』
 その言葉に頷こうか寸時悩んだその時、俄に式台の方が騒がしくなった。


 ――どうやら式が始まるらしい。


 政府閣僚、関係者が椅子から立ち、そわそわしだした。それを見た群衆も、ちょうど雨が僅かに小止みになったこともあり、皆一様に傘を畳んで自分に立て掛けている。
 皆には黒や茶色に染まっているこれら人だかりも、私には白色を基調ベースにした色相グラデーション模様に見える。ほとんどは白一色で、僅かに青や灰色、緑がぼつぼつと野に咲く花のように分散している。
 そんな中、おかしなものを見つけた。


 ――なんだあれは?


 二重橋側の人だかり、白い人の波の外れ。明らかに異なる色があった。
 朱、黒、緋、黒、赤、茶、黒――。
 目まぐるしく移り変わる、あまりにも異彩を放つ色。純白のキャンバスに垂らしたブラックインキ――、ハッキリと視認できる。


 どう見てもだ。


 今まで見た怪異で一番近い色はダゴンのである。ただ、大きさは人並みである。


 人――、なのだろうか?
 眉を顰めてじっと見つめてみる。如何せんかなりの遠方である。顔なんてごま粒のような大きさでしかない。それでも何故か分かった気がした。


 ……男だ。


 カーキ色の復員服に身を包み、略帽を目深に被った男。襟章と徽章の色は見えないし、略帽が将校用の金糸か兵用のラシャかは分からない。足元も長靴なのか革脚絆かも見えない。よくいる復員兵なはずだが――。
 余りに気味の悪い色合いに視線が釘付けとなった。何かの怪異か観察をしなければと思った時、男がぐるりと首を私の方へ向けた。


 ――笑った?


 ピタリとこちらを向いて、豆粒程度の大きさなはずなのに歯を剥き出しにして笑っているように見えた。見えないはずなのに、気色悪い笑みだというが脳裏を駆け抜けた。



 ――パキ。



 男と視線が交じった刹那、私の視界は音を立てて斜めに割れた。世界を黒く染め上げるグラデーションミラーレンズに、一筋のヒビが稲妻の如く走ったのだ。


「『なッ……!』」



 降りしきる雨の中、上半身がバネのように仰け反り腰を抜かすように尻餅をついてしまった。手足も腰もべちゃべちゃと泥濘んだ地べたの土を掴む。痛みはない。衝撃がぶつかってきた訳じゃない。


 だが、――割れた。
 のだ。


『――! ウラベ、どうしたんですか?』
 皆が一斉に私に顔を向ける。隣のデービッドがしゃがみ、不安そうに私の顔を覗いている。濡れた地面についた尻餅のまま男を見遣るが色は失せ、その姿は確認出来ない。群衆の中に紛れたか、消えたか――。



 ――あの男。
 赤黒い気を纏う、あの男。
 気色悪い笑みを浮かべ、こちらを威嚇した、あの男。




 間違いない……




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