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第6章 人知れず未来を願う
16-6 Inspector(太歳)――狭山湖
しおりを挟む「『加藤大尉……』」
「中隊長と呼ばぬか、馬鹿者」
――嗚呼。
確かに中隊長だ。
耳にするのも久しい腹の立つ声。気色悪い笑みが目に、乾いた声色が耳に飛び込んでくる。腐った、どこまでも腐ったゲス野郎の声だ。
「『……いえ、絶対に呼びません。もう戦争は終わったんです』」
「終わってなどおらん」
眉間の皺がこれでもかと深く、口の端が醜く歪む。面白半分で人を殺していたあの頃より酷い。服装は徽章が外されたヨレヨレの三式軍衣に、草臥れた略帽。長靴は――あの当時のままである。本当にあの時から抜け出してきたような錯覚を覚える。
「卜部上等兵。貴様、いつから米国に尻尾を振る犬に成り下がった?」
加藤が無遠慮に舐め回すように私の衣類を見、流れるように私の背後を見越した。米陸軍フィールドジャケット、サスペンダー、刀を吊り下げられるよう改造された弾帯――私に日本兵の面影は全く残っていない。
「『皆、仲間です。死線を共にしてきた戦友です』」
「ふん――、所詮は口先だけよ。初年兵のしごきもまともに出来ぬ貴様に死線などくぐれるものか。敵前逃亡の卑怯者。我々を見殺しにして――」
ずしん――、と頭が重くなった。
胃が音を立てて縮み上がり、鼓動が早鐘のように鳴る。
事実。嗚呼、事実だ。
玉砕すら許されなかった愚連隊。曲がりなりにも戦友だった彼らを置き去りにした。その恥は今も胸をキリキリと抉り続ける。
だが――。
「『もう終わったことです。第13中隊は存在を消され、私はおめおめと恥を忍んで生きておりますが、後悔はしておりません。大日本帝国は連合国に降伏し、帝国陸軍は解体され、もう何も残っておりません。それに』」
――大尉は死んだはずです。
その一言に、加藤の瞳がゆらりと歪んで見えた。
夕焼けを背に略帽の影は濃く。瞳孔が開いたような浮世離れした瞳で――私を睨み付ける。
「――ふふ、ふふふふ、ひひひひひ……!」
聞きたくもない加藤の引き攣った笑い声が、暮れ泥む狭山湖に響き渡る。耳障りな嬌笑に思わず身体が引き攣り、右手が自然と『髭切』の柄を求めた。
「『そうだ、そうだ! 死んだんだ、死んだんだよ! ひひひひ――! だがなぁ、黒き御方のご厚意により――、我々は今もあり続けられる。過去を亡き者にしようとした貴様を! 日本を! 米国を! 許しはせんぞ!』」
念話――!
霊的分離不能石を使っている様子はないのに、耳と脳内の両方に奴の声が溢れる。加藤の声に上乗せするように、男でも女でもない……独特の声が混じり合う。そして、ゆっくりと両手を大きく天に掲げ、加藤は轟くほどの大声で叫んだ。
「『我々のこの恨み、晴らさでおくべきかッ――!』」
咆哮――!
而して異変。
突然加藤の身体の彼方此方から、ブスブスと音を立てながら黒い瘴気が溢れ始めた。復員服を舐め回すように小さな紫色の稲光が走り、瘴気の下からタールのように黒々とした固形――岩石のようでもあり、鎧のようでもあり――得体の知れぬ塊が加藤の身体に付着し始めた。
嗚呼――、やはり。
大尉は死んでいたのだ。
大尉は怪異に変化してしまったのだ。
分かってはいたが――、唇を噛みしめるしかない。
『――ウラベッ! 上だッ!』
突然、バーナードの念話が脳内に響き渡った。
ハッと空を見上げると、空を音もなく飛んでいた黒い鳥たちが、私達に向かって円を描きながら滑り落ちてくるのが見えた。
赤い夕暮れ空に散らばる、幾十もの黒い点。
見る見るうちに大きくなっていく。グェグェと低音の喉声を鳴らす様は、確かに自然一般の鳥そのものである。しかし、その躯は――巨大な嘴を持った鶴の如く、目は灯火のように赤く爛爛と輝いている。
『――あれも怪異なのか!』
『……来るぜ!』
『て、敵性怪異反応です! 上空から大量に接近! 迎撃してください!』
『キャサリンは分析開始! 各員、射撃開始!』
戦いの火蓋は短兵急に落とされた。
狙撃銃の号砲を皮切りに、私の後ろにいる隊長やデービッド、――おそらくマイクも、銃口を天高く掲げて銃火を浴びせ始めた。
高音低音入り乱れ、まったくバラバラな銃声が幾重にも重なり、長閑な狭山湖の空に響き渡る。
雷鳴、気の抜けた消音器付拳銃、騎兵銃の銃声が響き渡る中、甲高く割れるような銃声が遠くから耳に届いた。
――見ると、反対側のほとりにも怪異が何匹も降下しているのが見えた。遠くから響く不規則な銃声。彼らも怪異に向かって発砲しているのだろう。
『くそッ――! キリがない』
バーナードから零れる現実。
彼の銃弾は相変わらず的確に怪異に吸い込まれる。命中した怪異は「ギャア」と人間のような悲鳴を上げながら墜ちていく。鳥の狩猟と大して変わらないが――数が違う。
百発百中を体現する精華のボトルネックは――装填。装弾数5発、発射速度はどんなに早くても4秒に1発程度。そこに装填の時間が加わると如何に慣れた彼であろうと――。
「『……こっちだ化け物共ッ! かかってきやがれ!』」
見かねてかクラウディアが蛮声をはり上げ、手で威嚇しながら我々から距離を取り始めた。空から舞い降りる怪異達は、ぐるりぐるりと円を描く様に滑空しながら近づいてくる。その一角が――彼女に向かい始めた。
「『クラウディア! 危険です! 隊長達のカバーに入って!』」
「『うるせぇデービッド! あんな鈍間なアホウドリ、ぶん殴って昇天させた方が早ぇぜ! ……こっちに来やがれ、クソッタレ共!』」
罵声を浴びせ挑発するその様は「匹夫の勇」ではないだろうが、――いくらなんでも無謀だ。
さながら戦場の如く、銃火の中に私はいる。弾丸と怒号が飛び交い、神聖化弾頭が砕け、光環がパチパチと黄昏空に瞬く。今、私に銃は無いが――遠距離でも通じるこれがある。
仲間を傷つけさせはしない。
俄に念じ、眼に力を込める。
捻れ、爆ぜ、砕け――。
『……散れッ!』
クラウディアに向かって猛然と滑り降りてくる一匹を睨み付ける。
俄に嗄れ声を上げたと思うと、まさしく断末魔の叫び声を夕空に響かせながら鳥型怪異が砕け散った。パッと爆ぜた黒い羽根がハラハラと風に舞う。次の標的を――と、視線を流した時。耳障りな嬌笑が再び響き渡った。
「『――はははは! 貴様はやはり我々を見殺しにするのだッ!』」
その声に加藤を振り返ると、――俄に背筋が寒くなった。
加藤の躯の半分以上、顔の右半分から右肩、左の腰、左足のつま先まで、びっしりと黒い固形物が纏わり付いている。気色悪い黒褐色の鎧――、とでも言えばいいのだろうか。
右手には、黒い固形物で形作られた禍々しい日本刀が握られ、その切っ先は私に向けられていた……。
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