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第6章 人知れず未来を願う
16-8 inspector(太歳)――狭山湖
しおりを挟む『――しっかりして。私の知っている貴男なら、そんな怪異に誑かされたりなんかしないはずよ』
急に引き戻される感覚が脳髄を揺らした。天地開闢――視界が明瞭になり、聞こえなかった声達が突然耳に雪崩れ込んできた。
『ウラベ――! しっかりしろ!』
『立って! 逃げてください!』
「『ウラベッ!』」
頭を聾する鬼気迫る声達が、戦火の中にいる現実を引き寄せる。視覚が、嗅覚が、痛覚が、一気に私という身体に蘇る。
あぁ、地べたに這う必要なんて無い。
立たねば!
目の前に転がる『髭切』を乱暴に掴み取り、即座に後ろに飛び退いた。首を振って気を張ると、眼前には夕映えを浴びながら眉間を歪ませる加藤が。赤い夕空には遊弋する陰摩羅鬼が。視界の左右には銃撃と打撃、斬撃を以て怪異を討つ仲間達が。
頭の中にはヒノエの声が。
「『……おのれ、今一歩の所を』」
『残念だったわね元大尉。死んで二階級特進が出来なかったのが、そんなに悔しい?』
ヒノエの無慈悲な煽りに、加藤が苦虫を噛み潰したように顔が歪む。彼我距離3米ほどで……互いの視線が混じり合う。
『ヒノエさん――今どこに?』
『……そこにはいないわ。急だったけど、立川基地からキャサリンの力を借りて現場を見ているの。私が送れるのは声だけだけど、しっかり支援させて貰うわ。ありがとうね、キャサリン』
『――は、はい。何でも言ってください!』
『ヒヒヒヒ! 緊張してヤンノ!』
上擦った可愛らしい声、間抜けなグレムリンの合いの手が戦場の空気を僅かに弛緩させる。左右に首を振り状況を見渡せば――隊長やデービッド、クラウディアが一騎当千の大立ち回りをしているのが見えた。
猛烈な拳骨で消し飛ぶ陰摩羅鬼の頭。間合いを取りながら消音器付拳銃とナイフで器用に陰摩羅鬼の胴体を撃ち、鋭い切っ先で貫いていくデービッド。衣服が焦げながらも陰摩羅鬼の首ごと掴み、堰堤下にぶん投げている仁王。
――この陰摩羅鬼達は私の――。
『それは嘘よ』
私が意識を言葉にする前に、ぴしゃりとヒノエが遮った。
『陰摩羅鬼は確かに死者の気より生ずる怪異だけど、――同胞達は嘘ね。私には見えるわ。そこにいる陰摩羅鬼達に、加藤の言うような同胞の無念は感じられないわ』
『……それじゃ、こいつらは?』
『怪異が怪異を従えるのはよくあること。大方、ソイツが使役しているただの木っ端妖怪よ。……態々貴男にそう思わせるためだけに、選別したんでしょうね』
加藤の顔が露骨に怒りに染まる。
歯を剥き出しに、眉は釣り上がる。
しかし――何も言わない。
怒りの無言は事実の肯定。
「『……どうして、そんなこと』」
切っ先を加藤の顔面に向けながら呟きが漏れる。
『合一したいから、よ』
『合一?』
『――太歳の因子』
そこまで言った所で、急に隊長が話に割り込んできた。
『ヒノエさん。協力に感謝するが、端的に奴の状況を説明して貰えると助かる』
泣く子も黙る阿修羅の懇願。
『――そうね、ごめんなさい。奴が何故動いているかは厳密には読めないけれど……、確実なのは太歳の因子が混じっていること』
『あの化け物の因子、ですか?』
『――そう。卜部さん、貴方が見た「太歳」はね、個体じゃないの。大いなる大地、深き深海、人の眼の届かぬ深い闇を揺蕩い蛇行する「陰なる龍脈」の大河。怪異と念が蠢く――爆弾のようなもの』
「『……ッ!』」
隊長が声にならぬ驚きを漏らしたようだが、ヒノエは淀みなく答える。
『普段の「太歳」は陰の気を以て地上の人間に様々な悪影響を与える。でも周期的に、――それも極稀だけど地表に表出する時がある。「太歳」はね、見られる事で強烈に発現する怪異なの。直にその躯を見てしまった者は、陰の気を浴びるだけじゃなく、因果を歪められ運命を弄ばれる――呪われた因子を撒き散らしてしまうのよ』
見た者の一族郎党は死に絶える太歳の伝説。
私の愛する家族が死んだのも、消された戦友達も……そうなのだろうか。
『でもね――、因子の働きはそれで終わりじゃないの』
ヒノエの声色が静かに沈潜する。
『因子を刻まれた者が死を迎えたら、魂は地に帰り「太歳」という大河に戻る。これは因子同士が引かれあい、一つの塊に戻ろうとするからと考えられているわ。――死から逃れられたとしても、因子は引かれあう。今を生きている貴男とその男は……』
いずれ交叉する運命だった。
いや――、違う。
本当なら奴が死んで終わるはずだった。
だが、この男は言った。
「『――黒き御方とは、誰だ?』」
耳を劈く陰摩羅鬼の叫喚、クラウディアの蛮声、響き続ける狙撃銃の号砲――。その中で切っ先をゆっくりと焦らす。夕映えを浴びてキラリと輝く白刃は、頼もしく奴の黒刀を睨み付ける。
しかし、不遜で気色悪い引き攣った笑みが、臆することなく言葉を漏らした。
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