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第1章 左遷と「雇用を守る」嘘
統合資料
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会議スペースの隣にある小会議室に通されると、吉岡はドアを閉め、内側から鍵までかけた。そこまでされると、もう“資料”ではない。告白に近い。
「……すみません。こうでもしないと、落ち着いて説明できないんです」
「落ち着いて“切る話”をするために?」
皮肉のつもりはなかったのに、声が鋭くなる。吉岡は苦く笑い、封筒から数枚の紙を取り出して机に並べた。タイトル行だけが、やけに整っている。
『統合後 人員最適化/配置転換運用(標準)』
標準。そこで、胸の奥がきゅっと縮む。
私はページをめくる。箇条書きの数字が、淡々と並ぶ。対象者の条件、打診の手順、承認フロー。よく出来た文章だ。よく出来すぎている。人間の声が一切ない。そして、三枚目で手が止まった。
『勤務地変更:片道3時間以上(目安)/通知から変更まで2週間』
“目安”と書かれているくせに、別紙には具体例まで添付されている。「A市→本社」「B工場→C支店」――地図を開かなくても、通勤が生活を壊す距離だとわかる。しかも期限が二週間。保育園の手続きも、親の介護も、家のローンも、その時間では動かない。
「これ……」
喉が乾いた。私は続きを読む。最も冷たい一文は、最後の注記だった。
『本人都合による退職となるよう誘導。退職勧奨は行わない表現を徹底』
誘導。退職勧奨はしない。けれど、辞めざるを得ない状況は作る。“雇用を守るための統合”という看板の下で、生活を切る刃だけが研がれている。
「雇用を、守る……?」
自分の声が、笑っているみたいに聞こえて嫌だった。吉岡は視線を落とし、拳を膝の上で握る。爪が食い込む白さだ。
「本社からは『現場の希望を吸い上げろ』って言われるんです。でも……」
「でも、最初から答えは決まってる」
私が言うと、吉岡は小さくうなずいた。
ページの右肩に、朱色の小さな印が押されていた。
『統合PJ 標準テンプレ(改訂3)』
改訂。つまり一度じゃない。誰かがこれを使い、誰かが辞め、誰かの生活が壊れて、なお改善ではなく改訂が重ねられてきた。
胸の奥が、あの日の蛍光灯に繋がる。正しさで人が壊れた夜。私は守るために条項を作った。けれど、これは守るための条項じゃない。守るという言葉を盾に、刃を隠す文章だ。
「この資料、社長は知らないんですか」
吉岡は首を横に振る。
「社長は……現場を守りたい人です。だからこそ、揉めます」
“守りたい人”。その言い方が、妙に胸に残った。守りたい人ほど、こういう資料を見たら燃える。燃えて、潰される。
私は紙を揃え、封筒に戻しかけて、手を止めた。このまま見なかったことにできる。火消し屋としては、その方が楽だ。でも――楽な方は、いつも誰かを切る。
「吉岡さん。これ、誰が作りました?」
質問した瞬間、吉岡の顔が、ほんの少し青ざめた。答えが出る前に、会議室の外で足音が止まり、ドアノブが静かに回った。
鍵が、がちゃりと鳴った。
「……すみません。こうでもしないと、落ち着いて説明できないんです」
「落ち着いて“切る話”をするために?」
皮肉のつもりはなかったのに、声が鋭くなる。吉岡は苦く笑い、封筒から数枚の紙を取り出して机に並べた。タイトル行だけが、やけに整っている。
『統合後 人員最適化/配置転換運用(標準)』
標準。そこで、胸の奥がきゅっと縮む。
私はページをめくる。箇条書きの数字が、淡々と並ぶ。対象者の条件、打診の手順、承認フロー。よく出来た文章だ。よく出来すぎている。人間の声が一切ない。そして、三枚目で手が止まった。
『勤務地変更:片道3時間以上(目安)/通知から変更まで2週間』
“目安”と書かれているくせに、別紙には具体例まで添付されている。「A市→本社」「B工場→C支店」――地図を開かなくても、通勤が生活を壊す距離だとわかる。しかも期限が二週間。保育園の手続きも、親の介護も、家のローンも、その時間では動かない。
「これ……」
喉が乾いた。私は続きを読む。最も冷たい一文は、最後の注記だった。
『本人都合による退職となるよう誘導。退職勧奨は行わない表現を徹底』
誘導。退職勧奨はしない。けれど、辞めざるを得ない状況は作る。“雇用を守るための統合”という看板の下で、生活を切る刃だけが研がれている。
「雇用を、守る……?」
自分の声が、笑っているみたいに聞こえて嫌だった。吉岡は視線を落とし、拳を膝の上で握る。爪が食い込む白さだ。
「本社からは『現場の希望を吸い上げろ』って言われるんです。でも……」
「でも、最初から答えは決まってる」
私が言うと、吉岡は小さくうなずいた。
ページの右肩に、朱色の小さな印が押されていた。
『統合PJ 標準テンプレ(改訂3)』
改訂。つまり一度じゃない。誰かがこれを使い、誰かが辞め、誰かの生活が壊れて、なお改善ではなく改訂が重ねられてきた。
胸の奥が、あの日の蛍光灯に繋がる。正しさで人が壊れた夜。私は守るために条項を作った。けれど、これは守るための条項じゃない。守るという言葉を盾に、刃を隠す文章だ。
「この資料、社長は知らないんですか」
吉岡は首を横に振る。
「社長は……現場を守りたい人です。だからこそ、揉めます」
“守りたい人”。その言い方が、妙に胸に残った。守りたい人ほど、こういう資料を見たら燃える。燃えて、潰される。
私は紙を揃え、封筒に戻しかけて、手を止めた。このまま見なかったことにできる。火消し屋としては、その方が楽だ。でも――楽な方は、いつも誰かを切る。
「吉岡さん。これ、誰が作りました?」
質問した瞬間、吉岡の顔が、ほんの少し青ざめた。答えが出る前に、会議室の外で足音が止まり、ドアノブが静かに回った。
鍵が、がちゃりと鳴った。
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