恋愛禁止条項の火消し屋は、子会社社長を守る側に立つ

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第4章 チャット切り貼り:主人公が“共犯”にされる

信頼の契約

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夜の駐車場は、昼の敵意が嘘みたいに静かだった。白い外灯がアスファルトを冷たく照らし、車の陰が長く伸びる。遠くで誰かのドアが閉まる音がして、それきり。

社長はエントランスの柱にもたれて待っていた。コートの襟を立て、ネクタイは緩んでいる。怒りで燃えていた目が、今は疲れで乾いている。私が近づくと、社長は一言も言わずに歩き出した。言葉は燃料になる。だから、今夜は言葉を節約している。

「……来たか」

車の横で、やっとそれだけ言った。

「来ました」

私は鞄を抱え直し、息を整える。今日一日、切り貼りされない言葉を選び続けた喉が痛い。

社長が後部座席のドアを開けた。

「後ろに乗れ」
「助手席じゃないんですか」
「助手席は——噂になる」

即答だった。悔しいくらい正しい。

私は頷き、後部座席に滑り込んだ。ドアが閉まる。音が大きい。逃げ道が消える音。社長は運転席に乗り込み、エンジンをかけた。暖房の風が少し遅れて流れ、凍っていた指先が痛む。

車はゆっくり動き出し、会社の明かりがミラーの中で小さくなる。沈黙が長い。沈黙の方が安全なのに、沈黙が不安でもある。

「……担当、外されたのか」

社長が前を見たまま言った。声が低い。

「形式上は、まだ」

私は答えた。

「でも、16:45付って言いました。人事通達の下書きも見せた」
「くそ」

社長が短く吐き捨てる。

「怒っても、火が増えるだけです」

言った瞬間、自分の言い方が冷たくて、胸が少し痛んだ。社長は返さない。代わりに、ウインカーの音だけが車内に規則正しく響く。

しばらく走って、社長は人のいない河川敷の脇道に車を寄せて止めた。エンジンは切らない。

「ここなら、聞かれない」

そう言うと、社長は初めて私を見た。

「……17:00」

その数字だけで、全身が緊張する。告発者の自動送信。

「止められる?」

社長の問いは、命令じゃない。頼みでもない。確認だ。覚悟の確認。

私は鞄から、受領印の押された控えを出し、膝の上に置いた。朱がまだ少し濃い。

「止めるかどうかは、私じゃなくて告発者です」
「……じゃあ、お前は何をする」
「“原本で勝てる形”を作る」

私は言い切った。

社長が鼻で笑う。

「間に合うのか」
「間に合わせる」

言ってから、息を吐く。息を吐かないと、震えが声に混ざる。

社長がハンドルから手を離し、両手を膝に置いた。

「福本」

名前を呼ばれる。心臓が一拍だけ跳ねる。条項の警報が鳴る。私は熱を押し込み、平らに返す。

「はい」
「お前、今日、俺を止めたな」
「止めました」
「ありがとな……って言うと、また燃えるか」

社長が苦く笑う。その笑いに、昼間の敵意と違う疲労が混ざっていて、胸の奥が少しだけ熱くなる。——恋じゃない。錯覚だ。守り合いの錯覚。

「燃えます」

私は淡々と言った。

「でも、必要なら言ってください。言葉がなくなると、人は折れます」

自分で言って、自分の喉が痛む。今日、新人が壊れかけたのを思い出した。

社長が小さく息を吐き、前を見たまま言った。

「じゃあ言う。お前を——外させない」

強引な守りの言葉。盾の言葉。その瞬間、私は背筋が冷えた。盾は、私を守る代わりに私を“社長の側”に固定する。切り貼りが喜ぶ。

「外させない、は駄目です」

私は即答した。

「……なんだと」

社長の声に、怒りが少し混じる。

「外させない、は“あなたが守る”です」

私は言葉を整える。条件を残すために。

「必要なのは、“手続きが守る”です。あなたが盾になると、私はただの噂になります」

社長が黙った。沈黙が、車内に落ちる。エンジンの振動だけが、二人の間を埋める。

「……じゃあ、どうする」

社長が低く言った。問いが、ようやくこちらを向く。敵意じゃない問い。協力の問い。

私は控えの紙を一枚めくり、ペンを取り出した。

「契約しましょう」
「契約?」
「信頼の契約」

言った途端、言葉の温度が少し上がってしまう。私はすぐに言い直す。

「——業務上の、です」

社長が目を細くする。

「どういう内容だ」

私はペン先で、箇条書きを作る。

「一つ。社長は“単独行動しない”。現場で動くときは、必ず吉岡か班長を同席させる。証人を作る」
「……噂対策か」
「噂対策です。噂は、孤立した瞬間に刺さります」

「二つ。私と社長は、二人きりで会わない」

社長の眉が動く。私の胸の奥も、わずかに疼く。そこを無視して続ける。

「会うなら、場所と目的を文書に残す。会議招集でもいい。ログにする」
「……不便だな」
「不便でいいんです。不便は原本になります」

「三つ。私が“全文”を出すと決めたものは、社長も口を出さない」
「口を出すな?」
「編集されるからです。あなたが焦って言葉を足した瞬間、その一言だけが切られる」

社長が唇を噛む。分かっている顔だ。分かっていても我慢が難しい顔。

「四つ」

私は一拍置いた。

「私が折れそうなら、社長は“前に出ない”代わりに、“受領印を取らせる”。書面で守る」

社長が、ゆっくり頷く。

最後に、私はペン先を止めた。

「そして——五つ」

言うか迷う。迷ったら切り取られる。だから、条件を付けて言う。

「もし私が外されたら、社長は“私の名前”を使って戦わない」

社長が目を上げた。

「どういう意味だ」
「『福本が言ってた』『福本がやってた』は、私を燃やすだけです」

私は息を吸って続ける。

「戦うなら、社長自身の手続きで。社長名で。私は原本の裏方に回る」

社長が、低く笑った。

「……お前、ほんとに変な女だな」
「仕事です」

いつもの返し。でも今日は、少しだけ震えた。震えたのは寒さのせいにした。

社長が手を伸ばし、私の膝の上の紙を取ろうとする。私は反射で引っ込めかけて、止めた。引っ込めたら“隠した”になる。社長は紙を見て、言った。

「署名は?」
「署名はしません」
「じゃあこれは何だ」
「合意です」

私は言った。

「口約束じゃなくて、合意。あなたが破ったら、私が止めます」

社長は少しだけ黙ってから、紙をダッシュボードに置いた。そして、驚くほど静かに言った。

「分かった。……守る」

短い。強い。でも今日は、続きが付いた。

「守るってのは、前に出ることじゃない。——お前の手続きを守るってことだな」

その言い方が、胸の奥の熱を少しだけ正しい場所に戻した。恋じゃない。信頼だ。契約だ。

私は頷いた。

「はい。契約です」

そして、最も大事な条件を置く。切り貼りされないために。

「守る側に立つ“なら”、私たちは同じ側です」

社長は、今度は笑わなかった。ただ、ゆっくり頷いた。

その瞬間、私のスマホが震えた。告発者から。

【17:00までに“原本”が出るなら止める。出ないなら送る。今どこ?】

時計を見る。23:18。夜はまだ長い。でも、猶予は長くない。

私は返信の画面を開き、短く打った。

【出す。原本で。】

送信ボタンを押す指が、少しだけ震えた。社長が前を見たまま、低く言う。

「行こう」
「どこへ」
「原本を作る場所へ」

車が動き出す。外灯の白が流れ、窓の外の夜が、少しだけ味方に見えた。
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