恋愛禁止条項の火消し屋は、子会社社長を守る側に立つ

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第6章 第二波:告発者を完全に潰す「手続きの暴力」

上司の最終通告

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最終通告は、紙じゃなく“声”で来た。昼休みの終わり、内線。直属の上司——統合PJの統括課長、神谷。

『福本、今すぐ来い。——一人で』

“一人で”が、もう最終通告の形だった。私は受話器を置かずに言った。

「同席者を付けます。総務の吉岡さん」
『要らない。話がややこしくなる』
「ややこしくなるのは、切り貼りができなくなるからです」

一拍。受話器の向こうで、神谷が息を呑むのが分かった。

『……勝手にしろ。15分だけだ』

課長室は、いつもより片づけられていた。机の上に余計なものがない。“言い逃れがしやすい部屋”だ。

神谷は窓際に立っていた。佐伯と同じ配置。でも違うのは、神谷の手が少し震えていることだ。怖いのは私だけじゃない。恐怖が役職の皮を薄くしている。

吉岡が同席席に座り、ノートを開いた。私は立ったまま、先に仕様を置く。

「録音の有無、議事録の作成者、保存者、提供条件」

神谷の顔が歪む。
「……ここは委員会じゃない」
「委員会じゃないからこそ残します」

私は平らに言った。

「口頭は、燃やされる」

神谷は舌打ちを飲み込み、机の引き出しから紙を出した。見出しだけが太い。

【最終通告】

——嫌な言葉だ。人を“物”として扱う言葉。

神谷は紙を私の前に置かず、手元で押さえたまま言った。

「福本。これ以上、会社を混乱させるな」
「混乱させたのは配布線です」

反射で返しそうになって、止めた。ここは言葉の殴り合いじゃない。穴を使う場だ。

私は一歩だけ引き、静かに言った。

「何の通告ですか。内容を文書で」

神谷が目を逸らし、言った。

「選べ」

声が硬い。

「一つ。内部通報の申立を取り下げる。第三者調査への協力も停止。——統合PJからは外すが、処分は見送る」
「二つ。希望退職扱いで退職。退職金は上乗せする」
「三つ。地方の関連会社へ異動。今日中に同意書に署名」

——今日中。一番危ない期限。最終通告の正体は、手続きではなく“焦り”だ。

吉岡が、ペンを止めずに書く音を立てた。私は神谷を見ず、紙の見出しを見たまま言った。

「それ、不利益取扱いに当たります」

神谷が顔を上げた。

「何だと」
「内部通報規程」

私は短く言った。

「通報に関連する調査が完了するまで、懲戒手続は原則停止。不利益取扱い禁止。——今の三択は、全部“不利益”です」

神谷の喉が動く。

「規程を盾にするな」
「盾に戻してるだけです」

私は言った。

「盾を武器にしたのは、そっちです」

神谷は、机の上を指で叩いた。

「福本。お前は分かってない。上が決めたんだ」

上。佐伯だ。法務だ。監査だ。“上”という言葉で、責任の所在を霧にする。

私は霧を、時刻で切る。

「この通告は、いつ、誰が決めましたか」
「……今朝だ」
「誰が」

神谷は目を逸らしたまま言う。

「本社人事。法務。……俺も同席した」

“同席した”。その一言が、規程の穴をさらに広げる。利害関係者の排除。働きかけ。委員長忌避。神谷も、線の上に乗った。

私は声を落とした。怒りを落とした。その方が相手の良心が顔を出す。

「神谷課長。これを口頭で迫る“なら”、あなたも手続き違反側になります」

神谷の肩が小さく揺れる。彼は善人じゃない。けれど、完全な悪でもない。こういう人は、“最後の通告役”にされやすい。

神谷が、絞り出すように言った。

「……俺だって、やりたくない」

その声に混じるのは、保身だけじゃない。恐怖だ。“会社が燃える恐怖”と、“自分が火種にされる恐怖”。

私はそこで初めて、神谷を見た。真正面からではなく、視線を少し落として。対決じゃなく、合意の角度で。

「やりたくないなら、やらないでください」

神谷が笑いそうになって笑えず、口元が歪む。

「そんなの、できるわけないだろ」
「できます」

私は言った。

「文書にしてください。決裁者名、根拠規程、適用範囲、期限設定の理由。——出せないなら、出せないことを議事録に」

吉岡がすぐに補助で入る。

「本件は内部通報規程に基づく申立中です。通報者への不利益取扱いに該当しうる通告は、コンプラ窓口の受領後に再検討が必要です」

“受領後”。受領時刻。私が昨日、封筒に空けておいた欄だ。

神谷の顔色が変わる。

「……もう出したのか」

吉岡が頷く。

「本日朝一で提出予定です。受領時刻を取ります」

神谷は、最終通告の紙を握りしめた。紙が皺になる音が、部屋の静けさに刺さる。そして、最悪の言葉を出した。

「じゃあ、お前は——社長の女か」

恋愛禁止条項。牙が、神谷の口から出た。彼自身の言葉じゃない。誰かの台詞だ。配布された台詞。

胸の奥が一瞬だけ冷たくなる。でも私は、そこへ乗らない。乗った瞬間、論点が変わるから。

「その質問は、手続きの逃げです」

私は淡々と言った。

「今ここで確認すべきは、配布線と働きかけと証拠保全です。恋愛は関係ありません」

神谷が、机の上に紙を叩きつける。

「綺麗ごとを言うな! 現場はお前のせいで——」

言いかけて止まる。止まったのは、神谷の中に残っている“現場”が、嘘を許さないからだ。

私は息を一つだけ入れ、最後の線を引いた。切り貼りできない、短い線。

「取り下げません。退職しません。今日中の署名はしません」

そして条件を置く。

「ただし、規程に基づく適正手続きで来るなら協力します。第三者調査、証拠保全、文書での事実認定。——それなら、逃げません」

神谷の目が揺れた。彼は私を落としたいわけじゃない。落とすしかない場所に追い込まれている。

「……福本」

声が落ちる。

「このままだと、お前は会社にいられなくなる」

“いられなくなる”は脅しにも聞こえる。でも今は、忠告でもある。彼なりの最後の保身と、最後の情。

私は、頷かなかった。代わりに言った。

「いられなくなる“なら”、それは会社が規程を破った結果です」
「……」
「私は、規程どおりに動きます」

吉岡がノートを閉じ、静かに立った。

「本日の面談は以上です。議事メモは保全し、必要に応じてコンプラ窓口へ提出します」

神谷が反射で言う。

「勝手に出すな」

私はドアノブに手をかけたまま、振り返らず言った。

「勝手じゃありません。規程です」

ドアを閉めた瞬間、廊下の空気が冷たい。でも足は止まらなかった。最終通告は、最終じゃない。“最終”と呼ばないと効かないほど、相手が追い詰められているだけだ。

私はポケットの中で、封筒の角を確かめた。明朝、受領時刻を取る。規程の穴を、現実にする。

そして——神谷の震える手を、私は忘れない。次に本社が動くとき、あの手はまた“誰かの台詞”を握らされる。だからこそ、先に台詞の配布線を折る。
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