恋愛禁止条項の火消し屋は、子会社社長を守る側に立つ

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第7章 決戦前夜:不正採用(縁故)が繋がる

過去トラウマで刺される

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新人の「正当理由なし」周知が出た、その日の夕方。刺し方は、もっと静かだった。

社内ポータルじゃない。チャットでもない。人事の“個別面談”という形で来た。

件名は柔らかい。

【面談のお願い】メンタルケアに関する確認(任意)
日時:18:30
場所:本社 健康管理室
同席:不可(守秘のため)
備考:診断書の提出を推奨/必要に応じて休職の検討

——守秘のため、同席不可。同じ台詞。同じ構造。過去の私が折れた場所と、まったく同じ入口。

健康管理室の前は、妙に明るい。白い壁、白い床、白い蛍光灯。“善意”の色で、人を黙らせる場所だ。

私は一人で行かなかった。同席はできない。なら、同席じゃない形で同行させる。

吉岡は廊下のベンチに座り、時刻だけを取る。情シス担当は遠くから、入室・退室のログ(受付票の番号)を撮る。私は入る前に、メモに一行だけ書いた。

「健康管理室:任意面談。目的・記録者・保管先の確認」

ドアを開けると、産業医ではなく“人事の担当”がいた。白衣じゃない。スーツ。でも机の上には、健康管理室のロゴ入り用紙。——借りている。場所を。

「福本さん、お疲れさまです」

担当は笑う。笑うほど危険。

「最近、過呼吸が出たと聞きました。体調、大丈夫ですか」

聞きました。どこから。新人の崩壊寸前の場を“情報”に変えたのは誰だ。

私は椅子に座らず、確認だけを置いた。

「この面談の目的、記録者、記録の保管先、開示範囲を教えてください」

担当の笑みが、わずかに薄くなる。

「福本さん、そんな構えなくても。善意です」

善意。来た。社長が言っていた“善意の顔”。

「善意なら、文書で残せます」

私は淡々と言った。

「目的と保管先を」

担当は、机の引き出しから紙を出した。今度は“問診票”に似たフォーマット。でも項目が違う。

・過去のメンタル不調歴
・服薬歴
・休職歴
・受診先(病院名)
・家族構成
・相談した相手(社内)

——健康管理じゃない。情報の回収だ。

胸の奥が、冷たく鳴った。過去の私が折れたのは、これだ。“病気”にされて、発言の価値を落とされた。

担当が、さらに柔らかく言う。

「正直に書いてください。書いてくれれば、会社として守れます」

守れます。また“守る”の言葉を、首輪に使う。

私は一拍置いて、言った。

「書きません」

担当の眉が動く。

「協力的ではない、と判断されますよ」

——来た。見なされる。協力拒否。全部、同じ刃の形。

私は、過去の自分ができなかった順番で返した。感情じゃなく、仕様で。

「任意面談ですよね」
「ええ」
「任意なら、記入は任意です」

私は言った。

「この紙は“健康管理”ではなく“不利益取扱いの材料”になり得る。だから、目的・保管先・開示範囲の文書提示が先です」

担当が、少し声を落とす。

「福本さん。今、社外にも出ています。あなたが危ないんです」

危ない。あなたのため。会社のため。

そして、最後の一撃が来た。担当は、何気ない雑談みたいに言った。

「前の会社でも、似たことがありましたよね」

その瞬間、身体が先に反応した。胃が沈む。耳が遠くなる。目の焦点が外れる。過去は、名前を呼ばれなくても起動する。

担当は追い打ちをかける。“確認”の顔で、刃を入れる。

「その時も、周りと衝突して、体調を崩して——結果、辞めた」
「……」
「今回も同じパターンになりかけている。だから“休む”選択も——」

休む。休職。引き離し。発言の失効。“消える”ルート。

私は、机の角を指で押さえた。冷たさで、現在に戻す。そして、過去と現在の一致を、言葉にせずに手続きへ落とす。

「その情報、どこから入手しましたか」

担当が一瞬止まる。止まったのが答えだ。

「人事のファイルには、必要な範囲で——」

必要。必要の名で、何でも持ち出す。

私は頷かずに言った。

「個人情報の利用目的と取得経路を、文書で提示してください」
「そんな——」
「提示できないなら、今日の面談は終了します」

私は淡々と続ける。

「なお、今の発言——『前の会社でも』という言及は、通報者への不利益取扱いに該当し得ます。第三者調査に提出します」

担当の顔から、善意が消えた。消えた瞬間、正体が見える。善意は仮面だった。

「福本さん、あなたは自分を守るために会社を危険に晒している」

危険。会社の信用。全部がそろった。

私は、そこで初めて座った。座って、紙を一枚だけ出した。自分の“手順”の紙。

【要求】面談記録の作成者・保管先・開示範囲/個人情報の利用目的・取得経路の文書提示
提出先:コンプラ窓口/第三者調査窓口(写し)
提出時刻:18:37(予定)

担当は紙を見て、言葉を失った。失う。言葉を失うのは私の役目じゃない。——相手の台本を無効化した側が、言葉を失わせる。

私は立ち上がった。

「この面談は任意。記入も任意。——そして、同席不可を理由に“過去”を刺した。その事実が原本です」

ドアを開けると、廊下のベンチに吉岡がいた。私の顔を見る前に、吉岡は時刻を言う。

「18:39」

それだけで、私は息を入れ直せた。過去に引きずられた時間が、“今”のログに戻る。

「……刺された」

私が小さく言うと、吉岡は頷いた。

「刺された。だから残せた」

情シス担当が、受付票の番号をメモしていた。

「入室18:30、退室18:39。受付番号、撮れました」

私は頷く。

過去トラウマは、痛い。痛いまま残る。でも今回は、痛みが“沈黙”を生まなかった。

私は総務奥へ戻り、コンプラ窓口宛の封筒に一枚差し込んだ。内容は短い。切り貼りできない形で。

健康管理室を用いた任意面談で、過去の職歴・体調歴を根拠に“休職誘導”がなされた疑い。
記録・保管・開示範囲、個人情報取得経路の文書提示を求める。

封をした瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなる。過去は消えない。でも、過去を刺しに来た刃は——今の手続きで折れる。

そして私は知る。相手はもう、仕事の正しさでは勝てない。だから“私の過去”で勝とうとする。

なら、次も同じだ。過去を持ち出した瞬間、原本にする。善意の顔で刺された傷ほど、記録の価値が高いから。
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