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8.突然の別れ
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真由子が台所に入った時、ちょうど雪江は水屋から、皿を取り出そうとしていたところだった。
「誰からの電話なの?」
雪江はいつも通りの穏やかな声で聞いたが、真由子が思い詰めたような顔をしているのに気がつくと、雪江の表情から笑顔が消えた。
「真由ちゃん、いったい何があったの? 何の電話なの? 誰から?」
雪江の声は思いのほか大きく、強い口調だった。真由子は一瞬、びくりとした。
「あの……あのね、靖之兄さんの大学のお友だちの、スギムラショウタさんっていう人からの電話なの。それで……お母さんか誰かおとなの人に電話を代わってくださいって……靖之兄さんが、大変なことになったって」
真由子がそう言った途端、雪江の手から二枚の皿がすべり落ちた。皿は場違いなほど大きな音をたて、その音はわけもなく真由子をぞっとさせた。
「お母さん、お皿が……」
真由子が言い終わらないうちに、雪江は電話のある部屋まで走って行った。後から後から電話が入り、雪江はその対応に追われた。いつのまにか兄の俊之も、姉の稚子も家にやってきた。俊之は大学の研究室からまっすぐに来て、稚子も小さな子どもを姑に預けてやって来た。二人ともまるで真由子が目に入らないように、雪江のそばに駆け寄った。
三人の言葉の中から「カツラク」「ビョウイン」「イシキフメイ」という言葉が聞こえた。子どもの真由子も、会話を聞いているうちに、次第に靖之の状態がただごとではないことに気がついた。そして何度目かの電話が、ついに靖之が亡くなったと告げたのだった。
真っ先に、稚子の泣き声が聞こえた。まるで子どものような手放しの泣き方だった。俊之は、背中を向けてじっと立ち尽くしていた。そして雪江は受話器を持ったまま、何を見ているのかわからないような、あてどない、うつろな目をしてすわりこんでいた。
真由子はいつものように、雪江に「ねぇお母さん」と話しかけることはできなかった。
真由子はだまってルビーを抱き上げた。そして大人たちを見ていた。ルビーも家の中の異変を感じ取ったのか、じっとしている。ルビーの体はあたたかく、そのあたたかさが生きている、ということを、真由子にひしひしと感じさせた。
ルビーは生きている。お母さんも私も生きている。俊之兄さんも稚子姉さんも生きている。
けれどここにいない、靖之兄さんは違う。靖之兄さんは真由子の知らない、どこか遠くの山で事故に遭い、病院で死んでしまったのだ。家族の誰にも見守られもせずに、白く冷たい病院のベッドの上で、ただひとりきりで。
でもそれって本当のことなの? そんなことってあるの? あの元気な靖之兄さんが……
父の実之の亡くなった時は、実之も含め家族みんなの心に、まだどこか覚悟のようなものがあった。そして実之は家族に見守られながら、遠のく意識の中で子どもたちや雪江の手を握って
「俊之、おまえは長男なのだから、あとはしっかり頼む。稚子と靖之、いつまでも仲良く、元気でな。俊之の力になってくれ。真由子はお母さんを大切に。雪江には本当に苦労をかけた。すまなかった。ありがとう」とそれぞれに別れを告げた。
遺言も家族への手紙も、前もってきちんとしたためてあった。しかし靖之にそんな時間はなかった。誰にも別れの言葉も告げず、靖之は突然、たったひとりで、誰の手も届かない遠いところにいってしまった。
「誰からの電話なの?」
雪江はいつも通りの穏やかな声で聞いたが、真由子が思い詰めたような顔をしているのに気がつくと、雪江の表情から笑顔が消えた。
「真由ちゃん、いったい何があったの? 何の電話なの? 誰から?」
雪江の声は思いのほか大きく、強い口調だった。真由子は一瞬、びくりとした。
「あの……あのね、靖之兄さんの大学のお友だちの、スギムラショウタさんっていう人からの電話なの。それで……お母さんか誰かおとなの人に電話を代わってくださいって……靖之兄さんが、大変なことになったって」
真由子がそう言った途端、雪江の手から二枚の皿がすべり落ちた。皿は場違いなほど大きな音をたて、その音はわけもなく真由子をぞっとさせた。
「お母さん、お皿が……」
真由子が言い終わらないうちに、雪江は電話のある部屋まで走って行った。後から後から電話が入り、雪江はその対応に追われた。いつのまにか兄の俊之も、姉の稚子も家にやってきた。俊之は大学の研究室からまっすぐに来て、稚子も小さな子どもを姑に預けてやって来た。二人ともまるで真由子が目に入らないように、雪江のそばに駆け寄った。
三人の言葉の中から「カツラク」「ビョウイン」「イシキフメイ」という言葉が聞こえた。子どもの真由子も、会話を聞いているうちに、次第に靖之の状態がただごとではないことに気がついた。そして何度目かの電話が、ついに靖之が亡くなったと告げたのだった。
真っ先に、稚子の泣き声が聞こえた。まるで子どものような手放しの泣き方だった。俊之は、背中を向けてじっと立ち尽くしていた。そして雪江は受話器を持ったまま、何を見ているのかわからないような、あてどない、うつろな目をしてすわりこんでいた。
真由子はいつものように、雪江に「ねぇお母さん」と話しかけることはできなかった。
真由子はだまってルビーを抱き上げた。そして大人たちを見ていた。ルビーも家の中の異変を感じ取ったのか、じっとしている。ルビーの体はあたたかく、そのあたたかさが生きている、ということを、真由子にひしひしと感じさせた。
ルビーは生きている。お母さんも私も生きている。俊之兄さんも稚子姉さんも生きている。
けれどここにいない、靖之兄さんは違う。靖之兄さんは真由子の知らない、どこか遠くの山で事故に遭い、病院で死んでしまったのだ。家族の誰にも見守られもせずに、白く冷たい病院のベッドの上で、ただひとりきりで。
でもそれって本当のことなの? そんなことってあるの? あの元気な靖之兄さんが……
父の実之の亡くなった時は、実之も含め家族みんなの心に、まだどこか覚悟のようなものがあった。そして実之は家族に見守られながら、遠のく意識の中で子どもたちや雪江の手を握って
「俊之、おまえは長男なのだから、あとはしっかり頼む。稚子と靖之、いつまでも仲良く、元気でな。俊之の力になってくれ。真由子はお母さんを大切に。雪江には本当に苦労をかけた。すまなかった。ありがとう」とそれぞれに別れを告げた。
遺言も家族への手紙も、前もってきちんとしたためてあった。しかし靖之にそんな時間はなかった。誰にも別れの言葉も告げず、靖之は突然、たったひとりで、誰の手も届かない遠いところにいってしまった。
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