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25.崩れ去る日常
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王太子のエルバートは男爵令嬢と結婚をしたが、強大だった公爵家の援助がなくなった被害は大きく。貴族だけでなく市民からもレベッカを捨てたと非難され続けたのが原因かは分からないが、どうやら二人の仲は冷え切っているらしい。永遠の愛とはそんな程度だったのか。
そんな中、心労からか臥せりがちだった王が崩御し、エルバートは王になった。その隣に立っていたのはレベッカだったら、華やかで凛とした国母となっただろう。しかし隣には笑顔のない、かつての男爵令嬢だ。戴冠式の様子を公爵家の新聞で見せてもらったクライヴは何とも言えない気持ちになる。しかしクライヴの隣で微笑むレベッカは妻であり、自身の子の母親である。
子どもを産んでもなお、美しいレベッカは依然として公爵令嬢としての記憶はない。あるのはクライヴとの日々と、たまに思い出したかのように昔の心境を不思議そうに吐露するだけ。それも隠していたらしいクライヴへの想いなものだから、愛おしくて仕方がない。
世間ではレベッカは薬を飲んで記憶をなくした時期に、病死したことになっている。おかげでバートン家の領地の片隅で、レベッカと静かで幸せな日々はやがて賑やかで幸せなものになっていった。公爵たちも孫に眦が下がりっぱなしだが、その存在を公にすることはなかった。
しかし最近は王家復興派という貴族の集まりがあるらしく、彼らはレベッカの生存を確信している動きもあるという。王太子ではない男の子を産んだレベッカに今さら何を求めるというのか。それほどまでに男爵令嬢の能力が低いのかもしれないし、エルバートの力量も大したことがないのだろう。
どうか第二子を妊娠中のレベッカには何の憂いもなく、穏やかに過ごして欲しい。そう願っていたのに。
悲劇は突然訪れた。
いつからか定期的に訪れることにしている公爵家の屋敷には大きな庭がある。その日も公爵が愛する孫のために設置したブランコや、小さな畑で楽しそうに遊んでいる息子をレベッカと眺めている時のことだ。クライヴは公爵に呼ばれ、数人の護衛と侍女を残して、ほんの少しその場を離れた瞬間だった。多くの近衛騎士たちに取り囲まれ、息子を盾に取られたレベッカは身重であることから抵抗をせず、自ら王家からの馬車に乗り込んだらしい。応戦した護衛たちも公爵家の精鋭であったが数に負け、命からがら息子と屋敷へ逃げてきた侍女の話を聞いて慌てて外に出てみれば、踏み荒らされた幸せの痕があった。
「待て! 無策で突っ込むな! 強硬手段に出るくらいだ。相手は何をするか分からないぞ!」
「でも、その間にもしものことがあったら……」
馬小屋に駆けだそうとするクライヴを公爵は慌てて引き止めた。彼の言うことは尤もだが、居ても立っても居られないクライヴは今すぐ王城へと向かいたかった。
「連れ去ったくらいだから危害を加えることが目的とは思えない。一旦落ち着いて策を練ろう」
「…………」
「まずはクライヴ。お前は今すぐ私の息子になり、次期公爵になれ。そうすれば行使できる権利が増える。書類を整える間だけでも我慢するんだ」
「……分かりました」
「おとーさま……」
不安そうに見上げる幼い息子はレベッカによく似ている。次に狙われるのは息子かもしれない。彼の為にも自分がしっかりしなくては。はやる気持ちを抑えて、クライヴは公爵の後について執務室に向かった。
実は時機をみて、クライヴを次期公爵にしようと考えていたらしい。そのため準備はある程度進めていたようで、クライヴ自身は数枚の書類にサインをするだけで完了したが、現在のレベッカの籍は隣国に住む縁者の養子となっているため、その関係の書類を申請して到着を待つのみだった。じれったい時間が流れていく。
「これで私とクライヴの連盟で正式に抗議をする。王城に上がる準備を」
「はい!」
ようやく迎えに行けるようになったのは彼女がさらわれてから五日後のことだった。
* * *
久しぶりに会ったエルバートは元々細身であったのがげっそりと痩せこけていた。クライヴの一つ上で三十路にも達していないというのに、随分と老けているように見える。
「レベッカが生きていたのも驚いたが、まさかお前が娶っていたとはな。盗人猛々しいにもほどがある」
掠れた声でそう呟いたエルバートは、レベッカの側にいつもいたクライヴの存在を知っていたらしい。
「フン、好いた女に子も産ませてもう満足しただろう。返してもらうぞ」
「……っ!」
どの口が、と言いかけたのを何とか飲み込んだ。
王城に着くなり身体検査で剣を取られ、腕を後ろに括られた罪人のような姿にさせられたクライヴは屈強な騎士たちに剣を向けられていた。これはもう脅迫以外の何物でもない。レベッカの父である現公爵は王城に着くなり、別室へと連れていかれた。
「護衛の分際で生意気だったんだ。お前がレベッカを見つめる視線にも彼女がお前に向ける笑顔にも。私には表情一つ動かさないくせに。だから身分の低い女に現を抜かしていると見せかけたのに、なんの変化もなく虚しいだけだった。婚約破棄のパフォーマンスをしたときですらアッサリと身を引いたのはお前の入れ知恵か?」
「レベッカ様は陛下のお心変わりに胸を痛め、悩んでおられました……婚約が破棄された心労がたたり病床に伏したのは事実でございます」
彼女の苦悩を何も知らないくせに、自分勝手な行動でレベッカを振り回していたと知り、怒りが沸いてくる。同時にエルバートもレベッカを憎からず想っていたことを知ってしまった。今さらながら連れ去った事実に嫌な予感がする。
「ふふ、そうか。それは良いことを聞いた。礼に腹の子はレベッカに似ていれば私の子として育ててやろう。まぁ、今は争うような子もいないが、これから俺の子を産めばお前たちに返してやってもいい」
息子の顔が頭に浮かぶ。大切なレベッカとの宝。まだ見ぬ子は男か女かも分からないが、可愛くて愛おしいに決まっている。それを物のように扱うなんて。しかもレベッカを抱こうとしていることに虫唾が走る。諦めていた数年前とは違う。彼女の髪の毛の一本だって触れて欲しくない。
「止め……!」
クライヴが声を上げると一瞬にして周囲の騎士たちに緊張が走る。声を出すことすら許されないらしい。
「俺に捨てられた傷心のレベッカをお前が口車に乗せたのだろう。しかし俺は心が広いからな。お前の手垢が付いていたとしても許すぞ。それにさすがレベッカだ。何年経ってもあの美貌と気品は失われていない。それに若い頃の記憶がないのは逆に都合がいい」
うっとりと空を見つめるエルバートの脳裏にはレベッカが映っているのか。想像するだけで反吐が出る。今までの印象とは真逆に饒舌に語っているエルバートの声が遠くに聞こえていた。
「仕方なしに妃を愛そうとしたが、やはりいつもレベッカと比べてしまってな。どうでもいいことだが、それにあれは今や臣下と懇ろだ。安心しろ。俺は幼い頃からずっとレベッカしか愛していない。昔は上手く愛を口にできなかったことを、散々後悔した。これからは何度だって愛を伝えよう」
虚ろな瞳で語るエルバートは異常だ。しかし周囲の騎士に動揺は見られないからこれが彼の日常なのだろう。こんなふうに語られていてはクライヴが王の最愛を攫った悪者にされても仕方がない。
「お前らにはまだ公爵の存在が必要だな。彼を生かして返してほしくば、レベッカは諦めろ」
クライヴにとってレベッカは唯一の存在だ。しかし公爵のおかげでこれまで生活できたのも事実であり、彼がいなければ領地が危うい。そうすれば息子もどうなってしまうか分からない。
レベッカは人質でもあるのだ。公爵家を従わせるための。強く噛んだ口内から血の味がした。ここで死ぬわけにはいかない。大人しく頭を垂れたクライヴに満足したのか、漸く解放されたころには固く握り締めていた手の平からも血が滲んでいた。
同じく解放された公爵と無事合流できたものの、城内では騎士に囲まれて動けず、レベッカがどこに捕らわれているのか探ることができなかった。王太子妃教育の際に護衛で登城していた時とは城内の様相が随分と変わっていた。どう見ても使用人よりも騎士が多いからか、物々しいうえに手入れが行き届いていないのが窺える。それもエルバートの精神状態が正常ではないことを表しているようだ。けれどもそんな所から身重のレベッカを連れて帰る術を今は持っていない。
「あの様子だと、レベッカも自由はないだろうが酷い目に合ったりはしていないはずだ」
「はい……」
「私たちの行動に目を光らせているから、下手に身動きは取れない。お前もつらいが領地も心配だ。一先ず帰ろう」
「……承知しました」
娘の様子も気にかかるだろうが、領地に残した夫人と孫が心配で仕方がない公爵の気持ちも分かる。サイモンに説得され、後ろ髪をひかれる思いで王城をあとにした。
そんな中、心労からか臥せりがちだった王が崩御し、エルバートは王になった。その隣に立っていたのはレベッカだったら、華やかで凛とした国母となっただろう。しかし隣には笑顔のない、かつての男爵令嬢だ。戴冠式の様子を公爵家の新聞で見せてもらったクライヴは何とも言えない気持ちになる。しかしクライヴの隣で微笑むレベッカは妻であり、自身の子の母親である。
子どもを産んでもなお、美しいレベッカは依然として公爵令嬢としての記憶はない。あるのはクライヴとの日々と、たまに思い出したかのように昔の心境を不思議そうに吐露するだけ。それも隠していたらしいクライヴへの想いなものだから、愛おしくて仕方がない。
世間ではレベッカは薬を飲んで記憶をなくした時期に、病死したことになっている。おかげでバートン家の領地の片隅で、レベッカと静かで幸せな日々はやがて賑やかで幸せなものになっていった。公爵たちも孫に眦が下がりっぱなしだが、その存在を公にすることはなかった。
しかし最近は王家復興派という貴族の集まりがあるらしく、彼らはレベッカの生存を確信している動きもあるという。王太子ではない男の子を産んだレベッカに今さら何を求めるというのか。それほどまでに男爵令嬢の能力が低いのかもしれないし、エルバートの力量も大したことがないのだろう。
どうか第二子を妊娠中のレベッカには何の憂いもなく、穏やかに過ごして欲しい。そう願っていたのに。
悲劇は突然訪れた。
いつからか定期的に訪れることにしている公爵家の屋敷には大きな庭がある。その日も公爵が愛する孫のために設置したブランコや、小さな畑で楽しそうに遊んでいる息子をレベッカと眺めている時のことだ。クライヴは公爵に呼ばれ、数人の護衛と侍女を残して、ほんの少しその場を離れた瞬間だった。多くの近衛騎士たちに取り囲まれ、息子を盾に取られたレベッカは身重であることから抵抗をせず、自ら王家からの馬車に乗り込んだらしい。応戦した護衛たちも公爵家の精鋭であったが数に負け、命からがら息子と屋敷へ逃げてきた侍女の話を聞いて慌てて外に出てみれば、踏み荒らされた幸せの痕があった。
「待て! 無策で突っ込むな! 強硬手段に出るくらいだ。相手は何をするか分からないぞ!」
「でも、その間にもしものことがあったら……」
馬小屋に駆けだそうとするクライヴを公爵は慌てて引き止めた。彼の言うことは尤もだが、居ても立っても居られないクライヴは今すぐ王城へと向かいたかった。
「連れ去ったくらいだから危害を加えることが目的とは思えない。一旦落ち着いて策を練ろう」
「…………」
「まずはクライヴ。お前は今すぐ私の息子になり、次期公爵になれ。そうすれば行使できる権利が増える。書類を整える間だけでも我慢するんだ」
「……分かりました」
「おとーさま……」
不安そうに見上げる幼い息子はレベッカによく似ている。次に狙われるのは息子かもしれない。彼の為にも自分がしっかりしなくては。はやる気持ちを抑えて、クライヴは公爵の後について執務室に向かった。
実は時機をみて、クライヴを次期公爵にしようと考えていたらしい。そのため準備はある程度進めていたようで、クライヴ自身は数枚の書類にサインをするだけで完了したが、現在のレベッカの籍は隣国に住む縁者の養子となっているため、その関係の書類を申請して到着を待つのみだった。じれったい時間が流れていく。
「これで私とクライヴの連盟で正式に抗議をする。王城に上がる準備を」
「はい!」
ようやく迎えに行けるようになったのは彼女がさらわれてから五日後のことだった。
* * *
久しぶりに会ったエルバートは元々細身であったのがげっそりと痩せこけていた。クライヴの一つ上で三十路にも達していないというのに、随分と老けているように見える。
「レベッカが生きていたのも驚いたが、まさかお前が娶っていたとはな。盗人猛々しいにもほどがある」
掠れた声でそう呟いたエルバートは、レベッカの側にいつもいたクライヴの存在を知っていたらしい。
「フン、好いた女に子も産ませてもう満足しただろう。返してもらうぞ」
「……っ!」
どの口が、と言いかけたのを何とか飲み込んだ。
王城に着くなり身体検査で剣を取られ、腕を後ろに括られた罪人のような姿にさせられたクライヴは屈強な騎士たちに剣を向けられていた。これはもう脅迫以外の何物でもない。レベッカの父である現公爵は王城に着くなり、別室へと連れていかれた。
「護衛の分際で生意気だったんだ。お前がレベッカを見つめる視線にも彼女がお前に向ける笑顔にも。私には表情一つ動かさないくせに。だから身分の低い女に現を抜かしていると見せかけたのに、なんの変化もなく虚しいだけだった。婚約破棄のパフォーマンスをしたときですらアッサリと身を引いたのはお前の入れ知恵か?」
「レベッカ様は陛下のお心変わりに胸を痛め、悩んでおられました……婚約が破棄された心労がたたり病床に伏したのは事実でございます」
彼女の苦悩を何も知らないくせに、自分勝手な行動でレベッカを振り回していたと知り、怒りが沸いてくる。同時にエルバートもレベッカを憎からず想っていたことを知ってしまった。今さらながら連れ去った事実に嫌な予感がする。
「ふふ、そうか。それは良いことを聞いた。礼に腹の子はレベッカに似ていれば私の子として育ててやろう。まぁ、今は争うような子もいないが、これから俺の子を産めばお前たちに返してやってもいい」
息子の顔が頭に浮かぶ。大切なレベッカとの宝。まだ見ぬ子は男か女かも分からないが、可愛くて愛おしいに決まっている。それを物のように扱うなんて。しかもレベッカを抱こうとしていることに虫唾が走る。諦めていた数年前とは違う。彼女の髪の毛の一本だって触れて欲しくない。
「止め……!」
クライヴが声を上げると一瞬にして周囲の騎士たちに緊張が走る。声を出すことすら許されないらしい。
「俺に捨てられた傷心のレベッカをお前が口車に乗せたのだろう。しかし俺は心が広いからな。お前の手垢が付いていたとしても許すぞ。それにさすがレベッカだ。何年経ってもあの美貌と気品は失われていない。それに若い頃の記憶がないのは逆に都合がいい」
うっとりと空を見つめるエルバートの脳裏にはレベッカが映っているのか。想像するだけで反吐が出る。今までの印象とは真逆に饒舌に語っているエルバートの声が遠くに聞こえていた。
「仕方なしに妃を愛そうとしたが、やはりいつもレベッカと比べてしまってな。どうでもいいことだが、それにあれは今や臣下と懇ろだ。安心しろ。俺は幼い頃からずっとレベッカしか愛していない。昔は上手く愛を口にできなかったことを、散々後悔した。これからは何度だって愛を伝えよう」
虚ろな瞳で語るエルバートは異常だ。しかし周囲の騎士に動揺は見られないからこれが彼の日常なのだろう。こんなふうに語られていてはクライヴが王の最愛を攫った悪者にされても仕方がない。
「お前らにはまだ公爵の存在が必要だな。彼を生かして返してほしくば、レベッカは諦めろ」
クライヴにとってレベッカは唯一の存在だ。しかし公爵のおかげでこれまで生活できたのも事実であり、彼がいなければ領地が危うい。そうすれば息子もどうなってしまうか分からない。
レベッカは人質でもあるのだ。公爵家を従わせるための。強く噛んだ口内から血の味がした。ここで死ぬわけにはいかない。大人しく頭を垂れたクライヴに満足したのか、漸く解放されたころには固く握り締めていた手の平からも血が滲んでいた。
同じく解放された公爵と無事合流できたものの、城内では騎士に囲まれて動けず、レベッカがどこに捕らわれているのか探ることができなかった。王太子妃教育の際に護衛で登城していた時とは城内の様相が随分と変わっていた。どう見ても使用人よりも騎士が多いからか、物々しいうえに手入れが行き届いていないのが窺える。それもエルバートの精神状態が正常ではないことを表しているようだ。けれどもそんな所から身重のレベッカを連れて帰る術を今は持っていない。
「あの様子だと、レベッカも自由はないだろうが酷い目に合ったりはしていないはずだ」
「はい……」
「私たちの行動に目を光らせているから、下手に身動きは取れない。お前もつらいが領地も心配だ。一先ず帰ろう」
「……承知しました」
娘の様子も気にかかるだろうが、領地に残した夫人と孫が心配で仕方がない公爵の気持ちも分かる。サイモンに説得され、後ろ髪をひかれる思いで王城をあとにした。
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