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26.王妃
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領地に戻ってからも常にレベッカのことは頭にあったが、公爵の業務を覚えるほか、今後の対策を練りながら隣国への協力を得るため慌ただしくしていた数日の間に、王家から発表があった。死亡したと思われていた元婚約者の公爵令嬢を王はずっと想っていたが、生存が確認されて王城に召し上げられている、と。婚約破棄も愛を確認するための演技であったのに、真に受けてしまったレベッカが悲しみのあまり臥せって、公爵が表に出なくて済むよう亡くなったことにしただけだったとも記されていた。 近々王と妃とは円満に離縁し、レベッカを正妃にするとあり、新聞を滅茶苦茶に裂いてしまった。いっそ反乱を起こしたかったが、レベッカが王城にいるので公爵家が下手なことはできないことを分かっているのだ。
焦りだけが先走り、眠るのも惜しく動き回っていたら、案の定先に身体が悲鳴をあげた。執事たちにベッドに押し込められ、レベッカによく似た息子にしがみつかれてしまえばどうすることもできない。
「クライヴ、心配するな。お前たちの結婚誓約書は隣国の王家にもサインを頂き、預かってもらっている。あちらに原本がある以上早々破棄できるものではない」
顔をのぞかせたサイモンはさすが今まで公爵家を取り仕切ってきただけはあり、疲労の色は見えるもののしっかりとしていた。レベッカを取り戻すことしか頭にないクライヴと違って、広く物事が見えている。
公爵領は辺境にあるため隣国と交流が盛んだ。王家の介入もあるが、婚姻も自由に行われている。レベッカは書類上では隣国に住む親族の養子になっているので、平民や貴族間でのことならまだしも、王が妃に望む相手が隣国の者となると話が変わってくる。サイモンがそこまで見据えていたのかは定かではないが、まさかそれがエルバートの暴走に対してストッパーになるとは。冷静になってみれば、そこから突破口を開けるかもしれないと希望が湧いてきた。ベッドの中で深く息を吐くと、身体が重く沈み込むようだ。
「一目だけでもいいから会いたいあまりに、急いで無理が過ぎました」
「お前の気持ちは分かる。この子も母を恋しい年なのに、お前まで倒れたらどうする」
「申し訳ありません」
「おとーさま、ぼくと寝ましょう?」
ギュッと首元にしがみつく温かさに目頭が熱くなる。息子も幼いながら我慢しているというのに情けない。
「そうするよ」
「何かあればすぐに連絡するから、今日くらいはゆっくり休むように」
息子の髪が頬を擽った。レベッカよりも細く柔らかな髪は幼き日の彼女に似ている。クライヴの横に潜り込んできた息子を抱きしめていると徐々に瞼が重くなってくる。噴水によじ登って周りを卒倒させた日の夢を見た気がした。そうだ、彼女が帰ってきたらまた髪飾りを贈ろう。既に一度クライヴから似た物を贈っているが、どれだけあってもいいだろう。金色はレベッカの赤毛に良く映えるから。
* * *
再び登城するように命令が出たのは、それからすぐだった。サイモン曰く、やはり隣国を交えたクライヴたちの婚姻を勝手に解消できないからだろうとのこと。クライヴに無理矢理サインをさせてくる可能性を危惧し、体調不良を理由に様子を見ては、と言われたが、レベッカに会えるかもしれない機会を逃したくなかった。産み月も近いレベッカと城から逃げることは不可能だから、せめて一目だけでも。できることなら、ずっと待っているからと伝えられたら。逸る気持ちを抑えて、クライヴは馬車に乗り込んだ。
「面倒なことをしてくれたな。おかげで手間がかかって仕方がない」
数日ぶりに会ったエルバートは、随分と生気が感じられる。城内も前回より色鮮やかになっているようにも思えた。クライヴの女神を手元に置いているのだ。当然だろう。
「…………」
「隣国へ行って離婚の手続きをしてこい。ああ、そうだ。付き添いをつけるから書類はその者に渡して、その後はそのまま領地に帰れ」
謁見室に通されるや否や、罪人のように再び剣を突きつけられて、相変わらず肯定以外の返事は許されていないらしい。エルバートの横暴ぶりに反吐が出そうだ。散々レベッカを蔑ろにして、そんなつもりはなかったと勝手に奪っていって。あまつさえ離婚してこいだと? 身勝手にもほどがある。レベッカと離婚するくらいなら、ここで暴れてエルバートと刺し違えても構わないが、彼女に一目でも会いたい気持ちで堪えた。
「……せめてレベッカ様に会わせて下さいませんか?」
大人しく了承の意を示せば、エルバートは大きな舌打ちを落とした。この城のどこかにレベッカはいるのだ。それだけは譲れなかった。
「しつこいな。そんなことしたらレベッカがまたふさぎ込むだろう」
それはこっちの台詞だ。誰のせいでこんな事態になっているというのか。レベッカは笑顔で幸せに暮らしていたというのに。
「しかし……!」
「命が惜しかったらさっさと行け。お前の顔なんか見たくない。レベッカに免じて、処刑してやりたいのを我慢しているんだからな」
それだけ言い捨てると、エルバートは護衛に囲まれてさっさと出て行ってしまった。クライヴも退室を促される。悔しくて頭に血が上り、手足が震えてくるがこのままでは帰れない。なんとかしてレベッカの居場所を探れないだろうか?
外へと向かいながらなんとか思考を巡らせる。この通路を進めばエントランスホールに差しかかり、追い出されてしまう。何か策はないのだろうか。城はレベッカについて何度も来ているが、さすがに王族のプライベートな場所は把握していない。しかし逆に知らない場所こそがその可能性がある。酷くされていることはないはずだが、この目で確かめないことにはここまで来た意味がない。クライヴとて元公爵家の護衛騎士。剣さえあれば突破できるが流石に丸腰では無事では済まない。
「お待ち下さい」
考え込んでいたクライヴは、背後からかけられた声に気付くのが遅れてしまった。周囲のざわつきに何事かと振り向けば、今はまだ王妃の元男爵令嬢が何人かの護衛と共に立っていた。彼女もまた、監視されているのかもしれない。
「バートン次期公爵ですね。そう警戒なさらずとも、陛下から渡すようにと預かっている品があります。お前たちは少し下がりなさい」
「はい。クライヴ・バートンでございます。なんの御用でしょうか?」
「……こちらに見覚えはございますか?」
「それは……!」
取り囲んでいた騎士たちが通路を塞ぐようにして少し離れる。目の前に立った彼女の手にはハンカチのような布があり、包まれていた中身を見てクライヴは息をのんだ。レベッカが好んで使っていた金色の髪飾りだ。幼い日に噴水の女神像から取ったのを加工した物ではなく、似た物をクライヴが宝石職人に作らせた、それ。覚えてはいないが、連れ去られたあの日もこの髪飾りをつけていたのか。それを今、ここで渡すとは形見のようではないか?
「どういう意味でしょうか……? 妻は、生きているんですよね……!?」
ハンカチごと渡された髪飾りを見つめていると嫌な予感がして、声が震えてくる。悪い夢を見ているかのように、脳と視界が分断されている感覚に陥ってしまい立っているのがやっとだ。
「もちろんです。あの方が自ら私にこれを託したのですから」
「では、どうして陛下が……?」
王妃の言葉に安堵の息を漏らすが、しかし疑問が出てくる。返すだけなら使用人にでも頼めばいいはずだ。それを王妃自ら手渡してくる意図が掴めなかった。学生の頃、柔和な笑顔が印象的だった少女は今や無表情だから尚更。
「陛下がレベッカ様に嫉妬をして欲しくて、私を利用したことは知っていました。婚約破棄を宣言すれば縋ってくるからそれまでだと言われていたのです。欲深いことに私は王太子妃に選ばれるかもしれないと夢を見てしまったのです。けれど物事はそう上手くはいかなかった」
「…………」
「しばらくしてレベッカ様が亡くなったと聞いて罪悪感に苛まれましたが、これで陛下も未練を断ち切れるだろうと私はホッとしました。それで陛下を言い包めお慰めし、何とか一時は私を見て下さいました。が、どこからかレベッカ様が生きていると知らされた。それからです。あの方が変わられたのは。バートン公爵家との断絶、他の貴族との軋轢はレベッカ様が戻れば全て丸く収まるとそればかりで。その頃には私も疲れていました」
小声ながらも一息で捲し立てると息を吐き、少しだけ眉を下げた。今さら懺悔のつもりかと腹が立ってくるが、彼女もまた巻き込まれた一人でもある。
「陛下を抑えきれなかったこと後悔しています。昔の私の野心も、今の陛下も」
「だったらレベッカ様を返して下さい。彼女は私の妻です。私の子を身籠っているんです!」
「手元をよくご覧なさい」
王妃が耳元で囁いた言葉にハッと手の中を見る。布には花の絵が刺繍されている。これは王家の象徴である花だ。王太子妃候補時代のレベッカがエルバートとお茶会をしていた中庭のガゼボこそ、その花壇の前である。エントランスホールから出て、門に向かう石畳を右に曲がればそこにたどり着く。レベッカと何度も通った場所だ。
「もうすぐお茶の時間ですから、警備もここよりは薄いでしょうね。では私はここで」
話したことすべてが王妃の意図することなのかは分からない。しかし危険を冒してまで伝えた理由も贖罪だとしたら……? 一か八かではある。クライヴは髪飾りを握りしめると、エントランスを出たところで騎士を振り切って走り出した。
焦りだけが先走り、眠るのも惜しく動き回っていたら、案の定先に身体が悲鳴をあげた。執事たちにベッドに押し込められ、レベッカによく似た息子にしがみつかれてしまえばどうすることもできない。
「クライヴ、心配するな。お前たちの結婚誓約書は隣国の王家にもサインを頂き、預かってもらっている。あちらに原本がある以上早々破棄できるものではない」
顔をのぞかせたサイモンはさすが今まで公爵家を取り仕切ってきただけはあり、疲労の色は見えるもののしっかりとしていた。レベッカを取り戻すことしか頭にないクライヴと違って、広く物事が見えている。
公爵領は辺境にあるため隣国と交流が盛んだ。王家の介入もあるが、婚姻も自由に行われている。レベッカは書類上では隣国に住む親族の養子になっているので、平民や貴族間でのことならまだしも、王が妃に望む相手が隣国の者となると話が変わってくる。サイモンがそこまで見据えていたのかは定かではないが、まさかそれがエルバートの暴走に対してストッパーになるとは。冷静になってみれば、そこから突破口を開けるかもしれないと希望が湧いてきた。ベッドの中で深く息を吐くと、身体が重く沈み込むようだ。
「一目だけでもいいから会いたいあまりに、急いで無理が過ぎました」
「お前の気持ちは分かる。この子も母を恋しい年なのに、お前まで倒れたらどうする」
「申し訳ありません」
「おとーさま、ぼくと寝ましょう?」
ギュッと首元にしがみつく温かさに目頭が熱くなる。息子も幼いながら我慢しているというのに情けない。
「そうするよ」
「何かあればすぐに連絡するから、今日くらいはゆっくり休むように」
息子の髪が頬を擽った。レベッカよりも細く柔らかな髪は幼き日の彼女に似ている。クライヴの横に潜り込んできた息子を抱きしめていると徐々に瞼が重くなってくる。噴水によじ登って周りを卒倒させた日の夢を見た気がした。そうだ、彼女が帰ってきたらまた髪飾りを贈ろう。既に一度クライヴから似た物を贈っているが、どれだけあってもいいだろう。金色はレベッカの赤毛に良く映えるから。
* * *
再び登城するように命令が出たのは、それからすぐだった。サイモン曰く、やはり隣国を交えたクライヴたちの婚姻を勝手に解消できないからだろうとのこと。クライヴに無理矢理サインをさせてくる可能性を危惧し、体調不良を理由に様子を見ては、と言われたが、レベッカに会えるかもしれない機会を逃したくなかった。産み月も近いレベッカと城から逃げることは不可能だから、せめて一目だけでも。できることなら、ずっと待っているからと伝えられたら。逸る気持ちを抑えて、クライヴは馬車に乗り込んだ。
「面倒なことをしてくれたな。おかげで手間がかかって仕方がない」
数日ぶりに会ったエルバートは、随分と生気が感じられる。城内も前回より色鮮やかになっているようにも思えた。クライヴの女神を手元に置いているのだ。当然だろう。
「…………」
「隣国へ行って離婚の手続きをしてこい。ああ、そうだ。付き添いをつけるから書類はその者に渡して、その後はそのまま領地に帰れ」
謁見室に通されるや否や、罪人のように再び剣を突きつけられて、相変わらず肯定以外の返事は許されていないらしい。エルバートの横暴ぶりに反吐が出そうだ。散々レベッカを蔑ろにして、そんなつもりはなかったと勝手に奪っていって。あまつさえ離婚してこいだと? 身勝手にもほどがある。レベッカと離婚するくらいなら、ここで暴れてエルバートと刺し違えても構わないが、彼女に一目でも会いたい気持ちで堪えた。
「……せめてレベッカ様に会わせて下さいませんか?」
大人しく了承の意を示せば、エルバートは大きな舌打ちを落とした。この城のどこかにレベッカはいるのだ。それだけは譲れなかった。
「しつこいな。そんなことしたらレベッカがまたふさぎ込むだろう」
それはこっちの台詞だ。誰のせいでこんな事態になっているというのか。レベッカは笑顔で幸せに暮らしていたというのに。
「しかし……!」
「命が惜しかったらさっさと行け。お前の顔なんか見たくない。レベッカに免じて、処刑してやりたいのを我慢しているんだからな」
それだけ言い捨てると、エルバートは護衛に囲まれてさっさと出て行ってしまった。クライヴも退室を促される。悔しくて頭に血が上り、手足が震えてくるがこのままでは帰れない。なんとかしてレベッカの居場所を探れないだろうか?
外へと向かいながらなんとか思考を巡らせる。この通路を進めばエントランスホールに差しかかり、追い出されてしまう。何か策はないのだろうか。城はレベッカについて何度も来ているが、さすがに王族のプライベートな場所は把握していない。しかし逆に知らない場所こそがその可能性がある。酷くされていることはないはずだが、この目で確かめないことにはここまで来た意味がない。クライヴとて元公爵家の護衛騎士。剣さえあれば突破できるが流石に丸腰では無事では済まない。
「お待ち下さい」
考え込んでいたクライヴは、背後からかけられた声に気付くのが遅れてしまった。周囲のざわつきに何事かと振り向けば、今はまだ王妃の元男爵令嬢が何人かの護衛と共に立っていた。彼女もまた、監視されているのかもしれない。
「バートン次期公爵ですね。そう警戒なさらずとも、陛下から渡すようにと預かっている品があります。お前たちは少し下がりなさい」
「はい。クライヴ・バートンでございます。なんの御用でしょうか?」
「……こちらに見覚えはございますか?」
「それは……!」
取り囲んでいた騎士たちが通路を塞ぐようにして少し離れる。目の前に立った彼女の手にはハンカチのような布があり、包まれていた中身を見てクライヴは息をのんだ。レベッカが好んで使っていた金色の髪飾りだ。幼い日に噴水の女神像から取ったのを加工した物ではなく、似た物をクライヴが宝石職人に作らせた、それ。覚えてはいないが、連れ去られたあの日もこの髪飾りをつけていたのか。それを今、ここで渡すとは形見のようではないか?
「どういう意味でしょうか……? 妻は、生きているんですよね……!?」
ハンカチごと渡された髪飾りを見つめていると嫌な予感がして、声が震えてくる。悪い夢を見ているかのように、脳と視界が分断されている感覚に陥ってしまい立っているのがやっとだ。
「もちろんです。あの方が自ら私にこれを託したのですから」
「では、どうして陛下が……?」
王妃の言葉に安堵の息を漏らすが、しかし疑問が出てくる。返すだけなら使用人にでも頼めばいいはずだ。それを王妃自ら手渡してくる意図が掴めなかった。学生の頃、柔和な笑顔が印象的だった少女は今や無表情だから尚更。
「陛下がレベッカ様に嫉妬をして欲しくて、私を利用したことは知っていました。婚約破棄を宣言すれば縋ってくるからそれまでだと言われていたのです。欲深いことに私は王太子妃に選ばれるかもしれないと夢を見てしまったのです。けれど物事はそう上手くはいかなかった」
「…………」
「しばらくしてレベッカ様が亡くなったと聞いて罪悪感に苛まれましたが、これで陛下も未練を断ち切れるだろうと私はホッとしました。それで陛下を言い包めお慰めし、何とか一時は私を見て下さいました。が、どこからかレベッカ様が生きていると知らされた。それからです。あの方が変わられたのは。バートン公爵家との断絶、他の貴族との軋轢はレベッカ様が戻れば全て丸く収まるとそればかりで。その頃には私も疲れていました」
小声ながらも一息で捲し立てると息を吐き、少しだけ眉を下げた。今さら懺悔のつもりかと腹が立ってくるが、彼女もまた巻き込まれた一人でもある。
「陛下を抑えきれなかったこと後悔しています。昔の私の野心も、今の陛下も」
「だったらレベッカ様を返して下さい。彼女は私の妻です。私の子を身籠っているんです!」
「手元をよくご覧なさい」
王妃が耳元で囁いた言葉にハッと手の中を見る。布には花の絵が刺繍されている。これは王家の象徴である花だ。王太子妃候補時代のレベッカがエルバートとお茶会をしていた中庭のガゼボこそ、その花壇の前である。エントランスホールから出て、門に向かう石畳を右に曲がればそこにたどり着く。レベッカと何度も通った場所だ。
「もうすぐお茶の時間ですから、警備もここよりは薄いでしょうね。では私はここで」
話したことすべてが王妃の意図することなのかは分からない。しかし危険を冒してまで伝えた理由も贖罪だとしたら……? 一か八かではある。クライヴは髪飾りを握りしめると、エントランスを出たところで騎士を振り切って走り出した。
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