襲われていた美男子を助けたら溺愛されました

茜菫

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 王都にたどり着いたイライザは真っ先に宿を取った。実家である伯爵家はタウンハウスを持っていたが、借金苦に陥った際に泣く泣く売り払ってしまったため、宿を取るしかなかったからだ。

 初日は旅の疲れを癒やすため、イライザは宿にこもりきりであった。二日目は父に会うため、旅装束を脱いで私服に着替え、身なりを整える。宿を出て見知らぬ街並みに迷いながら、イライザは父と約束した店へと向かった。

(あれは……)

 ようやくたどり着いた店の前で、イライザは見覚えのある顔を見つけて足を速める。イライザの接近に気づいたその人物は顔をあげると、満面の笑みで彼女を出迎えた。

「兄さま?」

「リズ!」

 その人物はイライザの三つ歳上の兄、ノアであった。くすんだ金色の髪とやさしげな赤い目をしたノアも、イライザに負けず劣らず整った顔をしている。

 だが疲労の色が濃く、特に目の下の隈がひどい。イライザはすぐそばまでかけ寄ると、心配そうに声をかけた。

「兄さま、また隈がひどくなったのでは……」

「ははっ、そんなことはないさ。いつも通りだよ!」

 イライザはその隈でいつも通りだということが問題だと思っていたが、ノアがあまりにも明るい声で平然としているため、なにも言えなかった。イライザは約束していた父の姿がないことに悪い予感がして、恐る恐る問いかける。

「ねえ……父さまは?」

 イライザの問いに、ノアはあからさまに目をそらした。その反応からなにかあったことは明白で、イライザは兄をじっと見つめる。その視線に根負けしたように、ノアは片手で頭を押さえて深く息を吐いた。

「父上は……その……吐血して、倒れてしまって」

「っ……父さまは無事なの?」

「大丈夫、いまは療養しているよ。だから、私が代理としてここに来たんだ」

 ノアは王都にやってくる直前の様子を話す。娘の一大事に自分が行かねばと血を吐きながら譲らない父と、それをたしなめる母。最終的には鬼のような形相で叱咤した母の説得があって、父は療養のため残ることになり、ノアが王都に向かうことになったそうだ。

「父上と母上には早く荷をおろして、心おだやかに過ごしてほしい……」

「本当に……」

 両親の姿を思い浮かべながら顔を見合せ、深々とため息をついた。イライザもノアも、先代伯爵が遺した負の遺産に両親がどれほど苦労したかをよく知っている。イライザはその上で自分のわがままな選択を許してくれた両親に、感謝してもしきれなかった。

(私のせいで……)

 イライザは自責の念に駆られ、うつむく。ごく普通の伯爵令嬢としてどこかに嫁いでいれば、いまの状況は生まれず両親は頭を痛めなかったかもしれない。イライザがそのように思い詰めていると、ノアは彼女の肩をつかむ。顔を上げたイライザの前で、ノアはゆっくりと首を横に振った。

「リズのせいじゃない」

「兄さま……」

「だれかのせいにするなら……そうだな、諸悪の根源は祖父上だ」

 賭博にはまって金を使い込んだだけでなく、借金まで遺した祖父。彼の所業がなければラーゼル侯爵と関わることはなかっただろうし、もし縁談があがっても断ることはそう難しくなかったはずだ。

「それは、間違いない」

「ほらリズ、店に入ろう。おいしいものを食べれば、気も晴れるさ!」

「……うん」

 ノアの明るい声にイライザは無意識にこわばっていた肩の力を緩め、小さく笑う。ここで気をもんでいても仕方ないと、ノアとともに店に入った。

 店は王都では有名な高級レストランだ。借金を抱えた貧乏貴族が利用するには苦しいところがあったが、安全面を考えての選択だ。案内されたテーブルに座り、店員が離れたところで本題に入る。

「リズ。約束の日は、明後日だ」

 約束とはなんのことか、みなまで言うまでもない。イライザは表情を固くし、わずかに肩を強張らせて考えを巡らせる。

(なら、今夜でも……)

 イライザが考えていることは、自分の令嬢としての価値を底辺にまで落とすに等しいことだ。突如金が湧いて出てくるわけもなく、借金があるかぎり根本的な解決はできない。それでも、いま目の前に迫っている婚姻話だけはなんとしても回避したい。

(諦めるように仕向けなければ、どんな態度に出てくるかわからないし……)

 イライザに手段を選んではいられなかった。真剣なイライザがなにを考えているのか知らずに、知れば発狂しそうなものだが、ノアは努めて明るい声を出す。

「大丈夫だ、リズ。私に考えがある。だから……リズはなにも心配せずに、王都観光を楽しむといいよ!」

 イライザはそれに首を縦にも横にも振らなかった。静かに懐から袋を取り出すと、おもむろにそれを差し出す。

「兄さま、これを返済の足しにして」

 イライザが差し出した袋には、少なくない金貨が詰められていた。これまで騎士として勤めてきた五年間にためこんだ金の一部だ。少なくない金だが、これを受けとったとしても借金は消えない。

 ずっしりと重みのあるその袋を見たノアは、真剣な表情で静かに首を横に振る。

「リズ、それは受け取れない」

「でも」

「リズが稼いだ金だ。自分の幸せために使ってくれ」

 イライザは意地でも袋を下げなかったが、ノアも意地でもそれを受け取らなかった。二人はしばらく無言で対峙していたが、兄を説得できる言葉が見つからず、イライザは少し迷いながら袋を懐に戻す。

「ほら、リズ。おいしそうだ」

「……うん」

 ちょうどそこで料理が運ばれ始め、二人はそれ以上金のことは話さずに食事を共にした。おたがいの利用する宿を確認し、今後の予定を確認し、思い出話に花を咲かせながら和やかに食事を楽しんだ。

 その後、二人はこれからのことを忘れようとするかのように笑い合い、楽しみながら街を巡った。気楽に買い物を楽しむというわけにはいかなかったものの、ひととき悩みを忘れる程度には有意義な時間であった。



「……私がリズを宿まで送りたかったんだが」

「私より、兄さまのほうが危ないでしょう」

 イライザは騎士として鍛えてきた自分に自負がある。過信はしていないが、少なくとも目の下に隈をつくって疲れ果てた顔をしたノアより、危険に対応できる自信があった。

「はは……そうだな……」

 ノアは返す言葉もなく力なく笑う。イライザとは違い、ノアは武芸にまったく明るくなかった。ノアはそれ以上はなにも言わず、別れの挨拶をして大人しく宿に入っていった。

 ノアと別れたイライザは軽い足取りで歩き始める。縁談話で心がすり減らされていた彼女にとって、久しぶりの兄との時間は心を軽くさせた。

(兄さまと会えて良かった。お金は受けとってもらえなかったけれど……)

 懐に重みのある袋の存在を感じ、イライザは小さくため息をつく。

「幸せ、か」

 ノアが指し示す幸せがどのようなものなのか、イライザにも理解できた。兄として、妹には良い縁にめぐり逢って幸せになってほしい、そのように思っているのだろう。

 イライザは令嬢としての結婚には興味がなかったし、騎士を目指す中でも結婚や恋愛、異性にあまり興味が湧かなかった。だが、リリーのように好い人と恋愛し、いずれは結婚して家庭を築く、そんな幸せも悪くはないとも思う。

(けれど、かわいくない女なんて……)

 二十五年間、浮いた話がまったくなかったことがその証左だとイライザは思う。そして、これからもないだろうとも。

(いまは、この不本意な縁談をなんとかしないと)

 再びため息をついたイライザは頭を軽く振って気持ちを切り替えると、宿に足を進めた。イライザが唯一考えついた策を実行するために。
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