襲われていた美男子を助けたら溺愛されました

茜菫

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「あ、リズ!」

 そこで明るい声が聞こえ、イライザはびくりと肩を震わせて振り返る。見れば、邸宅から出てきたミケルの姿があった。

 ミケルは笑顔でかけ寄ってくると、イライザを抱きしめる。

「もう。起きたらいなくなっていて、驚いたよ」

「ごめんなさい。よく眠っていたから、起こすのが忍びなくて」

「そっか、ありがとう。つぎは一緒に起きたいから、起こしてほしいな」

 イライザは本人が望み、無理にならないのならと小さくうなずく。

「これからは規則正しい生活をしなきゃね。あっ、でも夜ふかしはしちゃうかも?」

「それは……」

 言葉の意味が早々に分かったイライザは視線をさまよわせた。なにかを言おうとするも言葉が思い浮かばず、結局、なにも言わずに口を閉ざす。

「たまにはいいでしょう、ね?」

 ミケルはくすくすと笑いながら、イライザの閉ざされた唇に軽く口づけた。そのやさしい口づけを甘受し、絆されたイライザは小さく笑う。

「……たまになら」

「うんうん。じゃあ、朝食にしようか」

 うまく転がされているとわかっていても、ミケルの笑顔や楽しげな声を聞いていると、まあよいかと思ってしまうイライザであった。



 朝食を済ませ、身支度を終え、ミケルの抱擁と口づけを受けて見送られたイライザは訓練場の前まできていた。帰還の報告と、職務への復帰について相談するためだ。

(もうなにも、悩むことはない)

 イライザの気を重くしていた縁談は破談となり、頭を悩ませるものはなにもなくなった。軽やかな足取りで訓練場に足を踏み入れると、途端に驚きの声が上がる。

「おっ、イライザ!」

 イライザの姿を見つけた同僚の騎士たちは訓練の手を止め、彼女のもとに集まってくる。あっという間に取り囲まれ、イライザは目を白黒させた。

「いったい、なにが……」

「結婚するんだって?」

「え?」

「しかも、相手はラーゼル侯爵だなんて……本当か?」

「は?」

 イライザは次々とかけられる言葉に驚きの声しか出なかった。そんな中、騎士たちの壁を強引に突き破ってリリーが現れ、イライザを守るように前に立つ。

「そんな訳ないでしょう! どこから聞いたのよ、そんな話っ!」

「いやあ……」

 真っ先に声をかけてきた騎士は気まずそうに頭をかいた。リリーがさらに問い詰めると、イライザが立ってすぐのころに酒場でそんなうわさを聞いたという。

 ほかの騎士にも話を聞くと、おなじようなうわさを聞いたという者が数人いた。うわさは作為的なものだったのだろう。

(……ラーゼル侯爵か)

 結果的には破談になった上に失却したが、先手をうつ手腕は感心するところだ。借金の問題が片づいていなければ、ミケルがいなければと、イライザはぞっとした。

「たしかに侯爵との縁談話はありましたが……破談になりました」

「なーんだ、よかった」

 イライザからの朗報に安堵の声が上がる。皆、ラーゼル侯爵の悪いうわさは知っているのだろう。よかったと安堵する空気の中で、一人の低い声が響く。

「はっ、結婚できる最後の機会を逃したんじゃねえのか?」

「おい、フランシス」

 同僚の咎めるような声を気にもせず、フランシスは片眉を上げて嘲笑を浮かべていた。あんまりな物言いにイライザは不快感を覚えて眉をひそめるも、すぐに気を取り直して首を横に振る。

「フランシス、あんたねえ……っ」

「リリー」

 イライザはいまにもつかみかかりそうなリリーを宥めるように名を呼ぶ。振り返ったリリーは不服そうであったが、大人しく後ろに下がった。

「なんだ、もうあきらめましたって?」

 イライザは相変わらずなにかと突っかかってくるフランシスに呆れたようにため息をつく。フランシスはそれが癪に触ったようだが、彼がなにかを言い出す前に淡々と答えた。

「すでに、私には結婚を約束した人がいます」

「……は?」

 フランシスの間抜けた声と共に、辺りがしんと静まりかえる。フランシスだけでなく、ほかの皆まで信じられないといったような目を向けていた。

(……皆、ひどくない?)

 たしかにいままで男の影などまったくなく、興味がないとつっぱねていたとはいえ、その反応はひどくないかとイライザは内心不服であった。動揺が広がる中、一番に我に返ったのはフランシスだ。

「はっ、そんな冗談……いや、うそついてまで、必死かよ」

「はあ? リズの恋人、すっごくすてきな人なんだからね!」

「な……」

 フランシスの言葉にまっさきに抗議したのはイライザではなく、割って入ったリリーだ。恋人という言葉に動揺したのか、うろたえるフランシスにさらに言い募る。

「すっごく美人で、すっごく気が利いて、リズの危機を助けてくれて、すっごく頼りになるの。本当、どこかのだれかさんとは大違い。リズもぞっこんなんだから!」

「ちょっ、ちょっとリリーっ」

 イライザは制止するように後ろからリリーの両肩をつかんだ。焦りと恥ずかしさからか、眉尻は下がり、頬は赤く染まり、口元は緩んでいる。いままで感情を顔に出すことがほとんどなかったイライザのその変化に、さらに動揺が走った。

「リズも言ってやりな……えっ、ちょっと、リズ、後ろ!」

 振り返ったリリーは発破をかけようと声を上げたが、イライザの後ろに何かを見つけて驚いた声を上げる。イライザは目を丸くして後ろを振り返ると、リリーと同じように驚きの声を上げた。

「……えっ、ミケル?」

 イライザが入ってきた入口から少し離れた外には、ミケルが立っていた。イライザと目が合うと、にこりとほほ笑む。

「あっ、おい!」

 イライザは一同を置き去りにし、慌ててミケルにかけ寄った。フランシスが止めようとしたが、すかさずリリーに阻止される。

 その場の視線を一身に集めながら、イライザはミケルに心配そうに声をかけた。

「ミケル、どうしてここに? ここから先は部外者は……」

「大丈夫、すぐに戻るよ。これを届けにきたんだ」

 そう言ってミケルが差し出したのは、ハンカチだった。見覚えのあるハンカチにイライザは慌ててポケットを探る。邸宅を出る直前までたしかにそこにあったはずのハンカチは、なくなっていた。

「いつの間に……わざわざ、これを届けに?」

「うん。やっぱり公爵家の騎士さまなら、身だしなみは大切でしょう?」

 イライザはハンカチを受け取り、それを眺めた。公爵家に仕える騎士として、身だしなみには気を遣っている。

 ハンカチも大切な身だしなみの一つで、毎日欠かしたことはなかった。忘れたからといって支障があるわけではないが、気がかりにはなっただろう。

「ありがとう。よくここがわかったのね」

 行き先を告げていたが、ミケルにとっては初めての土地、どこになにがあるのかまだ把握できていないはずだ。だがイライザが到着してからさほど間を空けずに現れたことを考えると、迷わず真っすぐにきたのだろう。イライザの声に多少の疑問が含まれていたが、ミケルはほほ笑んだままなにも答えなかった。

「ここまでくるのは大変だったでしょう? ハンカチ程度なら、無理しなくていい」

「無理はしていないから、大丈夫。……先手を打っておきたかったしね」

「え?」

 イライザは最後の言葉が聞き取れずに疑問の声をもらしたが、ミケルはにこにこと笑っているだけだ。

「ありがとう、ミケル」

「役に立ててよかった。長居して邪魔になりたくないから、そろそろ戻るね」

「そっか……」

 そこで初めて気づいたといったように、ミケルは訓練場に目を向ける。イライザが振り返ると、少し離れた訓練場から二人の様子を覗き見している騎士たちが見えた。その中には楽しそうな目をしたリリー、射殺さんばかりの視線を向け、両脇の同僚に肩をつかまれているフランシスの姿もある。

「騎士さまたち、たくさんいたんだね」

「皆……」

 イライザがあきれたような声をもらす隣で、ミケルはただ美しくほほ笑んで小さく会釈した。途端、再びその場がどよめく。

「あれがイライザの恋人か?」

「うわぁ……やばいな」

「うん、やばい。いま俺、男なのにどきっとしちゃったし」

「こりゃあ完敗だな、フランシス」

「はあ? ふざけんな! どこが負けているって!?」

「……一番は、その態度でしょうね」

 離れていてもはっきりと聞こえるやりとりに、ミケルはくすくすと笑う。騒ぎ出す同僚たちが恥ずかしくなり、イライザは背に隠すように立ち位置を変えた。声や音までは隠しきれなかったが、少なくとも見苦しい姿は隠せるだろう。

「ふふ、にぎやかだね」

「普段は、こんなことはないのだけど……」

 イライザは小さくため息をつく。ここまで騒ぎになっているのは、いままで男に縁がなかったイライザに結婚まで約束した恋人が現れたこと、その恋人がとんでもない美人であるからだろう。

「恋人だって。僕のこと、知ってもらえてうれしいな」

「……次は、ちゃんとした形で紹介する」

「本当? うれしい、楽しみにしているね」

 そう言ってミケルはイライザに一歩近づき、その頬に口づける。イライザがわずかにほほ笑むと、ミケルは満足そうに笑った。
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