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本来なら知り合うはずもなかった。
確かに松田は学内で有名人だ。生まれながらの医学の天才で、顔立ちも抜群。論文を発表したりイベントで表彰されるたび、写真が出回れば女子たちがこぞってスマホで撮りまくるほどだった。
けれど松田は医学部、俺――仁野は体育学部。彼が四回生で、俺は三回生。まったく接点なんてないはずだった。
……不運なことに、松田は俺と同じ高校出身の先輩で。
しかももっと不運なのは、この人――かつて俺にラブレターを書いてきたことがあるのだ。
「先輩、あんた……」
声をかけようとした瞬間、外から慌ただしい足音とともに扉が開かれ、端正で知的そうな顔がのぞいた。
「なんの音だ、松――」
有正の顔が目の前の光景に固まり、すぐさま松田を支えながら怒鳴る。
「仁野、てめぇ何やってんだ!」
「てめぇこそだろ、有正!」
カッとなった俺は、そのまま奴の脛を蹴り飛ばした。アスリートの脚力を甘く見るな、一撃で有正はよろめき、息を呑んでしゃがみ込む。
「はあ!? お前、酒でも飲みすぎたのか!?」
言い合っていると、今度は水泳部のやつらが駆け込んできた。
「曜さん、な、なんでケンカしてるんスか!?」
顔色真っ青でしどろもどろに叫ぶ。
「有正、お前は自分でわかってるはずだろ。」
周りに人が増えてきて、さすがに花奈のことは口に出せなかった。俺は怒りを抑え、有正を睨んでから、ずっと俯いたままの松田を見やり、ため息をついてしゃがみ込んだ。
「先輩、立てますか。俺が病院まで連れて行きます。」
――診察の結果、松田の額に六針縫うことになった。
消毒、包帯……その間ずっと松田は大人しく、言われるままに従っていた。病院を出る頃には、もう午前四時を回っていた。
「悪いのは俺だ……間違えて殴っちまった。」
松田は自販機で水を二本買って戻ってきた。俺は電話に出ていたが、顔には明らかな不機嫌さが浮かんでいた。片手はポケットに突っ込み、横顔は鋭い。
「……ああ、わかってる。処分は受ける……リーグ戦に影響なければそれでいい。」
松田の姿が視界に入ると、俺は電話を切った。
まだ濡れたままのシャツに汚れたズボン。眉をひそめ、俺は自分のジャケットを脱いで肩に掛けてやった。
「寒くないか?」
松田は首を横に振り、それでも素直に袖を通してファスナーを上げた。
身長は一八〇くらいはあるはずなのに、水泳選手の俺と比べると小さく見える。大きすぎるジャケットは彼の顎まで隠れて、半分ほど顔を覆ってしまっていた。
「……俺が悪かった。」
松田の目をまっすぐ見つめ、真剣に頭を下げる。
「先輩、さっきのことは本当にすまない。酒に酔って人違いして、しかも加減もできなくて……こんな大怪我させてしまった。許せとは言わない。でも怒らないでくれ。俺なんかのせいで気分悪くする必要ない。どんな悪口でもいい、俺は受け止める。まだ気が収まらないなら、殴ってくれていい。俺は逃げないし、反撃もしない。」
白い肌に、青紫色の痕が痛々しく広がっていた。
目尻から顎にかけて、綺麗な顔が台無しだ。黒く深い瞳が俺を映し込み、感情を隠さず揺れている。
「……怒ってなんか、ないよ。」
松田の声は澄んでいて、どこか少年のように柔らかかった。
「でも、殴られた分は――補償してもらわないと。」
「もちろんだ、先輩!」俺は笑った。
「馬鹿みたいに怒らせちまって、巻き込んじまって。飯でも奢らせてくださいよ。」
松田は小さく首を振る。
そして両手を伸ばし、ゆっくりと俺の首に回した。
押しのけようとした俺の肩に力がかかり、やがて柔らかな額が首筋に埋まる。硬直する俺の体を抱きしめながら、彼は小さな声で囁いた。
「仁野……俺と三か月だけでいいから、恋人になってくれない?」
言葉が喉まで出かかって――けれど、どうしても「ノー」とは言えなかった。
確かに松田は学内で有名人だ。生まれながらの医学の天才で、顔立ちも抜群。論文を発表したりイベントで表彰されるたび、写真が出回れば女子たちがこぞってスマホで撮りまくるほどだった。
けれど松田は医学部、俺――仁野は体育学部。彼が四回生で、俺は三回生。まったく接点なんてないはずだった。
……不運なことに、松田は俺と同じ高校出身の先輩で。
しかももっと不運なのは、この人――かつて俺にラブレターを書いてきたことがあるのだ。
「先輩、あんた……」
声をかけようとした瞬間、外から慌ただしい足音とともに扉が開かれ、端正で知的そうな顔がのぞいた。
「なんの音だ、松――」
有正の顔が目の前の光景に固まり、すぐさま松田を支えながら怒鳴る。
「仁野、てめぇ何やってんだ!」
「てめぇこそだろ、有正!」
カッとなった俺は、そのまま奴の脛を蹴り飛ばした。アスリートの脚力を甘く見るな、一撃で有正はよろめき、息を呑んでしゃがみ込む。
「はあ!? お前、酒でも飲みすぎたのか!?」
言い合っていると、今度は水泳部のやつらが駆け込んできた。
「曜さん、な、なんでケンカしてるんスか!?」
顔色真っ青でしどろもどろに叫ぶ。
「有正、お前は自分でわかってるはずだろ。」
周りに人が増えてきて、さすがに花奈のことは口に出せなかった。俺は怒りを抑え、有正を睨んでから、ずっと俯いたままの松田を見やり、ため息をついてしゃがみ込んだ。
「先輩、立てますか。俺が病院まで連れて行きます。」
――診察の結果、松田の額に六針縫うことになった。
消毒、包帯……その間ずっと松田は大人しく、言われるままに従っていた。病院を出る頃には、もう午前四時を回っていた。
「悪いのは俺だ……間違えて殴っちまった。」
松田は自販機で水を二本買って戻ってきた。俺は電話に出ていたが、顔には明らかな不機嫌さが浮かんでいた。片手はポケットに突っ込み、横顔は鋭い。
「……ああ、わかってる。処分は受ける……リーグ戦に影響なければそれでいい。」
松田の姿が視界に入ると、俺は電話を切った。
まだ濡れたままのシャツに汚れたズボン。眉をひそめ、俺は自分のジャケットを脱いで肩に掛けてやった。
「寒くないか?」
松田は首を横に振り、それでも素直に袖を通してファスナーを上げた。
身長は一八〇くらいはあるはずなのに、水泳選手の俺と比べると小さく見える。大きすぎるジャケットは彼の顎まで隠れて、半分ほど顔を覆ってしまっていた。
「……俺が悪かった。」
松田の目をまっすぐ見つめ、真剣に頭を下げる。
「先輩、さっきのことは本当にすまない。酒に酔って人違いして、しかも加減もできなくて……こんな大怪我させてしまった。許せとは言わない。でも怒らないでくれ。俺なんかのせいで気分悪くする必要ない。どんな悪口でもいい、俺は受け止める。まだ気が収まらないなら、殴ってくれていい。俺は逃げないし、反撃もしない。」
白い肌に、青紫色の痕が痛々しく広がっていた。
目尻から顎にかけて、綺麗な顔が台無しだ。黒く深い瞳が俺を映し込み、感情を隠さず揺れている。
「……怒ってなんか、ないよ。」
松田の声は澄んでいて、どこか少年のように柔らかかった。
「でも、殴られた分は――補償してもらわないと。」
「もちろんだ、先輩!」俺は笑った。
「馬鹿みたいに怒らせちまって、巻き込んじまって。飯でも奢らせてくださいよ。」
松田は小さく首を振る。
そして両手を伸ばし、ゆっくりと俺の首に回した。
押しのけようとした俺の肩に力がかかり、やがて柔らかな額が首筋に埋まる。硬直する俺の体を抱きしめながら、彼は小さな声で囁いた。
「仁野……俺と三か月だけでいいから、恋人になってくれない?」
言葉が喉まで出かかって――けれど、どうしても「ノー」とは言えなかった。
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