三ヶ月だけの恋人

perari

文字の大きさ
7 / 50

007

しおりを挟む
松田はプールの縁近くに立っていたが、華奢な身体でプロ並みの体格を持つ武田の攻撃に耐えられるはずもなく、脛を思い切り蹴られた瞬間、よろめいて二歩、そしてそのまま――水の中へ落ちた。
大きな水音とともに水しぶきが舞い、武田は腕でそれを払いながら、口元に嘲笑を浮かべる。
「さっさとその汚ねえ臭い、洗い流せよ。」
北川ですら「やりすぎだ」と眉をひそめたが、止めようとはしない。周囲の連中はゲラゲラと笑い、ただ面白がっていた。
ちょうどその時、電話を終えた監督が館内に戻ってきた。騒ぎを耳にして足を向け――水面に浮き沈みするのが自分の部員ではないと気づいた瞬間、顔色が険しくなる。
北川もプールの中を見やり、思わず声をあげた。
「……はっ?!」
水中でもがく松田は必死に手足をばたつかせるが、完全に泳げない。何度も沈んでは浮かび、恐怖に染まった瞳を大きく見開き、口からはごぼごぼと水が入り込んでいく。
誰が見ても、溺れているのは明らかだった。
監督は服が濡れることなど顧みず、即座にプールへ飛び込み、力ずくで松田を岸に引き上げた。
地面に横たわった松田は力なく咳き込み、肩が大きく上下する。赤く充血した目、濡れた包帯からは血がにじみ出し、痛々しい姿だった。
監督は背をさすりながら吐き出させ、松田が呼吸を取り戻すのを確認する。その場の空気は凍りつき、誰もが顔を強張らせて黙り込んでいた。
――その時。
シャワー室から仁野が現れた。黒に白ラインのジャージ姿、濡れた髪から水滴を落としながら足早に歩み寄る。
視線が地面に倒れる松田を捉えた瞬間、眉間に深い皺が刻まれた。
「……何があった?」
監督は松田の無事を確かめてから立ち上がり、氷のような声で問いかけた。
「誰がやった?」
武田は顔面蒼白になり、しばし口を開けずにいたが、やがて震える声で答えた。
「……ぼ、僕です。」
「次のシーズン、出場停止だ。」
冷たく言い放たれた言葉に、武田は耳を疑った。顔が引きつり、声を荒げる。
「はあ?! なんで僕だけ――」
「なんでだと?」監督の声は怒気に震えていた。
「小さく言えば規律違反、大きく言えば殺人未遂だ! 校則違反どころじゃない、刑務所行きだぞ! 二度と大会に出られなくしてやってもいい! 明日までに五千字の反省文を提出しろ。今週は練習禁止だ!」
怒号はプールに響き渡った。
監督の鋭い視線がぐるりと周囲を走り、見物していた隊員たちを一掃する。
「他の奴らもだ。三千字の反省文、必ず書け。」
一気に場の空気が萎み、誰も逆らえず、皆しょんぼりと更衣室へと引き上げていった。
監督はようやく顔をやわらげ、松田に向かってしゃがみこむ。
「……どこの学部の学生だ? 本当にすまなかった、怖い思いをさせて。」
松田は蒼白な顔で小さく首を振り、息を荒げながら答える。
「……医学部、です。」
その言葉を聞いた監督は内心で舌打ちする。医学部――学内でもっとも優秀とされる学部だ。
だが表情はあくまで穏やかに、取り繕うように言った。
「気にしないでくれ。きつく叱ったし、罰も与えた。あいつらも練習がきつくてな……大事にすれば努力が水の泡になる。だから、この件は水に流してくれないか。」
要するに“事を荒立てるな”ということだ。
松田はそれを理解していた。揉めごとを好む性格でもないし、仁野の立場を考えれば、これ以上騒ぐわけにもいかない。小さくうなずいて受け入れた。
監督は何度も礼を言い、慰めの言葉を並べ、結局また電話が鳴ってその場を離れていった。
残された仁野は松田を支え、長椅子に腰を下ろさせる。まだ咳き込みながらも、なんとか落ち着きを取り戻していく。
仁野は背中を軽く叩きながら、静かに口を開いた。
「……泳げなかったのか?」
松田は震える唇でかすかに笑みを作り、息を乱しながら答えた。
「……ごめん、迷惑かけた。」
こんな状況でも謝るのか――。
仁野は呆れにも似た感情を覚え、濡れた前髪をかき上げると、指先で松田の額の水滴を拭った。
充血した目元を見つめ、感情を抑えた声で言う。
「……もう来るな。あいつら、本気で加減を知らない。」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

虐げられた氷の聖子は隣国の野獣皇帝に執着(愛)されすぎて溶かされる

たら昆布
BL
暴君皇帝×薄幸の聖子

星降る夜に ~これは大人の純愛なのか。臆病者の足踏みか。~

大波小波
BL
 鳴滝 和正(なるたき かずまさ)は、イベント会社に勤めるサラリーマンだ。  彼はある日、打ち合わせ先の空き時間を過ごしたプラネタリウムで、寝入ってしまう。  和正を優しく起こしてくれたのは、そこのナレーターを務める青年・清水 祐也(しみず ゆうや)だった。  祐也を気に入った和正は、頻繁にプラネタリウムに通うようになる。  夕食も共にするほど、親しくなった二人。  しかし祐也は夜のバイトが忙しく、なかなかデートの時間が取れなかった。  それでも彼と過ごした後は、心が晴れる和正だ。  浮かれ気分のまま、彼はボーイズ・バーに立ち寄った。  そしてスタッフメニューの中に、祐也の姿を見つけてしまう。  彼の夜の顔は、風俗店で働く男娼だったのだ……。

未完成な僕たちの鼓動の色

水飴さらさ
BL
由人は、気が弱い恥ずかしがり屋の162cmの高校3年生。 今日も大人しく控えめに生きていく。 同じクラスになった学校でも人気者の久場くんはそんな由人に毎日「おはよう」と、挨拶をしてくれる。 嬉しいのに恥ずかしくて、挨拶も返せない由人に久場くんはいつも優しい。 由人にとって久場くんは遠く憧れの存在。 体育の時間、足を痛めた由人がほっとけない久場くん。 保健室で2人きりになり…… だいぶんじれじれが続きます。 キスや、体に触れる描写が含まれる甘いエピソードには※をつけてます。 素敵な作品が数多くある中、由人と久場くんのお話を読んで頂いてありがとうございます。 少しでも皆さんを癒すことができれば幸いです。 2025.0808

義兄が溺愛してきます

ゆう
BL
桜木恋(16)は交通事故に遭う。 その翌日からだ。 義兄である桜木翔(17)が過保護になったのは。 翔は恋に好意を寄せているのだった。 本人はその事を知るよしもない。 その様子を見ていた友人の凛から告白され、戸惑う恋。 成り行きで惚れさせる宣言をした凛と一週間付き合う(仮)になった。 翔は色々と思う所があり、距離を置こうと彼女(偽)をつくる。 すれ違う思いは交わるのか─────。

【完結】好きじゃないけど、付き合ってみる?

海野雫
BL
大学3年の直人(なおと)は、恋愛経験ゼロ。人付き合いは苦手ではないが、誰かを「好きになる」感情がよくわからない。付き合ってる友人たちを見ても、自分には縁のない話だと思っていた。 ある日、部活の後輩である健(けん)が「一緒にルームシェアしませんか?」と持ちかけてくる。引っ越しを考えていた直人は、悪くない条件にOKを出し、ふたりの同居生活が始まる。 快適すぎる日々。健は料理も掃除もできて、適度に距離を保ってくれる最高のルームメイト。
しかしある夜、健がポツリと呟く。 「……元カレ、まだ忘れられないんです」
「ねえ先輩。付き合ってみませんか?――“好きじゃなくてもいいから”」 からかわれていると思いながらも、冗談めかして了承してしまう直人。
それが、まさかの擬似恋人生活の始まりだった。 恋人ごっこなのに手をつないだり、映画を観に行ったり、肩を貸したり。
最初はただの遊びだったのに、直人はだんだん健が笑うと嬉しくて、泣くと苦しいと感じるようになっていく。 一方、健は「直人に本気になってはいけない」と自分に言い聞かせていたが、直人の優しさや真面目さに、次第に惹かれ始める。 擬似恋人から始まった関係は、本物の「好き」に変わるのか? 本気になったとき、ふたりはどう答えを出すのか――。

神楽

立樹
BL
谷川彰也は、大学でも美形で人の注目を集めている近松神楽にモーニングコールをしている。 ただ、モーニングコールをするだけの仲だった。ある日、コールをしていることがバレてしまった。 彰也も近松に言っていない秘密があって……。

【完結】君の穿ったインソムニア

古都まとい
BL
建設会社の事務として働く佐野純平(さの じゅんぺい)は、上司のパワハラによって眠れない日々を過ごしていた。後輩の勧めで病院を受診した純平は不眠症の診断を受け、処方された薬を受け取りに薬局を訪れる。 純平が訪れた薬局には担当薬剤師制度があり、純平の担当薬剤師となったのは水瀬隼人(みなせ はやと)という茶髪の明るい青年だった。 「佐野さんの全部、俺が支えてあげますよ?」 陽キャ薬剤師×不眠症会社員の社会人BL。

処理中です...