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松田はふと思い出したように身を起こそうとしたが、足にまだ力が入らず、すぐに椅子に崩れ落ちてしまった。
仁野が支え、低く尋ねる。
「どうした?」
松田は焦ったように言った。
「……ご飯、落ちちゃったんだ。プールの中に……」
「座ってろ。俺が取ってくる。」
そう言って立ち上がろうとした仁野の袖を、松田が慌てて掴んだ。濡れた手で必死に、しかし弱々しく。
「着替えたばかりじゃないか。僕が行くよ。」
そう言って立ち上がったものの、左脚に痙攣の痛みが走る。鋭く重い痛みに顔を歪め、松田はふらつきながらも水辺へ向かおうとする。
だが、仁野が腕を引き止めた。
「やめろ。泳げないのにどうするつもりだ。掃除の人が回収する、放っておけ。」
松田は呆然と立ち尽くし、すぐに肩を落とした。まるで自分が悪いことをしたかのように、濡れた小犬のようにうなだれる。
仁野はバッグからタオルを取り出し、彼の肩にそっと掛ける。
「何を買ったんだ? また買えばいいだろ。」
松田はしばらく黙り、それから小さな声で答えた。
「……買ったんじゃない。僕が作ったんだ。」
仁野の手がわずかに止まった。だがそれ以上は何も言わず、声を落ち着かせて言った。
「今シャワー室は混んでる。寮まで送る。」
松田はしょんぼりとしたまま、最後にもう一度プールを振り返ってから、か細く答えた。
「……うん、ありがとう。」
寮の前に着くと、濡れた松田の姿に視線が集まる。
眼鏡をかけた男子学生が駆け寄り、驚いたように声をかけた。
「松田先輩? どうしたんですか、その格好……」
松田は一瞬仁野に言葉をかけようとしたが遮られ、笑って答える。
「平気。ちょっと落ちただけだから。」
その男子は仁野に目を移した。名前は思い出せないが、女子に人気の水泳部のエースだと気づく。なぜ松田と一緒にいるのか不思議そうにしつつも、丁寧に言った。
「早くお風呂で温まったほうがいいですよ。風邪ひきますから。」
松田はうなずき、再び仁野を見上げる。
仁野はその視線を受け止め、手の甲で彼の額の水滴を拭った。目を深くして、静かに言う。
「……行け。」
松田は名残惜しそうにもう数度だけ彼を見つめ、それからようやく背を向けて寮へと入っていった。
――仁野はそのまま帰るつもりだった。だが体育館の前で足が止まり、気づけば再びプールへ向かっていた。
掃除のおじさんがすでに作業していて、声をかけてくる。
「おや、小欒(しょうらん)か。もう閉めるぞ、追加練習か?」
「落とし物があるんです。」
そう答えると、おじさんは道具を取り出し、一緒にプールの底を探してくれた。
やがて水底から引き上げられたビニール袋を受け取り、中を開く。
蓋の外れかけた弁当箱の中には、伸びてしまった麺と牛肉の切れ端、そして半熟の目玉焼き。
仁野はしばらく黙って見つめ、やがて蓋を閉めてゴミ箱へ歩み寄った。
手を伸ばした、その瞬間。
――ポケットのスマホが震えた。
画面に表示されたのは松田からのメッセージ。
『もう水泳部に行って邪魔したりしません。本当にごめんなさい。怒らないでください。』
仁野は立ち止まり、しばし画面を見つめる。返事は打たず、ただゴミ箱の前で袋を掴んだまま動かない。
やがて袋を再び持ち直し、寮へ向かって歩き出した。
――その頃。
風呂を済ませ、服を洗い終えた松田はスマホを手に取り、未読のままの画面に小さく息をついた。
返事はない。
彼は顔を覆い、しばしじっと座り込んで感情を整え、それから机に向かって未完成の論文に手を伸ばす。
……三十分後。
通知音が鳴った。
画面を開けば、そこにはただ一行だけ。
『麺、うまかった。』
仁野が支え、低く尋ねる。
「どうした?」
松田は焦ったように言った。
「……ご飯、落ちちゃったんだ。プールの中に……」
「座ってろ。俺が取ってくる。」
そう言って立ち上がろうとした仁野の袖を、松田が慌てて掴んだ。濡れた手で必死に、しかし弱々しく。
「着替えたばかりじゃないか。僕が行くよ。」
そう言って立ち上がったものの、左脚に痙攣の痛みが走る。鋭く重い痛みに顔を歪め、松田はふらつきながらも水辺へ向かおうとする。
だが、仁野が腕を引き止めた。
「やめろ。泳げないのにどうするつもりだ。掃除の人が回収する、放っておけ。」
松田は呆然と立ち尽くし、すぐに肩を落とした。まるで自分が悪いことをしたかのように、濡れた小犬のようにうなだれる。
仁野はバッグからタオルを取り出し、彼の肩にそっと掛ける。
「何を買ったんだ? また買えばいいだろ。」
松田はしばらく黙り、それから小さな声で答えた。
「……買ったんじゃない。僕が作ったんだ。」
仁野の手がわずかに止まった。だがそれ以上は何も言わず、声を落ち着かせて言った。
「今シャワー室は混んでる。寮まで送る。」
松田はしょんぼりとしたまま、最後にもう一度プールを振り返ってから、か細く答えた。
「……うん、ありがとう。」
寮の前に着くと、濡れた松田の姿に視線が集まる。
眼鏡をかけた男子学生が駆け寄り、驚いたように声をかけた。
「松田先輩? どうしたんですか、その格好……」
松田は一瞬仁野に言葉をかけようとしたが遮られ、笑って答える。
「平気。ちょっと落ちただけだから。」
その男子は仁野に目を移した。名前は思い出せないが、女子に人気の水泳部のエースだと気づく。なぜ松田と一緒にいるのか不思議そうにしつつも、丁寧に言った。
「早くお風呂で温まったほうがいいですよ。風邪ひきますから。」
松田はうなずき、再び仁野を見上げる。
仁野はその視線を受け止め、手の甲で彼の額の水滴を拭った。目を深くして、静かに言う。
「……行け。」
松田は名残惜しそうにもう数度だけ彼を見つめ、それからようやく背を向けて寮へと入っていった。
――仁野はそのまま帰るつもりだった。だが体育館の前で足が止まり、気づけば再びプールへ向かっていた。
掃除のおじさんがすでに作業していて、声をかけてくる。
「おや、小欒(しょうらん)か。もう閉めるぞ、追加練習か?」
「落とし物があるんです。」
そう答えると、おじさんは道具を取り出し、一緒にプールの底を探してくれた。
やがて水底から引き上げられたビニール袋を受け取り、中を開く。
蓋の外れかけた弁当箱の中には、伸びてしまった麺と牛肉の切れ端、そして半熟の目玉焼き。
仁野はしばらく黙って見つめ、やがて蓋を閉めてゴミ箱へ歩み寄った。
手を伸ばした、その瞬間。
――ポケットのスマホが震えた。
画面に表示されたのは松田からのメッセージ。
『もう水泳部に行って邪魔したりしません。本当にごめんなさい。怒らないでください。』
仁野は立ち止まり、しばし画面を見つめる。返事は打たず、ただゴミ箱の前で袋を掴んだまま動かない。
やがて袋を再び持ち直し、寮へ向かって歩き出した。
――その頃。
風呂を済ませ、服を洗い終えた松田はスマホを手に取り、未読のままの画面に小さく息をついた。
返事はない。
彼は顔を覆い、しばしじっと座り込んで感情を整え、それから机に向かって未完成の論文に手を伸ばす。
……三十分後。
通知音が鳴った。
画面を開けば、そこにはただ一行だけ。
『麺、うまかった。』
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