記憶を失くしたはずの元夫が、どうか自分と結婚してくれと求婚してくるのですが。

鷲井戸リミカ

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 ところが辻馬車に乗って逃げ出そうとしたメルヴィンは、そのまま誘拐されてしまった。メルヴィンをさらったのは、あの日レスターによって撃退された町長の息子である。馬車の持ち主は多額の金銭に目がくらんで、メルヴィンを売り飛ばしたのだった。

「今日はあの番犬は近くにいないようでちょうどよかった。まったく、手間取らせやがって」
「ひっ」
「ああ、怯えた顔も可愛いね。ほら、殴られたくなければ俺を誘ってみろよ。自分で服を脱いで、大股開きで無様に腰を振るんだ。どうせ毎日突っ込まれて、後ろの孔もだらしなく広がっているんだろ?」

 誰か助けてほしい。そう考えたところでやはりメルヴィンの頭に思い浮かぶのは、レスターだった。自らレスターから離れることを望んだくせに、彼に助けを求めるなんて間違っている。

 小さく嗚咽をもらしながら、服のボタンに手をかけた。もちろん、こんな男に肌など許したくはない。自分が愛しているのは、レスターただひとりなのだから。震える手で祈りを捧げる。ああ、どうか。

「……レスターさま、助けて」

 レスターの名前を呼んだのと、ふわりと何か温かくて大きなものに包まれるのは同時だった。そして目の前で下卑た笑みを浮かべていた男の姿が吹き飛ぶ。

「メル、大丈夫か?」
「……レスターさま?」
「怖かっただろう。もう大丈夫だから」
「レスターさま! お願いです、もう僕を置いていかないでください。僕をひとりにしないで!」

 勝手に家を出て行こうとしたのは自分だ。メルヴィンの言っていることは、ほとんど八つ当たりに近い。それでもレスターは何も言わずにメルヴィンの背中を優しく撫で続けてくれていた。

「大丈夫だ。何も怖いことはない」
「怖くないはずがないでしょう。だって、またレスターさまがいなくなるかもしれないんですもの。あなたを再び失うことが、僕は何よりも怖いのです」
「わたしを信じてくれ」
「信じたいです。でも、どうやって信じていいか僕にはもうわからないんです」

 二度目の別れなんて、耐えられるはずがない。うつむいた頬を伝う真珠のような雫を、レスターがそっと舐めあげた。いつもとは真逆の行為、それはこんなにも情欲を募らせるものだったのか。メルヴィンはねだるように、レスターに身体を預ける。ゆっくりとふたりの唇が近づき、重なり合った。

「嫌ならば、拒んでくれ。君が嫌だと言ったなら、わたしは君に触れることは叶わない。そう誓ったのだから」

 神も魔術師も嘘を吐かない。魔力持ちが偽りを口にすれば、それは自身を否定することに繋がるのだ。大きな瞳に涙をためて、メルヴィンは小さく首を振る。

「レスターさま」
「何だい?」
「早く、レスターさまをください。僕の中をレスターさまでいっぱいにして。レスターさま以外のことを考える隙間なんてどこにもないくらいに」

 今すぐにでも繋がりたい。それでもレスターには、ふたりが暮らしていた屋敷に転移し、防音結界を張るだけの理性は残っていたようだった。あるいは単純に、メルヴィンの甘い声のひとかけらでも他人に聞かせてたまるかというレスターの心の狭さが、そうさせたのかもしれないが。

 唇から身体の内側まで貪られるのかと錯覚するほどの深さで、口づけを交わす。たったそれだけのことで、長い間お預けを喰らっていたメルヴィンの身体は、期待に満ちて騒ぎ出す。身体の奥が、どこもかしこも隙間だらけで寒くてたまらないと訴えてくるのだ。
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