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チェント男爵令息side①
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「お帰りなさいませ」
重厚な扉が開き執事長のサントが俺を出迎えてくれた。俺の名前はジェフリー・チェント。男爵家の嫡男である。
久しぶりに踏み入れた邸の中は新築したて特有の木の香りが漂っていた。
「ただいま」
玄関のエントランスホールの正面の壁には、大きな金の額縁の風景画がかかっている。
サントにコートと帽子を預けるとその風景画を眺める。
小高い丘の眼下には家が立ち並びその先には船が停泊している港が見える。そして海原の向こうには隣国の大陸が描かれている。
これは我がチェント男爵領の象徴である海、港、漁、養殖、貿易と領民たち。領地の命ともいえる大切なものを写し取った絵画を玄関に飾って日々の励みにしているのだ。
そういえばリリアが絵はどうしたのかと聞いていたな。
くくくっ。
笑いがこみ上げてくる。
あそこにあるわけはない、今はこの家にあるのだから。そう目の前に……
家具や調度品など大事なものはすべて新邸に引っ越し済みである。旧邸にあるのは必要最小限度の生活必需品と使用人だけ。
あの家の玄関に飾ってあった絵を眺めて、リリアとのやり取りを思い出して笑い転げそうになった。しかしその衝動をなんとかこらえてサントに聞いた。
「何か変わったことはなかったか」
「はい。特にはございません。あとは旦那様がお帰りになっておられます」
「そうか、わかった。父上の食事はどうだ?」
俺は友人と食事をしてきたから少し遅くなってしまったが、話をするには父上の食事が終わってからの方がいいだろう。詳しく聞きたいこともあるし、少々込み入った話もしなければならないだろうから。
「終えられてリビングで寛いでいらっしゃいます」
「わかった。着替えたらすぐに行く。お茶を頼む」
俺は必要な要件を聞き、着替えを手早く済ませるとさっそく父がいるリビングへと向かった。
扉をノックし部屋に入ると父はゆったりとソファに座り本を読んでいた。
「ただいま、帰りました。今日はこちらだったんですね」
「おかえり」
俺の姿を見つけた父はあいさつをすませると読んでいた本を閉じた。
「ああ。ジェフリーが知らせてくれただろう。積もる話もあるし、ここでのほうがゆっくりできるだろうと思ってね」
父は黒々としたあごひげを触りながら意味深に視線を投げかけた。
抱いている気持ちは同じなのだろう。
俺は向かい側のソファに腰かける。やがてメイドがお茶を運んできた。彼女たちが準備を終えて部屋を出て行ったのを確認すると俺たちは話を始めた。
「新築の匂いはなんともいい。木の香りがあっちこっちでしますね」
俺は大きく息を吸い込むと部屋の新鮮な空気を味わう。
老朽化が進んでいたため、別の土地に建て替えて出来上がったのが一か月前。俺は貿易商を経営している関係で外国を飛び回っているため、自宅に帰る回数も少ない。
新邸の引き渡しの時に立ち会ったきりだった。
「ああ、新築の匂いもすぐになくなるだろうから、今回は存分に味わっていくといい。しばらくはゆっくりできるんだろう?」
父は期待に満ちた顔で自慢の黒々としたあごひげをさすっている。
「そうですね。いくつか商談を予定しているので、その間はこちらにいますよ」
「そうか。仕事もいいが休みもしっかり取りなさい」
「はい。わかりました」
父の労いの言葉は有難い。
爵位の継承はまだだが父の仕事を受け継いで五年。やっと仕事に慣れて要領もわかってきたところだ。
新しい人脈も作り軌道に乗るまではと結婚も考えず今までがむしゃらにやってきた。まだ頑張れると張り切っているところなのだが、時には休憩も必要なのだろう。
「それはそうとまだこちらには移らないのですか?」
「そうだな。まだ、もう少し、あの邸に暮らしていたい。両親やアーニャ、ジェフリーお前との思い出があるからな。今しばらく浸っていたいんだ」
アーニャは母親、父にとっては愛する妻である。五年前に亡くなってしまったが。母上のことを思い出しているんだろう。父は目をふせて表情が昔を懐かしむような穏やかなものになった。
うちは細々とした領地の収入で暮らしていたような弱小男爵家だったのだが、曾祖父の代で貿易をはじめ真珠の養殖など新しい事業が成功してひと財産を築いた。
邸の老朽化も進み土地も狭く手狭になってしまったため、思い切って引っ越そうということになった。
代々住み続けてきた土地を離れるのは先祖に申し訳なかったが、そのままの土地に建て替えるより別の土地の方が効率が良かったこともある。
最後まで反対していた父は、土地、建物が売れたなら了承してもよいと渋々納得してくれた。
結果。
すぐに売買は成立。
市街地に近く立地条件が良かったのか、相場より高く設定したのだが買主はすぐに見つかった。
父にはかわいそうだったのだが、土地と建物を手放すことが決定したのだった。
ちなみにリリアは新邸があることなど知らない。
「それに、あの娘もいるからな」
父が忌々しそうにぽつりと呟いた。
我がチェント男爵家のたった一つの汚点。
それがリリアだった。
重厚な扉が開き執事長のサントが俺を出迎えてくれた。俺の名前はジェフリー・チェント。男爵家の嫡男である。
久しぶりに踏み入れた邸の中は新築したて特有の木の香りが漂っていた。
「ただいま」
玄関のエントランスホールの正面の壁には、大きな金の額縁の風景画がかかっている。
サントにコートと帽子を預けるとその風景画を眺める。
小高い丘の眼下には家が立ち並びその先には船が停泊している港が見える。そして海原の向こうには隣国の大陸が描かれている。
これは我がチェント男爵領の象徴である海、港、漁、養殖、貿易と領民たち。領地の命ともいえる大切なものを写し取った絵画を玄関に飾って日々の励みにしているのだ。
そういえばリリアが絵はどうしたのかと聞いていたな。
くくくっ。
笑いがこみ上げてくる。
あそこにあるわけはない、今はこの家にあるのだから。そう目の前に……
家具や調度品など大事なものはすべて新邸に引っ越し済みである。旧邸にあるのは必要最小限度の生活必需品と使用人だけ。
あの家の玄関に飾ってあった絵を眺めて、リリアとのやり取りを思い出して笑い転げそうになった。しかしその衝動をなんとかこらえてサントに聞いた。
「何か変わったことはなかったか」
「はい。特にはございません。あとは旦那様がお帰りになっておられます」
「そうか、わかった。父上の食事はどうだ?」
俺は友人と食事をしてきたから少し遅くなってしまったが、話をするには父上の食事が終わってからの方がいいだろう。詳しく聞きたいこともあるし、少々込み入った話もしなければならないだろうから。
「終えられてリビングで寛いでいらっしゃいます」
「わかった。着替えたらすぐに行く。お茶を頼む」
俺は必要な要件を聞き、着替えを手早く済ませるとさっそく父がいるリビングへと向かった。
扉をノックし部屋に入ると父はゆったりとソファに座り本を読んでいた。
「ただいま、帰りました。今日はこちらだったんですね」
「おかえり」
俺の姿を見つけた父はあいさつをすませると読んでいた本を閉じた。
「ああ。ジェフリーが知らせてくれただろう。積もる話もあるし、ここでのほうがゆっくりできるだろうと思ってね」
父は黒々としたあごひげを触りながら意味深に視線を投げかけた。
抱いている気持ちは同じなのだろう。
俺は向かい側のソファに腰かける。やがてメイドがお茶を運んできた。彼女たちが準備を終えて部屋を出て行ったのを確認すると俺たちは話を始めた。
「新築の匂いはなんともいい。木の香りがあっちこっちでしますね」
俺は大きく息を吸い込むと部屋の新鮮な空気を味わう。
老朽化が進んでいたため、別の土地に建て替えて出来上がったのが一か月前。俺は貿易商を経営している関係で外国を飛び回っているため、自宅に帰る回数も少ない。
新邸の引き渡しの時に立ち会ったきりだった。
「ああ、新築の匂いもすぐになくなるだろうから、今回は存分に味わっていくといい。しばらくはゆっくりできるんだろう?」
父は期待に満ちた顔で自慢の黒々としたあごひげをさすっている。
「そうですね。いくつか商談を予定しているので、その間はこちらにいますよ」
「そうか。仕事もいいが休みもしっかり取りなさい」
「はい。わかりました」
父の労いの言葉は有難い。
爵位の継承はまだだが父の仕事を受け継いで五年。やっと仕事に慣れて要領もわかってきたところだ。
新しい人脈も作り軌道に乗るまではと結婚も考えず今までがむしゃらにやってきた。まだ頑張れると張り切っているところなのだが、時には休憩も必要なのだろう。
「それはそうとまだこちらには移らないのですか?」
「そうだな。まだ、もう少し、あの邸に暮らしていたい。両親やアーニャ、ジェフリーお前との思い出があるからな。今しばらく浸っていたいんだ」
アーニャは母親、父にとっては愛する妻である。五年前に亡くなってしまったが。母上のことを思い出しているんだろう。父は目をふせて表情が昔を懐かしむような穏やかなものになった。
うちは細々とした領地の収入で暮らしていたような弱小男爵家だったのだが、曾祖父の代で貿易をはじめ真珠の養殖など新しい事業が成功してひと財産を築いた。
邸の老朽化も進み土地も狭く手狭になってしまったため、思い切って引っ越そうということになった。
代々住み続けてきた土地を離れるのは先祖に申し訳なかったが、そのままの土地に建て替えるより別の土地の方が効率が良かったこともある。
最後まで反対していた父は、土地、建物が売れたなら了承してもよいと渋々納得してくれた。
結果。
すぐに売買は成立。
市街地に近く立地条件が良かったのか、相場より高く設定したのだが買主はすぐに見つかった。
父にはかわいそうだったのだが、土地と建物を手放すことが決定したのだった。
ちなみにリリアは新邸があることなど知らない。
「それに、あの娘もいるからな」
父が忌々しそうにぽつりと呟いた。
我がチェント男爵家のたった一つの汚点。
それがリリアだった。
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